降臨
――― クリス ―――
部屋に雪崩れ込んできた信者達は法衣を着ているが、雰囲気からして俺達を奇襲してきた連中と同じだろう。
しかし相手の数が五人と多く、先輩達はアシェリーや眠った枢機卿を守りやすい位置へと素早く移動していた。
そして最後に入ってきた、無駄に豪勢な法衣と装飾品を着けているドルガーは俺達の顔を確認してから、最後にアシェリーを睨みつけていた。
「何者かが潜入してきたかと報告を受けてみれば、まさか背信者である元聖女とはな」
「っ……負けない!」
一瞬怯んだが、アシェリーも負けじと睨み返していた。
しばらく睨み合いは続いたが、アシェリーが目を逸らさないのを確認したドルガーは面倒そうに息を吐いていた。
「ふん、以前ならすぐに目を逸らしていたが、少しは成長したようだな」
「当然です。皆の為にも、私は貴方に怯んでいるわけにはいきませんから」
「つまり、あの外にいる連中は貴様の仕業か。私の近衛を倒すだけでなく、女神教をここまで混乱させて……一体どういうつもりだ? かつて女神教の聖女と呼ばれた者の行動とは思えんな」
「確かに私がやった事は聖女として正しくありませんし、女神様を裏切る行為かもしれません。ですが一番混乱させたのは、女神教の教えを変えてしまった貴方の方です!」
「ほう、明らかに以前と雰囲気が違うようだな」
「被害が私だけなら何も言うつもりはありませんでした。ですが女神教を歪め、多くの犠牲を出してしまった貴方を女神様の信者として許すわけにいきません!」
はっきりとアシェリーは言い切るが、ドルガーは彼女を見下しながら、まるで頭の悪い子供へ言い聞かせるようにゆっくりと語りかけてきた。
一方、先輩達は会話を聞きながら、さり気なく小声で話し合いをしていた。
「歪めた? 違うな。これは女神教を存続させる為に必要な行為なのだよ」
「女神教に必要な事? 女神様の教えを歪め、お金を集めるのが必要な事なんですか!」
「困ったものだ。前々から思っていたが、お前はもっと現実を見ろ。女神教は困ってる者に手を差し伸べ、感謝された人々から支えられて維持している宗教だ。それはわかるだろう?」
「そうです、女神教は信者や町の皆さんによって支えられています。助けあい、幸せを分かち合う……それが女神教です!」
「実に素晴らしい考えだが、お前は女神教の未来を考えた事はあるか? いつまでも存在する絶対的な宗教だと思いこんでいるわけではあるまいな?」
「……それは」
アシェリーの話によると、女神教の維持費を得る方法は幾つかあるが、主なのは町の人々や奉仕した相手による善意の貢物らしい。
フォニアに住む人々は女神様に感謝し、善意の貢物として自ら差し出しているが、今はそれが神殿側からの催促に変わっている。
勿論変えたのはドルガーで、神殿で大きな工事を行う為と言って違和感なく集められているようだが、いずれ怪しむ人が出てくるかもしれない。
「女神教は確固たる収入源が存在せんのだ。将来何かが起こり、町の人からの善意が無くなってしまえば、女神教は停滞どころか消えてしまうだろう。だから私はそれを防ぐ為に女神教を広め、維持する為の貢物を集められるように女神教を変えたわけだ」
「言いたい事はわからなくもありませんが、教皇様と枢機卿様がこのような変化を求める筈がありません。何故貴方が勝手に決めているんです!」
「教皇は帰ってこぬし、そこの枢機卿は不治の病に倒れて碌に口も聞けん。そしてお前は女神様の神託で背信者であると下された罪人でいなくなったのだ。この状況で私以外に誰が決めるのだ?」
「だったら、他の信者と相談してー……」
「愚問だな。信者が賛同してくれたから教えを変える事ができたのだ。少し考えればわかることであろう?」
認めたくないが、ドルガーの言う事も一理ある。
何かの切っ掛けで町の人々の心が離れれば、女神教は維持できず消えてしまう。俺から見ても、色々と不安定な宗教だと認めざるを得ない。
アシェリーも完全に否定できず、更にドルガーの自信ある言葉によって完全に気押されていた。
「お前と考えが違うだろうが、私も女神教の未来を思っての事なのだよ。これでも私が間違っているというのか?」
「ち……違います。女神様はそんな事を……」
無駄だと言わんばかりに、ドルガーは勝ち誇った顔をしていた。
アシェリーが色々と言いたい事があったから口を挟まなかったけど、考えてみれば純粋な彼女が搦め手や卑怯な手段を使う相手と口で戦うのは厳しいだろう。
先輩達が何も言わないで俺に視線を向けているのは、裏の者達を警戒している他にも、俺がやれと言いたいのだろう。
そうだ……口先だけなら、ガッドさんの下で商人を学んだ俺の知識が生かせる筈だ。
「ちょっと待てよ。何か色々と言って丸めこもうとしているけど、あんたの言っている事は穴だらけだ」
「クリス君?」
「何だ貴様は? 関係のない部外者は黙っていろ」
鋭い視線が向けられるが、先生やガッドさんに比べたら大したことない。
『利を得られそうな相手でなければ、絶対に舐められるなよ。気押された分だけ、金が盗られるんだからな』
ガッドさんの教えを思い出しながら、俺はドルガーを見下すように目を細めた。
「俺は確かに女神教と関係ない男だ。だがな、ここにいる聖女から女神様の在り方と、女神教の教えをよく聞いているんだ」
「知っているから何だ? 私はそこの現実を知らん小娘と話しているのだ。邪魔をするな」
「お前……女神教が停滞するとか消えるなんて言うけど、そもそも女神教って広める事や維持するのが目的じゃないだろ」
女神教の教えとは、困っている人に手を差し伸べて幸せを分かち合う事だ。
はっきり言えば自己満足と自己犠牲の塊みたいなものだと思うけど、助けたから女神様の名を広めろだとか、そういうのは一切なかった。積極的に広めているのではなく、あくまで知ってほしいという感じである。
ある程度は広めなければいけないだろうけど、ドルガーのように積極的に広めたり、貢物を集めるのが女神教の目的じゃないんだ。
つまり……。
「俺からすれば、効率良く貢物……金を集めるための方便にしか聞こえないんだよ!」
「ふん……小僧が適当な事をほざきおって」
「適当なわけあるか。枢機卿が都合良く倒れたり、女神様の教えを守り続けていた聖女が背信者の神託だとか、お前にとって都合の良い状態になっているのが怪し過ぎるんだよ!」
確証があるわけじゃないけど、女神教で一番甘い蜜を吸っているこいつが怪しいのは間違いないのだ。その豪勢な法衣や装飾品は上に立つ者の見栄えにしては派手過ぎるし、本当に必要なのかと問い詰めたくなる。
そして向こうが間違っていないと言い張るなら、こっちは全て知っているという姿勢を崩さず強気で返してやるだけだ。
「教えを変えるのに信者が賛同したって言うけど、聖女がいなくなった時点でほとんどあんたの息が掛かった信者しか残ってないだろ? 少し考えろって言ったけど、考えたらあんたの適当っぷりがよくわかったよ」
「ちっ、多少は知恵が回るか」
「だから騙されるなアシェリー! あの男は女神教を維持するなんて言っても、結局は私利私欲の為に変えたんだ。このまま放っておけば、君の知る本当の女神教が完全に消えてしまうぞ!」
「そう……だね。教皇様が聞いたら、それは女神教じゃないって絶対怒るもの」
反論できず落ち込んでいたアシェリーだが、自分がここへきた意味を思い出してドルガーを強く見据えていた。
全く……俺もまだ子供だけど、こんな状態でこれから本当に大丈夫なのか? 危なっかしくて、近くで見てやらないとこっちが落ち着かない。
アシェリーが復活したところで、ドルガーは面倒そうに顔を歪めながら頭を掻いていた。
「ふう……そのまま騙されていれば面倒が減ったのだがな。何故私の周りにいる子供は思い通りに動かぬのやら……」
「やっぱり嘘だったんだな。いくら正しかろうが、女神教の本質を蔑ろにしている時点で色々と破綻しているんだよ」
「では、本性がばれたところで私達も口を挟ませていただきます。貴方は子供を甘く見過ぎでは? 自分の思い通りに動かしたいなら、貴方がそれに相応しい姿を見せるべきなんですよ」
「そうだな。俺は兄貴の命令だったら、その通りに動くし」
「人を騙せても、子供は騙せなかったようね」
「馬鹿にしおって。そのまま騙されていれば、怪我せずに済んだものの」
ドルガーが後ろに下がりつつ指を鳴らせば、周囲に控えていた五人の信者達が一斉に武器を構えてきた。
まだ戦闘経験が浅い俺でもわかる。こいつ等は……さっきまで戦っていた連中と一味違う。
なにより先輩達が今日一番の緊張を見せているし、それだけ強い相手なのかもしれない。
「男はどうでもいいが、女はなるべく捕獲しろ。利用価値があるからな」
アシェリーは外の信者達を黙らせる為に使うのだろう。そして先輩達は美人だし、欲しがる奴は幾らでもいそうだ。
そんな中、ドルガーは特にフィアさんへ視線を注いでいた。欲望に塗れたその笑みに、フィアさんはうんざりした表情で髪を掻き上げている。
「わざわざ懐へ飛び込んできてくれたのはありがたいものだ。そこのエルフよ、大人しく私の下にくるなら痛い目に遭わずに済むぞ?」
「あいにくだけど、私はもう心に決めた人がいるの。貴方なんてごめんだわ」
「ふん、昨日の男とあれだけ脅してきながら、こんな所にいるとはどういう事なのやら。こうなると、エリュシオンの話も本当かどうか怪しいものだな」
「さあ? 半分が本当で、半分が嘘じゃないかしらね?」
「……まあどちらでもいい。今のお前は女神教へ乗り込んできた不法侵入者なのだからな。罪状はやり方次第でどうとでも変えられる」
わざわざ俺達の前に姿を現したのはアシェリーを騙す為だったようだが、それが失敗したとなればこの場にいる必要はない。
戦いになるので、ドルガーがこの部屋から出ようと俺達に背中を向けたその時ー……。
「多少なら傷つけても構わんが、やり過ぎないようにー……」
「散開っ!」
エミリアさんの号令と共に、先輩達が動いた。
武器を抜いてエミリアさんとレウスさんが前へ飛び出したが、相手も予想していたのか冷静に一人ずつ迎え撃ち、残った三人はアシェリーやリースさんへ向かって投げナイフを放ってきた。
おそらく麻痺毒やらを塗られているナイフが迫ってくるが、フィアさんが放った風によって巻き上げられ、ナイフは全て天井に刺さる。
お返しとばかりにリースさんが無数の水の玉を放ち、こちらへ近づかせないようにしていた。
そんな中……俺は一歩遅れて前へ飛び出していた。
連中は先輩達が押さえてくれているし、自由に動けるのは俺とドルガーだけだ。
騒ぎに気付いて振り返ろうとしているドルガーに向かって、俺は一直線に走った。
「ドルガアアアァァァ――っ!」
「なっ!?」
ようやく自分が無防備だと気付いたドルガーは、迫る俺に驚きつつもナイフを手にして突き出してきた。
だけど、その拙い動きからして使い慣れていないのは丸わかりだ。俺は持っていた剣でナイフを弾き飛ばし、ドルガーの懐へ飛び込んで胸倉を掴んだ。
「くそ、たかが子供が私に手を上げるか!」
子供だろうと何だろうが、俺はガッドさんの下で修業していたからこそわかる。
ドルガー……お前がやろうとしていたのは宗教じゃなく、商人としての考えに近いんだ。
簡単に言うなら、お前のような奴は女神教に合っていないんだよ。
だから……
「お前はただの商人をやってればよかったんだ!」
「うごぉ!?」
俺はアシェリーの分も込め、ドルガーの顔面を思いきり殴った。
本当は剣で斬ってやりたいところだが、こいつには色々と聞かないといけない事もあるし、何よりアシェリーが嫌がると思ったからだ。
そのまま先生から教わった捕縛術で相手の後ろ手をとったままうつ伏せに倒し、ドルガーの喉元に剣を突きつけた。
「ぐ……おのれ。私にこのような真似をしてただで済むとー……」
「煩い! それより今すぐあいつ等を止める指示を出せ!」
ドルガーは押さえる事ができたけど、先輩達の方は不味い状況だった。
相手は各個撃破に切り替えたのか、レウスさんに三人、エミリアさんに二人と別れて同時に攻めていたからである。
先輩達にくっつくように戦っているので、リースさんも味方に当たるのを恐れて魔法を放てないし、フィアさんはアシェリーや枢機卿を守る為に、相手が攻撃の合間に放ってくるナイフを弾くのに専念している。
三人同時に攻められているレウスさんは徐々に押され始め、遂に愛用の剣を落としてしまっていた。
「早く止めさせろ!」
「ふん、それより何故ひと思いにやらぬ? もしや人を殺した事がないのか?」
「…………」
「図星か。表情や行動に出過ぎだ。所詮は子供か」
「俺は子供じゃない!」
「どうした、手が震えているぞ? それとも元聖女がいるから遠慮しておるのか? そうだな、あの甘ったれた小娘に血を見せるのは嫌だろう」
理由をあっさりと見抜いたドルガーの言葉に、俺は動揺を隠せなかった。
俺が未熟なのもあるけど、こいつの弱点を見抜く能力は本物だ。そして明らかに命を握られているのに、怒りはしても恐れずに言い返してくる胆力は流石だと思う。
くそ……こいつが時間稼ぎをしているのはわかっているんだ。
このまま俺が何もしなければ、奴等は先輩達を倒し、最後には無防備なアシェリーを狙うだろう。
だけどアシェリーには、人が死ぬ姿を見せたくない。
「関係のない者まで心配するような甘い小娘だ。憎き相手だろうと、私を殺したお前をどんな目で見るんだろうなぁ?」
俺が手を降す覚悟が無いと思っているのか、ドルガーの揺さぶりは続く。
覚悟……か。
先生は以前、俺に覚悟があるのかと聞いてきた。
おそらく先生は、自分の手を汚してまで彼女を守る覚悟があるのか……と、言いたかったのだと思う。
そしてそれを試されているのが、正に今なんだ。
こいつを倒せば奴等に戦う理由は無くなる。それが先輩達を助け、アシェリーを守る事となる。
だから恐れるな。
覚悟を決めろ。
「アシェリー……こっちを見るなよ」
「クリス君、まさか……」
「くっ……お前はあの小娘に惚れているんだろう? 惚れた相手から白い目で見られてもいいのか!?」
「惚れてるからやるんだよ! それに、やれって言ったのはお前だ」
せめてその瞬間だけは見ないでほしいと祈りつつ、俺は剣に力を込めー……。
「止めろクリス!」
その瞬間、レウスさんに攻撃していた信者が吹っ飛ばされ、俺の真上を通り過ぎて部屋の外へ飛んで行った。
驚いて俺の手が止まっている間にも、レウスさんは手甲で相手のナイフを受け流し、反撃で放った蹴りや拳で瞬く間に残りの二人を倒していた。
……そうか、剣は落としたんじゃなくて、わざと手放したんだ。大振りな剣じゃなく、素早い拳で戦うために。
「そうよ、決めつけるのは早いわ!」
そして相手に挟まれていたエミリアさんが、バック転で高く飛び上がって相手の頭上を飛び越えていた。
突然の行動に相手は反射的に見上げていたが、足元に違和感を覚えた彼等が思わず目を向けてみれば。
「直接当てられないなら、包むのならどうかな?」
彼等の足が水に覆われ、膝下まで水に沈んでいたのだ。
動けないほどじゃないけど、突然襲う水の感触に彼等の対処が一瞬遅れた。その致命的な隙をエミリアさんが逃す筈がない。
「『風玉』」
飛び上がる前から準備していた風の玉が両手から放たれ、顔に直撃した彼等は為す術もなく崩れ落ちた。
そして水が消え、綺麗に着地したエミリアさんはリースさんに向かって笑みを向けた。
「ありがとう。タイミングばっちりよ」
「うん、間に合って良かったよ。本当なら下半身全体を覆いたいけど……まだまだ精進が足りないみたい」
「あら、隙を作るなら十分だと思うわよ。私なんかナイフを弾いてるだけだし」
「フィアさんが守ってくれるから私達は安心して戦えるんですよ。さて、残りは……」
先程の苦戦や、俺の覚悟は何だったのかと思いたくなる程、先輩達は一気に逆転していた。
「ば……馬鹿な!? 精鋭が一瞬にして……だと?」
「やっぱり先輩達は桁が違う。いつか俺も……」
その結果を呆然と眺めていた俺とドルガーの前に先輩達は歩いてきたけど、少しー……いや、かなり気になる点がある。
「ったく、その覚悟は立派だと思うけどさ、もう少し俺達を信頼してくれよ」
「貴方が言っても説得力がないわ。今すぐリースの治療を受けなさい!」
「そうよ! 早くそれを抜きなさい!」
レウスさんの腕にナイフが刺さって血が流れているのだ。
おそらく致命傷じゃない攻撃を選び、防御を捨てて相手を殴り飛ばしたんだ。レウスさんの覚悟は色んな意味で真似できない。
「わかってるよ。いてて……リース姉、頼む」
「全くもう……これはシリウスさんに報告するからね」
「刃に毒が塗られてないから良かったけど、こんな戦い方を知ったら、シリウス様は怒るわよ」
「勘弁してくれよ姉ちゃん。ちゃんとそういうナイフだってわかっていたし、クリスが早まりそうだったから仕方ねえだろ!」
「ああもう、騒ぐと傷口が開くから落ち着きなさい!」
呆れつつも、本気で心配してくれる人がいるレウスさんが少しだけ羨ましいと思った。
そう思っていると突然エミリアさんが振り返ってきたので、ちょっと焦ったのは秘密だ。
「お疲れ様クリス。後は私が代わるわ」
「あ……は、はい!」
「あと、私から少し言わせて。貴方の覚悟は立派だと思うけど、無理をしてまでやる事じゃないと思うの」
「でも、俺は……」
「焦る必要はないわ。まだシリウス様に守られている私が言うのも失礼かもしれないけど、貴方はまだ成長している途中なのだから、追々強くなっていけばいいのよ。でも今は、あの子としっかり話し合っておきなさい」
「私を無視してー……ぐぁっ!?」
「貴方は少し黙っていてくださいね」
俺と代わってくれたエミリアさんにドルガーが何か言おうとしていたけど、エミリアさんは慣れた手つきで相手の手首を捻って無理矢理黙らせていた。美人で優しくて、本当に頼りになる人だと思う。
そしてドルガーから離れた俺は剣を仕舞ってようやく一息吐けたけど、一度命を奪おうとした手は未だに震えたままだ。
まだ甘いと反省しながら拳を握っていると、走ってきたアシェリーが飛び込むように俺へ抱きついてきた。
「ア、アシェリー!?」
「良かった……クリス君……良かったよぉ」
涙を流すほどに心配させてしまって悪いとは思うが、これだけははっきり伝えておかないと。
俺は彼女を落ち着かせるように背中を軽く叩いて、アシェリーの目を覗き込みながら宣言した。
「怖がらせてごめんな、アシェリー。でもさ、今回はやらなくて済んだけど、もしこれから同じような事が起こったら、アシェリーが危険になったら俺は……やると思う」
「そんなの……嫌だよ。そんな事をクリス君がやるなんて私、嫌だよぉ……」
「うん、俺だって嫌だな。だけどさ、どうしてもこういう判断が必要な時もあるんだ。それだけは……わかってほしい」
こんな事を言ってしまった以上、俺はアシェリーに嫌われるかもしれない。それでも俺の覚悟を知ってもらうためにはっきりと口にした。
最悪頬を叩かれるかもしれないと身構えていたが、アシェリーは何かを考えるように俯いて固まってしまった。
「アシェリー?」
「本当は……わかっているの。私がどんなに手を差し伸べても、叫んでも、どうしても犠牲になる人はいるんだって。それでも私は、誰かが傷つくのを見たく……ない」
しばらくして顔を上げたアシェリーの目は真剣そのもので、今度は俺の方が目を覗き込まれていた。
その澄んだ瞳で見つめられ、ドキドキとする胸を抑えながら俺は答えた。
「アシェリーはそれでいいんだよ。誰かの為に悲しみ、困っている人に手を差し伸べてしまう。そんな優しい君だからこそ俺は好きなんだ」
「クリス君……」
「あ!? い、いや……俺だけじゃなくて、アマンダさんや他の信者もアシェリーが好きなんだよ、うん! と、とにかくさ、いつも通り皆の為に一生懸命な君でいてくれたらいいんだよ!」
思わず勢いで言ってしまったけど、間違った事は言っていないから……良しとしよう。
そうさ、アシェリーは真っ直ぐ自分の道を進み続け、人々の道標となる御旗のように輝いていればいい。
汚れ仕事は俺がやればいいんだ。だから、君は綺麗なままでいてほしい。
お互いに顔が真っ赤になっているけど、それでもアシェリーは嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。
「うん……わかった。クリス君や皆がそれを望むなら、私は聖女として一生懸命頑張るよ。だからこれからも……隣で支えてね」
「勿論だ!」
この笑顔を守るために俺は強くなろう。
先生や先輩達みたいに……心も体も強くなるんだ。
その後、先輩達が腕を縛って拘束したドルガーを囲って尋問をしようとしていたけど……。
「ふん……小娘を嵌めたのは私で間違いない。適当な理由をつけて、町から半ば強引に金を集めていたのも事実だ」
質問をすれば、ドルガーはあっさりと罪を自供していた。
妙に冷静なのが気になったレウスさんが剣を突きつけながら脅してみたが、ドルガーの様子は変わらなかった。
これだけアシェリーを貶めておきながら、その余裕ある態度に腹が立った俺は思わずドルガーの胸倉を掴んでいた。
「何でそんなに余裕ぶってんだお前は!」
「……お前達に知られたところで意味がないからだ。まさかと思うが、お前達は今回の顛末を公にするつもりなのか?」
「当たり前だろ。今度はアシェリーじゃなくてお前が裁かれる番だ!」
「やはり子供か。これが公となれば、信者だけではなく女神教を信じていた町の人々まで裏切っていたのがばれるのだぞ?」
つまり今回の不祥事が広まれば、町の人々が女神教に不信感を抱くようになるからだ。
そうなれば、町の人々に支えられている女神教は一溜まりもあるまい。ドルガーが予想していた女神教の消滅という最悪が起こり得る可能性が高い。
「それに神殿内の連中はほぼ私の味方だ。私の罪を告発しようが、背信者である小娘の言う事を信じるとは思えぬし、これ以上の混乱が起こるのは間違いあるまい。お前達は女神教を破綻させるつもりか?」
俺達が女神教を潰す選択をする筈がないと、ドルガーはそう確信しているから余裕でいられるわけか。
「さて、ここから交渉の時間だ。今から私は小娘についての神託は間違いだったと発表し、元の聖女に戻してやろうではないか。小娘だけではなく他の信者も神殿へ帰ってこれるように手配しよう。もちろん、女神様の教えも戻してやっても良い」
「ふざけるな! お前は、アシェリーにどれだけ酷い目に遭わせたと思っているんだ!」
「確かに遺恨は残るだろうが、お前達が我慢すればいいだけの話だ。こうすれば全員が神殿へ戻れる上に、町の者達への不信感も薄い筈だろう?」
「……そんな簡単に出来るわけないだろ」
「私はそれができる術を持っているのだよ。それに私は元々女神教を維持する為に動いていたのだ。結果的に双方に犠牲を生んでしまい、少しやり過ぎたと反省もしておる。ここは痛み分けと言うことで手を打たぬか?」
女神教の大司教をしていただけあって、よく回る口だ。
くそ……元々お前が悪いくせに、何でここまで偉そうな態度で言えるんだよ。
それにアシェリーだけじゃなく、先輩達も何も言わないのは何でだ?
「それに聖騎士……ヴェイグルはどうする? 気に食わなければ火を放つあいつを止められるのは私だけだぞ。ここは秘密を共有し、お互いに納得できる道を探そうではないか」
この場を切り抜ける為の方便かもしれないが、納得できる点もある。
俺は言い返す言葉が浮かばず悔し気にしていると、ドルガーは笑みを浮かべながらアシェリーの反応を待っていたが……。
「必要ありません」
アシェリーは凛とした態度で、そう口にしていた。
「……何が必要ないだと?」
「ですから、納得できる道を探す必要はありません。私達はこのまま神殿の外に出て、皆さんに真実を全て公表するつもりなので」
「正気か小娘!? お前が守ろうとしていた女神教が無くなってもー……」
「貴方の提案で歪んだ女神教を守りたいとは思いません。それに困った人に差し伸べる手は罪悪感なく、迷わず差し出せるようになりたいのです」
「ば、馬鹿な!? 本当にそれでいいのか小娘!」
「はい。そうする事によって女神教がどうなるかわかりませんが、もし教皇様がいらっしゃれば迷わずそうするでしょうから」
はっきりとした宣言に、ドルガーは驚愕の表情のまま固まっていた。
「それに……たとえ女神教が維持できなくなって一人になったとしても、私は女神様の信者として活動していくだけです」
「待てよアシェリー。俺もいるし、外で頑張っているアマンダさんや信者達を忘れているぞ」
「あ……そうでした。私の知る人達と共に、女神教としての活動を続けるだけです。ですから、大司教も皆さんに真実を話してくださいね」
「……そこまで愚かとは。やはりあの時、始末しておくべきだったか……」
先程の余裕は一切消え、ドルガーが悔しそうに俯いたところで……勝負はついたようだ。
そして枢機卿を診る為に残るリースさんと護衛であるレウスさんを部屋に残し、俺達は布を噛ませて口封じをしたドルガーを連行しながら、外へ出ようと神殿内部を歩いていた。
途中で神殿内に残っていた近衛や信者に見つかったけど……。
「私達は今から外で真実を話しますので、皆さんもついてきてください」
そう言って先頭を堂々と歩くアシェリーに、信者達は戸惑いながらもついてきたのである。
中には背信者だとか言いながら怒鳴る信者もいたけど、ドルガーが人質になっているので、渋々とついてきていた。
神殿の外では、未だに聖女派とドルガー派の信者達が睨み合ったままの膠着状態だった。
手を出しあった様子はなさそうだが、何かの拍子でぶつかり合いが起こってもおかしくはない。
そんな状況でアシェリーと縛られたドルガーが神殿内から現れ、神殿の外にある演説台へと上がったので、信者達は大いに騒ぎ始めた。
「聖女様!」
「おお、ご無事で!」
「大司教様!? 何故捕まっているのですか?」
「おのれ背信者が! これはどういう事だ!」
様々な感情が入り混じる声や視線が全てアシェリーに向けられるが、彼女はそれに臆することなく全て受け続け、少しだけ声が収まったところでフィアさんに視線を向けてきた。
「フィアさん、お願いしてもよろしいですか?」
「いいわよ、しっかり頑張りなさい」
「はい、ありがとうございます」
フィアさんの風で声を広範囲に届くようにしてもらい、アシェリーは大きく息を吸う。
そして真実を語ろうと、自分の思いをぶつけようとしたその時……。
『……聞け。女神様の子らよ……』
突如響いた声に、神殿前は水を打ったように静かになった。
たった一言で全てを黙らせる威圧感のある声に、信者達は戸惑いつつも周囲を見渡し、一人の信者が神殿の天辺を指差しながら叫んでいた。
「あ、あれを見ろ!」
神殿の天辺には女神様のシンボルである太陽の紋章が飾られているのだが、そのすぐ横に人が立っていたのだ。
いや……あれは人なのだろうか?
白い長髪を靡かせ、全身を覆う白いマントと仮面を着けた白一色の存在なのだが、何故か頭上に眩しい程に輝く光の輪が浮かび、動いているわけでもないのに姿が霞んで見えるのだ。
ただそこに立っているだけなのに感じる威圧感に俺の膝は自然と震え、一部の信者は耐え切れず座り込んでいる程だ。
皆が呆然と見上げる中、それが大きく手を広げれば光の玉が周囲に生み出されていた。
『我は女神様の御使いなり。女神様の子らよ……争いを止めよ』
ふざけるなと口にする者なんて一切おらず、信者達は先程までの争いを忘れて呆然と御使いを見上げるばかりだ。
神々しいその姿。そして耳を塞いでも聞こえる威厳ある声に、どちらの派閥も関係なく信者達は徐々に跪き始めていた。
しかし突如現れた謎の存在に疑問を抱き、声は出さずとも怪しんで睨みつける信者もまた多い。
そんな状況にアシェリーと俺は混乱していたが、背後からエミリアさんが落ち着くようにと声を掛けてきた。
「落ち着かないのはわかるけど、まずは頭を下げましょう」
「で、でもエミリアさん。あれは一体……」
「そ、そうです。女神様の御使いなんて聞いた事ありません」
「怪しいけれど、争いを止めてくださった存在なのは確かよ。貴方達が頭を下げれば他の信者達も大人しくなると思うから、今は下げてほしいの」
そう言いながらエミリアさんはドルガーに耳打ちをし、渋々といった様子で頭を下げさせていた。
見ればフィアさんも片膝を突いているので、俺はアシェリーと一緒に頭を下げると……突然大きな遠吠えが響いてきた。
「アオオオォォォ――ンッ!」
遠吠えと共に現れたのはホクトさんで、町へと続く道からこちらに向かってゆっくりと歩いてきたのである。
今朝より少し痩せたような気がするけど、その美しい白い毛を靡かせながら歩く姿は、先程現れた御使いに負けない輝かしさを放っていた。
その堂々とした姿に信者達は自然と道を譲り、割れた人混みの中を悠々と歩いてきたホクトさんは俺達の前までやってきて、神殿の上に立つ御使いを見上げてから……。
「クゥーン……」
平伏するように……伏せたのだ。
「おお……聖女様だけではなく、あのような立派な魔物まで!」
「大司教様も平伏しているぞ!」
「我々も続くのだ!」
アシェリーやドルガーだけでなく、突如現れた百狼まで頭を下げては信者達も認めざるを得ず、神殿前に集まった全ての者が頭を下げていた。
『女神様の子らよ、見るがいい』
再び響く声に顔を上げれば、御使いが片手を高く掲げると同時に、巨大な光の玉が遥か上空へ生み出されていた。
『そしてフォニアに住む全ての女神様の子らよ。我の声に耳を澄ませよ。神殿前へと集え』
頭に直接語りかけるような声は、きっと町中にいる人達にも聞こえている筈だ。
あの巨大な光の玉は町に住む人達への合図なんだろうけど、どこかで見た事があるような気がする。
……そうだ! 規模は全く違うけど、先生が以前に手本で見せてくれた『ライト』にそっくりなんだ。
ちょっと待てよ……あの光の玉に、信者達を平伏させる威圧感。
そして先輩達が自然と頭を下げ、ホクトさんまで平伏する人と言えば……一人しか浮かばない。
何より、該当する人がこの場にいないのだ。俺の予想は間違っていないと思う。
『女神様の命により……我が神託を下そう』
あの人は一体……女神教をどうするつもりなんだろう?
……結局この話で締められなかった。
書いている内に、説明に悩んだり、伏線回収や説明忘れがポンポンと出てきて量が増えたので、ちょっと加筆させて次回へとなりました。
ちなみにアシェリーの補足ですが、アシェリーは神殿内では皆の孫であり、マスコットの様な存在なので一部に熱狂的なファンが多いのです。
わかりやすく言えば、アイドルと追っかけのようなものですね。
なので信者達はアシェリーが自然でいるのを望み、我儘を許し、汚れ仕事に関わらせずこっそりと処理しようとします。クリスがその見本です。
しかし本人はその立場で胡坐をかかず、自分のやれる事で努力を続けているので、何だかんだでバランスはとれていたり。
おまけ
次回予告(嘘)……はっちゃける御使いモドキ。
「おうおう! お前等の悪事はこの光の玉が見ていたんだ。見忘れたとは、言わせないぜ!」
「御使い様! 我々はその光の玉を見るのは初めてです!」
「あ、そっか。じゃあお前とお前、死刑な」
「御使い様、何か色々とおかしいです!」
今日のホクト
ご主人様と別れ、神殿へと向かっているホクトは悩んでいました。
それは今から御使いと名乗る者の前に立ち、周囲へ見せつけるように敬う姿勢をとってくれとご主人様に命令されたのですが、どれ程敬うかで悩んでいるのです。
ホクトにとって最大限に敬う姿勢は、寝転がって腹を見せる事です。
色々と理由があり、御使いにそれをするのは全く以て構わない……むしろやってやりたいところですが……周りの人達の目が気になるのです。
ホクトにとって本当に敬う相手はご主人様ただ一人であり、そしてご主人様の下にいる事を誇りにしています。
例え親だろうと、神だろうと自発的に敬いたくありません。
そんなわけで、周囲の人達にご主人様以外に尻尾を振っている姿を見せるのが何だか嫌なのです。
人に例えるなら、浮気をしている現場を見られているような気がするのです。
しかしご主人様の命令に逆らうなんてもっての外。
ホクトは悩みつつも町へと潜入し、建物の陰で悩み続けています。
『……聞け。女神様の子らよ……』
そうこうしている内に出番がきてしまいました。
悩みに悩み、ホクトが選んだ選択は……。
「クゥーン……」
平伏するように伏せ、尻尾を振らないように我慢する……でした。
「ホクトさん……尻尾が震えていますね」
「一生懸命頑張っているのよ。見ない振りをしてあげなさい」
……一部にはバレバレでした。
次回の更新は六日予定です。