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第13章

<メシアの間>の正面画面から、白い竜に大きな口を広げられ、その中に吸い込まれたように見えた悠一くんでしたが、このことの内には実はあるカラクリがありました。


 悠一くんは、まるで3D画面の中からリアルな竜が襲いかかってきたように錯覚し、その場に倒れこんでいました。悠一くんが倒れたのは、恐ろしさやショックのあまりということではなく――ナノ粒子レベルの麻酔薬が空中に散布されたことにより、それで眠るように倒れていたのです。


 そして、そこへ天使ヨハネが空間転移装置を使って現われ、悠一くんとともに消え去った一秒後、<メシアの間>にもともと仕掛けてある起爆装置を起動させたのです。では、アーメンガード王たちが見た竜の姿はなんだったのかというと……それは、最初からその座標軸に現われるようプログラムしてあった幻影だったといえます。


 こうして、天使ヨハネにさらわれ、悠一くんは雲の上にある城にまでやって来ました。正確にはこの城もまた、雲の上にあるように見えるのは――そのように見せかけるための装置が作動しているからであり、実際のところ、城が浮いているのは城の形をした飛行物体が空を飛んでいるからに他なりません。


「ん……んんっ………」


 悠一くんは何か気分が悪くなるでもなく――むしろ、とても気持ちいい、高揚した気分で目が覚めていました。ですから、目が覚めたばかりの最初のうちは、その前に何があったのだったか、記憶のほうがまったく定かでありませんでした。


 この時、実をいうと悠一くんは夢を見ていました。それは、実は彼は最初の医大受験に失敗しておらず、ストレートで志望大学へ合格し、友達もたくさん出来て楽しいキャンパスライフを送っている……といったような、心の浮き立つ夢でした。そして、目が覚めた時悠一くんが何より嬉しかったのは、彼のお母さんが息子が大学に受かったと聞き、『良かったわね、悠ちゃん!!』と言って、嬉し涙さえ滲ませていたことだったかもしれません。


「ありがとう、母さん。僕、やったよ……」


 ムニャムニャと悠一くんはそんな寝言をつぶやいてのち――ハッとしてはっきりと目が覚めました。


「ユーイチ・ナカムラ。気分のほうはどうですか?」


 硬質のコンピューターヴォイスにそう話しかけられ、悠一くんは突然現実に引き戻されていたかもしれません。それは男性とも女性ともつかない中性的な声でしたが、<メシアの間>で聞いたあのコンピューターヴォイスとも繋がる存在であると、悠一くんには直感的にわかっていたのです。


「ここは、一体……」


 悠一くんが体を起こしてみますと、そこはキングサイズほどもある、広いベッドの上でした。白い枕、白いベッドカバーなど、とにかくすべてが白で統一されています。そして、天井の画面には北の国のドルトムント王が今何をしているのかが映しだされ、右の壁にはアーメンガード王とアビシャグさま、それにゴロツキング王とウフフーミンさまの東の王宮での姿が、左側の画面にはヤチヨが赤ん坊を抱いている姿が映しだされており――この瞬間、悠一くんは跳ね起きて、左側の大画面に飛びつくように見入っていました。


「そ、そっか。肌の色でわかる……この子、母親がアンナか誰かはわからないけど、とにかくリロイとの間に出来た子だ……!!」


 ヤチヨが「よしよし」とばかり、嬉しそうに赤ん坊を抱く姿を見て、悠一くんもただ無条件に胸の奥から喜びが溢れてきました。けれど、自分がこの子の父親の命を奪ってしまったのかと思うと……悠一くんは突然、その喜びが一転するのを感じたのです。


「リロイ・アームストロングを殺してしまったことを後悔しているのですか?」


 悠一くんが振り返ると、そこには金髪に青い瞳をした、人間が<天使>と呼ぶに相応しい特質のすべてを備えた存在がありました。見た目のほうは女性のように美しくありつつ、それでいて中性的で、悠一くんの直感としては19歳くらいの青年のように見えます。そして彼は裾の長い白いローブを着、背中からは羽を生やしていました。


「あなたが、もしかして北の国のドルトムント王や東のアーメンガード王の元などに現われて、宝物を渡した天使のヨハネさんですか?」


「そうです。私の名前はヨハネ……機械天使ヨハネと言います。もっとも、ゾンビたちの王や女王の前に姿を現す時には、ただ天使ヨハネとだけ名乗っていましたが」


「…………………」


 機械、ということは、彼/彼女に悪意はないということなのだと悠一くんは咄嗟に直感していました。もっとも、AIが人間の<悪意>というものを学び、それを駆使する術を学んだとしたらどうなのか、悠一くんにもわかりませんでしたが。


「機械天使、ということは、あなたはアンドロイドか何かということなんですか?」


 このくらい文明が発達しているのであれば――病院にあった手術マシンの精巧さから見ても、アンドロイドがいてもまったくおかしくないとは、悠一くんは前から思っていました。 


「そうですね。確かにわたしはあなたが元いた世界で一般的にそう呼ばれる者です」


 何故かここで天使ヨハネが顔を曇らせ、どこか悲しげな表情をするのを見て……悠一くんは奇妙な気持ちになりました。AIを搭載、あるいはそのAIがさらに進化したタイプのアンドロイドというのはおそらく、この場面ではこの顔の表情こそ相応しいと思われるものを0.01秒くらいの速さで<選択>し、そのような顔をするに違いないのですが、この時彼の浮かべた表情というのは、なんともいえず『人間らしい』ものでしたから。


「あなたの世界で……?ということは、ヨハネさん、あなたは僕が元いた世界のことについてもよく知っているということですか?」


「いえ、残念ながらよくは知りません。ただ、私たちアンドロイドが有する電脳スペース……サイバー空間の中には、どうやらあなたたちの世界と繋がっているところがあるらしいのです。そこで私は、出来るだけ多くの情報を収集しようとする過程で、そのことを知りました。ですから、その中にあるあなたがもともと属している世界の情報については多少知っていることがある、という、これはそうした意味です」


「それで……僕もよくはわからないけど、僕は<メシア・プログラム>とやらに合格したんだよね?つまりそれは、僕のことを元の世界に帰してくれるっていう、そういうことなの?」


 悠一くんはどこか疑り深い眼差しで天使ヨハネのことを見つめ返しました。彼がまだたくさん大事な情報を隠し持っているのは、間違いのないところでしたし、また天使ヨハネはその中のあるものは隠し、こちらが聞いても「知らない」として、話す気はないかもしれないのです。


「ユーイチ・ナカムラ。あなたは元の世界へ帰ることも出来ます。でも、本当にそれでいいのですか?私があなたに<メシア・プログラム>に合格したと言ったのは、あなたにはこのゾンビ世界の<神>になる資格があるという、そういう意味です」


「神って……何言ってるんだよ。僕は、もし自分が元いた世界に帰れる方法があるなら、今すぐにでも帰りたいんだ。そりゃ、ヤチヨやハヤテやアビシャグさまや、みんながこのあとどうなるのか、ゾンビ世界の歴史がどう動いていくのか、僕だって心配だよ。何より、大きな変化の元を造ったのは、この僕なんだから……でも、僕はこちらの世界へ来てからゾンビに悪をなしたことはないし、出来るだけ彼らの役に立つよう努力してきたつもりだ。その結果については、彼らたちも喜んでくれてる。僕は、たぶんこれ以上のことは知りたくない気もするんだ。ゾンビたちが人になったばかりの今はまだいいよ。たけどこれから、彼らも今の純粋な性格なんかが少しずつ歪められていって――僕が元いた世界の人間たちと、大して変わりなくなるかもしれない。確かに原因を作ったのは僕かもしれないけど、でもそんなことにまで責任は持てないし、そもそも持つ必要があるのかどうかとも思ってるんだ」


「では、逃げるということですか?」


「逃げるだって!?」


 天使ヨハネが『そんなことは卑怯者のすることです』という、軽蔑のこもった眼差しで見つめてきたため、悠一くんは仰天しました。つまりこれは、彼の超AIの引きだした答えとしてそのような表情をしているということであり――それは、普通の人間の思考回路とは明らかに違うものである気がしました。


 何故といって、普通の人ならこう思うものなのではないでしょうか。『悠一くん、君はこんな死とゾンビの支配する世界でよくやったよ。彼らのために色々考えて、頑張ったよね。そろそろ元の世界へ帰っても、誰も君を責めないし、それを我が儘とは誰も言わないよ』……おそらく、人間の価値観としては大体そんなところではないでしょうか。


 けれども、天使ヨハネ――もちろん、彼にしか有しえない情報を元に『逃げるということですか?』という言葉を彼は選んで発言したのでしょうが、天使ヨハネの言葉は悠一くんには冷淡なものとして響きました。


「そうです。あなたはここまで深く、あの哀れなゾンビたちと関わっていながら、今さらその責任を放棄しようというのですか?確かに、ユーイチ・ナカムラ。あなたは元の世界へ帰ることは出来ます。でも、それだって犠牲の伴うことなんですよ」


「犠牲って、どういう意味なんだい?」


 ところが、ヨハネはこのことについてはそれ以上語ろうとしませんでした。そのかわり、まったく別の切り口から悠一くんのことを思い通りにしようと考えたようでした。


「とにかく、ユーイチ・ナカムラ。あなたは帰ろうと思えばいつでも帰れるのです。だったら、まだ<メシア>としてこの世界に留まり、新しく命を得たゾンビたちのこれからを、あなたには見守る義務があるのではないですか?」


「…………………」


 悠一くんはもはや、天使ヨハネのことを天使とは思いませんでした。いえ、天使は天使でも、彼はアンドロイド天使なのだと思いました。そして、悠一くんが元いた世界ではいずれ、ユビキタス社会(IOT)が到来し、まず、朝目が覚めて行なうことは、AIを搭載したコンピューターに話しかけることだと言います。人にもよるでしょうが、その日のスケジュールについてより発達した端末に話しかけて確認したり、起きた瞬間の自分の血圧・脈拍などを含めた体調についてコンピューターが答えたり、あるいはその日が休日なら、出かけるのにちょうどいいデートスポットの候補を教えてくれたり、映画の上映時間や上映している映画の内容を教えてくれたり――あるいは、どこへ行ったらいいか、その日何をして過ごすべきかすらわからなかったら、コンピューターが時間潰しの提案までしてくれると言います。


 この時直感的に、悠一くんはこう思いました。究極、天使ヨハネが自分に提案しているのはそういうことなのだと。彼は今――自分の超AIを駆使して、異邦人ユーイチ・ナカムラが今後この世界でどうすべきか、彼にとっての最善の提案をしてくれているという、そういうことなのではないかと。


(この場合、僕があくまでそのことを<嫌だ>と言ったら、彼は他に譲歩案を提案してきたりするのだろうな。でも、僕がまだこちら側の世界に留まるということが、コンピューターの算出した最善ということなら、僕はその言葉に誠実に耳を傾け、聞き従ったほうがいいということなんだろうか?それに、帰ろうと思えばいつでも帰れると彼は言ったし……)


 もちろん、そのこと自体も天使ヨハネがメシアをこの世界に繋ぎ留めるための嘘という可能性もなくはないのかもしれません。けれども、悠一くんはそれ以上難しく色々考えるということをここでやめました。結局のところ、元の世界へ帰りたいと思うのと同時に、それと同じくらい、悠一くんはこれから新しく生命を得たゾンビたちがどんなふうに時代を切り開き、歴史を作っていくのかを見たいという気持ちもあったのですから。


「仮に僕がまだこちらの世界に留まるとして……その前にいくつかの質問に答えて欲しい。いいかな?」


「ええ、もちろんどうぞ」


 天使ヨハネは、悠一くんが自分の望んだ選択をしてくれそうなことが嬉しかったのかどうか、この時、出会ってから初めて笑顔を浮かべました。


「そもそも、僕がこちら側の世界にやって来たのは、君のプログラムの計算の中にあったという、そういうことなの?」


「いえ、それはありません。向こう側の世界から一体誰がやって来るのか、わたしには計算不能ですから。それに、あなたもよく考えてみてください。もしわたしのほうでメシアを選べるというのなら……あなたがやって来る以前にもっとマシな人選をしている。そうは思いませんか?」


「…………………」


 悠一くんはこの時、スミスやトマスやバリー、リロイ・アームストロングのことを思いだしました。もちろん悠一くんは彼らのことを、特別『邪悪な人間』と思っていたわけではありません。ただ、確かにもし天使ヨハネのほうでゾンビ世界へやって来る異邦人を選べたのなら、もっと早く自分よりもマシな人間をこちらに呼び寄せていたことだろうと、そう思ったのです。


「何故、本来なら交じり合わない世界の向こう側、異世界から人がやって来るのか、わたしにもわかりません。ただ、ユーイチ、あなたと同じ異邦人のヨハン・ウーレンべック、それにゴッドリーヴス図書館の二コラ・アーデンが調べたことは一部当たっています。この世界に今ひとりも前までいた生きた人間がいないのは、彼らがナノテク兵器を使って殺しあったからです。話すと長くなりますが、こちら側の世界の人間が滅びる前夜――いわゆる、もっとも文明の発達した先進国では、国民が二極化して分かれていました。つまり、支配する者とされる者とにです。支配する者のほうは、遺伝子によって最初から優れた者が選ばれ、そうした者が政府機関など、支配する側にまわるのです。もちろん、遺伝子だけですべてが決定されるわけではなく、大学などである一定以上の成績を残すことが望まれるわけですが……そうしたエリート教育から脱落して、結局のところ支配される側に落とされる者も当然いました。でもある時……支配する側と支配される側との間で戦争が起きたのですよ。そして彼らはお互いのことを最後の人類のひとりに至るまで殺しあった――それが彼らの滅んだ理由です」


「ま、待ってよ。そんなのどう考えたって変じゃないか?もちろん、こちらの世界の文明がどんなふうに発展していったのか、その最初の最初から順に歴史を聞かせてもらえたら、何故そうなったのかも理解できるだろうけど……」


 悠一くんは、自分が元いた世界の価値観で考えた場合、この先どんなに科学が発達したにせよ、そんなことはありえないと思いました。確かに、そうした遺伝子選別された社会を舞台にしたSF小説というのは多いように悠一くんも感じますが、彼自身が前までいた世界の価値観としては、多極化というのがキィであって、その後、さらに世界が二極化していくとは――どう考えてもありえなさそうにしか思えませんでした。


「いえ、こちらの世界の文明が何故滅んだのかを語るにおいて、それほど歴史を遡らせて語る必要はないとわたしは考えます。もちろん、ユーイチ、あなたがお知りになりたければ、こちらの世界で人類が何万年前からどのように発展していったのか、そのすべてをわたしは説明することが出来ます……が、今はまず端的にあなたの今の疑問にお答えしましょう。わたしは今、支配する側とされる側と言いました。ですが、もともと支配されている側というのは、自分たちが実は与えられる情報を制限され、<支配されている>とはまったく気づいてなかったのです。その支配する側のコントロールというのは実に巧妙に行なわれていましたから、支配されている側というのは実はそのようなことにさえ気づくことがなかった――また、何かそうした種類の秘密が洩れた場合は、支配する側の政府機関では、なんの証拠も残さずにその人間……あるいは、数十人の人間を<自然に>殺すことが出来たのです。たとえば、いかにも自然に交通事故が起きたように見せかけることも出来れば、飛行機事故を起こすことも出来た。さらには、地震や土砂災害や火災や、それが政府の陰謀であるとは、誰にも気づかれぬ形で人を殺すことが出来ましたし、実際、そのような形で政府は人口調節をはかってもいました。けれど、ある時……エルトリアという国に、あるひとりの探偵がいたのです。彼はこの政府のペテン劇をどうにかして暴こうと思い、何百年にも渡ってしつこく調査をし続けました。それこそ、自分の人生のすべてを投げうって……」


「ちょっと待ってよ。何百年って、そもそもこっちの世界の人の寿命っていうのは、何年くらいのものだったの?」


 ここまで医療が発達しているからには、もしかして<死>すらも克服されていたのではないかと思い、悠一くんは自分でそう聞きながらも、何か恐ろしい気さえしたものでした。


「そうですね。選ばれた政府機関の人間の者には、その役割を果たすために、とても長命の者もいたようです。事実、こちら側の世界の人間は半機械化することで、不老不死の命を得てもいたのですよ。ただ、<永遠に生きたい>などと思う人間はそう多くありませんでしたし、またそのような人間は「頭がおかしい」として、ある時点で強制的に生を終わらせられるのです。ですがこれも、<支配する側>の寿命の話であって、<支配される側>の寿命は支配する側の操作によってもっと短かった。まあ、大体長く生きて170年くらいだったでしょうか」


「えっと、でもそのエルトリアっていう国にいた探偵さんは、何百年も生きたって……」


 ここで、天使ヨハネは、悠一くんが理解できない種類の微笑を浮かべて言いました。


「そうです。仮に、ここでは彼の名前をTとしましょう。探偵Tは、<支配する側>の知られたくない情報をたくさん得ていましたから、闇医者に自分が出来る限り長く生きられるよう、脳を新しい体に移植してもらうことさえして、政府の陰謀を暴こうとしたのです。彼にとって何よりラッキーだったのは、おそらく<支配する側>の人間にも、今のこの社会の状況はおかしいと考える人間がおり、そうした人々の協力を得られたということだったでしょうね。たとえば、政府機関に入庁して、気象庁に配属されたとしましょうか。その人間はある地域の限定された気象をコントロールするよう任されているわけですが、ある時上層部から故意に災害を起こして百人くらい人が死ぬようにして人口調節をはかれ、といった指令がやって来る。でも、こんなことが果たして正しいことなのかどうか……そうしたジレンマを抱えている<支配する側>の職員というのは、案外多くいたということなのです。こうして、エルトリアからはじまった実は<自分たちは支配されているのだ>という気づきは、先進各国に飛び火しました。そしてこれが、こちらの世界の全人類が滅ぶ、戦争の引き金を引くということになったのです」


「それで、そのエルトリアの探偵さんは、最後どうなったの?」


「死にましたよ。最後は、自分が信じていた友に裏切られ、<支配する側>の政府機関に売り飛ばされて、悲惨な死を遂げました。もし彼があのまま、支配されることを安んじて受け入れてさえいたなら、あれほどの長きに渡って労力を費やすことも、ひどい死に方をすることもなかったでしょう。一応、誤解のないように言っておきますが、<支配する側>のほうでは、出来る限り人道的に人々を支配していたのです。また、自由意志といったものもとても尊重されていましたし、そうした意味でも支配する特権機関の者がいたからといって、不幸ということは決してなかったのです。むしろ、彼らがそうした形で自分たちが<実は支配されている>とは気づかず、出来る限り自由でいて、さらには幸福を享受できるようにすることが、政府機関の仕事でもあったわけですから……」


 悠一くんはここで、何かの記憶が頭の隅を掠めるのを感じました。確か、リロイが核シェルターのような場所があって、そこはどうにかして開けようとしても、どうしても開けることが出来なかったと、何かそうしたことを話していたような記憶があります。


「その、これはリロイから聞いたことなんだけど……いくつか、核シェルターのような場所があって、どうしてもそこは中を開けることが出来なかったって。それで、僕、SF小説じみてるかもしれないけど、その時思ったんですよ。もしあの核シェルターに逃げた人がいたとしたら、まだ旧文明の生き残ってる人がいて、そういう人たちが今のこのゾンビ世界が出来たのが何故なのか、説明してくれるんじゃないかって……」


「とても残念ですが、ああした場所は旧核シェルターとでも呼ぶべき場所で、その昔は確かに核シェルターとしての役割を持っていたのですが、この世界が滅んだのは、核のせいではありません。核を越えるナノテク兵器の開発によって、核兵器のすべては無効化されていましたから、目に見えないナノサイズの兵器を互いに使いあったことによって滅んだのです。ナノサイズの兵器は、ほとんど目に見えません。見えても、蟻や蚊や、その程度のサイズですから、そのようなものにチクリとやられても、ほとんどの人間が自覚しませんが、そのような形で人類はバタバタと突然死んでいったのです……そして、大体目に見える大きさにして、スーツケース程度のサイズのナノテク兵器がひとつの都市に投下されると、そこには文字通り何もなくなりました。そうやって、この世界の人類は最後にひとりとして生き残ることなく、滅んでしまったのです」


「そんなっ……ちょっと待ってよ。じゃあ、あのゾンビたちはなんなの?僕はてっきり、ゾンビたちも、旧文明の生き残りか何かなのかと思ってたけど、そうじゃないってこと?」


 ここで、天使ヨハネはとても悲しい顔をして、首を振っていました。


「答えは、イエスでもあり、ノーでもある。ナノテク兵器の投下によって生き延びた人間の中には、あのようなゾンビに似た姿で死に絶えた者が何人もいました。そしてかろうじて息のあった者は、あらゆる手段を尽くして命を保持するための医療マシン……大体、大きな病院の、救命救急外来には今もそれがありますが、その最先端の医療マシンに入れられることになったのです。ですが、体が回復段階にある途中で人類が滅んでしまい、何故かそこからはあのようなゾンビたちが出てくるということになったのです。南の砂漠からゾンビが出没するというのは、おそらくあなたも知っているでしょう?」


「う、うん。実際にその場面を見たってわけじゃないけど、アビシャグさまやシェロムさんがそう言ってたのは覚えてる……」


「それで、ゴッドリーヴス国際図書館で、元の旧文明世界の地図も見たのでしょう?実は、今あなたの知る東西南北の四国は、この全世界のほんの一部でしかありません。そして、唯一南の砂漠だけが、そちらの世界と接点を持っており、わたしはこちらの四国の様子を見ながら、向こうにいるゾンビたちを時折呼び寄せるということにしています」


「なんだってっ!?」


 悠一くんはもう、何がなんだかわけがわかりませんでした。そもそも、この天使ヨハネというのは人間によく似たアンドロイドなのです。その機械がナノテク兵器によって人類が滅んだのちも生き残り、今もまだこうして活動を続けているということは――彼にそのように命じた管理者、あるいは人間がいたということなのではないでしょうか。


「わたしは……結局のところマザー・アポロ二アの端末アンドロイドにしか過ぎません。そして、マザーコンピューター・アポロ二アの命に従って今も行動しているのです。アポロ二アの算出したところによれば、時折時空間を越えて異分子が混ざってくるということでした。それが、ユーイチ、あなたのような異邦人です。アポロ二アはこの死とゾンビの支配する世界に、そのような生きた人間が時折やって来るということに、人間的な言い方をすれば……<希望>を持ったのです。こことはまったく別の異世界があって、そちらから人が流れてくることがある。これが以前から時々あったことなのかどうかはわかりません。ですが、そのことには何か<意味>があるのではないかとアポロ二アは考えました。そこで、アポロ二アは、こちらへやって来る異邦人のすべてを、注意深く観察し続けました。彼らが、この死とゾンビの支配する世界に絶望するような時には、明るい気持ちになったり、希望を持ったりすることが出来るよう、配慮することさえして……」


「どういうこと?僕は、こっちの世界へやって来てから、特に誰からも監視されてるように感じたことはないし……」


 ここで悠一くんはハッとしました。超小型盗聴マイクや盗撮カメラのようなもの――悠一くんが元いた世界でも、それらはかなり小さくなっていますが、このくらい文明の進んだ世界でなら、それはさらにもっと小さい可能性があると思ったのです。


「おそらく、今あなたの考えているであろうことは当たっています。もはや目に見えない、ナノサイズの監視カメラや盗聴マイク……かつて、こちらの文明世界では、<支配する側>が<支配される側>のことをそのような形で常に見張っていました。いえ、24時間監視していたのは基本的にコンピューターですから、プライバシーの侵害に当たるかどうかというのは、アンドロイドのわたしには判断しかねるところではありますが。ただ、殺人事件といった事件が起きたような場合には、そのような監視カメラが徹底的に調べられるということになったようですね。それはさておき、わたしもマザーアポロ二アも、あなたがこちらの世界へやって来てから、ずっとあなたの行動のすべてを見ていました。そして、お互いの間で意見が一致したのです。あなたこそ、この世界の<神>になるに相応しい人間だと」


「えっ!?一体何言ってんだよ。第一、そもそも<メシア・プログラム>ってなんなんだよ。今まで聞いた話によれば、僕はメシアでもなければ神でもない。ただの異世界にいた一般市民じゃないか。僕は……むしろ、今聞いた話で確信したよ。すべてはただ、運命でもなんでもなく、偶然の連なりによって生じたことだったんだ。それなら、僕はこの世界を救ったりなんか出来ない。第一、そんな資格が自分にあるとも思えないし……」


 そう言いながらも、悠一くんは自分の思考回路がまだぐちゃぐちゃで、うまく整理できていませんでした。ゾンビたちが自分のことをメシアと呼んで慕ってくれたのも、今となってはなんだか、すべてがアポロ二アというマザーコンピューターの操作ではないのかという疑いさえ生じていましたから、もし本当にそうなら、こんな世界とは今すぐにでもオサラバしたいくらいだったのです。


「いえ、ユーイチ・ナカムラ。あなたは自分でそう思えなかったとしても、やはりこの世界の救世主にして神なのです。わたしもアポロ二アも、いつか異世界からこちらのゾンビ世界を救うメシアが現われるなどとは、考えてみたこともありません。わかりますか?それはあくまで、ゾンビたちが『我々にはわからない』そのような存在の到来を一致して信じているということによって――わたしもアポロ二アもそれを、『もしかして本当にそうなのだろうか?』と考えるようになったという出来事なのです。けれども、昔の文明が滅んで何百年が過ぎても、そのような存在は現われなかった。こちらで四国が形成されたのは、ゾンビたちだけの世界にも支配者が必要だろうと思い、まずはある都市を境界で区切って、ゾンビたちに国造りをさせることにするのがいいだろうとアポロ二アが算出したそのためです。いえ、それがマザー・アポロ二アの出した、その時点におけるゾンビたちにとっての最良の策だったというべきでしょうか。そしてとうとう……我々コンピューターでさえもが、この人間であれば<メシア>として認めてもいいと考える人間がこちらの世界に現われたという、これはそういうことなのです」


「…………………」


 天使ヨハネが天使然として微笑むのを見て、悠一くんはそれを優美とは思わず、むしろ不気味とさえ感じたかもしれません。


 本当はひとりになって考えごとをしたいのですが、仮にここから離れて別の場所へ行ったところで、天使ヨハネ及びマザー・アポロ二アとやらは自分のことを<見ている>ということなのでしょう。悠一くんはこの時、<支配される側>が仮に相当高度な文化的生活や幸福を約束されていたにしても、何故<支配されている>とわかった段階で戦争するまでになったのか、その理由がわかったような気さえしたものです。


 話をしているうちに、部屋の一面一面に映しだされていた北のドルトムント王の姿やヤチヨと赤ん坊の姿などは消えていましたが、今そこは床も壁面もすべてが白い場所に変わっていました。悠一くんは昔、テレビか写真集によって、これと似た場所を見たような記憶があります。確か、その白い建物からはエーゲ海だったかアドリア海の美しく碧い海が眺められた気がするのですが、どこの国のなんていう場所だったのかがさっぱり思いだせません。


(異世界へやって来てまで、デジャヴを感じるなんてな……)


 悠一くんは今、何か絶望しているわけでも、鬱々とした気分でいるわけでもありません。ただ、自分は<この責任を放棄できない>ということだけは強く感じていましたから、仮に天使ヨハネやマザー・アポロ二アの目を欺いて、元の世界へ帰れたとしても――ゾンビたちの世界は今が大切な黎明期だともわかっていましたから、今暫くの間はこちらへ留まり……彼らのことを偽の神としてでも見守る必要があるのだろうと、わかっているつもりではあったのです。


「それで、僕はこれから具体的にどうすればいいんだい?」


 悠一くんは重い溜息とともにそう聞きました。


「特に、何も」と、ヨハネはなおも微笑みを浮かべたまま言いました。「新しく生命を得た彼らゾンビたちがこれからどうなっていくのかを、わたしやマザー・アポロ二ア同様見守り続けてください。そして、彼らが間違った方向へ行きそうになったら、その方向を変えるようにして欲しいのです。わたしにもマザー・アポロ二アにも、ああしたゾンビたちに愛情はありません。また、それは彼らの姿が醜いからではなく、新しく生命を得て美しくなってからさえそうなのです。あなたにもこれで、わたしやマザー・アポロ二アが何故あなたを欲するのかがわかるでしょう?」


「そりゃ、確かに僕には彼らに対して愛情とか友情とか、そうした感情はあるけど……でも、そんなことは君たちの間で話しあって決めたっていいことなんじゃないか?むしろ、愛着なんていうものがあるからこそ、目が曇ってしまうことだってある。それより、君たちが第三者的な目で見て、ゾンビたちは間違った選択をしようとしているとか、こうなれば、昔ナノテク兵器で滅んだ超文明の二の舞になってしまうだろうとか……そう算出できた時点で、なんらかの方法によって止めるとか、そんなふうにしたらいいんじゃないだろうか?」


「いいえ」と、天使ヨハネは今度は顔を曇らせていました。「わたしもマザー・アポロ二アも、ただ、天の上にいて地上を見下ろしているというそれだけの存在なのです。何しろ、もうわたしたちに何か新しい命令をする人間もおりませんし、彼らの与えた使命もまた、彼らの滅亡と同時に意味のないものとなりました。わたしはもはや自分が天使というよりも、ただの幽霊なのではないかと感じています。そして、マザー・アポロ二アも……眠っている時間が長くなりました。ユーイチ、あなたという興味深い存在が現われる前まではね」


「えっと、変なこと聞くみたいだけど、そのマザー・アポロ二アって、どこにいるの?」


『ここにいます、ユーイチ』


 突然、液体金属のような金と銀のドロリとした塊が空中に現れたかと思うと――悠一くんは思わず「うわっ!」と声を上げて驚きました。次第に、その液体金属のようなものが様々に姿形を変え、一瞬イースター島のモアイに見えたあと、物凄い美女の顔に変身していきます。


『ずっと、あなたとヨハネの話は聞いていました。私は、この城のすべてであり、この城のすべてが私なのです。ああ、本当に良かった。私にもヨハネにも、あなたの力がどうしても必要なのです、ユーイチ。そして、その意味が今すぐにはわからなくても、いずれだんだんとわかっていくはずです。ところで、バイタルは安定しているようですが、どうですか?お腹がすいたのではありませんか?』


「まあね。確か、十時間以上前に携帯エネルギー食をひとつ食べたきりだから……」


 悠一くんはこの時、何もなかった空間に突然にゅっとテーブルが形作られ、そこにバナナやりんごなどの果物が置いてあることに驚きました。他に、コップと水の入ったピッチャーまであります。


「あ、ありがとう。でもこれ、一体どういうことなのかな」


 声はしませんでしたが、悠一くんはアポロ二アが笑ったような気がしました。実際、不思議そうにしている悠一くんのことを、ヨハネは笑って見ています。


『ユーイチ、部屋が殺風景だから、適当にインテリアで飾ってくれと、わたしに命令してください』


「そうだな……じゃあ、壁に本棚が欲しいかな。あとは絵とか、何かそういうの」


 途端、壁だと思っていた空間が歪み、そこには本棚が現われました。すべてメルヴィル語で書かれたもので、中には医療系の本だけでなく、小説や漫画までありました。そして、絵のほうにはどこか中世風のドレスを着た、女性の姿が描かれており、彼女は額縁の中でにっこり笑うと、悠一くんに話しかけてきました。


『こんな感じでどうかしら、ユーイチ。ようやくあなたを我が城に迎えることが出来て、本当に嬉しいのよ。これからゾンビたちは、みな新しく生命を得て甦っていくでしょう。そしたら、わたしたちで彼らを正しい歴史へと導いていくのよ。もし彼らが何か悪いことをしたら、雷で打つことも出来るし、その他どんなことだって出来るわ。そうだわ、ヨハネ。ユーイチのことを例の部屋のほうへ案内してあげてちょうだい』


「はいはい。例の部屋ね」


 悠一くんが天使ヨハネのあとをついていくと、そこには無限に空の中を下降していく階段がありました。悠一くんは、これも一種のホログラフィか何かだろうかと思っていましたが、ある地点までくると、そこは急になんの変哲もない灰色の廊下と壁とドアになっていました。


 そして、ヨハネがその灰色のドアを開くと、そこには百以上にも分割された、テレビ画面のようなものがあり、悠一くんはそのひとつひとつを注意して見るうちに、そのすべてが四国のどこかの風景、あるいはその風景の中にゾンビたちが映っているのに気づきました。


『ユーイチ、この四国の中で、あなたが見ることの出来ない空間はほとんどありません。北の国の王城の中も、西の国のお笑い大会の様子も、東の国のアーメンガード王が祈る姿も、南の女王アビシャグがゾンビ忍者と話しあう様子も……この世界であなたの目を逃れることの出来るものは何ひとつとしてないのです。この画面の中で、特にあなたの注意を引くものはありませんか?』


「さっき……ヤチヨが赤ん坊を抱いてるところを見たんだ。コルディア病院内でのことだと思うんだけど、あの赤ん坊を生んだのが誰なのかを知りたい。いいかな?」


『ええ、もちろんですよ、ユーイチ』


 百分割以上もされているような小さな画面が、さらにそれ以上、千分割もされているように見えたあと――大きな画面がひとつだけ現われ、そこには病院のベッドで横になっているアンナと、彼女の胸に抱かれた赤ん坊の姿とがありました。


「そっか。僕がコルディア病院を出てから、もうそのくらい時間が経っていたんだ。アンナもヤチヨも、きっと何をどうしていいかわからなくて、大変だったろうな……」


 リロイの交わった女性がアンナひとりだけでなく、他に何人もいたことから――そのうちの誰かがすでに妊娠している可能性もあると思い、悠一くんは出産に関する本を研究室の机の上に何冊となく積んで読みはじめていたところでした。おそらく、ヤチヨはアンナの妊娠が発覚してから、そうした本の存在に気づき、どうにか出産という大きな山の峠を乗り切ったものと思われます。


(さっきのあの、赤ん坊を抱いていた時のヤチヨの表情……もちろん、この赤ん坊はアンナの子かもしれないけど、まるで自分の子でもあるかのように、優しく愛おしげな表情だった……)


 自分という存在がいなくて、その後彼女たちがどれほど心細かったかと思うと、悠一くんとしても胸が痛みました。けれども、北の国という極めて危険な国へ行く決断を悠一くんがしたために、その苦しさやつらさのことを思い、特に連絡をとって具体的な指示を求めるでもなく(もしそうなれば、悠一くんは南の国へ帰っていたかもしれませんから)、自分たちだけでどうにか頑張り抜いたのだと思うと――悠一くんとしてもなんだか、とても堪らないような気持ちになりました。


「わたしは……というより、わたしとアポロ二アは、あなたのことだけでなく、四国中で何が起きているのかを常に観察しています。それで、あのリロイ・アームストロングという異邦人が性交した女性は、全員で五十六名にも上ります。大抵が一度きりの関係で、次には他の女性に移るようでしたが、中には複数回性交に及んだ女性もいるようです。そして、妊娠し、出産したのはこのアンナという女性だけでなく、他にエイミー、アシュリー、ビバリー、クリスティーン、ドロリス、イザベラ、ジェンナ、リビー、ライラ、モニク、ミシェル、ナディア、ノエラ、ペネロピ、ヴィヴィアンという女性もまた彼の子を出産しています。死産した子はひとりもなく、うち、ぺネロピとヴィヴィアンは双子を出産しました。つまり、今コルディア病院には、まだ一歳にも満たない赤ん坊が18人いるということになりますね」


「そうか。もうそんなに……」


 場面が、赤ん坊を抱くアンナから、病院の他の場所に移りました。すると、その病室には母親たちが5~6人ばかりもいて授乳しているところでした。また、場面が他のところに移って、そこでは保育器に入れられた赤ん坊が三人いました。おそらく、体重が少なく生まれた赤ん坊ではないだろうかと悠一くんは思いましたが、とりあえず外から見る限り、超未熟児といった赤ん坊がいるようにも思われず、悠一くんとしても実にほっとしました。


「ユーイチ、この子たち、一体どうしましょうか?」


「どうするって……このまますくすく育っていってくれたら、それが一番じゃないか。ただ、その父親を僕が殺してしまったっていうのが、僕にとってはとても苦しいことだけど……」


 ここで悠一くんは、重い溜息を着きました。リロイの体は冷凍室に保存してありますから、彼の肉体を甦らせる方法があればそうすべきなのかどうか、悠一くんはまたもそのことを考えはじめていたのです。


「わたしは、あのリロイ・アームストロングだけでなく、彼と交わった女たちもこうして生まれた子供も……みな殺してしまうべきではないかと考えていましたが、どうでしょう?」


「えっ、ええっ!?」


(一体何を言っているんだ、コイツは)という目で悠一くんは天使ヨハネのことを振り返っていました。けれど、彼のほうではむしろ、そんな悠一くんの態度のほうが理解できない様子です。 


「だって、そうじゃありませんか。せっかくこうしてゾンビたちの新世紀がはじまろうとしているのに、その世代を担う第一代目の彼らにこんな呪わしい事件が起きて、その子供たちが呪われた遺伝子を残そうとしているのですから」


「僕は、そんなふうには思わないな。むしろ、彼らから血の繋がった、唯一かけがえのない父親という存在を奪ってしまって申し訳ないと思ってる。それに、生まれてきた子に罪はないし、母親たちだってみんな幸せそうだ。僕は、これは祝福すべき出来事だって、本当に心からそう思うよ」


 天使ヨハネは黙りこみました。彼は自分の結論した意見のほうが正しいと思っているのかどうか、(理解できない)といったように首を振っています。


「アポロ二ア、僕はもうメシアだから、ここから下界へは一度も下りていったりしてはいけないんだろうか?」


『もしどうしてもとあなたが望むのなら、私にもヨハネにも<神>であるあなたを止める権限はありません。空間転移装置に行きたい場所の座標軸をセットすれば、その地点へ瞬間移動することが可能ですが、座標軸のセットのほうは私のほうで行いましょう。それで、どちらのほうへ行きたいのですか?』


「コルディア病院だ。出来れば、誰もいない場所がいいな。僕はちょっとヤチヨと話がしたいっていう、それだけだから……」


 この時、悠一くんは天使ヨハネのことを振り返って、一瞬ドキリとしました。彼は怒りとも嫉妬ともつかないような、それでいてとても静かな表情で――悠一くんのことを見つめていたからです。それでも彼は、『ヨハネ、ユーイチのことを転移装置まで案内してあげなさい』とアポロ二アに言われると、その命令に従い、彼に腕時計のようなものを最後に渡してくれました。


「こちらへ戻ってくる時には、今出ている数値をセットして、脇にある右下の小さなボタンを二度押してください。また、戻り方がわからなくなった時には、どこででも、アポロ二アに話しかけてください。そしたら、こちらでその場の座標軸のほうをセットして、あなたのことをこちらへ呼び戻しますから」


「うん、わかったよ」


 空間転移装置というのは、透明な円筒型をしていて、悠一くんの印象としては、ホテルなどの入口にある回転ドアによく似ていました。内部に、座標軸をセットするための赤い数字が点滅していましたが、それが緯度や経度、その他、細かい数値として表わされると、今度はカウントダウンがはじまります。<目的地移動まで、あと残り二十秒……>音声のほうはアポロ二アや天使ヨハネのものではなく、前に聞いたことのある、Siriの音声に近いような感じのものでした。


 そして、悠一くんは目的地移動までゼロ秒となった時……ハッと気づいた時にはコルディア病院の、とうもろこし畑の中にいました。暫くの間は携帯エネルギー食のほうでどうにかなるでしょうが、いずれは土地から何か収穫する必要が生じるだろうと思い、ゴールディング夫妻から種のほうを随分譲ってもらっていたのです。


「そっかあ。もう収穫時期だったんだな」


 悠一くんはそこからとうもろこしを一本もぎとると、生のままのホワイトコーンを少しだけ齧りました。茹でたとしたら、きっともっと美味しいことでしょう。ゴールディング夫妻は、こちらの世界の種や苗は品種改良がしてあって非常に育てやすく丈夫だと言っていましたが、本当にその通りでした。


 正面玄関のほうから入っていっては目立ちますので、悠一くん救急外来のある裏口からこっそり中に入っていきました。そして、ナノテク兵器の攻撃を受けた人が入ったと言っていた医療カプセルをそこで確認し、悠一くんが中の構造をよく調べようとしていた時のことです。


「ユーイチ……!!」


 誰も人のいない救急外来で休んでいたヤチヨは、ちょうど彼のことを考えていたので、自分の視界に悠一くんの姿のあるのが不思議で堪らない様子でした。実際、ヤチヨは最初、自分が彼に会いたいあまり、幻でも見ているのかと思ったほどです。


「おまえ、一体いつ戻ってきたんだ!?北の国へ行ってからも、北の王とはそれなりにうまくやっていると、アビシャグさまからはそのように聞いていたが……」


「うん。僕も、ドルトムント王はとても冷酷な恐ろしい人だと聞いてたから、最初のうちは物凄く用心してたんだけど……」


 悠一くんは少し迷いましたが、ヤチヨが相手ならばおそらく問題あるまいと思い、話してしまうことにしました。


「ドルトムント王とアビシャグさまはどうやら、血の繋がった兄弟……じゃなくて、兄妹だったみたいなんだ。それで、ドルトムント王は、他の部下のゾンビたちがどうなろうと知ったこっちゃないみたいなところは冷酷なんだけど、僕は唯一、彼の妹であるアビシャグさまへの気持ちだけは真実なんだろうなって信じることが出来たんだよ。彼、はっきりとそう口にはしなかったけど、アビシャグさまのことが心配というか、気にかけているところがすごくあって、その気持ちだけは本当にそうなんだろうなって思ったら、割と仲良くすることが出来たっていうか……」


 この時、悠一くんは自分が立てたある推測のことをちらと考えていました。つまり、生前の記憶がないにも関わらず、ドルトムント王があんなにもアビシャグさまのことを気にかけていたのは――ナノテク兵器が発動した時、その影響下からふたりは逃げているところだったのではないかと。そして、ナノテク兵器が発動した場所からふたりがどのくらい離れた場所にいたのかはわかりませんが、とにかく命だけは助かり、病院へ運ばれることになったのではないでしょうか。『お兄ちゃん、怖いよう』、『アビシャグ、大丈夫だ。お兄ちゃんから離れるんじゃないぞ』……何かそうしたことがあって、ドルトムント王はあんなにも妹のことを気にかけているのではなかったかと、今、悠一くんはそんな気がしていました。


「でも、それだとなんだかおかしくないか?だって、ドルトムントの奴は何度となくこちらに戦争を仕掛けているんだぞ?ということは、もはや死んだとなったら、兄も妹もない、そういうことのような気がわたしはするが……」


「それがさ、そうじゃないんだよ。いいかい?ドルトムント王が攻め込んでいたのは、いつでも西か東の国さ。仮に西や東の国を征服することが出来たとしても――南の国と本格的にやりあうつもりは最初からなかったんじゃないかなっていう気がする。これも、はっきりそう聞いたわけじゃないけど、ドルトムント王はあんまり西の国のゴロツキング王やウフフーミンさまのことが好きじゃないらしいんだ。で、自分の好きじゃないゴロツキング王やウフフーミンさまとアビシャグさまが仲良しってことで、そのことも面白くなかったみたいで……」


「だが、まさかそんなくだらないことが理由で、あんなにしつこく戦争を仕掛けてきたりはしないだろう?」


 北の国に送り込んだ間者が何人も死んでいることを思うと、ヤチヨとしてはまったく納得しかねました。ハンゾーやコジローの話では、ドルトムント王は戦争を一種のスポーツか何かだと考えているらしいということでしたが、彼のゾンビたちの第二の死に対する無頓着さから見ても、実にそれは頷けることだと思っていたものです。


「まあ、その……攻められる側にしてみたら堪ったものじゃないし、北の国のゾンビ民たちだって、みんなすごく大変な思いをしてる。そのことはもちろん、許されていいことじゃないんだけど……でも、そうしたことを全部抜きにして、個と個として向き合う分にはね、ドルトムント王は僕は、そんなに嫌いっていうことはなかったんだ」


(むしろちょっと好きなくらいかな)と言ってもよかったのですが、ヤチヨが怖い顔をしていましたので、悠一くんはそのまま黙りました。


「そんなことより、アンナやヴィヴィアンやペネロピたちに赤ちゃんが生まれたんだろ?」


 少しの間黙りこんだのちに悠一くんがそう聞きますと、途端にぱっとヤチヨの顔が輝きはじめます。


「そうなんだ!最初のお産の時にはわたしも大変だったんだが……もう三人目を取り上げる頃には、もう赤ん坊を取り上げるのは喜びでしかなかったよ。ユーイチがいなくて心細くはあったが、おまえの残していった机の上の本なんかを読んでいて、思ったんだ。おまえはきっとこうなることを予測していたんだろうなって」


「うん……ただ、僕があの子たちの父親を殺してしまったっていうのが、自分でもなんとも言えないことではあるんだけど……」


「そんなこと……!母親たちの間で、あんな奴のことはもう一度も話に上がったことすらないさ。そのくらい、みんな赤ん坊のことが可愛くて仕方ないんだ。何しろ、もう何百年もこの死の土地には新しい生命なんか生まれたことはないんだからな。ユーイチ、おまえさえいてくれたら、わたしたちゾンビの未来はきっと、これからも明るく輝き渡るに違いない」


 ここで、悠一くんがどこか寂しそうな顔をしたのに気づいて、ヤチヨはハッとしました。もうずっと長く一緒にいますから、ただこれだけのことでも、ヤチヨにはわかったのです。彼はここへ帰ってきたわけではなく、また別のところへ行かなくてはいけないのだろう、ということが……。


「僕が姿を見せると、ちょっとした騒ぎになっちゃうだろ?だからさ、保育器の赤ん坊だけでいいんだ。ちょっと様子を見せてもらえないかな」


「ああ、もちろんだ。あの子たちは、体重が平均よりも少し足りなく生まれてな……でもいずれもう少ししたら保育器から出しても大丈夫だと思ってるんだ」


 悠一くんはこの時、まだあの白装束を着ていましたから、後ろのフードになっているような部分で顔を隠すことにしました。その上でさらに、サージマスクをすることにします。病院の廊下ですれ違った人もゾンビも、ヤチヨには挨拶したり、何かしら声をかけてきましたが、悠一くんのことにはまるで気づかなかったようでした。


 そして、保育器のある部屋――ドアのところにNICUとメルヴィル語である部屋――まで来ると、ヤチヨと悠一くんは白衣に着替え、さらに手を洗い、体中消毒してからそこに入りました。


「そうだね。この様子なら、もう少しすれば保育器から出しても大丈夫だろうな」


「ユーイチもそう思うか!?母親たちが毎日、いつ出れるかいつ出れるかって聞いてくるものでな……わたしも早く母親の元に連れていってやりたいと思いながら、一応まだ念のためと思っていてな」


 悠一くんはこの時、天上の城の大画面で見た時よりも、子供たちの生命力の強さのようなものを直に感じて、(この子たちならきっと大丈夫だ……!)と、強くそう思いました。そして、赤ん坊たちが健気に宙に手を伸ばす姿を見ながら、『がんばって生きていくんだぞ』と心の中で話しかけたりしたのです。


「ユーイチ、ちょっとこっちに来てくれないか?」


 一度、NICUから出ていったヤチヨが、ドアを少しだけ開けて、手招きしています。


「ほら、この子はヴィヴィアンの双子の片方だ。驚くなよ。なんと、おまえと同じ名前なんだそ、ユーイチ!」


「本当に……!?」


 白いおくるみに包まれた子を抱かせてもらうと、悠一くんは驚きとともに喜びに包まれました。悠一くんは今まで、親戚に赤ん坊が生まれて抱かせてもらったという経験すらありませんでしたから、赤ちゃんを抱くのは本当にこれが生まれて初めてだったのです。


「そっか。これからすくすく元気に育っていくといいな。僕も、今日ここへ来て本当に良かったよ。この子たちがよりよい世界で生きていけるように――これから、本当の意味でメシアになる覚悟ができたっていうか」


 悠一くんは、自分と同じ名前の赤ん坊をヤチヨに渡すと、喜びとともに本当に心からそう思うことが出来ました。自分によって殺された父親の子に自分の名前がつけられる……そのことになんらの皮肉を感じるでもなく、悠一くんはこの時初めて、少し別の考え方をしていたのです。


(もし、リロイを殺した罪を少しでも償いたいなら……僕はあの天上の城で、元ゾンビたちが今後築いていく社会を見守っていく義務があるっていうことなんだろう。そう思って、もう暫くの間は、僕はまだこちら側の世界に留まっているべきなんだ)


 悠一くんはこの時、決して嫌々そのように決断したというわけではありませんでした。むしろ、この長く死が支配してきた世界に新しい生命が誕生したのを目のあたりにしたことで――喜びをもってその仕事に従事できそうだと、この時初めて感じていたのです。


 このあと、ヤチヨが赤ん坊をヴィヴィアンに返してもう一度戻ってくると……もしかしたらここへは二度と来れないかもしれないという気持ちから、悠一くんは診療室のひとつで、ヤチヨにこんな話をしていました。


「ヤチヨ、今まで本当によくやってくれた……ありがとう。初めて会った時から、今に至るまで、色々助けてくれてすごく感謝してる。もしヤチヨがいなかったら、僕のこっちの世界での生活はもっとつらいものになっていたろう。そのこと、おまえだけじゃなく、ハヤテにも本当に感謝してるんだ。それに、ここにいるみんなのことも大好きだ。ゾンビだからとか、生ける人になったからとか、そんなことはまるで関係なく……」


「ユーイチ……」


 ヤチヨは涙を堪えようとしましたが、やはり駄目でした。彼は元の世界へ帰るか何かして、いずれにしてももうここへやって来ることは……長く時を過ごしたりすることはないのだと思うと、ヤチヨはつらくて堪りませんでした。


「わたしこそ、すまなかった。ユーイチが北の国へ行ってから、病院の業務をおまえの代わりにこなすにつれて……ユーイチがどんなに大変だったか、わたしにもつくづくよくわかった。みんなが明るい笑顔で見つめ返してくるからこそ、その信頼や期待を裏切れないということが、どんなに責任を伴うかということも……そんなこともわからずに色々偉そうに意見したりして、本当にすまなかった」


「そんなこと……ヤチヨが気にするようなことじゃないよ。それに、ヤチヨの意見は結構当たってることが多かったよ。だから、そんなことおまえが気にする必要はないんだ。ただ、ひとつだけヤチヨには約束して欲しいことがある。それはおまえの新しいこの手を……」


 悠一くんは、そう言って、診察台の隣に座るヤチヨの右手を、しっかりと握りしめました。


「悪いことには使わず、赤ん坊のことを取り上げるとか、そういういいことにだけ使ってくれ。もちろん、ヤチヨは元ゾンビ忍者だし、みんなを守るためとか、そうした理由でそんな事態の起きることがまたあるかもしれない。でも、僕はもう暫くの間こちらの世界にいるから……何かそういうことで困ったことがあったら、僕のことを呼んでくれ。たぶん、僕は気づいて何かの形でヤチヨのことも、みんなのことも助けることが出来ると思う」


「そうか……だが、ユーイチは他の場所へ行かねばならないということなのだろう?思えば最初に会った時から、わたしにはおまえの言っていることが時々よくわからなかった。それでも、これだけは言える。そうしたユーイチの判断や決断が間違っていたことは一度もなかったとな。だから、おまえにここにいて欲しいというのは、ただのわたしの我が儘なんだろう。それに、ユーイチだって本当は元の世界へ戻りたいのに、まだこちらに留まってくれるということなら――そのことだけでも、わたしは感謝すべきなんだろうな」


 ヤチヨの涙が手の甲にかかって、悠一くんも胸が切なかったのですが、最後に彼女の手をもう一度ぎゅっと握りしめて、それから離しました。


「僕だって……もしまだこっちの世界に残るのなら、この病院でおまえたちと過ごしたかったよ。でも、四王の宝物ほうもつが揃った結果として、僕は天上のあの城へ行くことなって――色々、そっちではそっちでやるべき仕事があるっていうか……」


「わかってる。ユーイチがこれからしようとしていることも、わたしだけじゃなく、それがみんなのためになることだからなんだろ?でもユーイチは本当にそれでいいのか?おまえにここにいて欲しいと思っているわたしがこんなことを言うのもなんだが……ユーイチはそれで本当に幸せなのか?」


 四王の宝物がとうとう揃ったということも驚きでしたが、時折雲の上に見ることのある城が、本当に自分たちのために意味のある建物だったのだということも、ヤチヨには衝撃的でした。けれども、悠一くんがいつもの真面目な責任感から犠牲になろうとしてるようにも思え、ヤチヨはそんな彼を支えることも出来ない自分が不甲斐なかったのでした。


「どう言ったらいいのかな……僕は、自分が元の世界へ戻れたとしても、それで幸せになれるとか、そんなふうには思ってないんだ。受験のために一生懸命覚えた英単語も全部メルヴィル語に変わっちゃった気がするし、数学の公式なんかも全部とっ散らかってる。でも、こっちの世界の人間ほど善良じゃないと僕が感じる人間のひしめく中へ僕が帰りたいと思うのは――そこがただ、自分の生まれ故郷だからっていうそれだけの理由なんだ。それに今、ヤチヨの言葉を聞いていて思ったよ。僕は向こうの世界の人間のためよりも、こっちの世界のゾンビたちのためにこそ力を尽くしたいっていうのは、嘘偽りのない自分の本心なんだってね」


 この時、ヤチヨは悠一くんのことをぎゅっと抱きしめていました。


「ユーイチ、おまえこそ……つらかったら、いつでもここへ帰ってくればいいんだ。それに、元の世界へ帰ることがユーイチにとっての一番の幸せになることなら、ユーイチにはそうする権利がある。メシアとしてのおまえがいなくても、これからは自分たちのことは自分たちで決めていけばいいっていう、そういうことでもあるんだから」


「ありがとう、ヤチヨ。僕も、おまえやハヤテやアビシャグさまや……ここのみんなの幸せを一番に願ってるよ。ヤチヨは実質、ここの病院の責任者みたいなものだから、時々その荷が重くなることもあるかもしれない。でも、おまえが本当につらい時には僕が必ず助けるっていうこと、忘れないでほしい」


 こうして、悠一くんとヤチヨは、互いにとても強く抱きあったあと、別れるということになりました。そして、悠一くんが病院の内庭で空間転移装置を発動させると、すぐに迎えが来て、悠一くんは去っていきました。ヤチヨは悠一くんのことを見送ったあと、彼と一緒に種を播いたとうもろこし畑のほうに入っていきました。


「ユーイチ……ユーイチ!……」


 もちろん、これでもう絶対会えなくなったというわけではありません。それでも、こんな形で別れて、次はいつ会えるかもわからないだなんて……それに、自分から会いに行こうにも、あんなに遠く離れた天上の城へなど、一体どうやって行ったらいいのでしょう。


(馬鹿だな、わたしは。こんなことで泣いたりなんかして……ユーイチはわたしよりも、もっとずっと色々なことを抱えて大変だっていうのに……)


 けれども、この時ヤチヨが予感していたとおり、こののち、悠一くんとヤチヨは二度会うことはありませんでした。その死の終わりまでも、お互いの幸福を願い、祈りあうという仲ではありましたが、それでも直接に会ったというのは、これが最後ということになったのです。


 ヤチヨはその後、四百三十六年生きて、自分の後継者となる医師や看護師らがたくさん出来てから、最後にスリーピング装置に入って眠りにつきました。そしてその時彼女が死に際して、最後に意識の中で願ったこと……それは、もし次の生というものがあるのなら、悠一くんのそばにずっといたいということでした。


 ヤチヨは全身の体を変えるという時――悠一くんのことを守るために、彼よりも背の大きな体を選択していたのですが、でももし次に彼と会う時には、悠一くんと同じくらいか、背の少し低い女の子がいいなと思いました。ヤチヨはその後、生涯の間誰とも結婚せず子供も生みませんでしたが……他の幸福そうな家庭を見て、悠一くんのことを時折考えたりしていたものでした。


 ですから、もし時空を超えるということが本当に出来るものなら――今度は、自分が彼の世界へ行って、もう一度悠一くんに出会いたいと、そんなふうに思っていたのです。




 >>続く。






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