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9.チャリで来た!




 狩野田宰はスーパーアルファだ。


 彼はただひたすらに愛するひとを想い、ママチャリで東京を目指していた。大阪を出発して以降、彼はほとんど休息を取らなかった。


 愛するひとの身に何かあったのかもしれない。それを思えば、いてもたってもいられず、彼は終始立ち漕ぎだった。一般的にママチャリは時速20キロ程度の速度しか出ない。しかしスーパーアルファたる宰の脚力と体力によって、単なるママチャリは限界を超え、ときに30、ないしは40キロの速さで風を切った。宰はママチャリと一体になり、無心に進むその姿は疾風はやてのようであった。


「ふふ、僕には分かる……ッ! 君の本当の実力が……ッ!」


 宰はママチャリに、心が宿っているのを感じていた。種族を超え、相棒としての深い繋がりを築いたのだ。宰はその自転車にアルジャンテ(フランス語で銀色の意)という名を与え、互いに励まし合った。


 だが、たとえスーパーアルファといえど、宰の体力は着実に削られていった。減っていくモバイルバッテリーの充電、水分補給のためやむなく消えていく、なけなしの所持金。宰は精神的にも追い込まれ始めていた。けれど東京で心細さに震えているであろう航太を思えば、その心は何度も強さを取り戻した。


「航ちゃん……ッ!」


 秋の夜の国道は残酷なほどに冷えたが、宰の心はボウボウに燃え続けていた。しかし非情にも、限界は突然訪れた。


「ぐわああああああッ!!」


 ——ギャギャギャギャギャ!!!!


 日が傾きかけた国道で、火花を散らしながら宰はママチャリごと転倒した。武術の心得がある宰はふわりと華麗に受け身を取ったが、所詮量産型でしかない自転車アルジャンテはそのまま地面を滑り電柱に衝突し、耳障りな金属音を響かせた。道には、むなしくも摩擦による白煙が上がっている。


自転車アルジャンテ……ッ!!」


 宰はすぐさま戦友ともに駆け寄ったが、自転車アルジャンテは何も言わず、じっと宰を見返すばかりだった。通りがかった人々は怪訝な目で、自転車と話す青年を見つめるばかりである。


 自転車アルジャンテはパンクしていた。前輪、そして後輪も。大阪からの激しい酷使に、ついに耐えられなくなったのだ。チェーンはまだ切れていなかったが、もはやこれ以上、スーパーアルファである宰の立ち漕ぎには応えられない状態であった。夕陽に照らされる自転車アルジャンテのハンドルを宰はそっと撫でる。


「くっ……やっと横浜まで来たというのに……っ!」


 そう、彼らは東京のすぐそばまで来ていた。愛するひとの居場所までは、あと少しである。

 しかし現実は厳しかった。自転車アルジャンテという移動手段を失って、宰は心が弱っていくのを感じた。彼自身の身体もまた、限界に近付いていたのだ。


「……航ちゃん、許してくれ」


 宰は力なく言った。もはや四肢は萎え、空腹がキリキリと彼を苛んだ。ここからはもう、進めない。宰が初めて感じた挫折だった。


「そうだ、皆にも……」


 この道中、見知らぬ戦友ともたちがずっとTwatterで励ましてくれた。冗談の上手い奴らが「ストーカー」とからかってくることもあったが、宰はそのじゃれあいすら心地よく感じていた。しかし、その楽しさもここで終わりだ。


 ——横浜まで来たけど、パンクしてしまった。もう進めない。応援してくれたのに申し訳ない。


 充電が残りわずかなスマホで、それを打ち込み、投稿する。無力感が宰を支配した。愛するひとの安否も確認できず、何が運命のつがいだ。彼は自らを役立たずだとすら感じていた。宰の目頭が熱くなり、じわりと涙が滲んだ……そのときだった。


「え……?」


 突然Twatterの通知が大量に届き始めたのだ。この旅の間に、十二人だった宰のフォロワーは千人近くにまで膨れ上がっていた。




 ◆◆◆




 ツカサ! 諦めるなよ!!



 がんばれ。



 航ちゃんが待ってるぞ!



 ええ……大阪戻った方いいよ……



 お前ならできる!



 負けるな宰



 超応援してます



 お前ら悪ノリやめろって



 歩けw



 がんばってください!



 よ、横浜!?!?!?



 ツカサがんばれ!



 超絶支援



 まけうなああああ!!!!



 航ちゃんまじ警察行って



 もう少しだ、がんばれ!



 負けないでほしい



 お前の力はそんなもんじゃない



 ストーカーの移動速度速すぎわろた



 航ちゃんに会いたくないのか?



 行け!!!!



 前に進むんだ、ツカサ!





 ◆◆◆




「みんな……」


 宰の頬には、美しい一筋の雫が流れていた。人の温かさが、彼の胸を打った。

 一人じゃない。応援してくれる人がいる。

 その事実は宰を奮い立たせた。


 彼は小さく笑って涙を拭うと、自転車アルジャンテの手を取って立ち上がらせた。パンクしても、ホイールは生きている。自転車アルジャンテがすべてを理解して微笑んだように見えた。


「はは、恥ずかしいな。パンクくらいでうろたえて……」


 夕陽が宰の顔を照らした。そこに先ほどまでの絶望の影はなかった。彼はもう一度立ち上がったのだ。目的がある。会いたいひとがいる。不可能ならば可能にするまでだ。なぜなら。


「僕は、スーパーアルファなのだから」


 はっきりとそう言い切ると、宰は自転車アルジャンテをその身に寄りかからせ、リュックを下ろす。荷物は最小限にしてきた。しかし、どうしても置いてこれないものがあった。


「航ちゃん……」


 リュックのなかから取り出したのは、真空パック詰めされたスウェットだった。宰と航太を繋ぐ、はじまりのスウェット。宰はこれをお守り代わりにリュックにしまっていた。これをそばに置いておけば、いつでも航太の存在を近くに感じられたから。しかし、今このときだけ、宰は航太にすがりたいと思った。


「力を、貸してくれ……!」


 きつく密閉されたパックの口を、宰は勢いよく引きちぎった。途端に、愛するひとの香りが広がっていく。


「あああああっ……!」


 たまらず宰は、スウェットを顔面にのせた。肺いっぱいに空気を吸い込み、わずかに残る航太の匂いを探る。封印を解いてしまうことで、香りが霧散してしまうことが悲しかった。しかし、豊潤な香りは宰の心を確実に癒し、乾き切った砂に水を注ぎ込むかのように彼を満たしていった。


 宰にとって、それは航太からの抱擁に等しかった。この間、道行く人々は怯えた表情で宰を避けた。


 数分間航太の香りを堪能した後、宰はスウェットを強く抱きしめた。彼の身体は超回復を遂げていた。疲労も空腹も、もはや彼の敵ではない。視界が開かれ、クリアになっていく感覚があった。この先に、愛するつがいがいる。研ぎ澄まされた嗅覚が、航太の居場所へと導いてくれるようだった。つい一日前に見た夕陽と同じ朱に微笑みかけながら、宰は言う。


「陽はまだ、沈まない……!」


 強く放たれたその言葉に、傍らの自転車アルジャンテが笑った気がした。




 ◆◆◆




 シャリシャリと不穏な音を鳴らしながら、宰は目的の場所へと向かった。夜のとばりが降りた街中を、宰と自転車アルジャンテは進んでいく。


 立ち漕ぎは控えたが、スーパーアルファの強靭な脚力で、彼らは東京へたどり着いたのだ。自転車アルジャンテはホイールをすり減らしていたものの、宰の願いを叶えるべく最後まで耐えてくれた。


「ここだ……」


 そして、宰はたどり着いた。何度もゴーゴルアースで見ていた、航太の住むアパート。さまざまな角度から確認していたため、入口がオートロックでないことは分かっている。

 すん、と鼻を鳴らすと、愛するひとの香りが漂ってくるように思えた。スマホの充電はとうに切れている。身ひとつの状態で、宰は航太に会おうとしていた。


「ふふ、緊張するな……」


 アパートの外観からでも、航太が「居る」ことはすぐに分かった。強烈に惹かれる感覚。運命のつがいが、すぐそこにいる。


自転車アルジャンテ、ここで待っていてくれ」


 駐輪場にボロボロになった戦友ともを立てかけ、宰は迷いなく階段を登った。部屋番号から、おおよその位置は把握してある。

 階段を上って手前から三番目。そこが航太の住む部屋だ。ドアの前に立ち、インターホンに手を伸ばす。


「…………」


 宰は胸の高鳴りを抑えられなかった。これまで迷うことなどなかったはずなのに、ドアの向こうに感じる尊い気配に畏れすら感じていた。


 ——航ちゃんと、やっと会える。


 深く息を吐き、宰は震える指でインターホンに触れた。

 そのときだ。ドアが、ガチャリと音を立て開いたのは。


「えっ……」


 ドアチェーンが軋む音とともに、隙間から勢いよく銀色の物体が飛び出してきた。宰は驚きつつも持ち前の反射神経でそれを避ける。それはトングだった。バーベキューで使うような、カチカチ鳴るタイプの、トング。ドアの隙間から、地を這うような声が聞こえた。


「……それ以上近づくな」

「…………!」


 その声を聞いた瞬間、宰はびりびりと全身が痺れるような心地がした。そして漏れ出てくる香りに、めまいを起こしそうになった。


「航ちゃん……!」

「…………」

「やっと会えたね! よかった、元気そうで!」


 宰の運命のつがいが、そこにいた。真っ暗な室内のなかから、顔半分だけを覗かせこちらを睨め付けている。その目は血走り、目の下には濃い隈ができて全く元気そうではなかったのだが、恋する宰の第一印象は「宇宙一かわいい!」というものだった。宰のテンションは過去最高に爆上がりだった。


「航ちゃ」

「航ちゃんって言うな!」


 夜のしじまに、悲痛な叫びとトングのカチカチ音が響く。不思議そうに首を傾げた宰を見て、航太はなおもトングを振り回した。航太にとって、これが唯一の武器であった。


「なな何しに来たんだよ!」

「会いに来たよ、航ちゃん! おまたせ!」

「待ってないよ!」

「遅くなってごめんね」

「遅くない! おかしいだろ! なんでこんな早いんだよ! 550キロだぞ! なんで一日で来れるんだよ!」

 航太はパニック状態にあった。横浜で諦めた、とTwatterでそう投稿していたから安心していたのに、突然宰がやってきたからだ。


 そう、航太には分かってしまった。「自分にとって特別な存在」が近付いてくるのを、直感的に感じてしまったのだ。昼間にあの怪文書——宰からの封筒を開けたとき、部屋中に芳しく甘い香りが広がった。航太の脳を直接揺さぶるような、強烈な香り。


 しかしなんとか理性を保ち、航太は鼻にティッシュを詰め込んで、決死の覚悟で封筒の中身を確認した。なかにはトチ狂った和歌が詠まれた和紙が詰め込まれていただけだったが、鼻の奥には香りが残った。油断すれば封筒に顔を近付けて匂いを吸い込みたくなる欲望と戦いながら、航太は再び封筒を封印した。これは焼かなければだめだ。そう、強く決意して。


 封筒から漏れ出た香りは、故意的に付けられたものではない。宰が少し触れただけで移った、ほんのわずかな香り。航太の鼻は、その微かな香りを拾い上げてしまった。ほかのアルファとはまるで違うもの。自分だけに作用する、特別なアルファの香りだと、航太は認めざるを得なかった。


 しかしだからといって、航太は絆されなかった。特別な存在に出会った喜びよりも、度重なるストーカー行為で受けた恐怖心の方がはるかに大きかったからだ。


 ドアの前に立たれたとき、航太は宰を追い返そうと思っていた。だが、ドアを開けて目が合った瞬間、びりびりと全身が痺れる感覚があった。


 運命のつがい。都市伝説めいたその存在。

 もしかしたらそれは本当なのかもしれない。

 そう感じるほど、宰を目にしたときの衝撃は強かった。だが。


「航ちゃん」

「……だから航ちゃんって言うな」

「僕はスーパーアルファだから、大阪からもすぐ来れちゃうんだ」

「…………」

「本物の僕、どうかな? 結構イケメンだって言われるんだけど」


 本物の宰も、画面越しに会話したときと同じく気持ち悪かった。照れつつもドヤ顔をしてくるのがまたきつい。隙あらばドアに近付いてこようとする宰を、航太は何度もトングで突いて押し返した。


 ——こんなつがいは嫌だ。絶対に。


 そう思うのに、反面、本能は宰に惹かれている。航太はそんな自分がおそろしかった。宰は航太をうっとりと見つめながらリュックを下ろすと、中から服のようなものを取り出した。


「航ちゃん、これ」

「…………?」

「これに支えられて、僕はここまで来たんだ」

「ひぇっ……」


 広げて見せられた瞬間、航太はか細い悲鳴を上げた。それは航太が売ったはずのスウェットだった。宰が持ち歩いているという事実に、航太は完全に引いていた。もちろん宰は、そんなことには気付かない。


「このスウェットから、いつも航ちゃんの愛を感じてたよ……」

「きも……」

「やだな、照れないで」

「…………」


 絶対に心を許してはいけない。こんな狂人を受け入れてたまるものか。この短期間でメンタルをある意味鍛えられた航太は強く決意した。じりじりと再び距離を詰めようとしてくる宰にトングを振りかざしながら、航太は冷たく言い放つ。


「……とにかく帰って」

「ふふ、航ちゃんは冗談が好きなんだね」

「本気で言ってるんだけど」

「せっかく会えたんだからたくさんお話ししようよ」

「しない! 話すことはない!」


 まさに暖簾に腕押し。完全に浮かれている宰に何を言っても、話が成立しそうにはなかった。孤軍奮闘しながらも、航太はぐらぐらと揺れる脳を必死に励まし続ける。


 がんばれおれ。超がんばれ。こいつはストーカーだ。頭が良くて金持ちなだけのやばい奴だ。常識もなければ話も通じない危険な男だ。


 ——だからこんな奴を、めちゃくちゃカッコいいな、とか、キラキラして見える、なんて思ってはいけないんだ。


 葛藤する航太をよそに、美しい顔をほころばせて、宰は明るく口を開く。


「ところで航ちゃん」

「だから航ちゃん呼びするな」

「僕、お金がないんだ」

「……あっそ」

「というわけで、一晩、泊めてほしいな!」


 宰の周りがぱっときらめいたのを見ないふりして、航太は低い声で答えた。


「絶対嫌だし、絶対無理」


 その後、このふたりが交際を開始するまで三年、婚姻して正式なつがいになるまでさらに五年の歳月を要したという。






 このときのふたりは、まだその未来を知らない。







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