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第70話 見習い

 その日、王宮ではセレモニーが終了し、参加者に昼食が振る舞われていた。侍女見習いの10人も会場の給仕を手伝っている。アガサはふとモルガナの持っている手洗い用の水盤に目をやった。

「モルガナさん、それは?」

「いい香りしますよね。見た目にも華やかですし」


 モルガナは水面にいくつも花の花びらを浮かせていた。

「なるほど、なかなかいいアイデアですね」

 頷くアガサにニコッと微笑み返し、モルガナは先を急いだ。

「アガサさま、あの娘……」

 シュリーがアガサの隣に来ていた。

 今回の昼食では、モルガナがいつも持っている小ナイフをスプーンと共に提供している。モルガナはいつも普通のナイフの他に、錐や刺突剣のような形状のナイフを持っており、それら二本のナイフを使って指を汚すことなく食事をするのだ。

 今回はそのモルガナのナイフを模倣したものが用意されている。


「ええ、シュリー。あの若さで古今の礼法、古典に精通していて、それでありながら革新的発想も備えています。リーヴ様がわざわざ強引に枠を空けてあの娘をねじ込んだのも、今なら頷けます」

「え、枠は候補の令嬢の結婚が決まったから空いたのでは……」

「そのご縁もリーヴ様が裏で糸を引いていたのです。わざわざ今回の件と結婚の時期をぶつけて。つまり意図して枠を空けるつもりだった。イレギュラーに見えるようにしながら。恐らくですが、リーヴ様はモルガナを家柄の良い貴族の養子にし、その上で妃候補として立てる算段でしょう」


 そうかもしれない。ありえる話だ。

 そうでなくてはあのリーヴが、侍女ごときにそこまで骨を折るはずがない。

 シュリーは頷いた。ならばその時の侍女頭は手塩にかけて育ててきたカイが勤めるだろう。


 王宮の秩序を裏で支えてきたアガサやシュリーにとって、その未来は彼女たちが望む理想に限りなく近い。

 明るく聡明な王妃に厳格で有能な侍女頭。いやむしろ想像以上に眩しい未来を予感させるのだった。

 ちなみに水盤に花びらのアイデアはこの日の夕、晩餐会から一斉に実施された。もちろん参加者の間で好評だったという。



「モルガナさまあ~」

「やめてよ、気持ち悪い」

 気持ち悪いと言っているのはモルガナ。

 言われているのはレベッカとアンだ。

 レベッカは自信に溢れて、しかし少しの不安を抱えて王宮になってきた。幼少時より叩き込まれた礼法や知識、教養に間違いはなかった。不安は少しずつ解消され、構えて硬くなっていた心も解れていく。


 もともと善良で心優しいレベッカだ。男爵家出身のアンとも打ち解け、そして見据えるべき目標にもきちんと敬意を払うことが出来た。その対象が平民のモルガナだ。

「でも、モルガナは将来の王妃候補かもしれないと噂になってるよ。なら今のうちにしっかり懐にはいっておかないとね」

「なしてよ。王子なんて会ったことないし、試験期間が終わればあたしはこんな窮屈なとこ離れて自由に羽ばたくのよ」


「ふうん。それはそうと、今日からオズワルド公爵様がお見えになるそうよ。なんと王都に見えられるのは10年ぶり」

 王から王国の版図の4分の1近い領地の支配を許された、王国一の貴族或いは王をしのぐ権勢の持ち主だ。

 事情に詳しいレベッカがいかにオズワルドが大物かを説明してくれた。


「でもオズワルドさまの支配する領地は山林ばかりで貴族も土着の伯爵が多く、中央に倣いたがらない反骨の土地柄よ。だから先々君は一族の血の濃いものをこの地において慰撫に努めたのよ」

 そう補足するのがモルガナだ。

 なにしろオズワルドとは会話をしたこともある。


 黒い魔女の時に。オズワルドは先君の異母弟だが兄とは年齢が離れていて王位継承の可能性も低く、王宮から疎ましがられていた。

 先君は腹違いの弟を、領地だけは広い反骨の地に送ったのだ。

 気紛れだったのか。当時の黒い魔女は、その立場に心を寄せた。


「モルガナってば、何でも知ってるのね……」

 レベッカも呆れ気味だ。

「私が知っているのは歴史と地理の中で起こった事実だけ。レベッカのように生活の一部として知ってるわけじゃないから」

 公爵家出身のレベッカは、遠目ではあったが、オズワルドを実際に見たこともある。


 三日後の昼過ぎ、王宮に馬車が到着した。国賓級の出迎えの列。リーヴもラフカもいる。

 モルガナは内心舌打ちした。黒い魔女時代の記憶と知識はいつも断片的。しかし知っている事、気付いたことは無視できない。オズワルド公爵は洒落者だ。特に靴にはこだわりがあり、光沢を放つまで鞣して磨いたレザーの靴を好む。靴底は堅牢だが木製で滑りやすい。


 馬車の停車位置に置かれた足場は薄く削った大理石をはめ込んであり、見た目はいいが、これではきっと滑る。オズワルド公爵は太っている。

 モルガナはダッシュで王宮の中に戻り周囲を探す。

 いいのがあった!

 花瓶に敷かれた毛氈を引き剥がして小脇に抱え、馬車目がけて取って返した。ギリギリ馬車が停車のタイミングだ。


「ラフカさん、逆よ!ドアの右じゃない、左に寄って肩を貸して!」

 走ってきた女に近衛騎士たちに緊張が走った。

「待て、王宮の侍女だ。このまま進めろ」

 ラフカは周囲に指示すると同時に、馬車のドアの前に立つ位置をモルガナの言う位置に移動した。


 モルガナが毛氈を足場に敷き、膝をついて、しっかり手で押さえる。ラフカはその様子を確認して馬車の取っ手に手を掛けた。大きな腹を揺らして公爵が出てくる。

肩を貸して

 モルガナの言葉を思い出して身を屈めるラフカ。


「おお、気が利くな」

 公爵は右手に杖をもっており、左手でラフカの肩に手を掛け、毛氈に足を置いた。艶やかなレザーの靴。

「……!」

 この日のために新調したものであることが見て取れた。

 そしてモルガナの意図を知り、リーヴもアガサも表情を強張らせる。

 仮に転倒でもしていたら……。


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