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第94話 逆鱗と激情

 後方から砂塵が立ち昇る。王国騎兵団だ。

「エミリオ、カレン!ここは私が食止める。必ず逃げなさい。私は後から公爵の元に行き、助力を要請する。後ろを振り返ったら全て台無し。振り返らず前だけ見て進むんだよ!分かったね!?」

 そういってモルガナは馬から上空へ飛んでいく。もはや力を隠す状況ではない。自らを解放する。


 全幅10メートルにも及ぶ巨大な翼の形をした黒い瘴気をはばたかせ、モルガナが飛ぶ。蛾の鱗粉のように、禍々しい瘴気を撒き散らし、空を覆うその威容。まさに魔王の姿だ。


「撤退しなさい!従わないなら、攻撃するよ!」

 小さな身体から信じられるほどの大音声。

「ひ、怯むな、す、進めえッ」

 隊長らしき男が声を張り上げている。

「もう!ばかあ!ならば魔王の力、思い知れ!」


 仕方なく魔法を唱える。すると空が夜のように真っ暗になり、地面がしけた海のように激しく波打った。地面が割れて揺れるのではない。文字通り海面が波打つように、液体がそうなるように、液体のように波打ったのだ。


 次々と落馬する騎士たち。騎士だけでなく馬もパニックを起こしている。低く厚い雲が立ち込め、そこから真っ赤な稲光が幾重にも雲の中を横断し駆け回る。時折、それが地上に落ちて轟音と爆発、地表をさらに揺らす。

「うわああッ」

「たすけてくれえッ」

 魔法の影響を受けていないものからすれば、ただ騎士たちが馬から落ちて地面でジタバタしているに過ぎないのだが、幻覚と現実の区別のつかない彼らからすれば、恐怖以外の何ものでもない。


 あまりの恐怖に気絶する者多数。腰が抜けて動けないもの。失禁しながらも、這って王都に逃げ帰ろうとするもの。最精鋭の王国騎兵団およそ千人の惨状をみてあきれ返ったのは遅れてきた歩兵隊だ。


 歩兵隊に救われ、彼らが我に返った時、モルガナ達の姿はもうどこにもなかった。ちなみに死者はゼロ。落馬の際に骨折した者が何人かいたため、負傷者ゼロとまでは、ならなかった。


 第一王子に第二王子。この二人が王国旗を掲げた王都守備隊と共に宰相のいる一角を包囲する。オズワルドからの連絡を貰ったリーヴはこの2人を動かした。外堀はオズワルド公爵が埋め、事は王宮内で処理される。宰相グランニグスは逮捕された。


 同時にラフカや城門の門兵の無罪が確定。グランニグスは牢内で毒殺された。ロイヤルイクリプスによる暗殺と言われているが、真相は不明のままだ。王はこれを機に退位。第一王子アクシオスが即位した。


 あれから三年、モルガナは生きているのだろうか。それとも追いかけていったベリアスに殺されたのか。モルガナは最後に魔力のことわりを教えてくれた。


 誰かが魔法を使うたびに魔力の代謝が活発化し、その際、生じた老廃物は一度世界に拡散し、時と共に互いに引かれ合ってひとところに集積し、集積しては重くなり、やがて沈殿するのだと。そしてワルプルギスや白い魔女はその沈殿した老廃魔力の再利用法を編み出した。極端な負の性質をもつその沈殿物は、人魔融合や人工魔物の生成の研究に使われたのだ。


 そして人工の生命体である黒い魔女は、自身だけでなく、誰かが魔法を使うたびに世界に撒き散らした魔力の老廃物を引き寄せた。


 黒い魔女の重力が世界に漂う魔力の位置に作用するのだ。引き寄せ、時に取り込み、軌道から逃さない。黒い魔女を中心に世界の魔力は互いの引力でその配置を変えていく。恒星の周囲を公転する惑星のように。

 魔力はその中心のいるものの重力に引きつけられ、その軌道を支配される。


 そして寿命を迎える瞬間、魔力の配置は完成する。その完成した配置の魔力を消費して肉体をリセットできるのだ。魔力循環のことわりから生まれた人工物ゆえ。ことわりそのものの存在ゆえ。魔力そのものゆえ。

 肉体のリセットの瞬間、再び魔力の配置は秩序を失う。

 しかしそこには一人の若き魔女がいる。モルガナだ。


 モルガナは白い魔女が若いときに作った白い魔女のコピーであり人工生命体、そして自我を持てなかった失敗作。失敗作の利用法として魔力の老廃物の管理システムとして生きる存在になった。そう言ってモルガナは笑った。


 カレンデュラも知らないあの日。ジゼルの墓の前、モルガナは号泣していた。今更ジゼルの孤独を知る。自分の正体にもっと早く気付いていたら。話すことも、より深く知る事、分かち合うことも出来たのだ。


 それは在りし日のジゼルの孤独に寄り添えた、そう言いたいのか。それとも今の寄る辺の無い自分の慰めを共有できた、そう考えたのか。


 きっと両方なのだ。

 だがモルガナ本人はどちらも自覚できない。ただ泣いた。もっと一緒にいたかった。もっと話をしたかった。そんな思いが胸を張り裂かんばかりに衝き、そして抉ってくる。


 勇者セリオスと共に魔王城に向かったあの日、アルバスこと魔王バルザルドに「本当に魔王は害悪なのか」と問われたとき、わけもわからず涙が出た。

 その理由は自分がウィステリアと名乗っていた頃、ずっと秘めていた悲しみだったから。


 白い魔女が自身の一部を使って生み出した作り物。たった一人で、自分の存在が何なのか、そのことに心を灼かれ続けてきた人生とその記憶だから。そしてセリオスのことが記憶に残っていたのも、半分はコピー元である白い魔女の記憶なのだと今更知る。


 そして今なら実感できる。アルバスは感じ取ったのだ。モルガナが何であるかを。そして希望を託した。希望を託す相手に相応しい。だってモルガナが人間と共存できているのを見たのだから。


 モルガナは魔人たちの新世代のオリジナル。創造主にこそ違いがあるが、そのオリジナルの再来であり、魔力によって生み出されたという意味で、本質は同じだ。再び世界に舞い降りた、魔人たちのイヴ。


 後世の魔人たちのルーツになりえる存在にして人間との対等な共存を果たす、彼らの希望。魔人たちの未来。でも彼らは知らない。似てはいるけど、でも。魔人、いや、魔物にさえなれない存在だなんて。

 悪い夢でも見ているかのよう。夢ならいいのに。誰か言って。これは夢だって。


「ちくしょう……!うぐっ、えぐっえぐっ、うあああ……!」

 その号泣は風に流され、やがて虚空に溶けて消えた。


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