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気付かなかった支え


 ありがとう。別れた後はつらかったけど、付き合っている時は楽しい時もあったし、癒される瞬間もあった。救われたこともあった。あの人達と付き合っていなかったら、私はとっくに壊れていたと思う。


 目が覚めると身体が軽く、それまでにないほど心が浄化されたような感覚がした。不思議な、胸が痛いのに優しく懐かしいような、目まぐるしい夢を見ていた気がする。

 今朝の可愛かわいさんは挙動不審だ。朝ご飯を作るとはりきってくれているものの、妙にそわそわして。私も人の事言えないけど包丁を持つ手が危なっかしい。

「可愛さん、鍋吹きこぼれてる」

「うわっ。ホントだ、すいませんっ」

 手伝うと言っても大丈夫と返されてしまうので、仕方なく見守る。同時に、さっきのラインが気になった。

 美凪みなぎ……。

 何度か連絡をくれていたのに無視してしまって数年が経った。仕事が忙しいから。心の中でそれらしい言い訳をしてきたけど、話せそうな時間は何度かあった。それぞれ順調そうな暮らしをしている美凪と凜音りんねに劣等感を覚え、合わせる顔がなかった。独りの時はそうだったけど。可愛さんが近くにいてくれる今なら、最悪どうなっても大丈夫かもしれない。もう、独りではない。

 美凪は今も私を好きでいてくれる?

 可愛さんの励ましを頼りに思い切ってラインを開いた。通知は二件。どちらも美凪からで、ひとつは画像、もうひとつはメッセージだった。画像には高校生の時に撮った写真が写っていた。美凪がスマホで撮ったのだろう。

《昔の手帳探ってたら発見!懐かしくなって、志輝しきと話したくなった!》

 昨夜の電話はそういうことか。それは、美凪に誘われて行った大学のオープンキャンパスの写真だった。高校三年生の夏休み、進路を本格的に絞らなければならないと意気込み、私達は気になる大学全てに出向いた。この写真は美凪が入学した地元の四年制大学の敷地内で教員に撮ってもらったもの。木々に囲まれた学生課の建物前で、もらったパンフレットを片手に二人でピースしている。高校時代の私達は一緒にここへ通えるかもしれないことに浮かれて眩しいほどの笑顔だった。

 うちの親を説得できなくて、結局美凪と同じ道へは進めなかったけど。

 本当に懐かしい。声をかけてくれた教員は「春、楽しみに待ってますよ」と晴れやかなエールをくれた。バイトが休みの放課後は、美凪が通っている塾の問題集を一緒に解いたりして、私なりに勉強を頑張ってみたりもした。普段自己主張をしない家庭内で緊張したけど、進路について勇気を振り絞って親にも相談をした。

『女が勉強できたって何の役にも立たないよ』

 母がよく言っていたセリフ。母も自分の両親にそう言われて育ったらしい。現代から見ると古い価値観。それを刷り込まれ疑問を持たないまま大人になった母。女に学があっても無意味。かつてはそういう考え方が普通だったのかもしれないが、私は子供の頃からずっと不思議で仕方なかった。勉強できた方が将来の選択肢が増えるに決まっているのに、と。時代背景を考えるとどうしようもなかったのかもしれないが、女の人をただ結婚の道具としてしか扱わない昔の日本の体制もいかがなものかと感じた。

『志輝はずっと国語得意だったよね。現代文も点数取れてるし、絶対そっち系向いてるよ! 私そのへん全然ダメだから羨ましいっ』

 美凪がよくそう言ってくれ、少しだけ自信になった。得意科目から選ぶ形で、美凪は情報学部、私は心理学部に行きたいと、当時熱く語り合ったのは今でもいい思い出。心理学部とか、今の私からは遠くかけ離れていて笑ってしまうけど。

 〝仕事内容とか未来とか、はっきりしたことはまだ分からないけど、傷ついた人の助けになるような仕事がしたい〟

 そうだった。私はかつての弱い自分を何とかしたくて心理学に興味を持ち、本などで独学して、いつか自分の経験を生かした仕事に就きたいと強く思っていた。昔の自分はどこからそんな情熱が湧いてきたのだろう。生きるので精一杯だったからか、大人になってからそういうことをすっかり忘れていた。夢が叶わなかった無力感を一刻も早く忘れたかったのかもしれない。願ったところで叶わないのなら消してしまった方が楽だと割り切ったのかもしれない。高校生の頃、なんであんなにも一生懸命になれたのだろう。美凪は大学で学んだ事を活かして就職し、今は子育てしながらその会社で時短勤務をしている。もし私が大学に入れていたら違った今があっただろうか。考えてもどうにもならないのに、つい考えてしまう。うちにお金があったら。いや、お金はあったはず。うちの親が教育の大切さを知っていたら。私への愛着を持ってくれていたら。子供にお金を使いたい感覚の持ち主だったら。話は違っただろうか。

 一方で、今はこうも思う。もし大学へ進んでいたら、それはそれで可愛さんとは出会えなかったかもしれない。この道だったからこその出会いだったのか。いや、もし念願叶って大学に行けていた場合も、可愛さんとはいずれどこかで出会えていたのだろうか。どちらにせよ、今の私とはだいぶ違うルートと人間関係をたどっていただろう。

 久しぶりだ。こんな出口のないタラレバを考えてしまうのは。

 可愛さんが淹れてくれたお茶を飲んで気持ちを落ち着ける。玄米茶はとてもいい香りで、タラレバに飲み込まれそうだった気持ちをギリギリのところで救ってくれた。まろやかな口当たりで、こわばった気持ちがいくらかほぐれる。朝からこんな風に急須でお茶を淹れるなんて、したことなかった。せいぜい結婚していた頃に法事などで出したものをちょっと飲んだくらいだ。あの時は雄亮ゆうすけの親戚や参列者など見知らぬ他人に気を遣いっぱなしで味わう余裕がなかった。普段からよく飲むペットボトルのお茶も充分おいしいと思ってきたけど、それとは全然違うことに驚き、朝からこんな風にゆっくり温かいお茶を飲めるなんて、とても贅沢だと感動する。

《懐かしいね。昨日は……というか、ずっと連絡できなくてごめんね》

 美凪に返信してみた。玄米茶のおかげか、可愛さん効果か、それとも過去の思い出に癒されたのか、自然と美凪にラインを打つ心持ちになった。朝の七時半。この時間、美凪は子供や旦那さんを送り出したり自分の仕事の支度でバタバタしているはず。既読はつきそうにないのでいったんスマホを置いて、料理中の可愛さんを見た。

 私、残酷なことをしている。付き合いもしないまま自分都合で可愛さんに甘えて。良くないことだと分かっているけど、もう少し見極めさせてほしい。自分の気持ちを。可愛さんの気持ちを。この先のことを。

 ……人に自慢できるような恋愛なんてしてこなかったし、結婚生活も散々だったけど。今こうして可愛さんのそばにいて思うのは、これまでのことはこうなるべくしてなったのかもしれないということ。人生はそういう風にできているのかもしれない。

 嫌な元彼ばかり。酷い人ばかり。そう思ってきた。それも確かだったかもしれない。でも、その時その時の私に必要な出会いだったのかもしれない、とも思う。

 小学生の頃、家に居場所がなく、親に関心を持ってもらえないことがとても寂しかった。中学、高校に進むと男子に好かれることが増えて、地獄を見たこともあったけど、一方で救われたこともたくさんあった。それがたとえ一時的だったとしても。私に更なる傷をつけるものだったとしても。あの頃の私には必要で、救いになってくれた。雄亮の存在も、そう。結婚してくれたことに、初めて感謝の念が生まれた。そんなこと、これまで微塵も思えなかったのに。

『ありがとう。志輝といられて幸せだったよ』

 最後に顔を合わせた時、雄亮はそう言って笑っていた。何を綺麗事を。と、その時は内心毒づいていたけど。あの言葉が本当だったとしたら、私は自分の罪を深く自覚すると同時に、こちらこそ感謝しなければならないと思った。ボロボロでいつ壊れてもおかしくなかった私に手を差し伸べてくれ、入籍して生活を共にしてくれた。憎まれ口を笑って流してくれた。くだらないことで笑わせてくれた。居心地の良さを与えてくれた。ありがとうはこっちの方だ。

 どうか幸せに。心からそう思った。

 もう、遠い日のこと。自分が結婚していた事実なんて最初から無かったような気がしてくるほど、雄亮との結婚生活の日々は一気に幻に化けるようだった。だからこそなのか。二度と戻らない過去をそんな風に感じた。同時に、二度と同じ過ちは犯していけないと改めて思う。

 可愛さんと再会してからいろんな感情で溢れっぱなしだった中、これは最も大きな変化だ。積年の憎しみや怒りが消えていくようで、そうなるとそのぶん心に優しい空白ができる。可愛さんが受け止めてくれたおかげだ。私はこの恋を大切にできる自分になりたい。なれるだろうか。

「お待たせしました」

 可愛さんはおにぎりを何種類かと雑炊を作ってくれた。あと、味噌汁と卵焼き。

「もし重かったら雑炊だけでもいいですから、つらかったら無理しないでくださいね」

「わかった。ありがとう。おいしそうだね。いただきます」

 昨日はたしかに胃の調子が良くなかったけど、今は不思議と何でも食べれそうな気がする。自分の気持ちに一区切りついたおかげなのか、健康的な空腹感が湧いてくる。

「やっぱり味噌汁おいしい。最高」

「ホントですか?」

「おかわりしていい?」

「もちろんです!」

 具だくさんの鮭おにぎりとツナマヨおにぎりを食べ、味噌汁を三杯も飲んだ。まだ飲めそうだと四杯目のおかわりを求めると、

「ごめんなさい、味噌汁もう完売です」

 可愛さんは申し訳なさそうに鍋を持ち上げる。鍋は空だった。

「可愛さんのおかわり無くなっちゃったね、ごめんね」

「いえ、それは全然いいんですが、風岡さんは足りないんじゃないですか? これ一人暮らし用の物なので、あんま量作れなくて」

「ううん、それなら仕方ないよね。何でだろ、昨日の反動がきたのか、ものすごく食べたくなって」

「少しホッとしました。食欲ないよりは絶対いいですから。そうだ! このあと買い物に行きませんか? 風岡さん用の生活用品とか、鍋も、新しい物を買いに行きましょう! 資金は任せて下さい!」

 私が遠慮するのを見越してか、先に財布の心配はないと主張する可愛さん。気持ちは嬉しいけど。

「ここに居させてもらうのも少しの間だろうし、わざわざ買ってもらうの悪いよ」

「でしたら、ちょっと早めの引越し祝い的な感じでどうですか?」

「えっ、いいのかな? そんなにしてもらって」

 私が別のマンションに住むことになった時の雑貨を気にかけてくれているということか。

「もちろんです。元々俺がいろいろ無理言って頼んだことですから、できることはやらせて下さい」

「助かる。じゃあお願いします」

「やったー! 風岡さんと買い物だ!」

 可愛さんはウキウキの様子でご飯を食べる。買い物行くだけでそんなに喜んでくれるなんて、なんて幸せなんだろう。無垢なその微笑みにつられて、こっちまでつい笑顔になる。

『もしまた出逢えるのなら、二度とその手を離さない』

 内側から声が聞こえた気がした。自分の身体? それとも頭の奥から?

 昔からたまに見る不思議な夢。可愛さんも同じような夢を見ていた。もしかしたら、可愛さんと私をつなぐ唯一の手がかりかもしれないもの。生活が落ち着いたら、やっぱり一度スピリチュアルカウンセラーの人に見てもらった方がいいのかもしれない。いつまでも正体の分からないものに惑わされるのは怖いから。

 ただ、今はまだ、目の前のことを楽しんでもいい?

 


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