表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/29

優しい時


 良かった。再会したばかりの時と比べると、風岡さんはだいぶ気力を取り戻してきているように見えた。ご飯もたくさん食べてくれている。ずっと食が細かったみたいなので、なるべく栄養を摂れるようにおにぎりは少し大きめに作ってみた。ちょこちょことおにぎりを食べている風岡さんが愛おしくて、めまいに近い眩しさを感じる。幸福ってこういう状態のことを言うのかもしれない。

 結婚したらこんな毎日が送れるのかな。最高すぎる。

 結婚願望なんてまるでなかったのに、風岡さんとの時間が増えるほど妄想してしまう。

「えっ。可愛さんの味噌汁、ない?」

 風岡さんは俺の手元を見て慌てた。俺はおにぎりとお茶だけで良かったので、自分の味噌汁は食べる前にこっそり風岡さんのおかわり用に回した。

「ごめん、気付かなかった。可愛さんの分までもらっちゃってたんだね私」

 恥ずかしそうに、風岡さんは縮こまる。

「あんまりお腹すいてないので大丈夫ですよ。気にしないで下さい」

「ごめんね。ありがとう。なんかね、すごい満足感」

 風岡さんはすっかり元気だった。昨日はずっと落ち込んだ様子だったけど、もう大丈夫なのだろうか。

「自炊ってめんどくさくておざなりにしてたけど、思っていたより大事なのかもしれないね。外食とか惣菜って便利でおいしいけど、なんだか物足りなくて余計な物食べたりしがちなんだよね」

「たしかに、それはあるかもしれませんね」

 外食はそういう風に作られていると聞いたことがある。

「可愛さんは子供の頃からこんなしっかりした食事だったの? そういえば親も自炊派だって言ってたっけ。大人になったからって、急にこんな整った暮らしはできないよね」

「たしかに子供の頃から教えられた部分は大きいかもしれないです。何でも一人でやれるようになれっていうのが母さんの基本方針だったから」

 親はいつ居なくなるか分からないから、一人になっても大丈夫なように何でも自分でこなせるようになってほしい。それが母さんの考え方で、俺が物心つく頃には耳にタコができるほどそう言われていた。だからなのか、小学三年生になる頃には一人で電車やバスに乗って目的地に行ける程度の判断力はあったし、中学生になる頃にはひととおりの家事はこなせるようになっていた。地方都市に住んでいるので交通手段を使いこなせるのは普通だと思っていたけど、専門学校時代、田舎の方から出てきた友達からはかなり驚かれた。

「可愛さんち、やっぱりすごいね。私の同級生なんかもその歳の頃にはまだ親に頼る子が多かった気がするよ」

「そうですよね。母さんが厳しかった分、父さんがこっそり助けてくれる場面もたくさんあったので、完全に自立してたかっていうと怪しいですけど」

「会ったことないのに、なんか想像できるかも」

 風岡さんは困ったように笑う。

 母さんは早くに親を亡くしたので、多分それもあってそんな風になったのだろう。父さんは母さんの境遇を理解しつつも、もっと親らしいことをしたかったようで、一人バスで塾に行った俺を車でよく迎えにきたりした。父さんもお金を無駄遣いしたくないという意味で基本的に外食NGだったのに、俺がたまにファミレスに行きたいとワガママを言うと「母さんには内緒な」と言ってこっそり連れて行ってくれ、好きな物を何でも食べさせてくれた。満腹で帰宅するので、結局母さんにバレてしまったけど。

 そういえば母さんは俺が子供の頃、ほとんど市販の菓子類を買わなかったし、俺がほしがると決まって「体に悪いからダメ」だと言った。うちに友達が遊びに来た時だけはおもてなしも兼ね例外として許してくれたけど、しぶしぶといった感じだった。ある時、あまりに俺がお菓子を食べたいとタダをこねるので、父さんが買い物カゴいっぱいに大量のお菓子をいろいろと買ってきた。それを居間で一緒に笑って食べていたら母さんに見つかり、二人そろってものすごく叱られた。その後、母さんも俺達につられてお菓子をつまみ「こりゃおいしいわ」と言うので、三人で目を見合せ笑ったりした。

「なんか、親のことこんなに思い出すの、かなり久しぶりな気がします」

 不思議な感じだ。離れて暮らしてもう十年くらいになるか。たまに電話は来るけど会うこともめっきり減って。そういえば父さんが風岡さんを家に連れてこいと言っていた。そんなこと、今話してしまってもいいんだろうか。

「いいご両親なんだろうね。可愛さん見てるとそんな気がする」

 そうつぶやく風岡さんは、穏やかでいてどこか寂しそうに瞳を揺らした。やっぱり、こんな話をしたら風岡さんは無意識でも意識的にでも自分の親のことを重ねてしまうのかもしれない。

「あの……」

「ん?」

 やっぱり今はやめておこう。この件は俺側の都合だし、父さんは俺の恋愛話にはしゃいで前のめりになりすぎている感がある。いろいろ落ち着いてから考えよう。

「今日、風岡さんは行きたいとこありますか?」

「うーん。そうだなぁ……。本屋とか?」

「いいですね! 何か読みたいものでも?」

「うん。ちょっとね」

 風岡さんは自分のスマホを一瞥する。

「美凪に連絡返してみたよ。まだ返事はないけど」

「おおっ! ついにですか」

「うん。滞ってたものがやっと動き出した、そんな気がする」

「よかったですね。きっと美凪さんも喜びますよ」

「だといいなぁ。まあ返事くるまではちょっと緊張するけどね」

「きっと大丈夫です。万が一何かあっても、一人じゃないですからね」

「ありがとう。可愛さんにいろいろ聞いてもらって、いろんなことがスッキリした。美凪のこともだけど、他にもいろいろ」

「他、ですか?」

「ふふっ」

 風岡さんは一人納得したように微笑した。これまでなかった軽やかな空気感だった。俺は何もしていないと思うけど、少しでも支えになれたのなら本望だ。

「嬉しいです」

 ただただ、こうしているのが楽しい。でも、同時に少し気になることがあった。風岡さんのアパートにイタズラしたのは誰なのか。通りすがりの誰かなのか、そうではなく風岡さん狙いなのか。俺の考えだけ言うと、こっそり防犯カメラを設置してでも真相を突き止めた方がいいような気がしてしまう。風岡さんに大きな精神ダメージを与えた一件だ。どうしても放置したままでは気持ちが悪い。ただ、風岡さんは今みる限りだとすっかり元気な様子で、たとえ気にしているのだとしても思い出したくないのかもしれない。忘れようとしているのかもしれない。だとしたら掘り返さない方がいいか。このまま何事もなく終わってくれたらいいけど、もしまた何かあった場合にだけ、改めてこちらの意見を伝える?

「可愛さん? どうかした?」

「いえっ。ちょっとボーッとしてました」

「やっぱり味噌汁飲んだ方がよかったんじゃ……」

「大丈夫です。その分おにぎり食べますから」

「そっか。具だくさん最高だね。おいしい」

「作ってよかった」

 なんか楽しいな。

 三個目のおにぎりを食べる風岡さんを見て、気持ちは穏やかになる。イタズラの件はやっぱり気になるけど、風岡さんの気持ち次第なところもある。今はまだ様子を見よう。

 朝ご飯をすませて支度をし、二人そろってマンションを出た。車で目的地のショッピングモールへ向かった。

「いいもの見つかるといいですね」

「きっと何かしらはあると思うよ。いろんなお店ありそうだし」

 風岡さんは大きく息をつく。

「こんなの本当に久しぶり。仕事のことすら考えなくてよくて、自由を超えた自由な時間。なんて贅沢なんだろう。いいのかな本当に」

 戸惑いながらも、開放感をじわじわ実感しつつあるようだった。風岡さんが背負ってきた問題がなくなって、本当に良かったと思う。

「ずっと派遣社員で頑張ってきてたんですよね」

「そうは言ったけど、実はそういうのからも離れてた時期が間にちょくちょくあったんだよね。お恥ずかしい……」

 風岡さんは気まずそうに苦笑した。

「人間関係とか派閥とか偏見がハードな職場もまあまああってね。っていうか、ほとんどがそういう所だった。良い環境もあるにはあったけど、そういう所ほど仕事がなくなって早期契約終了になって。人間関係のダメージ受けると長く引きずる方だから派遣社員で居続けることすら大変で、パートとバイトを掛け持ちしてなるべくストレスを避けるような生活をしてたこともあるよ。そんなこんなで貯金できても減って、また貯金しては減っての繰り返し。同年代の人達は順調にキャリア積んだり家庭を充実させたりしているのに。やばいよね」

 自嘲気味に笑う風岡さん。一人暮らしの生活を安定して成り立たせるのは大変なことで、俺はその大変さを真の意味では理解できていない人間なのかもしれない。それでも、言わずにはいられない。

「全然やばくなんかないです。つらいことがあっても工夫して働き続けて、風岡さんはずっと頑張ってきたんです。自分をもっと労わってあげて下さい」

「うん。ありがとう。多分、他の誰かに言われても皮肉と受け取ってしまいそうな言葉も、可愛さんの言葉なら素直に受け取れる。とはいえ、ここまで自分のことさらけ出した相手はいなかったけどさ」

「平川さんとかにも、ですか?」

 無意識にその名を口にしてしまい、焦った。しまった! あの職場のことなんて風岡さんは忘れたいはずなのに無神経にもこっちから触れてしまった。何やってるんだ俺はっ。

「えっ、なんで平川さん? あ……」

 次の瞬間、風岡さんはイタズラっ子のような笑みを浮かべ、

「もしかしてヤキモチ?」

「や、焼きますよっ。いろいろ深い話もしてるっぽかったのでっ」

 離婚したこととか、そういうことを。あの職場にいたのは短期間なのに、もうそんなことを言い合える間柄。平川さんとは何もないと分かっていても、やっぱり気にせずにいられないのだと痛感させられる。

「深い話っていうか、世間話の延長的な感じで、話したことに深い意味はないんだけどなー」

「そうなんですか?」

「そういう人ってごく稀にいない? 雑談だけで済ますはずが、話す予定のなかったことまでつい話してしまう相手」

「それが平川さんですか?」

「たまたまだよ。平川さんとどうこうなるなんて全く考えたことなかった」

「そっか、そうですよね」

「可愛さん、意外とヤキモチ焼きなんだね。マンション清掃やってた頃は全くそんな感じしなかった」

「自分でもそんなタイプと思ってなかったです」

 もうあまり思い出せないけど、過去に付き合った人達にはそこまで嫉妬などしなかったし、執着心も持たなかった。だから自分は恋愛に淡白な方なのだと思っていたくらいだ。

「なんか面白いね」

「面白いですか? 俺はなんかいたたまれないというか、どうにも恥ずかしいです」

「可愛さんはそうかもね」

 こらえきれなくなったように肩で笑う風岡さん。俺はやっぱりいつまで経っても片想いしている必死な男って感じで、風岡さんはそれを見て楽しんでいる。そんな感じだろうか。風岡さんが楽しそうにしていてくれるのなら、まあいっか。

「でも、こんな時間も楽しいです」

 それからショッピングモールの中をあちこち見て回った。風岡さん用の当面の必需品を買い、荷物が増えてきたのでいったん車に置きに戻り、身軽になって店内に戻った。迷いに迷った鍋は、シックな感じの雑貨屋でいいものを見つけた。

「これにしましょうか。おかわりいっぱい作れそう」

「ふふっ。こうしてると新婚の買い物みたいだね」

 風岡さんはそんなことを言った。

 え? 俺の思考が映ってる?

「そっ、そんな、新婚とかっ」

「顔赤くなってる」

「だ、だってそんなこと言われたら意識しちゃいますよ」

「ごめんごめん。言ってみただけだよ。深い意味ないから気にしないで」

 え。特別な意味ないの? ショックすぎる!

「風岡さん、それ地味に凶器です」

「えっ、ごめんごめん!」

 しょぼしょぼ歩く俺に、風岡さんは慌てていた。そんな時間すら楽しくて、もうどうしようもない。

 目的の鍋を手に取りレジに並ぶと、俺のスマホが鳴った。電話してきたのはたっちゃんという専門学校からの友達だった。彼の方から電話をかけてくるなんてかなり珍しい。とはいえ今は風岡さんといる。後でかけ直そうと思っていると、その後も立て続けに二回電話がかかってきた。

「急ぎの用かもよ?」

「すみません。じゃあちょっと、これお願いしてもいいですか?」

「うん、わかった」

 風岡さんに鍋と財布を預けて、会計をお願いした。思いもよらない人物からの電話。別にいいんだけどやっぱり違和感もある。人気の少ない通路に行き、電話に出た。

「たっちゃん久しぶりだね。どうしたの?」

『ごめん、いま外だった?』

「ちょっとなら大丈夫。電話なんて珍しいね、何かあった?」

 たっちゃんは、さっき風岡さんとの会話に出てきた例の田舎出身の友達。俺が小学校低学年から電車やバスで移動できた話にかなり驚いていた。たっちゃんは専門学校を出てから田舎に戻り、家業を継いだと言っていた。たっちゃんとは数年に一度、当時の仲間で集まって飲む時に話すくらいで、普段から電話をかけ合うことはなかった。

『インスタで変な噂が出回ってるんだけど、誉、大丈夫?』

「え、知らない」

 最近インスタ自体見ていなかった。風岡さんと会ってからはなおさら、そういうのから遠ざかっている。

「変な噂って、俺の?」

『うん……』

 たっちゃんは言いづらそうな感じで、言葉を選ぶような間を挟みつつ言葉を継いだ。

『子供まで作っといて女を捨てた、とかなんとか……』

「子供!? なにそれ! 全然身に覚えないんだけど……」

『だよね。誉はそんな人じゃないって知ってるから噂自体は信用してないけど、だからこそなんで急にそんな事言う人が? って、心配になってさ』

「ありがとうたっちゃん。それっていつ頃の話?」

『昨日だよ。誰かが急にストーリーでそういう話を上げたとかで、そこから一気に話が広がってるみたいで……。仲間内でもちょっと騒ぎになっててさ』

 昨日……。最近すぎる。

「皆がビックリするのも無理ないよ。ストーリー上げた人の狙いは分からないけど、完全にガセだと思う。心当たりないよ」

 それどころか何年も女性関係から離れていた。以前使ったマッチングアプリでも、数人の女性と会いはしたけどそんな噂が立つような行動は一切していない。カフェに行って少し話して帰っただけだ。風岡さんへの想いを断ち切れなかったあの頃、出会う女の人もなんとなくこっちの気持ちを察してくれたのか、踏み込んでくるようなことは一切なかった。

『よかった。だよね。もし知らないなら一応伝えておいた方がいいかなって思って。こういうのって職場でも評価に響くって言うし、心配で』

 そうだった。たっちゃんを含め他の専門学校の友達にも実家のことは詳しく話していない。今どうやって暮らしているかも伏せているから、皆と同様、一般的な社会人をしている風にぼんやりと話していた。

『ごめんね、変な話聞かせて。俺からも皆にそう伝えとくよ。皆も心配してたからさ』

「ごめんね、面倒かけて。わざわざ教えてくれてありがとう。俺も何か聞かれたらちゃんと説明するから」

『そうだよね、それがいいと思う。これ以上変に話が広がらないよう、俺達も気をつけるよ』

「ありがとう。助かるよ。またね」

 電話を終えてしばらく、胸がざわざわしていた。なんだろう。風岡さんのアパートのイタズラといい、インスタへのデタラメ投稿といい、最近おかしな人が増えているのだろうか。

 不穏な噂だけどしょせんはでっち上げ。あることないこと書かれるのは不愉快だけど、そういう人間がいるのはもうどうしようもない。風岡さんのことはともかく、インスタの件はもらい事故みたいなもの。どこの誰か知らないが、いちいち相手にしていてはキリがない。

 俺は今、風岡さんといて幸せなんだ!

 しょうもない噂などどうでもいい。今はこの幸せに一秒でも長く浸っていたい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ