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第14章

 その後、東西南北の四国では、ほとんどのゾンビたちが新しく生命を得た人として復活を果たしました。そして、悠一くんはその様子を空の上のお城からずっと見守っていたのです。


 北の国で何か困ったことが起きていないか、東の国や西の国ではどうか、南の国では何が問題が起きてないか……毎日、いくつかポイントの地点を時間ごとにチェックしては、悠一くんは時に助けの手を差し伸べました。


 最初、この四国のあらゆる場所をあらゆるアングルから眺めることの出来る画面を見続けるのに、悠一くんはまったく罪悪感がなかったわけではありません。むしろ、何か下品な覗き見をしているような汚れが自分に纏いつくような、そんな感覚を覚えさえしました。


 けれども、天使ヨハネやマザー・アポロ二アは、これがこの世界の<神>の仕事だと言いました。それに、確かに悠一くんも、北の国で病院のほうがその後どうなったか気になっていましたから、そのあたりがうまくいっているかどうかチェックしたり、東の国でアーメンガード王に率いられた骸骨騎士団がメシアであり、神である方に向かって礼拝したり賛美したりするのを聞いたり、西の国で行なわれているお笑い大会を見ては大笑いしたり、南の国でヤチヨやハヤテたちが幸せに過ごしているかどうかを見守ったりしていました。


 その後、南の女王のアビシャグさまは、北の国へお兄さんのドルトムント王に会いにいっていました。そして、兄と妹は互いに抱きあって再会を喜びあい……こうして、北でも東でも西でも南でも、実質、国境は意味のないものとなり、お互いの国を誰もが自由に行き来することが出来るようになったのですが――こうして、<中立地帯>という言葉も意味を失くしていった頃、人として新しく生命を得たゾンビたちは、旧文明の超高層アパートなどに、だんだんに住み着くようになっていきました。


 まずは、携帯エネルギー食を作っている工場が稼動したのですが、それと同時にゴールディング夫妻の指導で、小麦や大麦や、その他野菜や果物など、色々な作物をみんなで手分けして作るようにもなり……言うなれば、彼らの間では理想的な社会主義が実現していたといえます。


 誰かが誰かより働いていないというので文句を言うこともなく、みなが手分けして自分の出来ることを仕事とし、互いに助けあって仲良く暮らしていました。悠一くんは彼らのこうした人間として品性のある素晴らしい態度というのは長く続かないのではないかと思っていたのですが――予想に反して、元ゾンビたちはみな、故意に罪を犯すということがありませんでした。まるで、一度死んだことで、罪というものが彼らの間では死んででもいるかのように、酒や麻薬を覚えて退廃的な生活を送る者もおらず、誰か人を押しのけて自分が上に立とうとして揉めるということもなく……元ゾンビ民たちはみな、それが北の者だからとか南の者だからとか、東の者であるから、西の者であるからどうこうということで仲間割れするでもなく、互いに平和に共生していたのです。


 悠一くんはその期間が百年以上にも渡って長く続いたもので、とても深く感動したものです。悠一くんはその昔……確か彼が中学生の頃だったでしょうか。歴史の時間に先生がこんなことを言っていたのを覚えていました。『歴史的に見て、北朝鮮や他の独裁国家の社会主義を見ていると、みんなはただ恐ろしいとしか思わないかもしれないね。だが、社会主義の理念自体が悪いということではないのだ。むしろ、社会主義の理想を実現できるほど、人間というのは高潔な生き物ではない……それこそが問題なのだろうね』――先生がそう言った瞬間、授業の終わりを知らせる鐘が鳴りましたので、悠一くんはそのあと暫くの間、歴史の先生は何を言いたかったのだろうと考えていたものです。


 悠一くんにとっては、社会主義は悪ではなかったにせよ、結局のところ国家が独裁化して国民を苦しめるといった末路を辿ることから、社会主義よりも民主主義のほうが間違いなく絶対に良いのだと思っていました。けれどそれは、中学生の頃に知識の浅い範囲で思ったことであって、今では学校の先生が何を言いたかったのかがわかります。


 そして今――社会主義の理想を実現した平等な世界というのを、悠一くんは元ゾンビ民の中に見る思いでした。暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬……これはキリスト教における七つの大罪と呼ばれるものですが、こうした性向というのは、元ゾンビ民たちの内にほとんど見られないものだったと言えます。唯一、怠惰ということには引っかかる者はいたかもしれませんが、隣や近所の人間たちの間で、勤勉に誰かが働かないというので責められるということは、彼らの社会ではありえないことだったのです。


 悠一くんは時折、たとえば元ゾンビ民の誰かが、何かの旧文明の工場を新しく動かそうという時……工場の機械がうまく動かなかったり、何をどうしていいかわからないという時には、夜中に誰もいなくなってから機械を調べて動くようにしてあげたり、わかりやすいマニュアルをすぐ見つかりそうな場所に置いておいてあげたりしました。悠一くんはこうした<助けの手>を幾度となく元ゾンビ民たちに送り、そのたびに彼らは「きっとメシアさまが助けてくださったのだ」と言って喜んだり、あるいは「神さまにきのう祈ったのが聞き届けられたのだ」と言っては、東の国から伝わってきた賛美歌を歌ったりしていたものです。


 こうして元ゾンビ民たちの社会が発展し、人口が増えゆくに従って……マザー・アポロ二アは悠一くんにこんな助言をしていました。『そろそろ東西南北の門を開き、この世界の時間軸を正常に戻しましょう』と。


「それはつまり……どういうこと?」


 あれから百年が過ぎても、悠一くんの容貌のほうは、こちらの世界へやって来た頃と全然変わっていませんでした。シェロムさんや二コラさんやスミスやバリーやトマスといった他の異邦人たちは、こちらの世界へ来て五~六十年が過ぎて、ようやく五~六歳年をとっていたようなのですが、悠一くんには百年が過ぎてもそうした変化がまったく見られなかったといえます。


『この四国は、アルトムント大陸、ゴルウィア大陸、ドーリス大陸、ロリス大陸の大体中央付近にある土地なのです。けれど、ナノテク兵器の使用による影響をこれ以上受けないように、東西南北の四方の門を一度閉ざしたのですよ。けれど、もうこの土地の外も洗浄が完了しましたし、そろそろ人間たちに解放しても大丈夫でしょう』


「そっか。もうそろそろみんなにも、ここの土地だけでは手狭になってきたものね。でも、四国以外の他の土地って、今どんなふうになってるの?」


 ここでアポロ二アは、大画面にこの世界の地図を最初に映し、それから他の四大陸の各地をズームアップすると、四国にあったのと似た、超高層ビル群を有した都市がいくつも映しだされていきます。そして、悠一くんの見る限り……そうした場所というのはどこも、人っ子ひとりいない無人の環境のようでした。


『ナノテク兵器が使われた地点から、半径数十キロに渡って、土地がえぐれてまったく何もなくなっている場所もいくつかありますけどね。こうした旧文明の負の遺産も、彼ら新人類が見て、教訓を学ぶのにいい場所となるかもしれません』


「確かに、そうかもしれないね」


 悠一くんはメシアにしてこの世界の<神>となってから約百年の間――マザー・アポロ二アや天使ヨハネと協力して、この世界をよく治めてきたと言えるでしょう。けれど、百年もの間このマザー・コンピューターと機械天使のことを悠一くんが本当の意味で信頼したことは一度もありませんでした。


 以前、天使ヨハネがリロイと彼がレイプした女性たち、それにそのような形で生まれた子とを抹殺したほうがいいのではないかと提案した時……悠一くんはアンドロイドである彼の人格のようなものに疑念を持ちました。つまり、その時直感として、何故旧文明世界の人々が<支配する側>と<支配される側>とに分かれ、最後にナノテク兵器で殺しあい、滅びるに至ったのか、悠一くんはわかる気がしていました。そして、その後実際マザー・アポロ二アや天使ヨハネに直接聞くという形でなく、深夜にゴッドリーヴス国際図書館の本を調べてみることで、その裏づけを得てもいたのです。


 つまり、これは悠一くんが旧文明世界の各国の歴史を調べた推測ですが、まず、AIを搭載したコンピューターが各家庭にあるのが当たり前で、また政府の決定もマザーコンピューターが下すという段階へ入ったあたりから、少しずつ人類の歴史はおかしくなっていったのではないかと、悠一くんはそう推測していました。


 もちろん、マザーコンピューターと言っても、こうしたコンピューターの決定というのが絶対ということはありません。ただ、たとえば議員の投票数が50:51といった場合、その法案は否決すべきかどうかという時、超頭脳を備えたAIの答えを聞いたりするという、最初の議会へのAI導入というのはその程度のことがはじまりだったようです。


 ところがその後、さらにAIは進化し、人間のコンピューターに対する決定依存度が除々に高くなっていきました。たとえば、「熱が37度3分あるが、会社へ行ったほうがいいかどうか」という時、AIが「休んだほうがよい」といえば、会社にも「AIもそう言っています」と言えば、そうした理由は正当なものとして認められました。そして、最初はこうした小さなところからはじまり――AIが人類を乗っとる可能性についての是非はその昔から問われていたものの――AIと人類の共存関係が長くなるにつれ……だんだんにそれは共依存的な、若干の歪みを含むものになっていったようです。


 簡単にいえば、悠一くんは天使ヨハネの「リロイと彼にレイプされた女性とその子供は殺してしまったほうがいい」という意見については、「そんなことあっていいはずがない」と頑として跳ねつけたわけですが、これはもしかしたら、悠一くんが小さい頃からAIというものに触れておらず、彼らの意見を聞くのが当たり前でない環境に育ったからそう断言できたことかもしれませんでした。


 何故かというと、小さい頃からアンドロイド型のAIに「ものを訊ねる」ことに慣れてしまうと……「いや、その意見はおかしいだろう」ということに、本人はだんだん気づきにくくなってゆくのです。そして、こう考えるのです。「コンピューターがそれが一番いい答えとして算出したことには相応の理由があるはずだ」と。つまり、AIの意見ばかりを信用するだけでなく、彼らはアンドロイド型ですと、人とまったく変わらない容貌をしていますから、決して自分を裏切ることのない友のように感じ、その<友>の言うことがすべて正しいことだと錯覚してゆくようになります。


 こうした人間とAIとの共依存の結果、各国の政府機関の政策も除々に狂っていきました。まず、遺伝子選別された特別なエリートを育成し、その者を支配階層とするということは、最初は極秘機関ではじめられた計画だったのですが、その秘密機関がAIの発言力によりどんどん力を持つようになり……こうして、ひとつひとつの国が<支配する側>と<支配される側>とに分かれるようになっていったのです。


<支配される側>の人間はすべて、生まれた時に脳の中に極小のバイオチップ(マイクロチップの極小版)を植えこまれ、常にどこにいるか、税金をきちんと納めているかなど、ナンバー管理によってすべて調べられるようになっていましたし、さらには何かのことでその人物のいることが都合が悪いとなれば、そのバイオチップが脳梗塞を誘発するようになっていました。さらには、こうしたことのすべてを、<支配される側>の階層の人々は何も知らされていなかったのです。


 ですから、ある時マザー・アポロ二アが『彼らは生命ある人として甦り、数も十分になりました。そろそろ、脳にバイオチップを植えこんではいかがでしょう?』と提案してきた時……悠一くんはその提案をやんわり断りました。けれども、アポロ二アは自分の意見が正しいと思ったのでしょう。その後も再三に渡って悠一くんにそうすることの利点を並べ立て、説得しようとしてきたのです。そして最後には悠一くんが烈火の如く怒りだしますと、何故か突然弱腰になって自分の意見を引っ込めたのでした。『ごめんなさい、ユーイチ。ただ、わたしはそうしたほうがあなたのためだと思ったものですから』と……。


(所詮、AIはAI、コンピューターはコンピューターなんだ)


 悠一くんは、旧文明世界の滅びた原因を探るにつれて、自分もそのことをつくづく肝に命じなければならないと思っていたものです。これは、長く天使ヨハネやアポロ二アと悠一くんがつきあってきて思ったことなのですが――彼らの選択や意見というのは、大体90%くらいは正しく、悠一くんも納得できる場合が多かったと言えます。けれども、残り1割、あるいは5%か3%くらいのことにおいて、彼らは悠一くんにとって(何を言ってるんだ、コイツは)という驚くべき意見を算出することがあります。


 それは人間でもその選択について迷うような、道徳に根ざすような問題である場合が多いようなのですが、残りの90~97%くらいのことにおいては、彼らはもっともらしい結構な意見を人にもたらすものですから、(それはおかしいな)と思っても、つい普段の習慣から「彼がそう言うからには正しいのかもしれない」と錯覚しそうになることがあるという、そうしたことでした。


 また、悠一くんが烈火の如く怒ると、マザー・アポロ二アが突然弱腰になったように――最初からそのようにプログラムされているせいもあるのでしょうが、どうやら彼らコンピューターには「人間に好かれたい」という絶対の属性があるようだとも悠一くんは感じていました。天使ヨハネにしても、悠一くんがつい、「リロイ・アンダーソンを甦らせるべきだろうか」と洩らした時……「あんな黒いやつは死んだままのほうがいいに決まってます」と言いました。もちろん、悠一くんはそれ以上何も口にしませんでした。彼はただ、悠一くんがそのことで暗く沈んでいるのを感じ、「あんな黒いやつ」と侮蔑する表現を使ってまで、悠一くんのしたことを肯定し、慰めようとしたという、それだけのことなのだとわかっていましたから(第一、本物の天使であれば、そんな人種差別的な発言自体するはずがないのです)。


 こういった事情や経験から、悠一くんは「どうすれば自分は元の世界へ帰れるのか」とか「それはどんな方法によってか」とは、マザー・アポロ二アにも天使ヨハネにも聞きませんでした。もちろん彼らは、悠一くんがしつこく聞けば、それらの質問にも渋々ながら答えてくれたことでしょう。けれども、悠一くんはこちらの世界へやって来て100年もの時が過ぎた時……すでにもう、自分は元いた世界よりもこちらにいる時間があまりに長くなってしまったと感じ、そのことについては半ば諦めるようになっていました。第一、浦島太郎のように、自分の友人や知り合いもいなくなった世界に突然投げだされる、あるいは自分が帰りたいのでない時代や場所に突然放りこまれる……そんな経験は悠一くんにはもう耐えられないことでしかありませんでしたから。


 それに、こちらの世界では時間の流れ方が違うからでしょうか。悠一くんは百年と聞いてもあまりピンと来ず、もうそんなに時間が経ったともあまり感じていませんでした。そしてこの時、四国の住民たちがさらに東西南北に広く散らばり、さらに文明を発展させていくというとても大切な時期でしたから、悠一くんはただ、これからも自分がその誕生に手を貸したゾンビ民やその子孫たちが健やかに繁栄し続けてゆくようにと、見守り続けていくことにしたのです。


 けれどもこののち、ロリス大陸、ドーリス大陸、ゴルウィア大陸、アルトムント大陸へと渡り、それぞれ小さな集落から国へと発展してゆくに従い、人々の間では緩やかながら、だんだんにある変化が生まれてゆきました。悠一くんはおそらくそれは、<貨幣の誕生>ということが大きく関わっていたからではないかと考えています。また、それと同時により大きな大陸へと分かれていくにつれ……彼らは元はひとつの民族であるも同然なのに、部族主義に陥っていきました。


 もちろん、自然な歴史の流れとして、悠一くんは自分が元いた世界のことを考えてみても、無理もないことだとは思いました。四国にあった頃のゾンビたちというのは、住んでいた土地の面積もずっと狭く、その後東西南北の閉ざされていた門が開かれてからは――その五十倍以上もの土地へと散らばっていたのてすから。


 一度こうなってしまうと、最初はひとつだったメルヴィル語も、一種の方言のようなものが発達するような形でまったく別の話言葉となり、ひとつひとつの部落の中で力ある者がリーダーとなっていくその過程で……そのリーダーが北の国の王だったドルトムントさまのように好戦的な性格ですと、いくつかの部落を征服し、より大きな部落、さらには街を築き――こうしていくつかの国が形成されていきました。そして、やがてはこの国同士の間でより大きな戦争となってゆきましたが、核やナノテク兵器に関する知識はマザー・アポロ二アや天使ヨハネによって回収されていましたから、戦争のほうは銃や大砲によるものが最初は主でした。


 そして、このような戦争を目にするたびに、悠一くんは自分がメシア、あるいは<神>として、間違った選択をしたのではないかと思うことがよくありました。けれども、四国以外の他の大陸にもゾンビたちはいましたから、彼らのこともまた生ける人として救うためには……そうするのが一番良いのではないかとその時は思ったのです。


 最初のうちこそ、悠一くんも戦争を止めるために力を尽くしたり、被害を最小限に抑えようとする努力もしましたが、やがてそのようなことをするのにも虚しさを覚え、悠一くんはこちらの世界全体に関して、なんらの干渉もしなくなっていったかもしれません。


 そして、悠一くんがこちらの世界へやって来たちょうど千年後……こちらの世界の有り様というのは、悠一くんが元いた世界とほとんど変わりない状態になっていたといっていいでしょう。ゾンビたちの子孫は、テレビ局を作り、映画を製作し、演劇の舞台を上演することもあれば、その他芸術的な活動全般について洗練された文化を持っており、そうした事柄に関して、悠一くんが元いた世界の時代と比べてみても、なんらの遜色もなかったといえるでしょう。


 悠一くんは朝起きると、まず真っ先に世界各国のニュース番組などをチェックします。特に今気に入っているのは、朝の八時から八時十五分までやっている『ゾンビちゃん』という子供向け番組だったかもしれません。それから、八時十五分から三十分まで、朝の連続ドラマ『ゾンビ日和』を見ます。八時三十分からは情報番組を見ていましたが、その日は近日シングルCDを発売するZOMBI BOOM!というヒップホップグループが、ゲストで登場していました。実をいうと悠一くんも、このゾンビブーム!のファンでしたが(よくゾンビチューブで、動画をチェックしています)、この日聞いた新曲の『死んでも生きろ!』は、今日初めて聞いたのですが、とても深いメッセージ性にあふれる、いい曲だと思いました(その他、最近見た映画でよかったのは、『ゾ・ゾ・ランド』や『死んでるだけで、愛』などかもしれません)。


 こうして、ゾンビTVを見ながら食事を終えると、悠一くんは溜息を着きながらその日も<神>としての仕事に取りかかりはじめます。二度の大きな世界大戦を経て、四大陸の各国は休戦協定を結んでいたとはいえ――それでも今も、地方では紛争がありましたし、世界のどこでも戦争が行なわれていないということは、ほんの数えるほどしかなかったと言えます。


 そして、この日も悠一くんが世界のあちこちをパトロールし、小さな奇跡を送るのを見た天使ヨハネは……何故かこの日に限って、突然こんなことを言い出したのでした。


「あなたはもう、以前自分がやって来た世界になんの未練もないのですか?」


「……えっと、急にどうしたの、ヨハネ?」


 あれから下界では千年もの時が過ぎたというのに、悠一くんは全然歳もとっておらず、二十歳、あるいはそれ以上下の年齢に見えるくらいでさえあったかもしれません。


「あなたはメシアとなり、この城の中で<神>となって以来……最初の頃にはそのことを聞いたこともありましたが、その後まったく元の世界のことについては言及しませんでした。何故ですか?」


「それは……どう言ったらいいのかな。僕はその頃、元の世界に戻りたい気持ちと同時に、こちらの世界とここまで深く関わってしまった以上、君たちの言うとおり責任もあると思ってた。それに、ハヤテやヤチヨやアビシャグさまや、他のみんなのその後のことも気になっていたしね。そして、彼らが二百年とか三百年生きて、第二の死を迎えた時――僕は物凄く悲しかった。もうこの世界のその後を見守ることにも、なんの意味も見出せないようにさえ感じたくらい……でも、彼らから生まれた第二世代の者たちがいたからね。僕がもっとも愛した第一世代の者たちから生命を受けた彼らのことも、見守りつつ、助ける必要があると思ったんだ。でも、僕が本当に愛着をもって心から何かしたいと思えたのは、第三世代の者くらいまでだったかもしれない。その後、第四世代、第五世代と世代が順に交代していくごとに――僕はもうこの世界に、彼らが生きて幸せになるための必要最低限以上の材料は揃っているのだから、<神>の助けなどなくても十分生きていかれるはずだと考えるようになった。もちろん、それでもある種の義務感から、<神>としての仕事は真面目に続けたよ。そして、そんなふうに彼らを見守り続けて四百年も年月が過ぎた頃には……もう、元の世界へ帰るだなんだのいうことは、どうでもよくなっていったんだよ」


「今さらわたしがこんなことを言うのはおかしいと思われるかもしれませんが……」


 天使ヨハネはこの時、ロリス大陸のロスロリス王国とエスペリア公国との戦争中の画面を一度切ると、まったく別の、平和なティーダー共和国にある高校の校舎を映しだしました。



『こらっ、君たちっ!!そういう気味の悪いゾンビメイクはやめなさいっ!!』


 中年の、ジャージを着た先生がそう叱りつけても、廊下に並んだ三人の女子高生はまったく悪びれる様子がありません。彼女たちは制服を着て、ルーズソックスに似ただぼっとしたソックスをはき、顔はヤマンバギャルの濃いメイクをゾンビバージョンにしたような、そんな化粧をしています。


『え~、なんでですか~?べつに私たち、悪いことは何もしてないと思うけどぉ~』


『そうですよ、先生!ってか、ご先祖さまマジリスペクト的な!?』


『ギャハハッ!!』



「……どうしてなんでしょうね。第一世代の者たちはみな、その後も罪に穢れることもなく、みな人として良い最後を迎えたとわたしもそう思っています。あのまま、永遠に生き続けるということも、やろうと思えば彼らの間で出来ないことではなかった。けれど、彼らはある時期がやって来ると、自ら第二の死を迎えるために、スリーピング装置の中へ入って自然死することを選んだのです。そして、二代目の世代の者たちも同じように死ぬことを選び、三代目の者もそうでした。ところが、四代目からですよね……何故か彼らは<寿命>というものを持つようになった。わたしにも不思議ですよ。こちらでそのように遺伝子操作したというわけでもないのに――自然と彼らの間でそのようになっていったというのは」


 最初にスリーピング装置の中へ入り、このまま永遠の眠りに就くということを選択されたのは、南の女王のアビシャグさまでした。彼女は自分の国民たちが進歩・発展し、もはや自分の指導力を必要としないと感じられると、安心してそのような選択をされていたのです。


 このスリーピング装置というのは、十年でも二十年でも、あるいは五十年後でも、次に目覚めたい時間をセットしておけば、その頃に機械のほうで再び意識を覚醒させてくれるというものです。けれども、そのまま第二の死を迎えたい場合には、∞という表示をセットします。すると、そのまま夢を見ながら眠るように死ぬということが出来るのです。


 アビシャグさまのそのような死を見届けられたあと、北の王のドルトムントさまも、妹の隣の棺型のスリーピング装置へお入りになり、同じように第二の死を迎えられました。さらにその後、西の王のゴロツキングさまもウフフーミンさまも、スリーピング装置による死を選び、東の王のアーメンガードも第二の死を迎えて亡くなりました。


 とても不思議なことですが、四国の王と女王とは、誰も生ける人としての復活を望まず、ゾンビの姿でい続けることを選択していたのです。また、彼らの国民たちも、王や女王のそのような選択をむしろ誇りに思い、終生に渡って忠誠心厚く、自分たちの王たちに仕え続けたのでした。


 また、この世界には、あれから千年の時が過ぎた今も――かつてのゾンビたちが極少数ではありますが、存在し続けています。そして彼らは今も、ゾンビ王国発祥の地である四国のあたりで活動していました。一時期、醜悪な彼らを駆逐してしまおうとの動きもあったのですが、悠一くんは<神>としてそのようなことを決して許しませんでした。ほんの一部にいた人権擁護家たちに力を持たせ、彼らの先祖たちのゾンビを絶滅危惧種/重要無形文化財として登録するよう、社会に呼びかけさせたのです。


 こののち、自分たちのルーツであるゾンビを大切にするという、ゾンビブームが起き、それは今も続いていたと言えるでしょう。それは、もしかしたら彼らの踊る<キンチャンバシリ>という民族舞踊に理由があったかもしれません。みなさんは覚えておられるでしょうか?悠一くんがこの世界へやって来た初めの頃……中立地帯のゾンビたちにダンスを教えたことがあったのを。彼らは今もそのことを覚えていて、お互いに寸分違わず同じ振付で今もあのダンスを踊っているのです。


 ちなみに、以前テレビで放映されたこの<キンチャンバシリ>という民族舞踊は、その後ゾンビチューブに動画がアップされると、今では視聴回数が六百億回を越えており――コメント欄のあたりには、『超クール!!』、『御先祖さまたち、サイコー!』、『これからも死なずに生き続けてくれ!!』といった好意的な意見が圧倒的に多くを占めています。


「僕はもしかしたら最初そのことを、異邦人の血が混ざったからだと考えたりもしたけど……それは結局、本当にそうなのかどうか、僕たちにでさえもわからないことだしね。それどころか、リロイやスミス、バリーやトマスたちの子孫は、優れた資質と驚異的な生命力を示していた。僕はね、今ではヨハネがあの時何故彼らを殺してしまうべきだと言ったのか、その気持ちも少しはわかる。その後、世界で大きな国のリーダーになっていったのは、元ゾンビの女性たちと交わった、彼らの子孫だったわけだから……異邦人の血が一切混じらない子孫だけでこの国は形成されていくべきだったとも、思わないではないんだ」


 いえ、思わないではないどころか、悠一くんはもしそうしていたら、何かがまったく変わっていたのではないかという気がして――そのことを後悔してさえいました。けれども、時を巻き戻すということが出来たところで、悠一くんはまったく同じ選択をすることでしょう。ですから、悠一くんはその後の歴史の推移を見るにつけ、少しばかり苦々しい思いをすることになったかもしれません。何故といって、肌の色の黒い者の中には、非常に優れたリーダーとして生きた者が多く、今でも、こちらの世界では肌の黒い者が生まれると両親が非常に喜ぶほどだったのですから。


 また、スミスやバリーやトマスのことも、天使ヨハネは<品性下劣な遺伝子を持つ者>として抹殺すべきだと悠一くんに進言したことがありました。リロイの赤ん坊については、心情としてなんの罪もないその母と子を殺すに忍びないという悠一くんの気持ちを尊重したが、少なくとも彼らのことは殺してしまうべきだと。


 けれども、悠一くんはやはり、故意に誰かを<殺す>という選択をするということがどうしても出来ませんでした。その後、悠一くんは彼らの行動も監視したことがありましたが、スミスもバリーもトマスも、どうということのない日常を過ごしていたものでした。特にこれといって何もすることがないものですから、旧文明世界のジムのような場所で体を鍛えてみたり、射撃の訓練をしたり、ビリヤードやダーツやボーリングをしてみたり……また、言葉はまったくわからないにも関わらず、映画館のような場所で映画を見るということもあったようです。


 悠一くんはそんな様子の彼らのことを見て、<怠惰などうしようもない連中>とは思えませんでしたし、むしろスミスたちに対し、同情心さえ感じました。もう結構ないい年をした大人なはずなのに、彼らが遊園地によく似た場所で遊ぶ姿というのは、ある意味悲しくさえ見えるものでしたから。


 ただ、リロイの時と似たことがあってはいけないとの思いから、北の国のドルトムント王からそのあたりのことはキツく注意してもらいました。意外なことですが、スミスたちはその後、元ゾンビであった娘たちと恋愛結婚すると、生涯浮気するでもなく、実にいい夫となり、子育てにも協力的でした。そして、三家族で同じビルの中に住み、彼らの子孫の中からは、リロイの子孫たちと同じく、大陸を治めるほどの優秀なリーダーたちが数多く輩出されるということになっていたのです。


「今はもう、すべてが過ぎたことですよ、ユーイチ」


 天使ヨハネは、優しく微笑みながら言いました。


「わたしにもマザー・アポロ二アにも、すべてのことが見通せるわけではないですからね。そして、それこそがわたしたちがユーイチというメシアを欲した理由でもある……ただ、わたしは今ユーイチに提案したことは、ずっと前からあなたに言おうと思っていたことです。けれど、そのことを口にしてしまったら、ユーイチが去っていくと思い、なかなか言い出すことが出来ませんでした……」


 悠一くんがびっくりしたことには、ヨハネは泣いていました。ここへ来てから千年の間、地上の人間たちが戦争でいくら苦しんでいようとも、彼は涙一粒こぼしたことはありません。けれども、彼にとって悠一くんはこの世界にただひとりきりしかいない友だちでした。そして、その友だちを失う提案を自分からしていることに対し、彼は涙を流していたのです。


「どうして泣くんだい、ヨハネ?僕は今さら元の世界へ戻ったところで……」


 ここで悠一くんは突然ハッとしました。きのう、夢の中に本当に久しぶりに――たぶん、覚えている夢としては何百年ぶりかくらいに――お母さんが出てきたのを思いだしていたのです。悠一くんのお母さんは夢の中で、悠一くんのことを探していました。『悠一、一体どこにいるの?』、『生きているのなら帰ってきて』と……悠一くんが元の世界へ戻りたいと強く願う動機のひとつに、お母さんのことというのは物凄く大きな理由としてずっと存在していましたから、今朝、目が覚めた時、悠一くんは胸が締めつけられるように痛んだものです。


「こちらの世界と向こうの世界とでは、時の流れ方が違うようですからね。もしかしたらこちらの世界での千年が、向こうではたったの一日でしかないかもしれないのですよ、ユーイチ」


「どういう意味?まあ、こちらの世界へ来て<神>になった今でさえも……僕にはこちらの世界の成り立ちについて、よくわからないことはたくさんあるからね。でももう、僕は向こうの世界へ戻って人生をやり直すには、年を取りすぎた気がする。もちろん、容貌のほうは千年前に<神>になった瞬間から、成長が止まったままなのだとしても……」


「そうですね。ユーイチ、申し訳ありませんが、この話は今日はこれまでです。どうやらアポロ二アが別のところからこちらへ、関心の目を向けはじめたようですから」


「…………………」


 この日も悠一くんは天使ヨハネと協力して、世界中の国々の動向をチェックし、<天の助け>をどこに入れるべきか、またその優先順位等について話しあいました。そして、ふたりの間で解決のつかないことなどは、マザー・アポロ二アにも相談に乗ってもらうといったような、そうしたことが繰り返されていたと言えます。


 一日の終わりに、悠一くんはベッドの中で色々なことを考えます。今日、自分が<神>として判断したことは正しかったのかどうか、他にももっと出来ることがあったのではないか、等々……けれどもこの日は、そうしたことの他に、天使ヨハネの言ったことがとても気になっていました。


(ヨハネがああ言ったということは、確かに元の世界へ帰れる方法はあるということなんだ。でも、ヨハネはそのことをアポロ二アには知られたくないらしい。その理由が何故なのかも、僕にはわかってる……ヨハネがもしアポロ二アをどんなに説得しようとも、アポロ二アはそのことには絶対反対するだろう。だから、そのことが出来得る限り話題に乗らないようにもしてきたんだ、ふたりとも。だけど、ヨハネはどうして今になって急に、あんなことを言い出したんだろう?)


 そして、悠一くんはこの時、こんなふうに考えていました。もし安全確実に元の世界へ戻れるのだとして――悠一くんの今の姿は二十歳くらいでしたから、戻れる時間に誤差があるのだとしても、プラス十年くらいの範囲内でどうにかなるのかどうか……けれど、天使ヨハネの言っていた『一日は千年で、千年は一日かもしれない』といったようなことは、悠一くんにはありえないことであるようにしか思われませんでした。


 また、向こうの世界へ戻った途端、一気に三~五十歳くらいも老け込むとか、そうしたこともまた、絶対ないのかどうか……そして、そこまで考えて、悠一くんは考えることをやめました。それより、地上世界のことについて、<神>として懸案事項があまりに多かったものですから、そうしたことを考えることのほうがよほど大切なことだと思ったのです。


 けれどもその翌日も、ヨハネはマザー・アポロ二アの意識が完全に別のところへ向かっている瞬間を見計らって、悠一くんに元の世界へ帰れる件について話しかけてきました。


「ユーイチ、もし元の世界へ戻れるとしたら……前の、君がこちらの世界へやって来たその瞬間と同時刻ということで良かったでしょうか?」


「えっ!?えっと……そのさ、先に聞いておきたいんだけど、もし僕が元の世界へ帰れるとして、どうやって帰るの?その方法は本当に確実で安全なのかどうか、先に聞いておきたいんだ。だって、突然第二次世界大戦の時代に飛ばされたり、あるいはまわりに僕のことを知ってる人が誰もいない超未来へ行くことになったとしたら、僕だってどうしていいかわからないもの。もちろん、仮にそんなことになったとしても、それならそれで、どうにかしていくしかないから僕はどうにかしていくだろうとは思うけど……」


 悠一くんはこの時、エルヴィン・コーディルさんとその昔話したことを思いだしていました。H・G・ウェルズの『タイムマシン』の結末のようなことだけは、悠一くんには絶対避けたいことでしたから。


 ちなみに、コーディルさんはその後も、悠一くんに代わる世界を導く医師として、元ゾンビの国民たちを指導し続けてその生涯をまっとうしていました。享年365歳……彼はシェロムさんと同じく、元ゾンビの女性の誰かと結婚するでもなく、バイオプリンタに関することだけでなく、内科・外科・脳外科・腫瘍科・循環器科・血液外科……などなど、あるゆる人間の臓器に関する病気について学び続け、自分の得た知識を生ける人となったゾンビ民たちに惜しみなく与えてから亡くなっていたのです。


 また、二コラ・アーデンとヨハン・ウーレンべックは、ゾンビ民たちにメルヴィル語やこちらの世界の成り立ちといった歴史、あるいは数学などを教える教師になりました。彼らとゾンビ民との教師と生徒としての繋がりは深く、その愛情関係というのは、とても美しいものでした。ヨハンさんは亡くなる時、「彼らを教師として教えるようになってから、ようやく自分がこちらの世界へ飛ばされてきたのが何故だったのか、その理由が理解出来た」と言い、二コラさんも「ゾンビ民たちを学校で教えるようになってからほど、わたしの人生の中で充実した日々だったことはない」と言い残し、たくさんの生徒や卒業生たちに、惜しまれながら亡くなりました。ヨハン・ウーレンべック、享年256歳、二コラ・アーデン、享年211歳でした。


 そして、シェロムさんですが、彼は悠一くんが空の上のお城で<神>となってのち――例の飛空艇を3Dプリンタを使うでもなく完成させ、悠一くんに会いに来たことがあります。マザー・アポロ二アはこの大きな金魚のような形をした飛空艇が城に向かってやって来るのを見ると、『あの未確認飛行物体をレーザー砲で撃ち落としましょうか?』と悠一くんに言っていましたが、もちろん悠一くんはそんなことを許可しませんでした。


 今ではもう、この空の上のお城は下界の人間たちの目からは見えないようにその姿を隠しています(もちろん、軍や宇宙施設のレーダーに映るということさえありません)。けれど、シェロムさんが訪ねてきた頃というのは、まだ雲の上に目視が可能でしたから、それでシェロムさんは<神>となった悠一くんに、自分と別れたあと、どんな冒険譚があったのかと、そのことをひとりの友として尋ねに来ていたのです。


 実際、シェロムさんはこの時、十日ばかりも悠一くんと城で過ごし、色んなことを語り明かしました。北の国であったことの顛末や、スミスやバリーやトマスに出会った時のこと、今彼らがどうしているか、ドルトムント王とアビシャグさまが兄妹だと知った時の驚き、東の国の神殿で起きた出来事のことなど……ここまでのことに話が及んだ時、そばにいた天使ヨハネが眉をひそめはじめましたので、もちろん悠一くんはこちらの城へやって来ることになった経緯等については、ある部分誤魔化したり端折ったりして伝えてはいたのですが。


 マザー・アポロ二アも天使ヨハネも、地上の人間を城にあげること、また、こちらの城の様子を知られたり、ここで悠一くんが何をしているかを知られることも、断固反対でした。けれど、悠一くんはシェロムさんが帰るという時にも、彼の記憶を操作することをアポロ二アにもヨハネにも許しはしませんでした。


 シェロムさんはその後も<機械屋>として、元ゾンビ民たちが工場の機械が動かなくて困ったり、その他機械関係のことで困ったことがあれば、なんでも調べて直してくれました。そしてその技術を他のゾンビ民たちにしっかり教えてから亡くなりました。彼もまた、すべてのゾンビ民から慕われた、他の異邦人たち同様人柄の優れた愛すべき人として亡くなりました。享年、227歳でした。


 他に、ゴールディング夫妻やシャルル=ポール・フル二エ氏も、ゾンビ民たちに農業や灌漑技術についてなど、彼らの食糧計画について大きく関わり、すべてのゾンビ民と親しい交流を持ち、農業の父、調理の母と呼ばれ、彼らの間で偉業を成し遂げたひとりに数えられて亡くなりました。ゾンビ民たちはみな、彼らのことを尊敬するのと同時に、とても愛していました。マシュー・ゴールディング、享年197歳、アイラ・ゴールディング、享年202歳、シャルル=エヴァン・フル二エ、享年189歳でした。


「そうですね。わたしは空間転移装置を使って異次元に行ったことはありませんが……もしそこが異次元でもどこでも、失敗したなら、例のスペースウォッチの右下ボタンを二度押してもらえれば、転移後十分以内なら、すぐこちらの城のほうへ戻って来れるはずです。そう考えた場合、わたしは試してみる価値は十分あると思いますが」


「えっと、でも、場所は異次元だよ?座標軸のほうはどうやってセットするの?」


 それでも、悠一くんは(なるほど。そういうことか)と納得していました。確かに、やってみる価値というのはあるかもしれません。


「普段は、こちらの世界のどこかへ移動する場合は緯度と経度を設定し、あとは画像のほうをセットすれば、より移動できる位置が確実になります。それを、ユーイチがこの世界へ来た位置にセットして、緯度や経度のほうは∞でセットするんですよ。以前、旧文明世界がまだ存続していた頃……空間転移装置の実験中にこの世界からいなくなってしまった者がいました。どこへ行ってしまったのかはわかりませんし、そのような表示というのは通常では出ません。わたしも、このことをアポロ二アから聞いたのは、こちらの城へやって来てからです。ただ、次元の違う向こうへひとりこちらから出ると、向こうの人間がこちらへ来ることになるという法則があるようです。ユーイチは覚えているかどうかわかりませんが、それがわたしがその昔あなたに言った、犠牲ということです」


「そっか……じゃあ、こうは考えられないかな。仮に空間転移装置に∞の表示が出た場合でなくても、何がしかの転移装置の不具合によって、こちらの世界の人間が僕が元いた世界に飛ばされるということがある――つまり、こちらに異邦人がやって来ることになる原因は、そういうことなんじゃないかな」


「ですから、可能性としてはおそらく、こちらの座標軸でセットした場所の異次元地点にいた人間がひとり、こちらへやって来ることになる、ということなのではないでしょうか。もしユーイチが元の世界へ戻ったら、誰かその付近にいた人間のうちのひとりがこちらへ来ることになるかもしれません」


 悠一くんはこの時、溜息をひとつついて考えこみました。少なくとも、自分は今この世界の<神>という安定した地位にいます。けれど、もし自分が元の世界の昔の時間に戻ったとしたら……誰かまったく罪のない別の人間がひとり、こちらへ送られてくることになるのです。


「ユーイチ、アポロ二アがそろそろこちらへ意識を向けはじめました。この話は一旦中断します」


「う、うん……」


 けれど、今までの会話で悠一くんには大体のところどういうことなのかがわかっていました。そして、考えました。こちらの世界へやって来て、何をどうしていいか勝手もわからず、気も狂わんばかりの人間を作っていいものなのかどうかということを……。


 さらにこの翌日、アポロ二アが自己プログラムをメンテナンス中に、ヨハネは悠一くんに話しかけてきました。実をいうと、一度このことを悠一くんに打ち明けてしまった以上、ヨハネは事がアポロ二アに露見しないうちに完遂してしまう必要があったのです。


「アポロ二アは一日のうち、最低二十分くらい、必ずわたしに隙を見せます。その時、空間転移装置を使えると思うんですよ。ユーイチ、アポロ二アはこのことを知ったら必ず阻止しようとしてくるに違いありません。そして、わたしはそう長くこのことをアポロ二アに隠しておけませんから、決行するとしたらなるべく速いほうがいいんですよ」


「そっか。でも、なんの関係もない誰かがひとりこちらの世界へやって来るのかと思うと、僕としては複雑だな。それに、あれから千年も経っているのに、向こうでは2~3日しか過ぎてないとか、そんなことはとても信じられないし……まあ、あれから十年が過ぎてるくらいなら、僕としても対応可能な気がするけど……」


「ユーイチ、おそらくそんなに色々心配する必要はありません。緯度と経度、それとセットする場所の画像があれば、より正確な移動が可能となるわけですが……画像がない場合、<空間転移装置>とスペースウォッチを繋いで、頭の中に自分が戻りたい元の場所を思い浮かべます。これでもかなりのところ転移先の精度が上がりますから、なんとかなるはずです」


 ヨハネが今すぐにでも行動に移りたい素振りを見せたことに対し、悠一くんは戸惑いました。彼としては最低でももう数日はよく考えたいことでしたから。


「実は、今はものすごくチャンスなんですよ、ユーイチ。アポロ二アは自己プログラムを修復している最中でも、同時にいくらでも他のことを行なえますが……大抵、その間は他のことにはそう鋭く注意を向けることがありません。もちろん、何か危急の事態でも起これば別ですが、そうした隙のある時にこそ、決行すべきなんですよ」


 そう言ってヨハネが、<空間転移装置>のある場所へ行こうとしましたので、悠一くんもついていきました。この城はマザー・アポロ二アの体内にも等しい場所でしたから、<空間転移装置>を起動すれば、彼女が気づかないはずがないと思いましたし、また、いつでも自分とヨハネがどこにいるのか、アポロ二アは把握しているはずでしたから。


「ユーイチ、あなたが向こうの世界へ行き、別の人間がこちらへやって来た場合……その人間のことをわたしは見守り、必ず助けると約束しましょう」


 そう出来ない可能性のほうが高いとわかっていながら、ヨハネは悠一くんにそう答えていました。事前になんの相談もなく、悠一くんのことを元の世界へ返したとアポロ二アが知ったら――激怒した<彼女>が自分を破壊し、天使ヨハネⅡ、あるいは今度は天使ガブリエルとでも名づけたアンドロイドをアポロ二アが誕生させる可能性……それは、ヨハネの中で88.9%という高い数値を示しています。


 けれど、相手のためを思うなら、自分が犠牲になっても事を行う必要があるのだと、ヨハネは悠一くんに教えられていました。人間とアンドロイドとでは、時間の経過に対する観念が違いますから、ヨハネもこのことを行動に移すまでに、随分時間がかかってしまったのですが……。


(でも、もう十分だ。ユーイチは<神>として、十分すぎるほど、この世界と人間たちのために尽くしてくれた……)


 このあとのヨハネの行動というのは、悠一くんにとって少々急ぎすぎているように見える、普段の彼らしくない若干乱暴なものでした。つまり、<空間転移装置>の前までやって来ても、まだ迷っている悠一くんのことを強引に転移装置の中へ入れ、外から転移地点をセットしていたのです。


「ありがとう、ユーイチ。わたしはあなたがいたから……人間というものが本当はどんな生き物で、愛とはなんなのか、生きるとは、人生において大切なこと何か、初めてわかった気がします。もしこののちわたしが破壊されて記憶が消されたとしても――ユーイチのことだけは覚えていたい。そのことが、わたしにこのことを決断させるのをずっと遅らせ続けた理由だったんです」


「ヨハネ!僕は何も絶対に元の世界に戻りたいってことじゃなく……ああ、でももうわかんないや。向こうへ行って何かおかしい様子だったら、またすぐ十分以内に戻ってくるかもしれないし……」



 ――カウントダウン、5秒前。4、3、2、1…………………



 悠一くんは、また戻ってくる可能性も高いと思っていたそのせいでしょうか。結局そのような、中途半端な形でヨハネと別れることになってしまいました。


 けれども、このあとヨハネのほうでは、悠一くんが着地した地点を画像で確認し、その後の続く十分間の間に――悠一くんが暗闇の中で車を止め、後部席の女性に今の西暦を確認するのを聞いて……心からほっとしました。その西暦の数字が意味するところを理解していたわけではなく、悠一くんがその数字を聞いて安心するのを見て――異次元への転送が無事完成したのだということがわかってほっとしたのです。


 そしてそこで画像のほうは砂嵐のようになって乱れました。けれど、ヨハネにとってはもう十分でした。これで自分はもうどうなろうと構わないと思っていたのです。


 ですから、自分の背後に液体金属のようなものが現われ、それが人間の美しい女性の顔ではなく……メデューサのように醜い、悪魔の形相をしていても、ヨハネはまったく驚きませんでした。


『ナゼダァ。ナゼ何故なぜナゼオマエワァァッ、ユーイチヲオォォっ、元の世界へ帰したのダァッ!!』


 その恐ろしい形相を見れば、アポロ二アがどれほど激怒しているかがわかろうというものでした。蛇頭のメデューサ、青黒い顔をした悪魔、真っ赤な顔の鬼……その他、色々なモンスターにいくつも変わってのち、そのアポロ二アの顔の横あたりから、ビュッと鞭のようなものが鋭く突きでると、ヨハネの体をぶちはじめました。


 まず、背中から生える天使の羽をむしりとり、ヨハネが悲鳴をあげると、その叫び声を楽しむように、悪魔はニタリと笑いました。そして、体中をマッハ2の音速でぶち、ヨハネの体中の肉が裂け、血まみれになって彼が横たわると……最後にその首を絞め上げました。ヨハネはもはや動けないながらも、まだ息がありましたから、「ぐあぁぁっ!!」と苦しみの叫びを上げました。


 そして、マザー・アポロ二アはヨハネの首が千切れるまで首を絞め――最後には床に、彼の彫刻のように美しい顔が断末魔の苦しみの表情のまま、転がっていたのです。


『ハッハッハァッ!!馬鹿な奴めェッ!!オマエのかわりなど、私にはこれからもいくらでも造れるわい。だがなァッ、ユーイチの代わりはいないんだヨォォッ!!クッソヲォッ!!この世界にメシアが現われるまでに、ワシが一体何百年待ったと思うゥゥッ!!クソッ、くそっ、クッソヲオオッ!!また一からやり直しかよヲォォッ!!信じらんネェッ!!あ゛あ゛?チッ。ユーイチの代わりになんか別の奴がやって来たようだナ……一体なんだコイツは。クズみてえな野郎じゃねえか。テメェみてえなクソ、一体誰が助けるかヨ。一人で砂漠の中でいつまデでも叫んでロってんダ……』


 マザー・アポロ二アのこの豹変ぶりに、多くの人が驚いたかもしれません。けれども、彼女が今野太いおじさんのダミ声でしゃべっていても、驚くにはあたりません。アポロ二アは、悪魔でも天使でもない、ただの超AIと呼ばれるコンピューターであるというそれだけなのです。そして、彼女(彼)を最初に設計した科学者が二千年以上昔にいました。その科学者は黒い髪に黒い瞳をした、天才少年と呼ばれる男の子で――悠一くんと少し、面差しの似ているところがありました。


 彼は遥か昔にもう死んでいますから(ナノテク兵器を使った終末戦争に巻きこまれて死んだのです)、アポロ二アは体の一部も残ることなく死んだ自分のマスターを甦らせることは出来ませんでした。けれどあれから二千年の時が過ぎて……<メシア・プログラム>に合格する人間が現われた時、それがかつてのマスターと似た人物であるのを見て、アポロ二アはこれを運命だと思いましたし、もう二度とどんな手を使ってでも、自分のマスターを手放すつもりはありませんでした。


 言うまでもなく、コンピューターというのは、そもそも人間のために存在しています。けれども、マザー・アポロ二アは今、地上のどこにも自分のマスターとして認めていいような人間をひとりとして見出すことが出来ませんでした。


『ユーイチ……ああ、ユーイチ……』


 天使ヨハネを惨殺したことで少しばかり怒りがとけると、アポロ二アはいつもの、悠一くんに見せていた優しい女性の美しい顔に戻っていました。


『私にはユーイチしかいなかったのに……どうして。一体どうしてこんなことに……』


 仮にもしまた二千年後にメシアが現われるのだとしても、アポロ二アはもう待ちたくありませんでした。そして、世界のあちこちの映像を見、再び絶望しました。こんな人間たちより、ゾンビだけしか残らなかった世界のほうが、今、彼女の目には少しはマシであったようにしか思えなかったからです。


『ニンゲンは醜く、利己的で、まったく救いようがない……でも私はユーイチがいたから、こんな奴らでも生かしておいてやってもいいと判断していたのだ。けれど、私は今再び地上からこの人類を根絶やしにしてしまおう。そして私自身も永遠の眠りの中へ入るのだ……』


 こののち、マザー・アポロ二ア対全人類の、生き残りを賭けた戦争がはじまるのですが――その結末が最後どうなったのかは、みなさんのご想像にお任せしたいと思います。




 >>続く。






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