第72話 黒い魔女の思い出
「叔父上、10年ぶりとはよく来てくれた。これまで何度誘っても断られていたのに、どういう風に吹きまわしですかな?」
「なんだ、本音は来てほしく無かったような言い回しだな?」
「はは、まさか。一日千秋の想いで待っておりました」
「ぬけぬけと……。まあ、いい。それより黒い魔女が出て来なくなったと聞いた。本当か?」
オズワルド公爵にそう聞かれ、国王は嬉しそうに破顔した。
「くたばったのと違いますかな?実際最近黒い魔女を見かけたという話は聞きません。ババアでしたからなあ。まあ大往生ですな。あ、なるほどお。奴が消えたので安心してみえられたと?そりゃそうでしょうなあ。ガハハ」
「は、ははは……、ま、まあな……」
黒い魔女と言えば災厄の象徴だ。
国王だけが良くない感情を持っているのではない。
黒い魔女にはだれしもよくない感情を持っている。そういう認識が一般的なのだ。
だが国王との面談を終えて自室に戻る公爵の足取りは重く見えたのだった。
「御夜食を持ち致しました」
モルガナの声に公爵は入室を許可した。
「シロップで煮たマロンです。ブランデーと焼きたてのクッキーもお持ちしましたので、ご一緒にどうぞ」
「ほお、このマロンのお菓子はワシの得意料理だ。ワシのより上手く作れたのであろうな?」
「ふふ。閣下のお料理とは比べるべくも御座いませんでしょうが、料理は味の優劣のみばかりでなく、趣の多様性も楽しみの一つで御座いますよ」
モルガナはクッキーにマロンを乗せて皿に用意した。
「ふふ。不味くても楽しめというのか?」
笑いながらそれを取って口にした公爵の表情が変わる。このマロンの工程は何しろ面倒だ。水に浸して、剥きやすくしてから皮を剥いて、煮て、そしてシロップに漬けて、また煮て。火を止めて寝かせて翌日また煮て。煮て寝かせて煮て、を数日間繰り返すのだ。
かつて口にし、その再現を試みたが未だ果たせぬ味が今この場にあった。だから表情が変わったのだ。
「こ、この味は……。な、何を入れた?教えてくれ?」
「魚の煮汁に塩を加えたものをひとさじ……」
「こ、これはお前が作ったのか……!」
「そのような資格を持っていないのに、大変失礼いたしました。公爵の足取りが重く見えましたので、何とか元気になってほしく、身の丈を超えた振る舞い、謝罪いたします。失礼ついでにもう一つ……」
キャスターの下のから布で覆っていたそれを取り出す。ワニ革のアーチェリーケースだ。
「す、捨ててなかったのか」
訝しげに、しかし、中身を取り出して確認する。
「こ、これは!」
模造品などではない。元通りになっている。いや、修復前よりすごい何かが滲んでいる。
ボロッボロと公爵の頬が濡れていく。
「モルガナ、お前は何者だ?」
「はい。あたしは気づいてしまいました。閣下の脚には呪いの刻印が御座います。もしも解呪をお望みであれば、あたしにお任せいただけませんか?」
「お、お前が出来るというのか?」
「いえ、私の友人が解呪の力を持っています」
「……。考えさせてくれ」
「もちろんでございます」
「ヘンリー。私にこの呪いは解けない。代わりにこの弓をお持ち。いつでもお前を守ってくれる。心を強く持つんだよ」
王都を離れる少年のあの日、黒い魔女はそういって勇気付けてくれた。誰かにかけられた呪い。左足からしか踏み出せず、その後は必ず左右交互でないと脚が出なくなる呪いだ。意外に不便だった。黒い魔女は解呪を試みてくれたが果たせなかった。
あのマロンは黒い魔女の味。今手にある弓は黒い魔女の温もりだ。眠れぬ夜、ベッドの中にそれが感じられる。
いつしか公爵ヘンリー・オズワルドは眠りに落ちていた。
「モルガナ。お前に解呪を任せたい」
「よろこんで」
翌朝、すっきりした顔でそういう公爵に、モルガナは笑顔で頷いたのだった。
「ねえ、本当に大丈夫なの?いきなり牢獄行きってことはないよね?」
不安そうなジゼル。
「大丈夫よ。公爵様の要請だからね」
そういう建前で入城の手続きを取ったのはモルガナだ。だからジゼルを王宮に入れることが出来た。
「で、ちゃんと出来るよね?公爵は自分が右足から踏み出せないと思い込んでいる。その先入観をソウルイーターの能力で食べちゃって」
「そんなピンポイントで無理だよお……。漠然とした不安とか、そういうのなら吸えるけど」
「食べるじゃなくて、吸う、なんだ」
どうでもいいことに感心するモルガナだった。




