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たった一言

 ――― シリウス ―――






 ヴェイグルを始末してからホクトのトリミングを終えた頃、エミリアから神殿へ無事に潜入したと連絡が入ったので、俺はフォニアの町から離れた森に隠してある馬車に戻って準備をしていた。

 しばらくしてドルガーを確保したと連絡が入ったが、やはり向こうにも俺が戦った裏の連中がいたようだ。

 それでもエミリア達は少し苦戦しながらも倒したそうなので、後でしっかりと褒めてやろうと思う。


 しかし……守護者を全て倒して捕まったというのに、ドルガーが余裕の態度で語っていた内容を聞いた時は思わず溜息が漏れていた。

 やはり大司教という高い身分の者が変えた教えに、女神ミラ教の敵と認定されたアシェリーとなれば、ただドルガーを押さえれば解決する問題ではないようだ。ある意味予想していた内容とも言える。

 ドルガーは自分を告発すれば女神ミラ教の信用が地に堕ちると言って脅してきたそうだが、アシェリーは女神ミラ教が消えるのを覚悟で全てを告発すると決めたらしい。

 今はドルガーを連れて神殿の外へ向かっているそうなので、少し急がねばなるまい。


 ホクトの毛を集めて作った白いカツラを被り、白の仮面とマントを着用し、全身を白一色にした神の御使いに相応しそうな姿へと変装した。


「……というわけで、説明した通りに頼むぞホクト」

「……オン!」


 少し考え事をしていたホクトだが、しっかりと返事をして町へと向かったので、俺も準備を済ませてから出発した。






女神ミラ様の子らよ、頭を上げよ。そしてフォニアに住む全ての女神ミラ様の子らよ。我の声に耳を澄ませよ。神殿前へと集え』


 そして現在……俺はフォニアにある女神ミラ教神殿の屋根に立っていた。

 すぐ横には女神ミラのシンボルである太陽のオブジェがあるが、あくまで俺は女神ミラの御使いなので触れないように気をつけておく。


 そこから眼下を見れば、女神ミラ教の信者が数百人以上も跪く異様な光景が広がっていた。

 服装だけでなく、頭に天使の輪をイメージした『ライト』を発動させて、更に細かい『ライト』を周囲に放って光の屈折によって姿をぼやけさせたりと、神の御使いらしさを強調した甲斐はあったな。

 おまけに弟子達にアシェリーとドルガーに頭を下げさせるようにと『コール』で頼み、駄目押しに存在感のあるホクトを平伏させたので、他の信者達に俺が女神ミラの御使いだと信じさせることが出来たようだ。


女神ミラ様の命により……我が神託を下そう』


 勝手に女神ミラの御使いを騙る神をも恐れぬ所業だと思うが、己を慕う信者達が苦しんでいるのを放っておく神なんて恐れたくもない。むしろ怒りに来いと言いたいくらいだ。

 女神ミラの為だと誠実に活動しているアシェリー達と違い、己の私利私欲で動いているドルガー達をどう裁くのか見てみたいものである。

 神を全く信じていないわけではないが、このような事をしても何も反応がない以上、俺は勝手にやらせてもらうとしよう。


 俺が御使いとして喋っている時は『コール』を無差別に発動させているので、おそらくこの町に住んでいる人達全員に俺の声は届いている筈だ。

 強制的な公開放送によって町の人達に女神ミラ教の問題が知れ渡るだろうが、どちらにしろアシェリーは公表するつもりだったようだし、それなら御使いが広めた方が反発が少ないだろう。

 唯一の欠点は、『ライト』も同時に発動させているせいで魔力の消耗が激しいことだ。

 魔力不足による倦怠感に耐えつつ、魔力を回復させる荒技を続けながら、俺は信者達を見下ろしながら神託モドキを口にした。


女神ミラ様の子である聖女アシェリー、そして大司教ドルガーよ。我が問いに嘘偽りなく答えよ』

『はい!』

『わ、わかりました……』


 指名されたアシェリーとドルガーの声は、フィアの風によって周囲へと響き渡らせている。

 手を胸の前で組み、膝を突いて懺悔する姿勢をとるアシェリーは聖女と呼ぶに相応しい姿だと思う。

 一方ドルガーは俺に対して不信感を抱いているのか、大勢の手前、仕方なくといった感じで跪いているのが僅かに見える。何とも憎らしいが、その感覚は正解だな。


女神ミラ様は此度の醜き争いを非常に嘆いておられる。何故このような事が起こったのか、余すことなく我に告白せよ』


 女神ミラ教を守る為だとか聞こえの良い事を言っていたらしいが、今回の事件は一言で言えばドルガーが私利私欲の為に動いた結果である。

 彼に賛同した者は別にして、まずは何も知らずドルガーに踊らされ、アシェリーを敵視している信者達の誤解を解くところから始めたい。

 何もせずアシェリーが真実を告発したところで、背信者として反発される可能性は大きい。そこで俺が御使いとして降臨し、彼女の語る内容は真実だと後押しすれば良いのである。


『聖女アシェリー、答えよ』

『わ、わかりました! 私はこの間まで、女神ミラ様の教えの通り活動を続けていましたが、先日女神(ミラ)様からの神託を授かった大司教から、私は女神ミラ教を脅かす背信者と認定されて追われる身になりました』


 もはや俺がやっているのは公開裁判みたいなものだが、場を支配している雰囲気からあまり不信感は抱かれていないようだ。

 そして真実を語れと言われてからドルガーが冷や汗を掻き始めているが、流石にこの状況で騒げば不利になると思い口を挟めないようである。


 その後アシェリーは女神ミラ教から追い出され、様々な人達の助けを借りながら立ち直り、そして神殿へ潜入してドルガーを捕まえた事までを正直に語り続けた。


『……背信者の神託を受けながらも戦おうとしたのは何故だ?』 

『今の女神ミラ教はお金を得る事に躍起になり、女神ミラ様の教えから外れています。私はそれが我慢できず、大司教と対立する事を決めました』

『それは誤解ですぞ御使い様! 私は女神ミラ様の教えを広めるべく、そして女神ミラ教を維持する為に必要なー……ギャアアアアアァァァ――ッ!?』


 それでもこのまま黙っていては不味いと判断したのか、ドルガーは自分の正当性を口にしながら割り込んできたが、たとえ偽物だろうと今の俺はお前達にとって最上位に近い存在である神の御使いだ。

 無礼なのは明白なので、俺は死角を狙って伸ばし続けていた『ストリング』をドルガーにこっそり巻き付け、魔力を流して軽い電気ショックのようなものを味わわせた。


『……我はまだ大司教ドルガーに発言を求めておらぬ。許可もなく口を挟むな』

『ぐ……は……わ、わかりました』


 傍から見れば何もしていないのに、突然大司教が苦しそうにのたうち回る姿を見た信者達は息を呑み、俺が絶対的な存在だと言わんばかりに頭を垂れた。

 ドルガーへの一撃は体が痺れる程度に加減しているが、これで御使いに半信半疑だった奴も考えを改めるだろう。


『邪魔が入ったが……聖女アシェリーよ。それがこの争いを起こした理由か?』

『はい、私は女神ミラ様を裏切る行為だと承知の上で起こしました。罰が下されるのならば、甘んじて受け入れます』

『我は真実を語れと問うただけで、今は罰の話ではない。そしてその潔さ……正に女神ミラ様の聖女に相応しい。これからも女神ミラ様の為に尽力せよ』

『あ、ありがとうございます!』


 話の途中で罪悪感から涙を流していたが、俺の言葉を受けてアシェリーは嬉しそうに頭を垂れていた。

 少し強引だがまずはアシェリーを持ち上げて、女神ミラ教の聖女に相応しいというのを周囲に理解させてやるのである。


『では大司教ドルガーに問おう。先程口にしたが、女神ミラ教を維持する為に、女神ミラ様の為に貢物を集めていたと相違ないか?』

『そ、その通りでございます。教えに背いてしまう事になりましたが、全ては女神ミラ様の為に動いたのでございます』

『……嘘偽りはないな?』

女神ミラ様の名に誓って!』


 ドルガーは再び攻撃されるのではないかと怯え気味であったが、質問に乗り切ったのを感じて小さく息を吐いていた。

 だが今までの質問は答えられて当然のようなものであり、本題はここからである。


『争いを起こした事は嘆かわしいが、共に女神ミラ様を思って動いたのは認めよう』

『はい!』

『ありがたき幸せ!』

『しかし……我は許せない事がある。大司教ドルガーよ、お前が仕出かした事は真に女神ミラ様が望んだ事なのか?』

『そ、それは……』

女神ミラ様の神託と言って女神ミラ様の子らを納得させたようだが……とても女神ミラ様が望むとは思えぬ事ばかりだ。これをどう説明する?』


 言葉にするのは簡単だが、女神ミラを慕うせいで信者達にはとても聞けない質問で俺は斬り込む。

 ドルガーが冷や汗を流しながら戸惑っているせいで、信者達には明らかな動揺と困惑が見られていた。

 言い訳を必死に探しているようだが、俺は碌に考える間も与えずに追い打ちをかける。


『答えられぬのも当然であろう。何故なら女神ミラ様は一度たりとも、大司教ドルガーに神託を授けた覚えはないと仰っておられる』

『そ、そのような事は決してございませぬ! 私は確かに女神ミラ様の神託をー……』

『事実だ。女神ミラ様が、聖女アシェリーが相応しくないと下す事などありえぬ』


 そもそも愛の女神と呼ばれる神がそんな神託を下す時点でおかしい。

 神託を受けられる者が限定されていたり、小細工を重ねたせいもあるだろうが、信仰深い信者は騙せても余所者からすれば怪し過ぎるので、上からはっきりと断言してやる。

 そもそも今回の事件は、本来の女神ミラ教として正しいのがアシェリーであり、理由はあれど私利私欲で動いていたドルガーがおかしいのだ。


『大司教ドルガーよ、偽物の神託で女神ミラ様の子らを騙した罪は重い』


 ここまではっきりと断言すれば、ドルガーの味方はほとんど消えるだろう。

 中にはドルガーによって堕落した信者もいるようだが、アシェリー達の真面目な信者達の真摯な態度を眺めていれば、いずれそういう連中も元に戻っていくだろう。

 それで馴染めなければ女神ミラ教から消えるだけだが、流石にそこまで面倒を見るつもりはない。


 ちなみにクリスを除いた弟子達には御使いは俺だと事前に『コール』で教えてある。無論、クリスやアシェリーにはばらさないように固く言い聞かせておいた。

 信仰深い者は自分が崇める神を大切にするもので、今の俺みたいに勝手に名乗られれば面白くない筈だ。もし俺だとばれてしまえば、たとえ事件が無事に解決してもアシェリーは素直に喜べないだろう。

 実際ここまでしなくても、この騒動に乗じて神殿内を徹底的に捜索すれば不正の証拠は山程出てくるので、ドルガーはすでに詰んでいるのに等しい。だがそれでは時間が掛かるので、ドルガーは逃げ出す可能性が高い。

 結果的に成長してくれたが、運が悪ければドルガー達のせいでリースが心に深い傷を負ったかもしれないのだ。

 俺は別に正義の味方ではない。

 人の家族に手を出したアホな奴等は、神を騙ってでも必ず報いを受けさせてやろうと思ったのである。


 そして女神ミラ教の不祥事と町の人達の怒りを全てドルガーに被ってもらい、女神ミラ教への不信感を少しでも軽減させないとな。

 自分で撒いた種は自分で刈ってもらわないと困る。ドルガーも似たような手段でアシェリーを嵌めているので文句は言えまい。


『大司教ドルガーよ、弁明があるなら申してみよ』


 己の悪事が晒され、信者達の疑惑に満ちた視線を一斉に集めていたドルガーだが、俺に深々と頭を垂れてから口にしてきたのである。


『……申し訳ございません。私の心の弱さゆえに黙っていた事があります。実は……私は聖騎士ヴェイグルに脅されていたのです』

『聖騎士……火の精霊が見える女神ミラ様の子であるな』

『その者で間違いありません。聖騎士は自らの力に溺れており、少し前から女神ミラ教を支配しようと企んでいたのです。私は止めようとしたのですが手には負えず、逆に彼の炎に脅され、私は仕方なく聖女を追い出したのです。聖騎士こそ諸悪の根源でー……』

『その者はすでに存在せぬ』

『……は?』


 ヴェイグルは好き勝手に暴れていたせいで悪評が出回っているし、理由としては十分だろう。

 しかし所詮はこの場を乗り切ろうとする悪足掻きに過ぎないので、俺はマントの下からヴェイグルの法衣を取り出してドルガーの前に放った。


『こ、この法衣は!?』

女神ミラ様の名を出して暴れるだけでなく、忠告をしに降臨した我に攻撃を放ってきたのだ』

『なっ!?』

女神ミラ様の名を汚すだけで飽き足らず、我に攻撃するような愚か者を許す事はできぬ。よって聖騎士は我に浄化され、女神ミラ様の下へ向かわれた』


 その宣言にドルガーだけでなく他の信者達にも激しい動揺が見られた。

 彼等にとって畏怖の対象であったヴェイグルが倒されたと言うのだから当然かもしれない。


『聖騎士は最後に女神ミラ教には興味が無いと口にしていた。すでに存在しない者に責任を押し付ける戯言は止めよ。我は嘘偽りを申すなと先程言った筈だ』

『う、嘘ではー……があああぁぁぁっ!?』


 ヴェイグルという切り札と、信者達の信頼を失ったドルガーに再び魔力を流して黙らせ、俺は神託を下した。


女神ミラ様に代わって命じよう。大司教ドルガーよ。お前はこれより大司教を名乗る事は二度と許さん! 女神ミラ様の子らによる、相応の裁きを受けるがいい』

『か、寛大な処置……ありがとうございます』


 後ろ盾を全て失い、抜け殻のようになったドルガーはこれで十分だろう。


 後は……町の人達への対応だな。

 今までの会話は全て聞こえている筈なので、彼等は女神ミラ教が起こした不祥事を知った筈だ。それと同時に、今回の事件はドルガー一人の暴走とも知っただろう。

 見渡してみれば、女神ミラ教を中心にできた町だけあって、目に見えて怒っている者は少なかった。

 しかし女神ミラ教に対して不信感を抱く者や、困惑している者が多く見られるので、このまま放っておけばいずれ不満が爆発するかもしれない。

 ……仕方あるまい、今後の為にもう一仕事しておくとしよう。


『ここに集まりし女神ミラ様の子らよ、女神ミラ様をもう一度思い出すがよい』


 再び上空に巨大な『ライト』を発動させ、太陽の光が降り注ぐような演出を行ってから注目を集めた。


『非常に遺憾となる結果であるが、それでも女神ミラ様は全て受け入れ許して下さるだろう。そう、女神ミラ様は決して変わらぬのだ。そして此度の事件を乗り越えた女神ミラ教は、女神ミラ様の為に一層励むであろう』


 元より女神ミラを慕い集まっていた者達なので、今回の事件を残念に思おうと心は完全に離れられないのだ。

 真実を知っても暴動が起こっていないのがその証拠でもあり、集まっている人達はどうするべきか迷っているのだろう。

 なのでその迷っている者達の背を、御使いの言葉で押してやればいい。


『何があろうと、お前達は女神ミラ様の子に間違いはないのだ。女神ミラ様を信じよ! 女神ミラ様を信じる己を信じよ! 何があろうと、女神ミラ様は我が子であるお前達を見守って下さっているのだ!』


 ほとんど勢いで口にしている安い扇動であるが、相手は信心深い者達であり、女神ミラに最も近い御使いの言葉によって効果は劇的であった。

 その言葉に神殿前は大いに沸き上がり、気付けば町の者達は全て跪き、一心にこちらへと視線を向けていた。

 準備は整った。後はー……。


『聖女アシェリーよ。枢機卿が眠っている今、聖女こそが女神ミラ教の代表である』

『私が……ですか?』

女神ミラ様の教えを、聖女の思いを女神ミラ様の子らへ存分にぶつけるがよい』

『……はい!』


 唐突に指名されて一瞬戸惑っていたが、すぐにアシェリーは力強く立ち上がって信者達へと体を向けた。

 すでにアシェリーは聖女としての権威を取り戻しているし、彼女の真摯な思いが伝えられる最高の舞台であろう。

 ここでしっかりと女神ミラ教のイメージアップを図れれば、今後の活動を円滑に進められる筈だ。女神ミラ教の立て直しに失った信頼の回復と、本当に大変なのはここからなので、演説程度で躓いてもらっては困る。

 緊張はしているが、希望溢れる笑みを見る限り大丈夫そうだな。

 俺の仕事もここで終わりだろう。


『我は女神ミラ様の下へ帰るとしよう』


 最後は御使いとして派手に消えようと思い、魔力を一端回復させてから、自分を中心に『ライト』を発動させた。

 信者達の目を潰さないように光を徐々に強くしていき、目を開けられない光量まできたところで一気に魔力を解放すれば、神殿周辺は巨大な魔力の光に包まれた。

 全てが白く染まる中、俺は変装を解きながら神殿内に隠れようと移動を開始したのだがー……。











『愛しき子達よ。私はいつでも見守っています』










 突然妙な反応を感じたかと思えば、暖かく、そして全てを包み込むような声が響き渡ったのだ。

 俺は思わず足が止まりそうになったが、何とか光が消える前に神殿内へ隠れる事はできた。

 すでに反応は感じられないが……あれは一体?


『……女神ミラ様?』


 神託を受けた事のあるアシェリーは心当たりがあるようだ。

 空耳や幻聴かもしれないと思うが……。


「何と……優しき声か」

「聖女様も仰られている! 今のは女神ミラ様だ!」

女神ミラ様が降臨されたのだ!」

「「「女神ミラ様!」」」


 たった一言で神殿前は歓声に包まれ、信者だけでなく町の人達でさえ沸かせた神々しさは気のせいではあるまい。

 あの言葉を聞いた時、俺は思わず母さんを思い出すほどの暖かさを感じたのだから。


『……皆さん、今のは女神ミラ様の言葉に間違いありません。そして御使い様の言葉通り、間違った事をした私達でも女神ミラ様は見守って下さると仰いました。その言葉に応えられるように、これから女神ミラ教はー……』


 崇める神の言葉もあり、もはや女神ミラ教への不信感は完全に消え去っていた。

 アシェリーの演説を真剣に聞いている信者達と町の者達を確認し、俺は人が出払った神殿内の奥へと歩き出した。



 それにしても……最後に聞こえたあれは、全員の反応からして俺だけに向けられたようだな。




『貴方に心からの感謝を……』




 勝手に御使いを名乗ったので怒られるくらいの覚悟はしていたが、受け入れるどころか礼まで述べてくるとは思わなかった。

 その懐の大きさ、流石は愛の女神と呼ばれるだけはある。


 正直に言えばもう少し早く出てこいとは思うが、本来は神殿内にある祭壇でしか神託を受けれないと聞くし、神には神の事情もあるのかもしれない。

 結果的にアシェリー達の後押しをして、女神ミラ教への不信を一掃してくれたのだから良しとしよう。





「兄貴か!」


 外で演説が続いている中、俺はほぼ無人となった神殿内を歩いてレウスとリースがいる枢機卿の部屋を訪れた。

 レウスは部屋の中にいたのだが、匂いか何かで俺だと気付くなり部屋の扉を開けてくれた。


「お疲れレウス。こっちは異常ないか?」

「皆外に出ちゃってるから、誰も来なかったぜ。一応警戒はしてるけどさ」

「今更敵は来ると思わないが、念のためにもうしばらく警戒を頼んだぞ。俺は枢機卿を診てくる」

「任せとけ兄貴!」


 力強く頷くレウスの頭を撫でながら部屋に入れば、枢機卿の眠るベッド前に座っていたリースが歩み寄ってきた。


「シリウスさん、無事でなによりです。先程、何だか凄く不思議な声が聞こえましたけど、外はどうなっているんです?」

「説明すると長くなるから後で説明するよ。とにかく外はもう大丈夫だと思うから、最後は枢機卿だな」


 眠ったままの枢機卿の枕元に近づき、一言詫びをいれながら枢機卿の手に触れて魔力を集中させていると、リースが突然俺の袖を引っ張りながら心配そうに顔を覗き込んできた。


「あの……大分疲れていますよね? 無理はしない方が……」

「わかるのか? 表情には出してないつもりだが……」

「隠していてもわかります。それに、エミリアならもっと早く気付くと思いますよ?」


 何だかんだで今日は朝からヴェイグルと戦い、さっきまで御使いを演出する為に、魔力の消耗と回復を何度も繰り返していたのだ。

 まるで自転車操業のようなやり方に疲れているのは事実だが、まだ倒れる程じゃない。


「問題ないさ。後はこの人を診れば、今日はもう終わりだろう」


 リースに大丈夫だと笑みを向け、人の体内を調べる『スキャン』を発動させた俺は枢機卿の体を隅々まで調べた。

 しばらく調べて原因は判明したが、まずはリースの診断結果を聞いてみた。


「リースは彼女をどうみる?」

「えーと……おそらくですが薬によって意識を失う状態にされていると思うんです。私の治療で体内の毒素を薄めておいたので、直に目覚めると思います」

「ああ、俺の診断も同じだ。処置も悪くないし、成長したなリース」

「えへへ……ありがとうございます」


 大雑把に説明するなら、致死性のない特殊な睡眠薬を定期的に投与され、眠り続けているような状態だった。

 体内の毒素もリースの治療で消えたようだし、しばらくすれば自然に目覚めるだろう。

 命に別状はないだろうが、数ヶ月もこの状態でいるらしいので、目覚めてもしばらくはリハビリは必要だろう。


 リースの頭を撫でながら、治療に関する新たな知識を幾つか教えた俺は、室内にあるソファーに座って大きく息を吐いた。

 そのままぼんやりと天井を眺めて耳を澄ませれば、窓の外からアシェリーの声が僅かに聞こえてきた。信者達の沸く声も度々聞こえるので、まだ演説は続きそうである。


「……長くなりそうだな。フィアが無理をしてなければいいが」

「フィアさんもですけど、シリウスさんの方が無理してますよ」

「そうだぜ兄貴。ここはリース姉と俺が見ているからさ、兄貴は休んでいろよ」

「エミリア達が戻ってきたら起こしますから」


 持っていた御使いの変装セットをレウスに奪われ、リースが少し怒り始めているのでお言葉に甘える事にした。

 他人の、それも枢機卿という身分の部屋で勝手に寝るなんて失礼だと思うが、今は非常時だから問題はあるまい。


「何かあれば、すぐに起こすんだぞ」


 やはり疲れていたのか、ソファーに座って目を閉じれば急激に眠気が襲ってきたので、俺はそれに抗わず力を抜いた。






「うふふ……」

「……エミリアか?」

「はい。シリウス様」


 目覚めた時、俺の目の前には笑みを浮かべたエミリアの顔があった。

 どうやら眠っている間に横にされ、俺はエミリアに膝枕をされているようだ。

 女神ミラの声で母さんを思い出したせいか、頭を撫でてくれるエミリアが母さんに見えー……。


「ああ……シリウス様に膝枕。幸せです……」


 ……嬉しさのあまりにだらしない顔になってきたので、その幻想は一瞬にして消えてしまった。

 別に悪いわけではないが、母さんの域に達するにはまだレベルが足りないようだ。


 渋るエミリアを説得してから体を起こせば、枢機卿の部屋には弟子達だけでなく、アシェリーとクリスも含め全員が揃っていた。

 眠気を払いつつ体を伸ばしていると、笑みを浮かべたフィアが俺の肩に触れながら声を掛けてきた。


「可愛らしい寝顔だったわよ。それにしても、貴方にしては珍しく熟睡していたわね」

「可愛いはないだろ。熟睡できたのはレウスとリースが見張っててくれたし、休める時に休むのは重要だからだ」


 もし見知らぬ相手が近づいたり、殺気を放ってきたりすれば俺はすぐさま飛び起きてナイフを抜いただろう。最も無防備だからという事で、眠っている最中でも反応するように師匠から叩きこまれているのである。

 俺は基本的に早起きで滅多に寝顔を見せないし、エミリアみたいに慣れた人ならば近づいても大丈夫なのだが、クリスやアシェリーだと危なかったかもしれない。


 俺は弟子達の無事な状態を確認し、最後に部屋の隅で伏せているホクトの頭を撫でてから、俺は枢機卿が眠るベッドの横に座るアシェリーの隣に立った。


「おはようございます、シリウス様。起きて大丈夫ですか?」

「大丈夫とは?」

「リースさんから、聖騎士を足止めしたせいで疲れていると聞いたんです。見たところ怪我は見当たりませんけど、辛いならベッドを用意させましょうか?」


 確かに、町の外に出ていた俺がいつの間にかここにいたら変だよな。リースが口裏を合わせてくれた御蔭で助かった。

 これで大丈夫かとリースが緊張した様子で眺めてくるが、俺は大丈夫だと頷いておいた。


「いや、もう大丈夫だ。足止めしている最中に御使いが突然現れてヴェイグルを倒してくれたからな。その御蔭もあって、疲れただけで怪我はしていないのさ」

「やはり御使い様に会われたのですね! 私達は遠目でよく見えなかったんですけど、シリウス様は近くで見たんですよね?」

「ああ……全身を白く染めた、神々しい御方だったよ」


 外見特徴の他に、ヴェイグルをあっという間に倒したと、当たり障りのない程度に説明しておいた。

 内心恥ずかしい気分になりながらも説明を続けたが、俺としては御使いより眠った後はどうなったのか聞いておきたい。


「それより、外で演説した後はどうなったんだ? 途中までは聞いていたが、外から帰ってきたらうっかり寝てしまってな」

「えーと……御使い様の言葉通り、私の思いをぶつけたら皆さんは許して下さいました」


 疲れは見えるがアシェリーの表情は明るく、クリスと仲良く手を繋いだまま満足気にしていた。


「上手くいったようだな」

「でも、まだ許してもらっただけなんです。女神ミラ様の言葉に応える為に、これから私達は一層頑張っていかないといけません」

「その意気だ。リースから聞いていると思うが、枢機卿も直に目覚めるだろう。ここからが勝負だぞ?」

「はい!」


 事件が解決し、何の憂いもなく本来の聖女に戻ったアシェリーの笑顔はとても魅力的だった。

 なるほど……クリスだけでなく他の信者もこれにやられているわけだ。



 そんな笑みに見惚れていたクリスだが、首を振って払い、突然真剣な表情で俺に耳打ちをしてきた。


「先生。少しだけ、聞きたい事があるんです……」

「ふむ、二人だけでか?」

「……はい」

「いいだろう。ちょっと廊下へ出てくる」


 そして全員に断りをいれて廊下へ出た俺とクリスは、お互いに無言のまま廊下を歩き続けた。

 『サーチ』で人がいない場所を探しながら歩き、神殿内にある庭園の片隅まで来たところで俺はクリスと向かい合った。


「ここならしばらく誰もこないだろう。さて、俺に聞きたい事とは何だ?」

「その……本当に聞いていいかどうか……」

「迷っているようだな。なら先に聞くが、ドルガーはどうなった? アシェリーのいる手前、少し聞きづらくてな」

「全てを失ったせいか、御使い様が去ってから何を言っても反応がないんです。なので一先ず、地下の反省房に閉じ込めてあります」


 ドルガーを憎んでいる信者達から死刑にするべきとの案も出たらしいが、女神ミラ様が降臨された直後にそれは……という事で、色々と処罰が保留となっているらしい。

 逃げ出さないように、聖女派の信者が見張っているのでしばらくは放っておいても大丈夫そうだ。俺もここにいる間は、時折『サーチ』で位置を確認しておくとしよう。


 他にも、ドルガーに加担し過ぎた一部の信者が自発的に去ったり、これからの女神ミラ教における話し合いは明日からという事で、今は嵐の前の静けさだと教えてもらった。

 そんな風に幾つかの質問を終え、クリスの緊張が解けてきたところで改めて俺は聞いてみた。


「それで、クリスが聞きたい事は何だ?」

「あの……先生が……御使いだったのですか?」

「何故そう思う?」

「それは……先輩達やホクトさんが全く動じてませんし、あの大きな光も先生なら放てると思うんです。それに、あんな常識知らずな行動するのは先生くらいしか……」


 俺の弟子でもあるし、クリスは自力で気付いたようだ。

 しかしアシェリーの反応を見たところ……。


「……アシェリーには話していないのか?」

「アシェリーは本当の御使いだと信じているみたいですし、先生だと知ったら色々と困惑させちゃいそうで……」


 状況は理解しているようだな。

 話さない方が良いとわかってはいるのだが、元の性格や、好きな相手に隠し事をしたくないのかもしれない。


 ここで話すなと言うのは簡単だが、俺はあえてクリスに委ねる事にした。


「どうするかはクリスに任せる。お前が考えて、自分で決めろ」


 上から言って決めさせるのではなく、自分で決めさせるのが大切なのだ。

 これからクリスはアシェリーを守るために、清濁併せ呑む行動も必要となる。どちらを選ぶにしろ、これも一つの勉強になるだろう。


 それに俺達は冒険者であり、この町に永住するわけではない。

 アシェリーに話す事を決めて、最悪神を騙った犯罪者として追われるようになっても、俺達は別の大陸まで逃げてしまえばいいのだから。


「俺はー……」



 そして……クリスは答えを出した。


 



 シリウスが色々小細工して整えた舞台を、女神ミラはたった一言で美味しいところを持って行ってしまいましたが、シリウスは大して気にしていません。

 結果オーライですし、元々女神ミラ教信者ではありませんし、御使いを騙ったのを許してくれてますし、何よりエリナを思い出させたので。


 実はシリウス、非常時でない限りは母親に弱いのです。

 前世で母親を知らず、転生して初めて母親を知ったので、耐性が低かったりします。



 予想以上に御使い話で手こずり、あまり話が進みませんでした。

 次回で女神ミラ教の締めとなり、女神ミラのちょっとした秘密と、ドルガーの処置が決まります。


 






 おまけ(今日のホクトも有)




 シリウスがソファーで熟睡している頃、周囲では女達の戦いが繰り広げられていた。


「私達が来る前に膝枕をしてあげてたらいいのに、勿体ない事をしたわねリース」

「シリウスさんだけじゃなく、私は皆も大好きだもの。こういうのは平等にしないと嫌だなぁ……と思って」

「潔いわリース。ならばここは、シリウス様から教わったジャンケンで平等に決めましょう!」


 そして気合いを入れながら、全員は向かい合った。


「シリウス様を甘やかすのは、従者である私の仕事です!」

「わ、私だって負けないんだから!」

「私も膝枕をしてあげたいから、本気でいくわよ!」

「俺も負けないぜ!」

「「「貴方はあっちへ行きなさい!」」」


 レウスは即座に弾かれていたが、ある意味当然であろう。

 そして……。


「「「ほい!」」」


 合図と共に出した手は、全員グーであった。


 しかし、少し外れた位置に肉球がー……もとい、ホクトの前足が出ていた。


「オン!」

「パー……って、ずるいですよホクトさん!」

「ホクトのはどちらかと言えばグーでしょ!」

「そもそも、これは女の戦いなんだから貴方は辞退しなさい!」

「クゥーン……」


 というわけで、実は部屋の隅で伏せていたホクトは不貞寝でした。

 でも後でご主人様に頭を撫でられたので、概ね満足でしたとさ。




「……クリス君の先生って、本当に人気者なんだね」

「うん。もう師匠と弟子って感じじゃないよな」









 次の更新は……六日か七日になります。

 暑さと書籍作業で結構バテてきておりまして、ずれも生じる可能性もあります。

 ご了承ください。

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