予約
「はいダッシュ!」
「ちょっと、私なんか抱えてたら捕まっちゃうわ。構わず置いて行きなさい!」
「そう言われちゃうとますます置いていけないね。それにお姉さん軽いから平気平気」
『ブースト』で強化してるのもあるが、冗談抜きでこの人は軽いな。
体柔らかいし、役得ではあるが筋肉ちゃんとついているのか? でもナイフを弾く力もあるし、これも種族の違いゆえなのかね。
エルフさんの柔らかさを堪能しつつ逃走を続けるが、当然男達は追ってくる。
「待ちやがれ!」
「所詮餓鬼だ、麻痺する前に捕まえるぞ!」
「へっ、荷物なんか背負って逃げられると思うなよ!」
大声でがなり立てながら走ってくるが、俺はあえて付かず離れずの距離を保っていた。
本気を出せばぶっちぎって逃げることも可能だが、下種なこいつらは確実に始末しておきたい。それこそ不可視の魔弾を放つ銃魔法であっさり片はつくが、エルフさんが見てるからな。説明も面倒だし、今回は俺の手を汚さずに済ませる事にした。
追跡者はしっかりと付いてきているようだが、毒が回り始めたのか少し体がぎこちなくなってきた。位置を確認しつつ、そろそろかなと立ち止まる。
「はぁ……はぁ……ようやくへばったか」
「ぜぇ……お……俺らも時間がねえからな、さっさと始末しちまおうぜ」
「いくら喚こうが……はぁ……許さねえ」
どう見てもへばってるのはそっちだ。
しかしいかんよ君達、持久力は何より大切だからもっと鍛えておけ。あ、今回は毒もあるから仕方ないか。
「なるほど、逃げたのは毒が回る時間稼ぎだったのね」
「半分正解かな? それよりお姉さん、飛ぶから舌噛まないでね」
「飛ぶ? どういう事かしら?」
「ほい来た、せーの!」
『エアステップ』を発動し空中へ飛ぶと、木々を薙ぎ倒しながら巨大な物体が飛び出してきた。
それは二メートルはあるであろう巨大な熊で、腕が四本あるし、鼻が妙に大きいから熊に近い。事前に『サーチ』でこいつがこの周辺に潜んでいると感知していたので、男達をここに誘導するように逃げたわけだ。後はあの熊モドキに任せれば問題なかろう。しかもだ。
「ひっ! ぎ、ギーグベアだ!」
「に、逃げ……体が!?」
「おいこっちにもいるぞ!」
「助けてくれ! 動けねえ!」
「奴らの縄張りだったのか、畜生!」
反応は一匹じゃなくて複数だったしな。麻痺もそろそろ効く頃合だろうし、正に絶体絶命。
五名様地獄へご案内〜っと。今度生まれ変わったら真っ当な人になれよ。
響き渡る断末魔を背に、エルフさんを抱えたままその場から離脱した。
無事にエルフさんを救出した俺は、彼女を抱えたまま水場を探していた。
解毒薬を飲ませないといけないし、傷もちゃんと処置しないと痕が残っちゃうからな。染み一つ無い真っ白でスベスベな肌に痕が残るなんて勿体無さ過ぎる。
その彼女だが……妙に大人しい。
普通に考えて、子供に助けられたり空を飛んだりする状況で冷静ではいられないと思うのだが。
「……ねえ。これって飛んでるのよね?」
「そうですよ。怖いなら降りますけど?」
「ううん、違うの。すごい、すごいわ! 空を飛ぶのってこんなに気持ちよかったのね!」
違った、感動に打ち震えていたのかよ。しっかしこのエルフさんタフだねぇ。あんな目に遭ったというのに、空の気持ち良さに子供みたいにはしゃいでいるよ。容姿が綺麗で話しかけづらい分、こんな面を見せられると親近感抱くね。
「うん……そう、私は大丈夫よ。それより貴方達はいつもこんな感覚味わっていたのね、羨ましいわ」
抱いたと思ったら、突然虚空に向かって語りだしたぞ。電波とか受信してるエルフだったりするのか。
ん……電波?
気付けばまたあの妙な感覚がある。この見えない感覚に、詠唱の無かった魔法の発動。
もしかして彼女は……。
「あ、ごめんなさい、興奮して我を忘れてたみたい。ところでどこまで行くのかしら?」
「そろそろ降りるよ」
照れた彼女から質問を受けたタイミングで、森を横断するように流れる川を見つけた。目視と『サーチ』からは外敵は見当たらないのでさっさと降りる。白い砂利と岩に覆われた川は見晴らしが良いので敵が来ればすぐわかるだろう。エルフさんを岩に座らせ、背負い袋に入れた解毒薬を取り出した。
「これ解毒薬ね。自分で飲めるかな?」
「まだ痺れが取れないのよね。悪いけどお願いするわ」
どうとでもなれと言わんばかりに彼女は俺に委ねた。期待に応えて解毒薬をエルフさんの口元へ持っていく。エリナと違って彼女の場合は妙に艶かしい。何故かいけない事をしてる気分になる。年齢のせいで性欲が一切感じないのが救いか。
「ん……ふぅ。体が熱くなってきたわね」
「感覚が戻ってきた証拠さ。麻痺が完全に消える前にその傷も処置するよ」
巻いていたタオルを解き傷口を確認すると、血は止まってはいるが傷口がパックリ開いている。タオルを川で洗い、傷口周辺の固まった血を拭う。普通なら痛いだろうが、麻痺が残ってる間なら痛みも感じないゆえの行動だ。
「しばらく傷口に手を当てるけど我慢して」
「回復魔法も覚えてるの?」
「うーん、ちょっと違うけど治る方法かな?」
この世界には傷を癒す魔法はある。属性は水属性で、癒し作用を含んだ水で覆って治す魔法だ。覚えようとはしたが、どうも相性が悪いので諦めた。だけど似たような事は出来る。
傷口に手を当てて魔力を集中しエルフさんの体に流し込む。しばらく互いに無言であったが、彼女は何かに気付きばつが悪そうに顔を歪めた。
「あ〜……そのね。ここまで助けてもらって今更なんだけど、私お礼の一つも言ってなかった」
「そういえばそうだね。でも俺が勝手にやっただけだし」
「そんな訳いかないでしょ。命の恩人なんだから感謝するのは当然よ。その前に名前教えてくれる?」
「シリウスだ。普通は聞いた方から名乗るんじゃないのか?」
「ごめんね、これもエルフの仕来りの一つみたいでさ。私の名前はシェミフィアー・アラミス。
シリウス君、貴方の御蔭で私は救われたわ。ありがとう」
にこりと、満面の笑みでお礼を述べた。美人にそう言われると嬉しいね。ご馳走様です。
「ああ、お互い無事でよかったよ。シェミフィアーさん……でいいのかな?」
「フィアって呼んで、私もシリウスって呼ぶから。ところでシリウスって何者なの?」
中々アグレッシブなお嬢さんだ。
いや、エルフって長寿の種族らしいし、彼女は前世の俺より遥か年上かもしれないからお嬢さんは無いか。
「何者って、見てわからないかな?」
「うん、人族の子供なのはわかるよ。でも私を見ても普通だし、大人五人を手玉に取るし、見たこと無い魔法を使うのよ。私は色んな所を旅したけど、貴方みたいな人族見た事ないわ」
フィアの言うとおり、他人から見れば俺は規格外であろう。見た目は五歳児の子供だし。
だけど何者って言われても人族としか言えない。前世の記憶を持って転生しただけであって、特殊な能力とか授かったわけじゃない。この力は日頃の鍛錬による努力の結晶なのだ。魔法だって独自の法則で開発したに過ぎない。
「そう言われても俺は正真正銘の人族さ。生まれてまだ五年の子供だよ」
「生まれて五年って、見た目はそうだけど動きはとても五歳とは思えないわ」
「うーん、色々あったからね。説明が難しくて何て言えばいいやら」
本当に……何で俺は記憶を持ったまま転生したんだろうな。
少し遠い目をしていると、フィアは勘違いして慌てだした。
「ご、ごめん。嫌な事思い出させちゃって」
「ああ、そういうわけじゃないから。とにかく俺は普通の人族で、この力は日頃の鍛錬の賜物。人の可能性は無限大ってやつさ」
「何それって思うけど、貴方を見てるとわかる気がする。思考も大人顔負けね」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「受け取って。だけど貴方みたいな考えが出来る人がどうして私を助けたの? あいつらは素人じゃなかった。下手したら貴方は殺されてたかもしれないのに」
「勝算は十分にあったけど?」
「それでもエルフって人族にとって希少な種族なの。だからさっきの奴らみたいなのは私を手に入れようとして非情な手段を幾らでも取るわ。貴方がそんな人じゃないってのはわかってるけど」
助けた理由か。
あの時俺は全員を見てから彼女を助ける決断をした。人道的理由ではない。もしフィアがあの五人の何らかの敵であれば助ける事はしなかっただろう。
弱肉強食の世界。奴らは明らかに金と性欲の為にフィアを捕らえ、己が欲望を満たそうとした。そう考えると俺も自分の欲望の為に彼女を助けたのだ。
「希少だからこそ知り合いになりたかった……かな? あと、美人だし」
美人はかなり重要だな。
真面目に言ったというのに、フィアは呆気に取られた顔をしたかと思えば大声で笑い出した。
「は、あははははっ! 知り合いになりたいのと美人だからか。下心をそこまで気持ち良く言ってくれた人は初めてよ」
「男だからな。正直に答えて何が悪い」
「ふふ、自分で言うのもなんだけど美人でよかった。そして貴方に出会えてね」
「お、つまり?」
「そうよ、友達になりましょう。ううん、こっちからお願いするわ」
空いた手でガッチリと握手した。ようやくエリナ達以外の知り合いが出来たな。
しかもエルフで美人だし、幸先良いスタートだな。
「うん、大分痺れが消えてきたかな。ねえシリウス。傷を治そうとしてくれるのはいいけど、これは自分のミスだから貴方が気にしなくてもいいのよ」
「まあまあ、そろそろかな?」
触れていた手をどけると、先ほどまであった傷は何事も無かった様に消えていた。フィアは傷があった部分を感心しながら触れていた。
「魔力の反応がほとんどなかったのにすごいわね。ここまで静かな回復魔法は初めて見るわ」
「回復魔法じゃないよ。それに俺は無属性だから水属性との相性悪いし」
「え? 君が無属性って冗談でしょ?」
俺が行ったのは自分の魔力を相手に注いで刺激させ、本人の持つ自己再生を活性化させただけだ。本当は自分の怪我を治すために作ったのだが他人にも出来たのだ。安直に再生活性と呼んでいる。
水の回復魔法と違って時間が掛かるし、相手の魔力を刺激するので魔力の精密なコントロールが要求される。だけど俺が出来る回復がこれしかないのだ。自然で良いじゃない。
そして案の定、無属性と聞いて驚いているな。エルフでも同じ見解か。
「空を飛んでたじゃない。貴方は風属性で、風を利用した魔法で飛んでると思ってたわ」
「あれは魔力を利用して走ってるだけで飛んでるわけじゃない。それにフィアだって風属性の精霊魔法使ってなかった?」
「……何で私が精霊魔法を使えるってわかったの?」
何か能面のような顔になったぞ。まずったか?
いや、彼女には正直に話したほうがいい気がする。構わず言っちまおう。
「最初はあの男達に使った風が魔力量の割に強力だったからかな? 後はフィアの周辺に違和感を感じるから」
あのチンピラ共相手に使った風は不発だったが、俺の感覚ではほんの一握りの魔力しか使ってなかった。もし毒で魔力が阻害されなければ、彼女の言葉通り奴らはふっ飛ばされてたであろう。
そしてフィアに触れて確信したが、度々感じていた違和感は彼女自身ではなく、彼女を中心に周辺で渦巻いているのだ。この違和感が精霊、おそらく風の精霊だと思っている。
俺の指摘にフィアは難しい顔をしたまま返事した。
「シリウスは精霊が見えるの?」
「見えない。けどフィアの周辺に違和感を感じるから、それが精霊だと思ってる」
「そう。精霊魔法を見るのは初めて?」
「初めてだ。しかしあれは……」
そう、精霊魔法は俺の銃魔法のように強力過ぎる。資料で強力だとは書いてあったが、実物を見てそれ以上だと思った。なんせ少量の魔力で精霊に頼めばあの暴風だ。本気でやれば天変地異並みの竜巻とか起こせそうな気がする。
「失敗したけどすごかったでしょ? だから無理矢理でも囲い込もうとする連中が多いから隠しているの」
確かに、あの威力なら兵器利用とかうってつけだ。
唯でさえエルフで狙われやすいのに、精霊魔法が知られればとんでもない倍率になりそうだ。
「魔力を渡してお願いするだけで発動するんだけど、感情に任せると精霊がやり過ぎちゃうんだ。結構神経使うんだよ」
笑いながら話しているが、少し陰の入った無理矢理な笑みだった。その力ゆえ、様々な苦労を背負ってきたんだろう。強すぎる力を持つ者のみの苦悩……か。
「もう……私の問題なんだから、シリウスがそんな顔をしなくてもいいじゃない」
「いや、精霊に関してはわからないけど、力を隠す事に関してはわかるよ」
そうだな、これも何かの縁だろう。一人で苦悩している彼女に、仲間はいるんだってわからせてやろう。
俺の言葉に首を傾げているフィアに魔法を見せようと思ったその時、何か巨大な物体が近づいているのに気付いた。
「……何か接近してくるな」
「え……あ! そうね、確かに精霊が騒いでるわ。って、あれは!?」
上空へ視線を向けると、何か大きな物体が飛んでくるのが見えた。それはトカゲの体に翼が生えた生き物で、本によれば竜の亜種とも言われる魔物だ。
「ワイバーンか。見たところ一匹しか見えないが、群れからはぐれたのか?」
「冷静に観察していないで隠れましょう。狙われたら厄介よ」
「ちょっと遅いな。すでに俺達を見つけたようだ」
ワイバーンは甲高い鳴き声を上げながら、真っ直ぐこちらへ向かって来ていた。おそらく俺の三倍近くの大きさと思うが、本によればもっと大きい個体もいるらしい。
「若い竜か? それでも中々の大きさだな」
「だからもう! 仕方ないわね、今なら少しは……」
フィアは座ったまま魔法を放とうとしたが、まだ毒が抜け切っていないせいか魔力の集中が上手くできないようだ。額に汗を浮かべる彼女を安心させるように肩へ手を置いた俺は、フィアを庇うように前へ歩み出た。
「下がってシリウス。倒す事は出来ないけど、追い払うくらいなら出来るから」
「大丈夫だ。ここは任せておいてくれ」
ワイバーンはもはや目前まで迫っている。獲物を見つけ、襲いかかろうと急降下してくるワイバーン目掛け、俺は人差し指を向けた。
「いいかいフィア? 強力なのは精霊魔法だけじゃないんだ。それを見せてやるよ」
「ちょっと、何を言ってー……」
「『マグナム』」
この数年間、何度も放ち続けて精度が増した魔力の弾丸が指先から放たれた。
着弾と同時に『インパクト』が発生する弾丸をイメージして放ったので、弾丸は一瞬にしてワイバーンの目を貫き、脳内で衝撃波を放って頭部を破裂させた。
そうなれば当然生きている筈もなく、ワイバーンは急降下した勢いで滑空を続け、俺達の横を通り抜けるようにして地面に落下した。
一瞬にして絶命したワイバーンを呆然と見ていたフィアだが、しばらくしてようやく再起動し、こちらにゆっくりと顔を向けてきた。
「今のは……何? 一体何をしたの?」
「俺が使えるオリジナル魔法の一つだ。威力は見ての通りだが、フィアはどう思う?」
「言葉もないわ。詠唱も無いのに、こんな威力の魔法が放てるなんて……」
「やはりフィアから見ても凄いんだな。今の魔法、誰にも言わないでくれよ?」
「べ、別に言うつもりはないけど、どうして? こんな魔法が使えるなら、貴族や王族からの誘いが山ほどー……あ!?」
「子供だと利用する輩が沢山いそうで鬱陶しそうだろ? ほら、フィアと一緒だ」
強大な力を隠しているのはフィアだけじゃないってわけだ。つまり、お互いの秘密を共有してしまえばいい。
「そっか……うん。じゃあさっきの黙ってるから、私のも黙っててね」
「了解だ」
そう……俺とフィアは同じ秘密を持つ仲間なのだ。
俺の意図を理解した彼女は、今度こそ自然な笑顔を向けてくれた。
フィアの回復を待つ間、俺はワイバーンの死体を調べていた。頭部が破裂して血を撒き散らしているので、魔物が集まる前に処置を済ませなければなるまい
そして売れそうな部位を吟味していると、ようやく歩けるようになったフィアがワイバーンを見上げながら唸っていた。
「でも……本当に凄いわね。指を向けただけでワイバーンを倒しちゃうんだもの」
「どこでもいいわけじゃなくて、柔らかい部分を狙っただけさ。目は流石に鱗で覆われていないからな」
「こんな小さい箇所を狙えるだけで十分よ。それより、何をしているの?」
それほど大きな個体ではないとは言え、流石は竜種と言ったところか。俺は素材を剥ぎ取ろうとしているのだが、鱗はとにかく翼に広がる翼膜にすら刃が通らないとは。
「この翼膜が欲しいんだけど、このナイフじゃ駄目だな。丈夫で柔軟性があるから、何とか欲しいんだけど」
「ああ、その小さいナイフじゃ無理よね。はいこれ、貸してあげるわ」
フィアが投げて渡してくれたのは、全体が緑色に輝くナイフだった。前世で様々なナイフを見てきたが、これほど美しく実用性に優れそうなナイフは初めてだ。
芸術品みたいで使うのが勿体無い気もするが、フィアはどうぞとばかりに笑みを浮かべているので、遠慮なく使わせてもらった。
「おお……これは凄いな」
「軽くて丈夫で、魔力を通しやすいミスリル金属で作られたナイフだからね」
表面を軽く撫でただけで、傷すら付かなかった翼膜があっさりと切れたのだ。その鋭利さに驚きながら剥ぎ取りを続け、確保を済ませた俺は満足気にワイバーンから離れた。
「いや、凄いナイフを貸してくれてありがとう。御蔭で楽に終わったよ」
「別にこれくらいいいけど、もういいの? 鱗とか他に剥ぐ部分があるじゃない」
「翼膜だけで荷物が一杯だ。これ以上欲張ったら、空の移動に支障が出る」
これだけ柔軟で頑丈な翼膜なら、色んな用途に使えそうだからな。翼膜を畳んで背負っている俺をフィアは不思議な表情で見つめていた。
「欲が無いのね。私が見てきた冒険者なら、売れそうな部位は骨まで剥ぎ取っていくわよ。特にワイバーンは竜種だから、高値で売れるのに」
売れば金になりそうだが、ディーに売ってきてもらって出所を怪しまれるのも困る。なので拾ったという誤魔化しが効きそうな数枚程度の鱗は確保しておいた。
「色々と面倒な立場でさ、素材を簡単に売りに行けないんだ。そういうフィアこそいらないのかい?」
「私は故郷に帰る途中だからね。持って帰っても売れるわけじゃないし、必要ないわ」
「じゃあ後は放置だな。それより、体調はどうだい?」
フィアは手を動かして飛び跳ねたりしてから笑みを浮かべ、俺の頭に手を置いて撫でてくれた。ふむ……美女に撫でられるのも悪くはないな。
「まだ少し痺れが残っているけど、動くくらいなら問題なさそう。貴方の御蔭よ」
「じゃあそろそろ移動しようか。ワイバーンの死体で魔物が集まりそうだし」
「そうね。じゃあ、お願いね」
フィアは笑みのまま両手を俺に向けてきた。最初からそのつもりではあったが、まさか向こうから催促されるとは思わなかったぞ。
「仕方ないな。それじゃあ抱えるぞ」
「ふふ、ありがとう。あ、勘違いしないでほしいんだけど、シリウスだから体を預けるんだからね。男なら誰だっていいわけじゃないから」
「それだけ信頼してもらえて光栄だよ。ではお嬢様、行くとしましょうか」
「うん、行っちゃって!」
再びお姫様抱っこでフィアを抱え、俺は空中を蹴って空を駆けた。目指す先はフィアの故郷で、ここからそう遠くないらしいので運んであげようと思ったわけだ。
そして上機嫌なフィアと俺は雑談をしながら空を駆け続けていた。
「私達エルフの村では一定の年齢になると、外の世界を旅する仕来りがあるの。私も数年前にその時が来てね、今までずっと世界を巡っていたんだ」
「奇遇だな、俺も大きくなったら世界を旅する予定なんだ」
「へぇ、いいじゃない。色々と辛くて大変な事があるけど、旅は本当に楽しいわよ」
エルフは閉鎖的で森から滅多に出ない種族と聞くが、フィアはそんな雰囲気が微塵も感じられず、心から楽しそうに笑っていた。
「フィアは本で見たエルフとちょっと違うみたいだな」
「そうね、自分で言うのも何だけど、私ってエルフの中で変わり者なの。普通のエルフは森に閉じこもって外に出ようとしないし、変にプライドが高いけど私は逆。外の世界を知りたくて、仕来りの年齢になったら嬉々として外に飛び出したわ」
「はは、そういう性格、嫌いじゃないぞ」
「ふふ、それは良かったわ。それで私は旅を楽しんでいたんだけど、十年経ったら故郷に戻らないといけなかったの。それで渋々帰っている最中に襲われちゃったわけ」
「フィアなら奴等くらい何とかできたんじゃないか?」
「そうね、精霊魔法を使えば簡単だったけど、ちょっと油断しちゃって」
帰る途中で路銀が底を突き、集団で行われる仕事を請けた時にいたのが奴等らしい。他にも駆け出しの冒険者がいたので、フィアは先輩として色々と教えていたらしいが、奴等はその駆け出し冒険者を騙してフィアに麻痺毒を盛ったそうだ。
「私の知らない所で奴等に色々吹き込まれていたらしくてさ、その子は何も知らないままお礼として一杯奢ってくれたの。奴等がこっそり混ぜていた毒に気付いたのは飲んだ後で、麻痺が完全に回る前に逃げ出したんだけど……」
「追いつかれて、俺と出会ったわけだ」
「そういう事。まあ奴等は当然の報いを受けちゃったけど、今はちょっと感謝してるかも。だって、シリウスと出会えたんだもの」
「恥ずかしい事を平然と言うんだな。まあ、俺もそうだけどさ」
「好意は隠さない主義なの。シリウスもそう思ってくれているなら嬉しいわね」
助けただけなのに、ここまで真っ直ぐな好意をぶつけられるとは思わなかったな。そんな心地よい好意を受けながら空を進んでいると、まるで切り取られたかのように森が途切れて草原が広がっていた。
そこまで広い草原ではないが、魔物の姿が見当たらない不思議な草原であった。
「あの草原の先にある森がエルフの領域で、人や魔物避けの結界が張られているの。この草原はその境目なのよ」
直接空から向かうと、敵と認識されて攻撃されるそうなので、フィアの誘導によって俺達は森の手前に降り立った。
「ここで十分よ。この森は私の庭みたいなものだからね」
「へぇ、流石は森の民だな。ところで、俺がこの森に入ったらどうなるんだ?」
「結界によってエルフ以外の侵入者はすぐに感知されて、矢の洗礼を受けるでしょうね。それを何とかしても方向を狂わされたりして、村に辿り着けないと思う」
「警備は厳重ってことか。これがあれば外敵による危険も少ないな」
「確かに危険は少ないけど、こんなのがあるからエルフは引き篭もっちゃうのよね。将来を考えるとちょっと不安かも」
苦笑しているフィアだが、森へ入ろうとせずに近くの岩へ座り、座れとばかりに隣を叩いていた。まだ午前中で時間に余裕はあるし、俺もまだ話し足りないのでフィアの隣に座り、視線が合うと笑みを向けてくれた。
「それにしても、空を飛ぶのって本当に楽しかったわ。本来なら一日二日かけて進む距離があっという間だし、何より気持ち良いもの」
「あまり速度を出すと風圧が厳しいけど、気持ち良いのは同感だ」
「ねえシリウス。さっきは途中で終っちゃったけど、改めてお願いがあるの。私に空を飛ぶ方法を教えてくれない?」
「『エアステップ』の事か。あれは消耗が激しくてお勧めできないぞ」
「それでもいいわ。今まで何度も飛ぼうとしたんだけど、落下してばかりで全然楽しくないのよ」
過去に精霊魔法の風を直接体にぶつけて飛んた事があるらしいが、それは飛ぶより飛ばされているのに近く、空中で浮かべる事が出来ず落下するだけだと嘆いていた。
「落下する寸前に風をぶつけて何とか助かっているけど、何度やっても上手くいかないの。それでも、空を飛ぶのを諦められないのよ。だからお願い!」
彼女は本気らしく、俺の前に手を合わせてお願いしている。
「私が出来る事なら何でもしてあげるわ。大きくなったら恋人になってもいいわよ」
「恋人は置いといて、フィアは俺の飛び方は諦めた方がいい」
「……やっぱり無理なのかな?」
「違うよ。フィアは風の精霊が見えるんだから、練習すれば跳べるようになるさ」
「練習? でも風だと飛ばされるだけってさっきも言ったじゃない」
「いや、全ては風の使い方なんだよ。いいかい、揚力という現象があるんだけど……」
前世に存在した飛行機が空を飛ぶのは、揚力と言う現象を利用しているからだ。しかしそれを細かく説明したところでフィアにはわからないと思うので、木を削って作った飛行機の模型を紐で吊り、それに風を当ててもらって実物を見せながら説明を続けた。
「この向きで風を当てると後部が浮かぶわけだ。重要なのは風の向きだな」
「……凄い、何か飛べそうな気がしてきたわ。でも制御が難しそうね。失敗したら怪我じゃ済まなさそう」
「俺がいるだろ? 危なくなったら助けるから、失敗を恐れず練習するといい」
「失敗を恐れず……か。そうね、挑戦あるのみね!」
やる気を出したフィアは早速練習を開始した。立ったまま風を受けるのも難しそうなので、まずは地面へうつ伏せ状態になっていた。
「今の私って、傍目から見ると格好悪いわね」
「見ているのは俺だけだよ。それに、慣れたら普通に飛べるかもしれないぞ」
「そうね、格好よりまずは飛ぶのが優先よ。ところで……何で移動するの?」
俺はフィアの横に立っていたが、少し彼女の上半身寄りの位置に移動していた。
「あまり言いたくないが、スカートの中身が見えるだろ?」
「シリウスなら見られても構わないわよ?」
「…………いいから始めなさい」
「本当なのに。それじゃあ……風よ、お願い!」
フィアが呟くと同時に前方から強風が吹いた。風圧を顔面で受け止めて大丈夫かと思ったが、フィアは風の流れを操作して目や口だけに当たらないようにしている。
中々の制御能力だなと感心する間に風は強さを増していき、ついに彼女は地面から浮く事に成功していた。
「や、やった! ついに空を飛んでー……あっ!?」
喜んで気が緩んだのか、一瞬制御を失った風は暴風となり、フィアはあっという間に空高く吹っ飛んでしまっていた。
「ほい、回収っとな」
しかし落下する前に俺が飛んで救出する。横抱きで受け止めると、フィアは興奮した様子で俺の首に抱きついてきた。
「ついに私飛べたわ! ありがとうシリウス!」
「それは良かった。で……次はどうするんだ?」
「もちろん再挑戦よ。今度はもっと高く飛ぶんだから。迷惑かけるかもしれないけど、お願いね」
フィアは地面に降りたらすぐに練習を再開していた。回数を重ねる度に高く、そして自在に飛べるようになっていくが、当然ながらその分だけ落下していた。その度に俺は救出し、すでに落下回数も二桁を軽く超えていたが、彼女は諦めず挑戦を続けた。
これだけ落ちてトラウマにならないかと思ったが、フィアは落下に対する恐怖が麻痺をする前に……。
「っと、失敗失敗。ありがとう、私の王子様」
「へこたれないな君は」
空中で救出されるのが物語のお姫様っぽいらしく、むしろ嬉々として楽しんでいた。全力で楽しもうとする彼女の姿勢には感心するよ。
そんな風に楽しく練習すれば上達も早く、昼を過ぎる頃には高度の維持は完璧になっていた。
途中で休憩を挟んで昼食を食べようとしたのだが、彼女は男達から急いで逃げてきたので食料を持っていなかった。なので持っていたサンドイッチを分けてあげたのだが、俺が作ったマヨネーズの味に感激して作り方を教えてくれと鼻息荒く迫ってきた。別に隠すものでもないので教えたが、作るのは大変だからせいぜい頑張ってくれ。一応、食べ過ぎないように注意はしておいた。
休憩後も練習だが、すでにコツを掴み始めたのか落下の回数も減り、空中で宙返りすら出来るようになっていた。スカートの中身が丸見えだが、言葉通り気にしていないようだ。
そして俺がいなくても安全に着地できるようになった頃には、そろそろ日が沈み始める時間になっていた。
「うん、文句なしに合格だ」
「やった! 貴方の御蔭ね」
最後にハイタッチして喜んでいたが、俺はかなり沈んだ太陽に視線を向けた。
そろそろ戻らないとエリナ達が心配しそうだ。帰りを告げようとフィアを見れば、彼女もそれに気付いて少し悲しげな表情をしていた。
「お別れ……かな?」
「そうだな。でも場所は覚えたから、また会いに来るさ」
「……ごめん。旅から戻ったら十年ぐらいあの森から出られないの。だからしばらくは無理……かも」
「何だそりゃ? 俺が森に入るのも……無理っぽいか」
「そうだね。エルフ以外絶対追い返されるし、入ったら私でも庇うのは難しいかも」
「種族間の問題ってやつか。くだらない問題はどこにでもあるんだな」
「全くよ。私と貴方はこんなにも仲良くなれたのに、何が種族の問題よ! そして何が禊の儀よ。外の穢れを祓うとか言ってるけど、十年も必要ないでしょうに」
ぶつぶつと文句を言いながら彼女は足元の石を蹴っている。しばらく不貞腐れていたが、何かを思い出した彼女は膝を落として屈み、俺と目線を合わせてきた。
「もう何度も言っているけど、本当にありがとうシリウス。貴方にお礼がしたいんだけど、渡せる物があまりないのよね」
「気にするな。フィアと知り合えたし、俺も色々と楽しかったからな」
「私の気が済まないのよ。あれ以外に何かー……あ、これあげるわ。凄いって言っていたしね」
そう言って渡してきたのは、彼女の持っていたミスリルナイフだった。正直に言えば欲しいと思ったが、こんな高そうな物をポンと渡していいのかよ。それによく見れば、刻印らしき物も見える。
「代々伝わるとかそういう物じゃないのかこれ? 他人に渡したら駄目だろ」
「いいのよ。ナイフより自分を大切にしろって言われて貰ったし、シリウスがいなければ私は無事に帰れなかったもの。遠慮なく受け取って」
「……そこまで言うなら、ありがたく貰っておくよ」
「それともう一つあげられるものがあるんだけど、受け取ってくれる?」
「これだけでも十分なんだが、それでフィアが満足するなら」
「じゃあ、ちょっとだけ目を瞑ってね」
今更彼女が何かするとは思えないので、俺は素直に目を閉じた。
その数秒後……口から柔らかい感触がしたので思わず目を開けば、フィアの顔が目前にあった。やっぱり美人だなと思っていると彼女の目が開かれ、少し顔を赤くしながら離れて照れ臭そうに笑った。
「もう……目を閉じてって言ったのに」
「……普通は頬とか額じゃないのか?」
「あれ!? 全然驚いてないじゃない。私は初めてだったのに……ずるいわ」
「十分驚いているよ。しかしいきなり口とは、エルフは親愛表現が過激なんだな」
出会って初日だぞ? 色々と助けたりはしたが、子供相手に恋するとは思えない。種族が違えば風習も違うし、これは親友への感謝みたいなものなのだろう。
「いいえ、本気よ。自分でも不思議なんだけど、私は貴方に本気で恋したみたい。だからこれは予約なの。昼前に言ったでしょ。私に出来る事なら何でもするって」
「てっきり冗談かと。それに……何の予約だ?」
「十年経てばシリウスも立派な大人でしょ? その時にでもいいから私を貰ってほしい予約よ。あ、でも貴方なら十年もあれば結婚相手が二、三人くらい出来ていそうね。その場合は愛人でもいいわ」
「……それでいいのか君は?」
「もちろんよ。今の私は二百五十二歳だから、あなたがお爺さんになっても女盛りでお買い得よ。私の一方的な言い分だから、無理なら諦めるけど……」
彼女は笑っているが、諦めると言った時点で少し悲しそうにしていた。ここまで純粋な想いをぶつけられては、俺もしっかり応えなければなるまい。
「エルフの年齢を言われてもよくわからんよ。はぁ……わかった。十年後に再会して、フィアの気持ちが変わらなければ……君を貰おう」
「本当!? 変わらないから安心してよね」
満面の笑みを浮かべたフィアは俺に抱きついてきた。考えてみればフィアは美人で性格も悪くないし、俺には勿体無いくらいの女性だと思う。悪くはない。
「じゃあシリウス、また……会いましょう」
「ああ、その時になったら、またここへ来よう」
「ええ、待っているからね」
最後に握手をし、フィアは大きく手を振りながら森に消えていった。彼女の姿が完全に見えなくなったのを確認し、俺は空を駆けて屋敷への帰路についた。
こうして俺とエルフの女性、フィアとの出会いは終わり、再会は十年後となった。
これからどうなるかわからないが、再び彼女と会えるのが楽しみである。
※2015年3月29日に、文の修正をしています。