第三話『汝の敵を愛せ』
「んっ♡……あぁっ♡♡……ちょっと待ってぇ……マジで無理なんだけどぉっ♡♡♡!」
冷や汗ダラダラ、膝はガクガク。あたしは壁を伝いながら、校舎の東側廊下をじりじりと前進していた。
スカートの上から手で押さえているものの、股間の『神の御神体』は止まることを知らない。どころか、一歩前へ進むごとに振動の周期が細かくなり、出力がぐんぐん上がっていく。
スマホのバイブ? 違う。マッサージガン? 生ぬるい。
今のあたしの股間は、まさに工事現場のアスファルト削岩機だ。重低音の振動が腰骨を叩き、背骨を駆け上がり、脳みその芯までビリビリと痺れさせてくる。
通りかかる運動部の男子たちが「え、あのギャル何……?」「顔真っ赤で壁に抱きついてない?」「近寄らんとこ……」と引き気味に通り過ぎていく。恥ずかしすぎて死にたい。今すぐ地面に穴を掘って埋まりたい。
(神様……っ♡! 止めてぇ……っ♡♡! 一旦このブブブってやつ止めてぇっ♡♡♡!)
あたしは脳内で必死に悲鳴を上げた。だが、頭の中の居候(CV杉田)はノリノリで朗々と語りかけてくる。
『馬鹿め! 止めるわけがなかろう! 見ろ、お前が前進するにつれて振動が激しくなっている! それはつまり、俺様の『第一の宝玉』が目鼻の先にあるという何よりの証拠なのだ! 走れ由佳! 勝利のゴールは近いぞ!』
「走れるわけなぁぁぁく♡♡♡! ないでしょぉぉっ♡♡♡♡! 股間がっ♡ 股間が空中分解しちゃうってぇぇぇっ♡♡♡♡♡!」
涙目になりながら廊下の角を曲がった、その瞬間だった。
ブッブッブブブブブブブブブブブブブッ!!!!!!
「ひゃぁぁぁぁんっっっ♡♡♡♡♡♡!??!?」
突如として、今までとは次元の違う超絶怒濤のメガトン級振動があたしを襲った。
あまりの衝撃に足の筋力が完全に死んだ。あたしは「あぐっ♡」と変な声を上げて、その場に崩れ落ちそうになる。
「——っと、危ない。大丈夫かい?」
不意に、すっと伸びてきた細くもしなやかな腕が、あたしの肩を優しく受け止めた。
ふわりと鼻をくすぐる、爽やかな高級石鹸の匂い。
見上げると、そこには夕陽をバックに後光を背負ったような、完璧な美少年が立っていた。
冴島蓮。
我が校の生徒会長であり、学年主任も太鼓判を押す成績優秀・品行方正・容姿端麗の三拍子が揃った、女子生徒全員の憧れの的である。サラサラの黒髪に、知性溢れるメガネ。制服の着こなしも隙がない。あたしみたいな不真面目ギャルとは一生縁がないと思っていた人種だ。
「……鈴木さん、だよね? 顔がすごく赤いけれど、熱でもあるのかい?」
冴島先輩は心配そうに眉をひそめ、あたしの顔を覗き込んできた。顔が近い。てかイケメンの無駄遣いやめろ。
だが、あたしの心臓が跳ね上がったのは彼のイケメンぶりのせいではない。
彼と接近したことで——あたしの股間が、もはや爆発寸前のエンジンみたいに激動しているからだ!
(ヤバいヤバいヤバいっ♡♡♡♡♡! この人だ! この人が宝玉を持ってるんだぁぁぁっ♡♡♡♡♡!)
『ふははは! 見つけたぞ! あ この男が持っている! 俺様の第一の宝玉を!』
脳内の神様が大興奮で叫ぶ。あたしは冴島先輩の肩に抱えられたまま、必死で彼の全身を目でスキャンした。
すると、彼の制服のポケットが、不自然にぽっこりと膨らんでいるのが目に入った。しかも、そのポケットの中から……かすかに『神々しい黄金色の光』が漏れ出している気がする。
「あ……あのっ……冴島、先輩……っ♡♡」
「ん? なんだい?」
「その……ポケットに入ってるやつ……っ♡♡♡」
あたしが震える指で彼のポケットを指さすと、冴島先輩は「ああ、これかい?」と爽やかに微笑み、ポケットから『ソレ』を取り出した。
手のひらに載せられたのは——目もくらむほど金色に輝く、手のひらサイズの【無駄に神々しい木彫りの金玉】だった。
見た目は完全にギャグなのだが、漂う雰囲気が神聖すぎる。国宝か何かと言われても信じてしまいそうな黄金の輝きだ。
「さっき中庭の植え込みで見拾ったんだよ。誰かの落とし物かと思って、職員室に届けようとしていたところなんだ。……なんだか見ていると、不思議と心が洗われるような気がしてね」
冴島先輩はうっとりとした目で黄金の金玉を見つめている。
アカン。完全に神のパーツの持つ「怪しいご利益」に魅了されている。
『由佳! 何をしている、早く奪い取れ! それは元々俺様の睾丸なのだ!』
(こ……睾……が……ムニュムニュ……をイケメンに奪われてるシチュエーションがカオスすぎるでしょバカっ♡♡♡!)
「ね、ねえ冴島先輩っ♡……それ、あたしの落とし物かも……っ♡♡!」
あたしは震える手で黄金の金玉に手を伸ばした。
だが、その瞬間——。
『待て由佳! 聖書を思い出せ! 【汝の敵を愛せ】だ!』
(はぁぁぁっ♡♡!? なに急に格言ぶっこんで来てんのバカぁぁっ♡♡♡!)
『あの男は今、俺様の宝玉の威光によって『無敵の加護』を得ている! 力ずくで奪おうとすれば、神罰の跳ね返りでお前の股間が爆発するぞ!』
(爆発!? 股間が!? ヤバすぎるんだけどぉぉっ♡♡♡♡!)
『宝玉を無傷で回収するには、お前があの男に『愛』を注ぎ、男の警戒心を完全に解いて自発的に手放させねばならん! さあ愛せ! 汝の敵を愛するのだ!』
(愛せって……ハニートラップ仕掛けろってことぉぉぉっ♡♡♡♡!?)
あたしは絶望した。
よりによって、股間に棒を生やし、バイブ並みに股間をブブブと激震させ、息を荒げているこの最悪の状態で、学校一のモテ男・冴島先輩を誘惑しなければならないなんて!
「鈴木さん……? 本当に顔色が悪いよ。保険室まで送ろうか?」
冴島先輩が優しく手を差し伸べてくる。その距離、わずか数センチ。
ブッブッブッブッブブブブブブブブッッ!!!!!!
「あんっっっ♡♡♡♡♡♡♡!! え、近っ……近いですよ冴島先輩ぁっ♡♡♡♡♡!」
あたしは冴島先輩の胸板に倒れ込むような形になりながら、涙目で彼を見上げた。
恋のドキドキなのか、神のバイブの恐怖なのか、もはや自分でも分からない。
「あ、あのね先輩っ♡……あたし、先輩のこと……昔からすっごく尊敬しててっ♡♡……その……っ♡♡♡」
「えっ……鈴木さん……?」
冴島先輩が目を見開き、耳まで真っ赤にして固まった。完璧生徒会長の防壁に、ひびが入った瞬間だった。
(第一の宝玉奪還作戦——ハニートラップ編、スタートしちゃったんだけどぉぉぉっ♡♡♡♡♡♡!)




