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冒険姫リーベ  作者: 丘引みみず
第1章 リーベ、冒険者になる

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005 リーベの決意

 スーザンさんの訃報(ふほう)がもたらされてから一夜が明けた。


 今日は平常どおりに営業することになったわけだが、客足は目に見えて減っていた。その僅かな客たちはみんな鬱々とした面持ちで、ホールにはいつもとはほど遠い、絡みつくような空気が充満していた。


「リーベちゃんも危ないところだったんでしょ?」


 常連の婦人が言うと同時に、方々から視線が集まるのをわたしは感じた。


「あの――」

「運が良かったわね? あの坊やと一緒じゃなかったら、今頃――」

「おい」


 お父さんの険しい声が婦人を黙らせた。同時に、わたしに向けられていた視線の数々が散っていく。客を脅すなど言語道断だが、わたしは救われた気がした。


 しかし脅された側はそうはいかない。お父さんを――街の英雄を怒らせてしまった恐怖と動揺、そして羞恥とに縮こまっている姿は見るに堪えず、わたしは何事も無かった風に尋ねる。


「ご注文をお伺いします」

「そ、そうね。じゃあこれと、これで」


 わたしがオーダーを取る一方、お父さんは厨房から様子を見ていたお母さんに呼ばれた。向かった先に叱責が待っていることを、わたしはよく知っていた。




あの婦人の後にも好奇心に任せてものを言うお客さんが何人も現われ、その度にわたしは不快な思いにさせられた。それでも看板娘としての笑顔を忘れず、ランチタイムを凌ぎきった。そんなわたしの肩には日頃とは性質を異にする疲労感がのし掛かっていた。


 世間的には遅めの昼食を摂っても気分は相変わらずだった。


 それは一緒にホールで働いていたお父さんも同様で……いや、口止めの為に脅すことを禁じられたことで、わたし以上に不満をため込んでいる様子だった。


 カツカツと乱暴に食器を扱いながら食事をする様子に、わたしはお父さんがこんなに怒ったのはいつ以来だろうかと、記憶を探っていた。


 その一方、当人は憤然と鼻を鳴らす。


「まったく、不謹慎な連中ばっかりだな」

「気持ちは分かりますが、お客さんを威圧するなんて言語道断ですよ?」


亭主であるお母さんの理性的な言葉にお父さんは眉を(しか)めて答える。


「ああ……悪かったよ」


 しかし食器の扱いは相変わらずだった。




 剣呑な空気が変わることなく、息苦しいままに昼食を終えた。普段であれば憩いのひとときとなっていたのだが、今日に限ってはそうもいかず、わたしは胸をモヤモヤさせたまま仕事に戻ることになった。


 お母さんと共にディナーの仕込みをしていると、ホールの方からカウベルの音が聞こえて来た。続いてお父さんの若干機嫌の良い声が厨房に響いてくる。


「お、ディアンじゃねえか」


 ホールの掃除をしていたお父さんが来訪者の名を呼ぶと、わたしたちは目を見合わせた。


 今は準備中というのもあるが、なにより昼夜逆転の生活を送っているディアンさんが昼間に訪ねてくるのが珍しかったのだ。不思議に思っていると、お父さんも同様の疑問を口にした。


「商談を終えたばかりなんだよ。それより、妙な噂を聞いてな。リーベはいるか?」

「ああ――リーベ。ちょっと来い」


 わたしはお母さんに目配せをするとホールに出た。


 そこには確かにディアンさんがいた。


 背が低く皺の目立つ顔立ち、何より高い鷲鼻のせいで魔女のような怪しい雰囲気を醸していた。それに加え、頬には深い裂傷痕が、そして右腕が欠落していることがその印象を助長している。しかしわたしを一目見た途端、表情を弛緩させ、優しい笑みを浮かべる。


「お前が魔物に襲われたと聞いてな。無事なら結構だ」

「心配してくれて、ありがとうございます。でも、もう1週間くらい前のことですよ?」

「ワシは引きこもりだからな。情報が古いんだよ」

「威張って言うことか」


 お父さんがツッコむとわたしは笑った。そうする間にディアンさんは曰くありげな目でわたしを見ていた。


「それとだ。お前が冒険者になるって噂も聞いたが、それはどうなんだ?」


 お母さんを気遣ってか、ディアンさんは声を潜めて問い掛けてくる。


 その言葉を聞いた途端、わたしはスーザンさんが生前に発した言葉が思い出した。


『リーベちゃんも冒険者になるんかい?』


 わたしが冒険者になる?


『私たちの英雄の娘なんだ。アンタにも才能があるはずだよ』


 そんなの……あるはずがない。


 わたしがヘラクレーエと対峙したとき、わたしは高揚をしていた。


 それは英雄の血が騒ぐだとか、そんな大それたものではなく、未知との遭遇を無警戒に楽しんでいただけなのだ。未知の事柄に対し、真っ先に警戒を抱けない。そんな人間が冒険者の素質を持っているなど、天地がひっくり返ってもあり得ない。


 酷く内省的な気分になりながらも答える。


「……なれません」


 するとわたしの目を見据えていた瞳が、不健康に白いまぶたによって隠される。


「そうか」

「ディアン、お前……」

「邪魔したな」


 そう言い残して彼は去って行った。


 カウベルの残響が耳鳴りのようにわたしの頭に響く。胸の内からこみ上げてくる煩雑な感情から逃れるべく、厨房へ足を向ける。スイングドアに手を掛けたとき、お父さんがいつまでも友人が去っていったドアを見つめているのに気付いた。


「お父さん?」

「ん、ああ。わりい、ボーッとしてた」

「そう? 何でもないならいいや」


 そう言い残してわたしは仕事に戻った。




 昼と夜で客の顔ぶれが変わるものだが、彼らの関心がスーザンさんの死にあることは変わらなかった。給仕をしているとどうしてもその話が聞こえてしまうもので、わたしの心には人々の恐怖と悲嘆とが蜘蛛の糸のように嫌らしく絡みついていく。


「…………」


 看板娘として暗い顔はできない。


 だから笑顔を繕うも、とあるお客さんの会話を耳にした時、それは解けてしまった。


「はあ……街中に魔物が出るなんてな」

「安全なとこなんて、何処にもないってことだろ」

「エルガーさんも引退しちまったし、もうこの街もお終いなんだな」


 その会話はこの街に垂れ込める絶望を、何よりも雄弁に表していたのだった。

 



 それから1週間というもの、同様の会話を何度も小耳に挟んだ。


 英雄であるお父さんが引退した矢先、2度も魔物の襲撃を受け、ついには犠牲者が出た。人々が不安に感じ、それを言葉に出してしまうのは誰にも責められたことではない。


 だがそれを耳にするたび、わたしの胸にはある疑問が大きく膨れ上がっていった。


 ……もしもお父さんが引退していなかったら、みんながここまで落ち込むことはなかったのかな?


 スーザンさんが『リーベちゃんも冒険者になるのかい?』と聞いてきたのも、『リーベちゃんも冒険者になればいいのに』と言われたのも、全ては英雄不在の不安を解消するためだったのではないか。


 そう考えた時、わたしはある考えに至った。


 みんなの希望になれるのは……


「…………」

「どうしたリーベ?」


 打ち明けたらお父さんがどんな反応をするのか、わたしには想像も付かなかった。だが何れにせよ、1人で悩んでいたところで始まらない。だからまず、言うだけ言ってみようと思った。


「ね、ねえ……お父さん」

「なんだ?」

「ちょっとだけ、良い?」


 そう言うとお父さんは僅かに表情を引き()らせた。その様子からして、これからわたしが何を言おうとしてるのか察しているのだろう。強い不安感を抱いたが、やるべきことは変わらないのだ。


 お父さんがどう反応するかわからないけど、でも、みんなのために頑張らなくちゃ!


 そう胸に決めたわたしはお父さんを伴って屋根裏部屋にやって来た。ここならお母さんに聞かれる心配がないからだ。


「それで、どうした?」

「うん、あのね…………わたし――」


 言いかけた時、声が鉛のように重くなるのを感じた。


 これから口にする言葉が、家族の幸せを破壊してしまうかのように思われたからだ。


 自制心と良心とに苛まれながらも……それでもわたしの意思は変わらなかった。


「……わたし、冒険者になりたいの」


 わたしがそう口にしたとき、お父さんはただただ深い溜め息をついた。


 広い天井を巡る(はり)を見上げながら「……そうか」と零す。


「……お前は俺の子だ。いつかそう言い出す日がくるんじゃないかと思っていた」

「お父さん……ごめんなさい」

「怒ってるわけじゃねえ。ただの親父の、冴えない感想さ」


 力ない笑みを浮かべると腕を組み、壁に背を(もた)せる。


「……それで。どうしてそう思った?」

「お客さんが……みんなが不安になってるから。お父さんの……英雄の娘のわたしになら、みんなの笑顔を取り戻せると思ったの…………」


 言葉にする内に自信が萎んでいき、言い終わったころには深く俯いてしまう。


 だが、言うだけのことは言った。あとはお父さんがどんな言葉を口にするかだ。


「お父さん……?」


 顔を上げると、お父さんは真剣な顔をしていた。


「……リーベ。お前の考えは立派だと思う。だがそれは、自己犠牲が過ぎるんじゃねえか?」

「それは……」

「お前が冒険者にならずとも、時間が解決してくれるだろう。違うか?」

「……そうかもしれないけど、でも……!」


 反論しようにも言葉が見当たらない。それを見かねたお父さんは諭すように言う。


「お前の気持ちを否定したいわけじゃない。ただ、俺は親として、お前のことが心配なんだ」


 お父さんは壁に掛けてあったカンプフベアの毛皮を撫でる。


「冒険者になるってことは、ケガをする事もあるし、死ぬことだってある。お前にはそれを受け入れるだけの覚悟があるのか?」

「それは――」


 答えようとしたが、空気が喉元で固まってしまったかのようで、声にならなかった。


 結果沈黙していると、お父さんはその大きな温かい手を頭に置いた。


「街を護り、元気付けようと考えられるのはすげえことだよ。尊敬するし、誇りに思う。だが、そのためには覚悟が必要だ。どんな困難にも挫けないで、どんな恐怖にも果敢に挑めるだけの覚悟がな。それができたならまた来い」


 そう言い残すとお父さんは1人、ホールに下りていった。


「…………」


 取り残されたわたしは空回った使命感に若干の羞恥を覚えつつも、お父さんが撫でていたカンプフベアの毛皮に目を向ける。


 毛皮は腕のものであり、その不気味な姿がありのままに保存されていた。それを見上げたわたしは、自分の腹囲の倍はあるその太い腕が猛然と振るわれる様を想像する。


「ううっ!」


 怖くて思わず震え上がると、反射的に目を背けた。怯えたわたしは自分の左胸に手を当て、どくんどくんと早鐘を打つのを数えながら深呼吸し、落ち着いてきたころに再度、見上げた。


「…………」 


 こんな強い魔物と戦うとなれば命の保証はない。そんなの、考えるまでもなかったがしかし、彼女の想像はそこまで至っていなかった。


 考えが浅かったことは認めざるをえないが、教え諭された今なお、自分の決断が正しいという確信は変わらずにある。


「……少し、考えよう」


 そう決めると、彼女は仕事に戻った。




 その夜、例によってわたしはダンクとおしゃべりをしていた。


「ねえ。わたしが冒険者になったとして、やっていけると思う?」

「…………」


 無言の返事は諭すかのようで、わたしはいつになく内省的になれた。


 冒険者になるということは、人の生活を護るため、魔物と戦うということ。


 魔物と戦うということは、命のやり取りをするということ。


 命のやり取りをするということは、死ぬこともあるということ。


 死ぬこともあるということは、家族を悲しませるということ……


 自分は果たしてこれらの悲劇を受け入れられるのだろうか? そう自問するも答えは無かった。


『わたしは大丈夫』という希望が如何に脆弱かは、日常の最中でスーザンさんが殺されたことが証明している。日常の埒外においてなお、そんな儚い希望を抱けるとしたら、その人物はよほどの愚か者だ。


 さすがのわたしも、その程度の危機感は持っているつもりだった。


「……ケガをする事もあるし、死ぬことだってある…………」


 お父さんはそう言っていた。


 それは想像に容易いことだし、実際に冒険者の引退理由の約5割が負傷、3割が死亡と言われているくらいだ。仮にわたしがものすごい才能を持っていたとしても、死傷率の悪魔からは逃れることはできないのだ。


「でも……」


 お客さんたちの怯えた顔を思い出す。


 いつもは幸せな笑顔を見せてくれていたのに、今日は陰々滅々と食事を進めているのだ。


 お父さんは時間が解決してくれると口にしたが、それは誰もが恐怖から目を背け、笑顔を繕っているだけではないのか。


 心からの安らぐためには希望が必要だ。


 その希望は今までであれば【断罪】のエルガーという英雄の存在だったのだ。


 家があるから風雨に晒されずに済むというのと同じで、英雄が頑張ってくれているから魔物に怯える必要がないと考えるのは、とても人間的だろう。


 だがお父さんが引退してしまった以上、その希望は潰えてしまったのだ。おじさんとフェアさんも優秀な冒険者だと聞いていたが、師匠の英雄性は引き継げていないように思える。


 随分と上からな評であるがしかし、テルドルの現状を見れば一目瞭然だろう。


 その要因として考えられるのは、彼らが日頃王都で活動しているからだろうか?


 いや、お父さんは他の地方に派出していた事があった。だがその期間中、わたしとお母さんを除いては誰も不安を露わにしていなかった。


 だから活動の場所や程度は関係ないと思われた。


 じゃあ何が大事なの?


 希望の象徴であることだけが英雄の資質であるならば、それを継承するのに必要なのは力や信念ではない。単純に血脈なのだ。だから『エルガーの娘が冒険者になる』などというウワサが起こるのだ。


「やっぱり……わたしにしかできないことなんだ…………!」


 そう追認するとわたしはダンクをギュッと抱きしめる。


 思考は堂々巡りし、冒険者になる覚悟について、再び考えさせられた。


 使命感を抱いて尚、自分が死ぬか、大きなケガをする場面を思い描くと胃が痛くなる。


「うう……こわいよ、ダンク…………」


 彼の胸に顔を埋めてしまった。


 つまりわたしには、冒険者になる覚悟が足りていないと言う事だった。

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