守りたい理由
この話には残酷な描写が見られます。
苦手な方はご注意ください。
――― シリウス ―――
「お前の言う大司教も、近い内に後を追うだろう」
「まっ!?」
ナイフを突き出してきたヴェイグルの手を握り潰してから、俺は反対の手を奴の腹に向けて『ショットガン』を放った。
指先から放たれた散弾は腹を容易く撃ち抜き、大きな風穴を作って向こう側の景色を覗かせていた。
腹を撃ち抜くなんてあまりやりたくはないが、こいつを逃がそうとした仮面の信者をこの方法で仕留めた以上、ヴェイグルも同じ目に遭わせるのが筋だと思ったからだ。
ちなみに仮面の信者の腹を狙ったのは、自爆しようと腹に直接描いた魔法陣を『ショットガン』で根元から撃ち抜く為である。
その後、空洞と化した腹を呆然と眺めていたヴェイグルはゆっくりと仰向けに倒れた。
「は……はは……」
「さよならだ、精霊が見える者よ」
俺はミスリルナイフとヴェイグルが脱いだ法衣を回収し、穴から脱出した後に地面へ土魔法の魔法陣を描いた。穴を掘った時は急ぐ為に魔石を使ったが、本来なら地面に直接描く魔法陣で十分なのである。
そして魔法陣を発動させてヴェイグルを残した穴を綺麗に塞ぎ、適当に偽装を施せば、周辺は何事もなかったように平地に戻った。
「嘘をつくなら、もっと上手くつくんだったな」
弟子になりたいと口にしたが、その場凌ぎで言っているのは目を見ればわかる。たとえ弟子にしてどれほど言い聞かせようが、こういう奴は隙あらば背中を刺してくるだろう。
それで俺だけ狙われるのはいいが、他の弟子達に悪影響を及ぼす可能性が高い。実際……前世で似たような奴を引き取ったせいで、他の弟子が犠牲になったしな。
あの能力は純粋に惜しいと思うが……すでに終わった事だ。
まだ女神教の騒ぎも終わっていないし、さっさと意識を切り替えるとしよう。
俺は『サーチ』で周辺を調べ、ホクトがこちらへ向かってくる以外に目立った反応が無いのを確認してから大きく息を吐いた。
「ホクトも炎狼を倒したようだし、これでドルガーの戦力は激減した筈だ」
後は頃合いを見て町に戻る予定なので、すぐそこまで戻ってきているホクトを待っているのだが……何故かホクトは近くの岩に隠れたまま近づいてこないのである。
「……どうしたホクト?」
「クゥーン……」
思わず声を掛けてみると、ホクトは岩陰から顔だけ出してばつが悪そうに喉を鳴らしていた。
隠れる気はないようだが、何だか悪戯が見つかった子供みたいな行動だな。
「どうした? ほら、怒らないから出ておいで」
「……オン」
笑みを浮かべながら手招きしてやると、渋々といった感じでホクトは岩陰から姿を現した。
そしてこちらに歩いてくるホクトの姿を見て、隠れていた理由が判明した。
「……どうやら、お前の方は激戦だったようだな」
「クゥーン……」
白くて美しい、輝くような体毛を持っていたホクトが、今や炎によって体のあちこちに黒い焦げ目がついているのだ。
ホクトは俺が褒めた白毛を誇りにしていたので、こんな状態になってしまったのが恥ずかしくて仕方がないのだろう。
いつもなら俺の胸に鼻先を擦りつけて甘えてくるのだが、今は頭を下げて項垂れているので、俺は優しく頭を撫でてやった。
「確かに焦げ目は気になるが、相性の悪いあの炎狼にお前は勝てたんだ。もっと自分を誇るといい」
「クゥーン……」
「姿がどうあれ、ホクトはホクトで俺の相棒だろ。ほら、おいで」
「……オン!」
両手を広げてやれば、ホクトは尻尾を振りながら鼻先を擦りつけてきたので、俺は丹念に頭を撫でてやった。
しばらく頭を撫で続けてようやく落ち着いたところで、改めてホクトの状態を確認してみた。
「ふむ……痛みはあるのか?」
「オン!」
首を横に振っているので大丈夫らしい。あの炎狼の炎は相当な熱量だった気がするが、百狼ってのは本当に頑丈な肉体を持っているんだな。
そして焦げた部分を調べてみたが、毛が細い先端部分……つまり表面が焦げただけで、掻き分けてみれば綺麗な白毛がしっかりと残っていた。
これなら焦げた部分を削ぎ落とし、水場で洗えばほとんど元通りになるだろう。
ホクトの体毛は非常に丈夫なので普通のナイフだと刃が立たないだろうが、ミスリルナイフなら何とか切れそうだ。
俺はホクトに事情を説明し、焦げた部分を刈り取る許可をもらった。
「よし、元通りにしてやるから待ってろよ。お前は綺麗な白が一番だからな」
「オン!」
俺達にはまだやる事が残っているが、出番はもう少し先なので時間は十分にある。
刈りやすいようにホクトが伏せてくれたので、俺はミスリルナイフで焦げた毛を刈り取っていった。
丁寧に処置を続け、焦げてない部分を刈って全体のバランスを整えていく内に、ホクトは気持ち良さそうに目を閉じていた。
「クゥーン……」
「さて……アシェリー達は上手くやっているかね」
俺は町で活動している弟子達を思いながら、ホクトのトリミングを続けるのだった。
――― クリス ―――
「聖女様!?」
「聖女様!」
俺達はフォニアの町に潜入し、ドルガーのやり方に反抗している聖女派の信者達と合流していた。
それにしても、手配されている俺とアシェリーをどうやって町に潜入させるのか気になっていたが、まさか空を飛んで潜入するとは思わなかったよ。先生に関わる人達に常識は通じないらしい。
そしてアマンダさんの案内で聖女派の隠れ家まで来れば、アシェリーの姿を見た聖女派の信者達は大声を上げながら駆け寄ってきた。
「皆さん……無事で良かった」
「聖女様こそ、よくぞご無事で!」
「おい、誰か仲間に伝えろ! 聖女様が帰ってきたぞ!」
味方が少ないとアシェリーが言った通り、ここにいる人達は十人も満たなかった。おそらく散っている人達を合わせても、それほど多くはないと思う。
しかしその人達はアシェリーを本気で慕っており、彼女の無事を涙しながら喜んでいる。
感動の再会を終え、ようやく落ち着いてきた信者達が俺や先輩達を見ながら首を傾げていた。
「聖女様。その者達は一体?」
「この人達は私を幾度となく救ってくださった人達です。心強い仲間達です」
「だ、大丈夫なのですか? もしドルガーの手の者だとすれば……」
「それは決してありえません。もしそうだとしたら、私は今頃大司教に捕まっていますよ」
冒険者の格好をしている俺達は怪しまれて当然だろうが、アシェリーの見せた自然な笑みと言葉に信者達は大人しくなっていた。
ドルガーが差し向けた追手の情報ではアシェリーの確保が最優先であり、聖女派を捕まえるのはあくまでアシェリーをおびき出す為らしい。
更にアマンダさんがリースさんに助けられた事を交えながら説明すれば信者達は納得していた。
「それより何故戻ってこられたのですか? この町は危険過ぎます」
「……戦う為にです」
「「「聖女様!?」」」
アシェリーが放った言葉に信者達は大いに動揺していたが、それも当然かもしれない。
アシェリーは自分が貶められようが、争う事だけは避けてきた平和主義者だ。
今までそんな言葉を口にすらしてこなかったらしく、昨夜その言葉を聞いたアマンダさんは混乱していたくらいだ。
「大司教による今の女神教となってから信者の一部が裕福となり、快適な生活を送れています。ですが……それは女神様の教えから外れています」
ドルガーが女神教を変えてから貧困の差が激しくなったが、信者達の生活が改善したのも事実だ。
しかし女神教の教えとは、本来困っている人に手を差し伸べる事である。
「私達の知る女神教とは自分だけが裕福になるのではなく、幸せを皆で共有する事です。そんな女神教だからこそ私達は集まり、信者となったのではありませんか?」
アシェリーは凛としているが、近くで見れば僅かだけど体が震えていた。自分の我儘に巻き込むのだから、その罪悪感は計り知れないだろう。
それでもアシェリーは今の女神教を見ていられず、立ち上がる事を決めたのだ。
「その教えを歪めてしまった大司教を許すわけにはいきません。教皇様が戻られず、枢機卿様が倒れている今……私達が立ち上がらなければならないのです」
「ですが私達の戦力は少なく、ドルガーには聖騎士までいます。このまま戦えば多くの犠牲が出てしまうでしょう」
「味方はこれから増やします。クリス君。レウスさん。お願いします」
アシェリーの指示に俺とレウスさんは持っていた荷物を信者達の前に並べれば、信者達は荷物の正体に気付いて騒ぎ始めていた。
そこで先生が教えてくれた作戦内容を告げ、ヴェイグルが町にいない事を説明してからアシェリーは深々と頭を下げた。
「私はこれ以上、女神教が歪んでいくのを見ていられないのです。だからお願いします。皆さんの力を……私に貸して下さい!」
そんなアシェリーの行動に信者達はしばらく沈黙していたが、一人、また一人と片膝をついて、全員がアシェリーの前に跪いていた。
「顔を上げてください聖女様」
「そうです、元より我々は真の女神教を信じて集っているのです」
「その作戦に加え、聖女様が帰ってきた今こそ好機です。我々一同、聖女様の手と足となりましょう」
「皆さん……ありがとうございます」
ドルガーの策略と甘い蜜に惑わされなかっただけあって、信仰心が厚い信者達なんだろう。
それゆえに、女神教を思うアシェリーを慕うのも当然かもしれない。
こうして信者達の協力を得られた後は早いものだった。
信者達が手分けして、取り返してきた物を持って脅されていた人達の協力を要請し、指定した時間に神殿前へ集まるように伝達していた。
中には裏切ってドルガーに報告する者も出てくると先生は睨んでいたので、情報が漏れても相手が準備を整える前に突撃する。要は迅速さが重要なのだと先生は丁寧に説明してくれた。
やる事は多いのだが、俺やアシェリーは顔が知られて危険なので外に出る事ができない。
同じようにリースさんとエルフで目立つフィアさんも外へ出ないで、俺達と一緒に聖女派の隠れ家に残っていた。
ちなみにエミリアさんとレウスさんはいざとなれば逃げられる実力を持っているので、フードを被って信者の護衛として外へ出ていた。
作戦の開始時間は昼過ぎからだ。
先生に頼まれていた作業を続けながら待っていたけど、アシェリーは落ち着きがなく不安そうにしているので、フィアさんが俺の肩を叩いてきた。
「ほら、貴方の出番よ」
「私達の方はいいから、アシェリーの隣にいてあげてね」
リースさんからも背中を押され、俺は不安気にしているアシェリーの隣に座って声を掛けた。
「アシェリー、大丈夫かい?」
「……うん、私は大丈夫よ。皆頑張っているんだから、弱音なんて吐いていられないもの」
「全然大丈夫に見えないって。アシェリー。もう少し力を抜いて落ち着くんだ。じゃないと神殿へ向かう前に倒れるぞ」
「あ……」
アシェリーが見せた強がりに、俺は思わず頭を撫でてしまっていた。
驚いていたアシェリーが顔を赤くしながらも笑みを向けてくれたところで、俺は無意識にやってしまったその行動に気付き、慌てて手を引っ込めた。
「ご、ごめん! つい癖で……」
「ううん、御蔭で少し落ち着けたから。ねえ、もしかして前に言っていた妹さんにも?」
「……そうだよ。今の君みたいに、強がってばかりな子だったんだ……」
俺には一人の妹がいた。
今のアシェリーみたいに、必死に強がってばかりだった妹だ。
「お腹が減っているくせに、減ってないって強がってばかりだった。我慢し過ぎるなって、何度頭を撫でて言い聞かせたことか……」
貧しい家庭に生まれ、早くも両親を亡くした俺はたった一人の妹を守ろうと必死だった。
働いたり、危険を承知で町の外へ出て薬草を採取して売ったり……何度も死ぬ思いをしながら金を稼いでいた。
だけど妹は病に冒されてしまい、食うのさえ困っていた俺に薬なんて買える余裕はなかった。
そして妹は……。
『お兄ちゃん……後は……自分の為に……生きてね』
その言葉を最後に……妹は息を引き取った。
妹を亡くした俺は全てに絶望していたが、遺言で生きろと言われた以上は簡単に死ぬわけにはいかなかった。
しかしふとしたミスで奴隷商人に囚われてしまい……俺はガッドさんに買われた。
そしてガッドさんと接する内に生きる希望を取り戻し、先生と出会い、そして……。
「私……クリス君の妹さんとそっくりなんだよね」
「……うん」
港町で追手に追われるアシェリーを見つけた時……俺は妹が生き返ったのではないかと錯覚したくらいだ。
そんなわけない。そう思いつつも背中を追いかけ、気付いたら俺はアシェリーを助けようと飛び出していた。
名前を聞いて妹ではないと確信したけど、俺を巻き込みたくないと強がって去ろうとする顔が妹と重なり……俺は放っておく事ができなかった。
たとえ恩人であるガッドさんを裏切ってでも、彼女を守りたいと思ってしまったのだ。
「だったら私の事は妹と思ってくれていいよ。恩人であるクリス君の為に、私は何かしてあげたいの」
「それは……ちょっと待ってほしい」
アシェリーは笑いながら言うが、少し寂しそうな笑みだった。
……俺はそこまで鈍感じゃないつもりだ。
それに今は……。
「確かに君を気にしているのは妹と似ているからだけど、今はそうじゃないんだ。アシェリーだから……君だから俺は……」
「クリス君……」
不器用ながらも一生懸命なアシェリーの事が……。
「せ、聖女様が……」
「おお……遂に……」
「私は認めんぞ!」
その時、出掛けていた信者達が戻ってきていて、俺とアシェリーは全員から注目されているのに気づいた。
微笑ましく見守っている者もいれば、親のように厳しい目で見る者もいるので、もしかしてアシェリーは信者達から可愛い孫の様な扱いであり、この忠誠心もそれが理由じゃないかと思い始めていた。
「わ、私も……クリス君の事が……」
「ちょっとアシェリー!? 周り見て!」
正気に戻ったアシェリーが顔を真っ赤にして騒いでいたけど、彼女の緊張は解れたと思う。
時折こんな風に周りが見えなくなる女の子だけど……そんなアシェリーが俺は好きだ。
思わず告白しそうになったけど、今は止めておこう。全て終わってから、改めて伝えたいと思う。
「前途多難ねぇ……」
「障害が大きければ大きい程、恋は燃えると思うのです」
「頑張るんだよ、二人とも」
「兄貴の弟子なら負けるなよ、クリス」
先輩の生温かい激励を受けながら、俺は気持ちを切り替えた。
こうして信者達が帰ってきたという事は、味方の算段がついて準備が整ったというわけだ。
緊張感は薄れてしまったけど、先生曰く、緊張感は適度にして現場を見渡せる余裕を持てとの言葉がある。
俺は落ち着いて自分のやれる事を……アシェリーを守る為に動くだけだ。
「女神様は決して犠牲を望みません。同じ女神教の仲間ですし、無理に手を出そうとしないでくださいね」
「こちらはお任せ下さい。聖女様こそ、どうかご無事で」
「それでは皆さん……行きましょう!」
「「「はいっ!」」」
最後にアシェリーの宣言で士気を高め、俺達は隠れ家を後にした。
神殿内部へ潜入するのは、俺とアシェリーと先生の弟子である先輩達四人だ。
信者が何人かついてこようとしたが、おそらくドルガーの周辺は武装した近衛で固められている筈だ。
そんな相手と戦いになれば、碌な戦闘経験がない信者達は邪魔なので少数精鋭で行く事になった。エミリアさんとレウスさんの力を見せて、無理矢理納得させたとも言う。
当然ながらアシェリーが潜入するのは反対されたが、神殿内部に一番詳しく、ドルガーと直接話したいという要望もあって同行を許可された。
まだ修行中で実力が足りない俺は外されてもおかしくなかったけど、何故か先輩達はあっさりと許可してくれた。
「シリウス様から、クリスには色々と経験をさせる為に連れて行けと言われているわ」
「それに聖女を守る騎士は必要じゃない」
「しっかりアシェリーを守ってあげてね」
「正面の敵は俺が叩きのめすから、クリスはアシェリーだけを考えてついてこい」
頼りになる先輩達だ。
あまり頼りにし過ぎるのは駄目だってわかるけど、俺の力が足りないのは事実だから、今は素直に甘えようと思う。
『出てきなさい、ドルガー!』
『お前がやっているのは真の女神教ではないぞ!』
『聖女様が背教者である筈があるか!』
現在、女神教の神殿前にはアマンダさんを筆頭に百人近くの信者が集まり、大声でドルガー達に抗議をしていた。
主な目的は外で騒ぐ事によって神殿内部の目を外へ向けさせ、俺達が神殿内部へ潜入しやすくするためだ。
更に言うならば、外に出てくるのはドルガーと関わりが浅い信者ばかりだと思うので、近衛達との戦いで無駄な怪我や犠牲を減らす為でもある。
『何だ貴様等! このような場所で騒いで、女神様に失礼と思わないのか!』
『それはこちらの言葉だ。女神教を捻じ曲げたお前達の行為こそ、女神様が嘆いておられるぞ!』
『そんなわけなかろう。これは女神様の神託だ!』
神殿の外で聖女派とドルガー派の信者が向かい合い、己の主張をぶつけ合っている頃、俺達はアシェリーの案内で神殿内部へ続く抜け道を通っていた。
ひんやりとした空気を感じる小さな洞窟の通路を歩きながら、アシェリーは場所の説明をしてくれた。
「ここは教皇様と枢機卿様、そして私しか教えられていない、女神教の聖域でもあります」
「私達が通っても大丈夫なのでしょうか?」
「そうね。町の壁を越えたように、私の風で中庭から潜入しても良かったのよ?」
「非常時には遠慮なく使いなさいと教皇様が仰っていました。それは今だと思うのです」
「じゃあ貴重な体験ってやつか。兄貴はこういうのを見たくて旅しているから、少し残念がるだろうな」
洞窟をしばらく進むと広い空間へ出たが、そこには大きな湖が広がっていた。
俺は神だとかそういうのはよくわからないけど、そこは聖域と呼ばれてもおかしくないほどに神々しく澄んだ場所だった。
「女神様が沐浴したと言われる聖なる泉です。一応言っておきますが、湖に入らないでくださいね」
「凄い。こんなにも……が」
「綺麗な場所ね。非常時じゃなければ、しばらく眺めていたいところね」
「シリウス様と一緒に来たかったです」
「全て終わったら枢機卿様にお願いしてみますね。あ、神殿内部への扉はこちらです」
もう少し眺めていたかったけど、今は女神教の問題だ。
再びアシェリーの案内で歩き続け、取っ手が付いた小さな扉の前まできたところでアシェリーは振り返った。
「ここから神殿中心部にある、祈りの間と呼ばれる部屋に出られます。エミリアさん、後はよろしくお願いします」
「ええ、任せてください。まず私達は枢機卿の安全確保を最優先に動きます」
この中で一番仕切れるエミリアさんが作戦の確認を行う為に、神殿内部の地図を取り出した。
その地図を確認したアシェリーは、地図を指差して現在位置を説明してくれた。
「えーと……祈りの間はこの場所になります。枢機卿様の部屋はー……ここですね」
「シリウス様が昨日神殿に入った時、この辺りから弱々しい反応があると仰っていました。枢機卿はそこにいると思って間違いなさそうですね」
「少し遠いけど、正面突破で行くんだろ、姉ちゃん?」
「ええそうよ。速度が重要だから、貴方はアシェリーや私達の声を聞き逃さず前へ進みなさい。後は状況を見て指示しますので、落ち着いて行動しましょう」
本当は一番年上なフィアさんが仕切るべきかもしれないけど、ずっと一人で旅をしていたし、先生の下では新参者なので自ら断っていた。
後ろから援護する方が性に合うそうなので、皆を見渡せる位置で静かに見守ってくれている。
「クリス、アシェリー。貴方達のやる事はわかっているわよね?」
「はい。道案内と、皆さんについて行く事です」
「俺はアシェリーを守る」
「よろしい。無理して前へ出ちゃ駄目よ。じゃあ、頼むわレウス」
「任せとけ!」
そしてレウスさんを先頭に、俺達は神殿内部へと突入した。
「どらっしゃーっ!」
「て、敵だー……ぐはっ!?」
「一体どこからー……ぐおっ!?」
祈りの間には誰もいなかったが、部屋を出ると同時に鎧を装備している近衛に見つかったが、レウスさんは瞬時に剣で殴り飛ばして気絶させていた。
「何の音だ!?」
「くっ、侵入者だ!」
「水よ……『水玉』」
「出番よ……『風玉』」
音を聞き付けてやってきた近衛は、リースさんとフィアさんの魔法によって吹っ飛ばされ、壁に激突して動けなくなっていた。
中には離れた所から魔法を飛ばしてくる近衛もいたけど、二人の魔法で……特にリースさんの水によって全て防がれていた。
ぶつければ消える火球と風の刃はともかく、飛んでくる岩を水で包み、無力化してから塊のまま床に落とす繊細な使い方をしているけど、魔力は大丈夫なのかと心配になった。
「リース、ちょっと飛ばし過ぎじゃない?」
「大丈夫です。お願いしたら、この子達が聖域からついてきてくれたので、ほとんど消耗してませんから」
「ついてきた!? 凄いわねぇ……」
「くそっ! 急いで大司教様に伝えろ!」
敵の声で会話がよく聞こえなかったけど、二人の表情からして問題はなさそうだ。
ほとんど先輩がやってくれるからもどかしいけど、俺がやれるのはアシェリーを守る事だけだ。
死んでないとはいえ、近衛の連中がやられているのを痛ましく見ているアシェリーの手を握りしめた。
「これは君のせいじゃない。それと、俺の隣から離れるなよ!」
「……うん!」
「はぁ!」
ふと聞こえた声に見上げれば、吹き抜けとなっている上の階から信者がナイフを片手に飛び降りてきた。
反射的にアシェリーを背中にして庇う事はできたけど、代わりに剣を振るのが遅れ、相手のナイフが俺に突き刺さる方が速そうだった。
「もらった!」
「油断し過ぎです!」
「ぬっ!?」
しかしそれより早く、エミリアさんが風の勢いと共に横から突撃してきて相手を蹴り飛ばしてくれた。
更にエミリアさんは床に着地すると同時に投げナイフを投げていたが、相手はそれを軽々と弾いていた。
「良い身のこなしだが、ナイフ投げはまだまだのようだな」
「貴方こそただの近衛ではなさそうですね。奇襲からして……ドルガーに雇われた裏の人でしょうか?」
「さてな。それが聞きたければ俺を倒してから聞くがいい。その程度のナイフ捌きと、ふざけた魔法で倒せると思うな」
エミリアさんはナイフの他に魔法による風の玉も放っていたけど、魔法が飛ぶのは遅くて会話の途中でようやく相手の前まで届く速度だった。
「いえ、貴方達のような人がいるとわかれば十分ですので聞く必要はありません。それと、私は貴方の言うそのふざけた魔法で貴方を倒すつもりです」
「余裕だな。これが当てられると本気でー……ごふっ!?」」
相手は軽く体を動かして避けていたけど、風の玉は突如破裂するなり凄まじい風を巻き起こし、相手は避ける間もなく吹き飛ばされていた。
「私の『風衝撃』は、少し避けた程度では逃げられませんよ。まあ、もう聞こえないでしょうが」
白目をむいて倒れている相手を確認したエミリアさんは、周囲を警戒しながら俺に笑みを向けてくれた。
「アシェリーを庇えたのはいいけど、自分の身も守れないと駄目よ」
「……返す言葉もないです。それより、ありがとうございました」
「ええ、もう少しだから頑張るわよ。皆、相手は奇襲が得意な人達も混ざっているわ。上だけじゃなく、周囲一帯にも気をつけなさい」
先輩達が薙ぎ払って周囲に敵はいないけど、エミリアさんが警戒しろと口にしたかと思えば、レウスさんが近くにあった調度品の木箱を剣で叩き割っていた。
「ぐ……はぁっ!?」
そして砕けた木箱から、さっき俺を襲ってきた信者と似た奴が転がり落ちてきた。
本当に、この人達の感覚はどうなっているんだろう?
「兄貴だったらもっと上手い所に隠れるぜ!」
「そうねぇ、シリウスなら地面から急に出てきてもおかしくないかもね」
「奇遇ですねフィアさん、私もそう思います」
付き合いはあまり長くはないけど、先生なら出来てもおかしくないって俺も頷いていた。
その後、何度か近衛が襲ってきたけど、全て先輩達の手によって薙ぎ払われて俺達は順調に進んでいた。
他にもエミリアさんの言う裏の人達が隠れて奇襲してくるけど、レウスさんとエミリアさんが事前に気付いて倒している。
「あの……俺全然わからないんですけど、どうすればわかるんですか?」
「シリウス様と訓練していれば嫌でもわかるわ」
「兄貴が本気出したら、背後にいても気付けないくらいだからなぁ……」
相手の背中に立って呼吸を読み、同調する事によって気配を悟らせない技術だそうだ。とても俺には出来そうにない。
「その角を曲がった先の扉が、枢機卿様の部屋です!」
「姉ちゃん、中に一人!」
「ええ、慎重に行きなさい!」
そして部屋に飛び込めば、広い部屋の片隅にあるベッドに一人のお婆さんが眠っていた。
かなり高齢で優しそうなお婆さんだけど、その顔は痩せ細っていてかなり衰弱している様子だった。
「枢機卿様!」
「動くな! それ以上近づけば、この者の命がどうなっても知らんぞ」
アシェリーの呼ぶ声で枢機卿だと判明したけど、今は裏と思われる信者にナイフを突きつけられていた。
「直にドルガー殿が来られる筈だ。それまで大人しくしてもらおうか」
「待ちなさい! その御方を人質にするなら、私が人質になります!」
「断る。今は下手に動くような人質は必要ない」
衰弱した枢機卿を思ってアシェリーが人質を名乗り出るが、相手も状況を読んでいるのか乗ってくれなかった。
追い詰められたドルガーが枢機卿を人質にさせない為に急いだのに、相手もそれを読んでいたのかもしれない。
下手に動けない状況の中、エミリアさんが背中で隠しながら手を動かして小声で呟けば、頷いたレウスさんが剣を抜いて横に構えていた。
「何をしている。剣を仕舞え」
「なあ、お前のナイフと俺が一歩踏み出して斬る……どっちが速いと思う?」
「舐めているのか? ふざけた事を口にしていないでさっさと下がれ!」
「俺は毎日こいつを振りまわして自分の手みたいに操れるんだ。お前の手元だけ斬るなんて朝飯前だぞ?」
「私の風魔法も速いですよ。切れたかどうかわからない風の刃……食らってみますか?」
「や、止めてください! 枢機卿様が危険です!」
アシェリーが止めようとするが、エミリアさんとレウスさんは聞く耳持たずに構えていた。
二人から放たれている殺気に冗談ではないと相手が焦り出したのを見計らい、エミリアさんが一歩だけ横へ踏み出し、その動きで相手の視線が僅かに逸れた瞬間……。
「貴方達……よく狙うのよ」
「皆……お願い!」
フィアさんの呟きと共に、ナイフを突きつけていた相手の手元から強風が巻き上がり、手を大きく跳ね上がらせていた。
その衝撃で手放してしまったナイフは、リースさんの放った水の玉で弾かれて壁に突き刺さり、残された相手は飛びこんだレウスさんとエミリアさんが殴って気絶させた。
「人質をとるなら、もっと人を揃えた状態でやるべきだったわね」
「私達なら、二人以上は必要だよ!」
軽くハイタッチしながらベッドに近づく先輩達を、俺とアシェリーは呆然と眺めていた。
恐ろしい程までに息の合った動作を、会話らしきものを一切せずに行うなんて。
本当に……頼もしい先輩達だ。
「アシェリー。この人が枢機卿で間違いないのね?」
「は、はい! その通りです。こんなに痩せて……お労しい」
「何か毒物でも飲まされたのかしら? とにかく治療をしてみるわ」
ベッドを中心に全員が集まり、リースさんが魔法の水で枢機卿を包んで治療を始めた。
しばらく治療は続いて水が消えた頃には、青白かった枢機卿の顔に赤みが戻っていた。
「シリウスさんならもっと詳しくわかると思うけど、このままだとすぐに動くのは無理そう。でも、命に別状はなさそうだから安心して」
「本当ですか! ああ……良かった……」
安堵したアシェリーが枢機卿の手を握り締めていると、突然レウスさんが扉に向かって剣を構えていた。
その動きで何が来ているのか俺も気付き、アシェリーを守るように立てば、扉が開かれて数人の信者が部屋に雪崩れ込んで来た。
「……まさかここまで攻めてくるとはな」
「……大司教」
そして最後に現れた立派な法衣を着ている男が、敵の親玉である大司教、ドルガーだった。
さり気なくフラグを立ててしまうクリス君ですが、近くには変態剣爺から受け継いだクラッシャーがいますので、回避成功していたり。
予定では次の話で女神教編を締め、後日話で終わらせたいところです。
おまけ
その頃、シリウスとホクトは……。
「…………少し刈り間違えたか。ホクトはどう思う?」
「オン! オン!」
「ふむ……お前もそう思うか。全体のバランスが難しいな」
「オン!」
「いっそ大胆にモヒカンとかにしてみるか? たてがみ伸ばして靡かせるのも格好いいかもしれんぞ」
「クゥーン……」
「ははは、冗談だよ。そのままのお前が一番だって」
「オン!」
まるで恋人同士のように仲良くして(いちゃついて)いた。
次回の更新は六日後です。