006 勇気の証明
この日エーアステは定休日で、一家総出で食堂の雑務をこなしていたのだが、昼食後、お父さんの提案によってわたしは暇を出された。まだまだやれることはあったのだが、『たまには日光に当たっとけ』と言い渡され、追い出されてしまったのだ。
不承不承、その言葉に従うことにしたわたしは去り際、お母さんに『馬車と魔物には気を付けるのよ』と言われた。以前であれば『馬車には気をつけるのよ』だったのだが……
「はあ……日に当たっとけって言われてもな……」
用もなく外出するのは好ましくないことだったが、言いつけられてしまったのだから仕方ない。
独り言ちながら漫然と歩いていると、いつの間にか武器屋――スーザンさんのお店の前にいた。
「あ」
呆然と店舗を見つめていると、古めかしいドアに張り紙がしてあるのに気付く。
『店主の不幸のため休業中。再開日時未定』
「……スーザンさん」
わたしは人伝に彼女の死を知っているだけで、死を確かめたのはこれが初めてだった。
この扉の先にもうスーザンさんはいない。その実感が苦しみを伴って胸に滲んで行く中、わたしは自然と手を組み合わせ、黙祷を捧げていた。
それからしばらくして黙祷を辞めたその時、背後で酷く嗄れた声がした。
「おい」
振り返るとそこにはスーザンさんの夫であるダルさんがいた。彼は目に見えて憔悴しており、吐き出す酒臭い息には生気がなく、一緒に魂が漏れ出ていないか心配させられるほどであった。
「ダルさん……」
「俺の店になんかようか?」
「ああ、いえ……たまたま通りかかったというか、なんというか……」
「冷やかしなら帰れ。俺はこれから武器の面倒をみなきゃなんねえんだからな」
ダルさんは無愛想に言うと解錠に掛かる。
その小さな背中は哀愁を湛えており、わたしはどうにも放っておけなくなった。
「あの!」
声を上げると落ちくぼんだ目がギロリとわたしを睨む。
「わ、わたしにもお手伝い、させてくれませんか?」
「素人に出来る事なんてあるか」
至極最もな言葉に閉口させられる。
どうしたものか考え倦ねているうちにダルさんはガチャリと解錠し、ドアが解放した。すると店内ではホコリが舞い上がり、それが入り口から差し込む陽光によって煌めく。
「…………っ!」
その光景に、ダルさんはもう妻がこの世にいないことを追認させられたのだろう。「うっ……」と苦しげな声を漏らす。
「…………………リーベ。お前から見て、スーザンはどんなヤツだった?」
咽び泣くような声にわたしは胸が締め付けられる心地がした。
「……明るくて、ハキハキしていて……お話ししていて、とても楽しい人でした」
声が喉に絡んでしまうが、どうにか言葉を、偽りのない心を伝える。するとダルさんは「そうか」と言い残して建物の中に消えた。そして内側からガチャリと、鍵を閉ざした。
お父さんはダルさんを『無口だが情に厚いヤツだ』と評していた。
それは無論、身内に対しても言えることで、妻に対する愛情も深かったのだ。そしてそれはそのまま、深い悲しみとなって彼の胸を侵していった。
「…………」
その痛ましい様子にわたしは、自分がヘラクレーエを撃ち落としたことを、深く後悔させられた。そのことについて、お父さんは結果論だと言ってくれたがしかし、自分に罪がないとはどうしても思えなかった。
呆然と店舗を見つめていると、魔物のために涙を流す人はもっといるんじゃないかと、そんな考えが脳裏を過る。
いる。絶対にいる。証拠はないけれど、わたしが知らないだけでそういう人は沢山いるんだ。わたしが安穏の暮らしている間にも、泣いている人は必ずいる。ダルさんもきっと、この扉の向こうで人知れず涙を流しているんだ。
「…………」
スーザンさんの店を後にし、当てもなく歩いていると、わたしはふと通行人が少ないことに気付いた。
あんなことがあったんだから、仕方ないか……
納得した途端、まるで街が死んでしまったように思えて悲しくなる。
「…………」
お家に帰ろう。そう思って踵を返すと、曲がり角から人が飛び出してきた。
「きゃ!」
驚いて仰け反る中、反射的に目を固く瞑って衝撃に備えた。だが相手に手を取られたことで転倒を免れた。
「ふう……すみません」
ホッと息を吐き出しながら目を開くと、そこにはフロイデさんがいた。彼は丸い目を安堵に歪めつつ、訥々と問い掛けてくる。
「……ご、ごめん。大丈、夫?」
「あ、はい。お陰様で」
答えつつ手を離そうとしたが、彼の意外と固い手指がわたしの手を捕らえて放してくれなかった。
「手――」
「あ、ごめん……!」
彼は慌てて手を離すとそれを庇うかのように左手を重ね、彼女から目を背ける。
その恥じらう姿のいじらしいこと。わたしは多少心が軽くなった。
「ふふ……こんなところで合うなんて奇遇ですね」
尋ねると彼は用事を思い出してか短い声を上げた。
「り、リーベちゃん、探してた、の」
「わたしを?」
「うん。お店に行っても、いなかったから……」
そう口にする彼の黒い瞳には心配の色が滲んでおり、言わんとする事は容易に察せられた。それと同時にわたしの心は再びずんと重くなる。
「……もしかして、あの件で?」
「うん……武器屋のおばちゃん、死んじゃったって聞いて……それで……責任、感じてるんじゃないかって」
それまで伏し目がちだったフロイデさんだが、今度は覗き込むように目を合わせてくる。
「……大丈、夫?」
彼の心配を受けたわたしは嘘でも『大丈夫です』と答えたかったが、やけに唇が重く、押し黙ってしまう。
「手伝って貰ったのはぼくだから……リーベちゃんは、その、責任はない、よ?」
「……心配してくれてありがとうございます。でも、わたしなら…………」
やはり『大丈夫』の一言が言えなかった。微笑んで誤魔化すがしかし、彼の心配を強める結果となった。
「…………ごめんなさい。わたしはどうしても、自分が悪いように思えちゃって……」
「リーベちゃん……」
緊張とは真逆の弛みきった沈黙はわたしの感傷的になった心に絡みつくようで、気付いたときには不快感から逃れたい一心で、「おじさんたちは一緒じゃないんですか?」と尋ねていた。
「……2人なら、お店にいる、よ?」
「そうですか。じゃあ、帰りましょうか」
「用事、あったんじゃ……」
「いいえ。ただの散歩ですから」
そう答えるとわたしはフロイデさんと共に家に帰った。
「ただいま」
ホールに入ると、そこでは両親とおじさんとフェアさんの4人が、深刻な面持ちで語り合っていた。しかしわたしが帰って来たのを見ると、彼らは表情を繕った。
「……おかえり。早かったじゃねえか」
そう口にしたお父さんの顔は若干強ばっている。
時期を考えれば、どんな会話をしているのかは明白だった。
わたしは緊張しながらも、言葉を返す。
「……うん。人が少なくて、怖かったから」
「あんなことがあったんだ。ムリもねえだろうよ」
わたしはお父さんから目を離し、客人たちに挨拶をする。
「こんにちは。おじさん、フェアさん」
「おう」
「はい、こんにちは」
おじさんはお父さんと同様にぎこちない面持ちであったが、フェアさんはいつも通りの柔和な笑みを浮かべながら、穏やかな声で言う。
「鬱ぎ込んでいないか心配でしたが、杞憂だったようですね」
「はい……心配掛けちゃってごめんなさい」
「まったく、心配して損したぜ」
おじさんは微笑みながら言うと立ち上がる。
「もう帰っちゃうの?」
「ああ。お前の顔も見たし、次の仕事の準備があるからな」
「仕事……」
仕事って……冒険に出る準備だよね?
見学させてもらいたいという思いが湧いてくる中、お母さんがわたしの心を読み取ったように張り詰めた声で引き止める。
「お仕事の邪魔をしてはいけないわ」
その顔は明らかに険しく、事を深刻に捉えていることを示していた。
当人であるわたしは叱られに行くような覚悟を強いられ、緊張でお腹の底が重くなるのを感じずにはいられなかった。そんな状態にあっては、絡みがちな喉を無理に解放して返事をするのがやっとだった。
「……うん、わかった」
わたしが怖々とする中、おじさんが落ち着かせるように頭を撫でた。
「また今度な」
その言葉は何やら意味深長な響きをしていた。
「うん……またね」
冒険者3人を見送るとお母さんが言う。
「リーベ。そこに座りなさい」
その厳かな響きに唾を飲み下すと、わたしはお母さんの対面の席に腰掛けた。
「リーベ。冒険者になりたいと言うのは本当なの?」
発色の悪くなった唇を震るわせながらお母さんが問うてくる。しかしわたしは恐ろしさのあまり返答に時間を要した。
「……う、うん…………」
目を合わせることも難しく、自然と俯く形になる。すると結論は先延ばしになったのに、何故この件を知っているのか、不思議に思えた。チラリとお父さんに目を向けると気難しい顔をしていた。
「シェーン。今は共有するだけって言っただろ?」
「ですが!」
一瞬声を荒げたお母さんだが、はたと口を閉ざし、グラスを乾かす。
「……ごめんなさい。感情的になりすぎたわ」
「いいさ」
お父さんは妻を宥めるように華奢な肩を叩くと、娘の方を見た。
「今更隠しても仕方ない。一応、ヴァールたちにも伝えておいた」
「……もしかして、そのために散歩に?」
「まあな――だがな、アイツらに伝えたのはお前を冒険者にすると決めたからじゃない。その意味をよく考えることだ」
「う、うん……」
おじさんたちは優秀な冒険者だ。彼らの庇護下に入れれば、わたしは多少なりとも安全でいられるだろう。そのために前もって相談しておいたのだと悟った。同時にお父さんがわたしの無茶な望みに寄り添おうとしていることに胸が温かくなった。
でも、お母さんは……?
恐る恐る様子を窺うと、渋面を浮かべていて、今にも泣き出しそうだ。
「お母さん……」
「…………教えて。どうして冒険者になりたいと思ったの?」
「それは……お客さんが……街のみんなが落ち込んでるから…………わたしが冒険者になれば、みんなを励ませるんじゃないかって……」
「……その考えは立派よ。でも……だからって冒険者である必要はあるの? 今まで通りお店を切り盛りして行く事だって立派な貢献じゃない?」
落ち着いた口調に反し、お母さんは必死だった。それは食堂の亭主としてのプライドがそうさせている部分もあるが、主としてあるのは娘を冒険者にしたくないと言う強い思いがあることをわたしはよく知っている。
その痛ましげな主張に胸を締め付けられる。
でも……わたしはそれでも、冒険者になりたいんだ。
「…………さっきね、ダルさんに会ったの」
あの苦悶と悲哀に満ちた声を思い出すと、涙腺が痛み、自然と涙が滲んできた。
「スーザンさんがいなくなったのお店の中に閉じこもっちゃって……きっと今も、1人で泣いてるんだと思う」
「…………」
「それで思ったの。わたしが知らないだけで、世界には魔物のせいで涙を流す人が沢山いるんじゃないかって……」
両親の瞳を見据える。
お父さんが深い実感に満ちた顔をしているのに対し、お母さんは目に涙を溜めていた。
「悲しむだけじゃない。この前のことでみんな怖がってる。だからわたしはみんなを励まして、護ってあげたいの……みんなの幸せを……」
「うう……」
「お父さんがそうしたみたいに、お父さんがそうだったみたいに……わたしは、わたしは……みんなの希望になりたいの。それは他のお仕事じゃ、きっとできないと思う……」
今にも消え入りそうになる声を奮い立たせ、泣き崩れるお母さんの目を見据え、自分の意思をはっきりと伝える。
「だからわたしは、冒険者になりたいの!」
言いたいこと全部……言い切った…………あとは2人次第だけど……
お母さんは顔を覆って泣いていた。
涙を流す人が1人でも減らすはずが、1番大切な人を泣かせてしまった。これでは本末転倒だし、親不孝にもほどがある。わたしの胸に不甲斐なさが募るが、それでもこれは必要なことなのだ。
奥歯を噛み締め、スカートを握り絞め、母を見つめる。
「うぐ……ううっ…………」
咽び泣く妻の肩に腕を回し、宥めながらお父さんが言う。
「俺から聞くことは変わりない。お前には傷付く覚悟があるのか?」
「……ある…………!」
父の瞳を見据えて言う。それは単なる返答ではない。宣誓だった。自分の思いを言葉に出したことで、わたしの胸には強い勇気が起こった。
「……わかった」
お父さんが溜め息まじりに口にしたその言葉に、わたしは内心、歓喜した。だがそれも一瞬のことで、お母さんのすすり泣く声に次第に罪悪感が募る。
「やっと家族みんな、一緒でいられるようになったのに…………」
咽び泣きながらの一言に対し、わたしは「ごめんなさい」以外の言葉を持たないでいた。
それから長い長い時間を経て、お母さんはようやく落ち着いた。
「……取り乱してごめんなさい」
親指で目元を拭いながら続ける。
「…………いいわ。リーベが自分で決めたことなんですもの」
その瞳は凛と煌めいており、決して諦観からくる言葉でないこと伝わってくる。
一体どんな心境の変化があったのか、わたしは一瞬考えたが、言葉どおり娘の決断を尊重してのことだった。
「お母さん……」
「その代わり、絶対に死なないこと。いいわね?」
お母さんの背中を押すような一言に、わたしは力強く、心から頷いて見せた。
「……うん!」




