「好き」は汚い
彼氏と別れた理由は、彼の女体に対する異様な執着が気持ち悪かったからだ。
こちらをじっと見ているのは、最初の頃こそ「私に惚れているのだ」と実感できて誇らしく思っていたが、次第にそれは「私」を見ているのではないと気づいた。
私は彼というオスにとっての、キープのメスだった。いつでも無料で自由に使える、道具だった。
彼の視線が私だけではなく別の女性にも向いていることに気づいた頃には、こちらの気持ちもすっかり冷めていた。
お年頃の男子なら仕方ない、という意見もあるだろう。でも、「それ」を一身に浴びる側になっても、同じことを言えるだろうか?
と、つがいのミーアキャットを見て思う。
動物は生涯つがいを変えないものもいれば、手当たり次第つがって繁殖するものもいる。
私が期待する関係は前者で、彼は後者だったのだと、私は腹の中でぼやいた。
ゾウの足元の潰れたスイカの皮、伏せて眠るオオカミ。水に飛び込んで背泳ぎをする、ホッキョクグマ。
この動物園は、今日も生き物たちがそれぞれの暮らしを全うしている。彼らの息遣いを感じては、私は、順路どおりに『リスたちの森』へと向かう。
中に入ると、またもやリスおじさんたちを発見した。今日はポーチにピンバッジのおじさんと、帽子に缶バッジのおじさんの組み合わせで、キーホルダーのおじさんはいなかった。
「白眉毛ちゃんがクルミを齧ってる写真を撮ったんですよ」
「おお、いい写真ですね」
カメラのデータを見せ合って、のほほんと笑い合っている。
その次の週は三人いた。キーホルダーのおじさんが含まれているが、他ふたりはピンバッジとも缶バッジとも違う、別におじさんだった。リス仲間は三人だけではなく、どうも他にもいるらしい。
別の日はふたり。また別の日は四人。
メンバーは入れ替わるが、距離感はいつも似たような感じである。
動物の群れには、様々なパターンがある。
ゾウ、ライオンのプライドをはじめとする、家族や血のつながった個体同士で構成される群れもあるし、子育てやパートナーを見つけるために一時的、または季節的に集まる繁殖のための群れもある。
外敵から身を守るために草食動物などが作る群れ、獲物を効率よく捕らえるために肉食動物が作る群れ、複数種の動物が協力して生存率を高める群れなど、動物たちの生きる環境に合わせて様々な群れが形成されている。
そんな群れの種類のうちに、結果的に生じる群れというものがある。
リーダーがいるわけでも上下関係があるわけでもなく、ただ単に、そこに餌なりなんなりの目的があるから集まっただけの集団だ。
私が見ているものは、リスという目的のために自然に集まった、リスおじの群れといえる。
知っている顔であれば仲間として接している、緩い繋がりがある。
彼らの会話をよくよく観察すると、個体ごとに特に仲の良さそうなおじさんがいたり、先輩後輩的な立場があったりもする。
「ほら、リス隠れちゃった」
「私のせいですか!?」
冗談を言い合う関係の人もいるし、遠慮がちに話す人もいる。
「さっきの子、小さかった気がするんですが、今年生まれの子ですかね」
「ああいや、さっきのは去年、隣の県の園から来た子ですね。もともと体が小さくて……」
おじさん同士の人間関係が、リスを通じて形成されている。
その日も、私は動物園に遊びに来て、『リスたちの森』へと向かった。施設の入り口が見えてくると、自然と駆け足になる。
二重扉を開けて中に入ると、キーホルダーのおじさんがこちらに顔を向けた。道を譲ってくれる彼のことだから、リスだけ見ているのではなく、出入りする客にも気を配るのである。
小さい子供を連れた一家が入ってきた。
「リスー! リス触りたいー! 餌やりしたいー!」
子供が大声で喚いてリスを追いかけ回し、リスたちは驚いて物陰に隠れてしまった。リスが見えなくなってつまらなくなったのか、子供は早々に出ていき、親もその後に続いた。
「リスが好き」って、なんだろう。
こんなにうるさく騒いで追いかけ回して触ろうとするのも、「好き」だから?
リスが見えなくなった。警戒が解けるまでは姿を現さないだろう。
リスおじは黙っていた。子供を叱りはしない。リスが出てくるまで、静かに息を潜めている。
私もじっと待っていると、リスおじがふいに口を開いた。
「お嬢さん、この頃よくいますね。リスがお好きなんですか」
一瞬、息が止まった。声をかけられるとは思っていなかった。
でも、そうか。私がリスおじの群れを観察し、個体を識別して相互の関係性まで見はじめているくらいなのだから、おじさん側だって何度も来る私に気づいていてもおかしくない。
リスおじたちはきっと、こうして仲間を増やしていったのだろう。こうして、「いつもいますね」「リス、好きですか」と話しかけることで、一歩踏み込んでいくのだ。
つまり私も、彼らのリス仲間の一員に勧誘されている、ような、そんな捉え方もできる。
「あっ……ええと」
リスが好きかと問われ、私は言葉に詰まった。
別に、そこまで好きでもない。
私はリスの写真を撮るわけでもないし、リスの生態を調べたこともない。
いやしかし、「別に好きではない」なら、どうしてこうも『リスたちの森』に足繁く通うのか?
胸の奥がひやりとする。私が見に来ているのは、
リスではなく――。
「あ、はい、好きです、リス」
とりあえず、曖昧に頷く。おじさんはにこっと目を細めた。
「かわいいですよね、リス」
彼はそれ以上深く聞かず、またリスの方へ視線を戻した。
私は、なにをしてるのだろう。
リスおじは今日も、静かに森に溶けている。彼を見つめる自分は、いったいどこに立っているのだろう。




