第91話 泣いてるように笑ってた
ラフカはその現場にいた。いたというより、間に合った。
もう何年も前から、王妃は既に人間の形を保っていない。ウミウシのような軟体動物を思わせる姿、或いは巨きなゾウの一部を連想させる、でも本物のゾウにはきっとない部分。そんな姿になっていた。
高い魔力を持つ女性の魔力を吸うことで生存している。聖女に与えられた役目とはそれなのだ。つまり王妃の養分。
「大司祭。解呪を提案します」
ウィチカートの拘束魔法を容易く破り、ジゼルが言った。架空の任務を申し渡され、この場から遠ざけられていたラフカが戻ったのがその時だった。
モルガナとの接触は侍女試験の時から観察されており、モルガナとともにやってきたジゼルとの関係を懸念されたため、遠ざけられたのだ。
「だ、大司祭。あんた、約束が……」
「ラ、ラフカ・パドーム……。待ってくれ、今は現状を知ってもらおうとしただけ。ただ拘束は必要だ、分かるな?」
今回は解呪を試みて駄目だったら例年の方法。それが約束だった。
ジゼルやモルガナを守るためではない。例年と同じことをしても王妃の根本治療にはならない。そう言って説得したのだ。そもそもこんな試験に参加する意思を事前に聞いていれば、全力で止めたラフカだ。たとえ力づくになっても。それが試験が目的ではなく、色々とまずい動きをされ、それをもみ消すので精一杯だったのだ。
ジゼルとウィチカートの二人で解呪。いけそうな気がした。というより、これ以上の戦力は用意できない。プリースト系祈祷式魔法では民間最強のジゼル。そしてなぜか力が凄まじいまでに増大している大司祭。多ければ多いほど良いものではない。守秘義務の観点からも人数は少ない方がいい。理想的な配置だ。
ラフカは念のため剣を抜いておいた。不敬と言われようが、それを言う人間は今誰もいない。ラフカを含め三人だけだ。宰相のグランニグスはこういう現場には顔を出さない。何かあった際に当事者ではないと主張できる余地を残しているのだ。保身のために。
「いいか、こいつ、じゃなくて、この方は攻撃に意志を感じると攻撃してくる、気を付けろ」
ラフカが警戒を促す。ただ、普段はただ寝ているだけで危険はないのだという。
「心配ないわ。まずは深くお休みいただきましょう」
ジゼルが催眠魔法を掛ける。睡眠は異常状態ではない。肉体の正常かつ健全な生理現象であり精神的な意味でも必要な、日常の活動だ。相手はこれを攻撃と認知しない。
ふかく、ふかーく。その上で今度は2人で強固な拘束魔法を施す。反撃は来ない。
「大司祭様、二人で呪いを浮き上がらせる。浮き上がったら私が吸い取る。いいですね?」
「あ、ああ……」
「ジゼル油断するな」
「ええ」
呪文の詠唱。王妃は深く眠ったままだ。その体が仄かに輝く。その輝きが徐々に浮かび上がってくる。肉体を離れ、遊離する魂のように見えた。その魂のような者が、人の形を為した。その姿は在りしの王妃そのものに見えた。
その瞬間。ウミウシのような身体から、突如鎌のような突起が飛び出した。
その鎌が襲い掛かる。ウィチカートはその速度に反応できなかった。鋭利な鎌となったその肉体の一部は、ウィチカートの身体を両断し、なおも襲ってくる。ジゼルを庇って、その前に立ちふさがるラフカ。王妃の鎌は物理法則を無視した不規則な軌道を描いてラフカの防御を掻い潜り、その右腕を宙に舞わせた。
「ジゼル!」
右肘のあたりの、その断面を左手で抑え、ラフカが叫ぶ。ラフカは右腕だけではなく、胸にも深々と切創を受けていた。腕を飛ばした勢いのまま、胸を斬り裂さかれたのだ。大流血だ。足が進まない。ジゼルは無傷のようだが、その体は硬直し、体から輝く何かが這い出ようとしている。
いや。這い出ようとしているのではない、吸い出されているのだ。王妃に。
急流の中粘っていた藻が不意に剥がされて呑みこまれていくように、ジゼルの魂は肉体から引きはがされ、そして王妃の肉体に消えていった。その瞬間、ジゼルが床に倒れ込む。
「ジゼル……」
ラフカはその場で気を失った。
ラフカは短い夢を見た。温かな光に包まれた、在りし日の王妃が自分の腕と胸を魔法で治療してくれている。
「お、王妃、も、もったいない……」
王妃は何も言わず微笑みながら治療を続けている。その困ったような笑顔がジゼルを彷彿とさせた。いやその表情は、その美貌はジゼルそのものだ。慈しみを湛え、でも少し困ったような、いや、泣いているように笑ってた。
ラフカが意識を取り戻したその時、すでにジゼルは冷たくなっており、ウィチカートは真っ二つ、そして自分は腕も治っており、傷一つなく生きていた。
ジ、ジゼル……。
器用すぎるその男は、たった一つの不器用と、器用に隠してきた純粋。それを伝える機会を失い、そして伝わっていたことを知る機会もまた、永遠に失われたのだった。




