第71話 公爵の弓
足場を経由して地面をしっかりと踏みしめた公爵が、先に立ってエスコートの仕草のラフカを手で制した。そして公爵はモルガナに声を掛けた。
「案内を頼めるかな、お嬢ちゃん」
「モルガナで御座います、閣下。閣下の仰せのままに」
すっと立ち上がり、両手を重ねるように腰の前、背筋を伸ばして先導する姿にラフカは内心うなった。
馴れ馴れしいゆるみも、壁を隔てる緊張も、そのような歪な距離が存在しない立ち振る舞い。
揺れの無い歩様は、しっかりと公爵の歩幅を把握し、彼を急がせることも苛立たせることもない。
見事。
アガサに至っては拍手しかけてその手を慌てて腰の後ろに隠している。
「アガサ、どうだ、私の秘蔵っ子は?」
リーヴがアガサに声を掛けた。秘蔵っ子とはもちろんモルガナの事であろう。
「正直申し上げまして、リーヴ様が秘蔵っ子とされるには荷が重いかと。王室に下賜なさいませ、誰の損にもなりません」
「ははは、お前にそこまで言わせるか」
家令補佐程度には相応しくない。王家に直接仕える資格がある。より直截的な表現に改めれば、そう言ったのだ。アガサにしては珍しいことだ。
「だが。その筋で話が進むなら、深いとこまでお前の協力を期待していい。そう解釈していいか?」
なるほど。さすが、リーヴ様。そう言う約束をせざる得ない状況に追い込まれたか。
しかし望むところだ。
「御意に」
御意にとは、御意に従う、が短く転じたものだ。リーヴは一手一手チェスの盤面を操るように状況を整えていく。
公爵の斜め後方を歩くラフカがちらりとリーヴ達の様子を見てそれから視線を元に戻した。盤面は崩される。他ならぬモルガナ自身の手によって。
その予感がラフカにはあった。
オズワルド公爵にあてがわれた部屋は、王宮で最も大きな客室だ。公爵の歩様がモルガナの黒い魔女時代の記憶を一層呼び起こしていた。
どう切り出そう。そもそも公爵が望むだろうか?
何度も心の中で反芻する。何を反芻しているのかと言えば、公爵は呪いを受けており、その呪いを今の自分ならどうにかできるのだ。記憶に残っている。かつて黒い魔女はこの呪いの解呪を試み、そして果たせなかった。
今ならそれが出来る。あの時に無く、今あるもの。ジゼルの協力があれば。そしてなんだかんだ言って、ジゼルは協力的だ。
「閣下、お茶をご用意いたします。お好みの茶葉は御座いますか?」
「うーん……」
「なにか、ご懸念でも?」
「ああ、キツネ狩りが億劫でな……」
貴族のたしなみだ。ことわれば角がたつし、噂になる。
「ですが閣下は見事な弓をお持ちで、それを他の貴族様に眼福の機会をお与えになるだけでも、評判は一層高まるかと拝察しますが……」
「おお、それよ、それ」
公爵は運び込まれた荷物の中から、ワニの皮を総張りにした豪壮なアーチェリーバッグを探し出すと、嬉々として中から弓を取り出した。
見るものが見れば一発で分かる別格の輝きが滲みだしている。強力な魔法付与で強化された弓だ。
「すごい弓でございますね」
そう言うモルガナだが、なにしろ黒い魔女時代の自分が彼に贈った弓だ。まあでもやはりすごい。我ながらそう思った。
悲劇はその時に起こった。
気を良くした公爵がつんのめって転倒し、弓を自分の巨体で折ってしまったのだ。
「は、はは……気にするようなことではない。この程度はワシのコレクションの一つに過ぎない。別のものを用意するから捨てておいてくれ」
真っ青になって両手で口を押えているモルガナに涙目の公爵はそう言ったのだった。
モルガナに武器製造の知識はない。だが、マジックアイテムの回復方法を知っている。マジックアイテムにはマジックメモリーと呼ばれる特質が備わる。つ
まりその道具が自身を状態記憶するのだ。この状態記憶を辿ることによってマジックアイテムは劣化や破損を回復できることがあるのだ。
しかしすでにこの世から途絶えた技術でもある。
途絶えてはいるのだが、モルガナが使えない、そういう意味ではない。
モルガナ以外が使えない。
そういう意味だ。
VIP客以外は入ってこない大きなトイレの個室。そこで両の手のひらを天井に向けたモルガナの眼前、空中に壊れた弓が浮いている。
ペキ・・・、ペキッと音がして折れた部分が接合し、欠けた部分が再生していく。ゆっくりと時間を掛けて。
我ながらいい出来だとさっきまでは思っていたこの弓だが、よく見れば雑だし仕事が荒い。
まだあの頃は若かったのだと自嘲気味に笑う。
フッ……。
失われたロストスペルを使いこなすその能力のヤバさも、自嘲に満ちたその表情のイタさも含め、人には見せられない姿だ。幸いここには誰も来ない。
蘇った弓は壊れる前の1.3倍ほどの能力を持つだろう。仕上がりを見て今度こそいい仕事が出来たと喜ぶモルガナだった。
あとはどう切り出すか。それだけだ。




