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【常世の君の物語No.10】美映 ~鎌倉時代末期、伊勢の地で生きる一人の娘の物語~  作者: 百字八重のブログ


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第三話:美映と火花

この日も美映は、神社で子天狗と遊んでいた。

朝、家を出るとき、美映の母はいつものように玄関先で金の無心に来た侍と言い争っていたし、次郎もいつものように焼き鳥を頬張っていた。

そうして夕方になって帰宅すれば、いつものように母が出迎えてくれるはずだった。


しかし。


この日、美映が子天狗と分かれ家に帰ってみると、玄関先で数人の男たちがたむろしているのが見て取れた。

その中には次郎の背中も見えた。

いつものように焼き鳥を頬張っているのかと思い背後から近づいてみると、次郎は珍しく口を動かしていなかった。

代わりに神妙な顔つきで、何やら地面をみつめている。

車座にしゃがみこむ男たちを分け入って美映がその中心をのぞいてみると、そこにあったのは、変わり果てた母の姿だった。


な、に――。


突然のことに頭が追い付かない。

いくらじっと見つめてみても、母はぴくりとも動かない。

横たわった母の下では、地面に赤いものが広がっている。


血だ。

誰の――。


勿論、母の。


見ると、あおむけに倒れた母の胸元には、大きな切り傷がこしらえてあった。

着物がきれいに裂けており、その下には母の大きな乳房が見える。

その乳房にできた無残な傷跡を見ると、まだ時間がそんなに経っていないのであろう、ぬめりけのある赤いものが、てらてらと光って見える。

美映は後ずさった。

そばにいた吉さんが思わず声をかけ、その肩を支える。

美映は吉さんの顔を見とめると、すがるように言った。

「いったい、誰が――。なぜ――」

涙は出ない。

ただ、全身を強烈な震えが襲っていた。

「お嬢さん、よく聞いてくれ」

吉さんはしっかりと説得するように美映に語りかける。

「ほんのつい先ほどのことだ。お母上がいつもみたいに家の入口で客を相手にしていたら、その客がいきなり怒り出してな。何かわめいたと思ったら、腰の物を抜いて、一気にお母上めがけて振り下ろしたんだ。ほんとうに、つい先ほどのことだ」

美映は宙の一点を見つめる。

「そのお客人というのは?」

か細い声でこう絞り出した。

「背の高いお侍だったよ。もう走って行ってしまったが」

吉さんは、膝をついた美映の両肩を後ろから抱き、両手を小刻みに動かす。

「そう」

美映は、力なく母の遺体のそばに座り込んだ。

しかし程なくすると、すっくと立ち上がり、次郎を見つけると「ちょっと行ってくる」と言って明かりを手に早足でその場を後にした。

あたりには夕闇が落ち、そこここに赤とんぼが飛び交っていた。


「子天狗!私よ!美映!」

松明を手にした美映は、神社に着くと、社の裏手に回りそう叫んだ。

しばらくして、一陣の風が吹いたかと思うと、あたりの木の葉を吹き散らし、美映のいる一帯だけ地面がのぞいた。

目を閉じ、再び開けたところに、果たして子天狗が立っていた。

いや、よく見ると地面から少し浮いている。

「おお美映、珍しいな、このような時刻に」

子天狗はそう言うと、大きく一つ、あくびをした。

「子天狗、母が侍に殺された。「徳政令」のせいよ。このままじゃあ私、生きていけない。どうしたらいい?お願い、助けて」

美映は勢い込んで子天狗に詰め寄った。

「なんと、お母上が」

子天狗はいきなりのことに、目をぱちくりさせる。

「それはお気の毒なことじゃ…」

幼いながらに言葉を探しているのが見て取れて、美映は若干のいらだちを感じる。

「そんなことはもういいの。私はこれからの話をしているの。全部「徳政令」が悪いんだから。そう、火花さまが――」

言いかけて、美映ははっと息を飲んだ。

そうだ、火花さまに会うことができれば、何かしらの温情をたまわることが出来るかもしれない――。

美映は、きっと目を見開いた。

「子天狗、どうにか火花様に会うことが出来ないかしら」

子天狗はそれを聞いて、再び目をぱちくりさせる。

「火花、ああ、あの娘、いや、既にいい年になっておるか。美映は、火花に会いたいのか?」

「子天狗、あなた火花様を知っているの?」

美映は子天狗にぐいと顔を寄せた。

「一応はな。そうか、美映は火花に会いたいのか。ようし、この間の礼として、会わせてやろう」

子天狗はそう言うと、ヤツデに似た扇をひとふりした。

するとどこからともなく風が強く起こり、次の瞬間、美映の体は宙に浮いていた。

「えっ子天狗!?」

たじろぐ美映に、子天狗は「大丈夫じゃ。火花に会わせてやる」と言い笑いかけた。


風につつまれ宙を舞う二人の体はものすごい速さでまわりの景色を通り過ぎてゆく。

しかし日が暮れているため、地上に生きる人々からは、空の高いところを飛び行く美映たちの姿は見えない。

子天狗と美映は、ただ暗闇の中を突き進んでいた。


いったいどれほどの時が経ったろうか、「着いたぞ」と言う子天狗の声がしたかと思うと、美映の足元に硬いものが当たっていた。

久しぶりに地面に足を付けた美映であったが、その感触が土の地面のそれではない。

「ここは…?」

美映は前を行く子天狗に尋ねる。

「火花の寝所よ」

「えっ」

聞き間違えたのであろうか、子天狗の言うことが正しいとするならば、美映は今、火花の寝所に立っていることになる。

なるほど、足の下にあるのは、寝所の床板であったのだ。

子天狗は、館の木戸を叩くと、「火花はおるか、儂じゃ、子天狗じゃ」と呼びかけた。

しばらくして、「子天狗じゃと?」と木戸の内から声がした。

すると中でかんぬきが降ろされたのであろう、大きな物音がした。

木戸はゆっくりと開けられ、「入れ」との声が内からこだました。

するりと木戸の内へと身体をすべりこませる子天狗の後に続いて、美映も慌てて歩を進める。

長い間、高速で宙を舞っていたため、体が芯から冷えていた。

その体に、木戸の内のあたためられた空気はことのほか心地よく感じられた。

部屋の内には壁伝いに所々明かりが灯されていた。

木戸の内側には、小姓が控えている。

一段高くなった奥の間には、半分まで御簾が降りていた。

「久しいな、火花」

子天狗が御簾の前まで進み出る。

美映も後に続いた。

御簾の内に、半身を起こし、白い寝間着を身に着けた火花がいた。

どこか母を思わせるふくよかな体つきをしている。

顔は見えない。

「お久しぶりでございます、子天狗殿」

火花の声は、薄暗がりの部屋の中を、よく響いた。

美映の前でなされるそのようなやりとりを聞いていると、二人が旧知の仲であるのが知れてくる。

火花はすぐに子天狗の後ろに控える美映に目をとめた。

「なんじゃ、その娘は」

この高圧的な物言いに、美映は若干、癇に障るものを感じ取った。

子天狗は美映の身上をかいつまんで説明した。

「なるほどな、母君を侍に…」

美映に哀れみの視線が投げかけられる。

しかし、当の美映にとって、そのようなものは不要であった。

「火花さま、単刀直入に申し上げます。徳政令を取り下げてはもらえますまいか。このままでは金貸しの家は皆つぶれてしまいます。母を亡くしたばかりの我が家ではひとたまりもありませぬ」

美映は食ってかからんとする勢いで、火花にそう告げた。

しばしの沈黙が降りた。

ややあって、火花が口を開いた。

「母親のことは不幸なことであった。しかし徳政令は取り消せぬ」

美映の肩がわずかに震えた。

「そ、それでは、私はどうすればよいのですか」

「どうすればよいと思う?」

火花がいじわるでこう言っているのではないことは、その声色から読み取れた。

「そんなこと!私に分かろうはずがありますまい!」

思わず美映は声を荒げた。

「火花よ、美映はお母上を亡くしたばかりじゃ」

美映をおさえようと、思わず子天狗が介入する。

「私も戦で父を亡くして家督を継いだ。おぬしもそうしてみてはいかがかな」

火花は大真面目にそう言った。

「私が、家督を…」

しかし、家には従兄弟の次郎がいる。

「女人が後を継ぐことなど珍しいことではない。家の者や男衆の支えもあるのであろう?やってみるがよい」

いちいち上から物を言う火花の態度に、美映はいらだつ。

無責任な言い分にもほどがある。

美映は内心、そう思った。

「で、では、火花様に後ろ盾になっていただきたい」

火花がけしかけた話なのだ、そう願っても罰は当たるまい。

しかし、火花の返事の色は悪かった。

「私は政務で忙しい。無理じゃな」

「私を見捨てるのですか」

美映は、御簾に向かって大きな声をあげた。

「ほ、人聞きの悪い。こうして直接目通りが叶っていることだけでも幸運とせよ」

美映の剣幕に、御簾の内にある火花は少しも動じない。

「母の二倍、上納いたします」

「ほ」

「母の二倍、稼いでみせます」

美映は声を太くしてそう訴えた。

「ほ、ほ、ほ、あはは、あはははは」

御簾の内で笑い声が起こった。

「火花様、私は本気でございます」

突如わき起こった笑い声に、美映は表情を硬くする。

「いやいや失礼。よい。ではやってみよ。証文も書いてやろう」

火花の声はまだ半分笑っている。

「本当でございますか」

火花は笑い声をおさめると、ややあってこう告げた。

「噓は言わんよ」



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