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【常世の君の物語No.10】美映 ~鎌倉時代末期、伊勢の地で生きる一人の娘の物語~  作者: 百字八重のブログ


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第二話:徳政令

徳政令が、出た。

と、使用人頭の吉さんから聞いたのは、子天狗に出会ってから十日ほど過ぎた日のことだった。

「徳政令」が何なのかは、美映もよく知らない。

尋ねようにも「徳政令」が出てからというもの、美映の家は使用人を含め上を下への大騒ぎで、誰もつかまらない。

次郎はいつものように焼き鳥を片手にぶらぶらしていて頼りにならないし、母上は朝から玄関先でいつも以上に声を張り上げているしで、美映はちっとも面白くなかった。

そんな日が、数日続いた。

この日も朝から美映の家を尋ねる侍が引きもきらなかったが、ふと、母の手が空いた隙が出来た。

美映は、この時とばかりに母を捕まえこう問いただした。

「母上、一体この騒ぎは何なの。徳政令とは、一体どういうものなの」

母は疲れた顔で美映を一瞥すると、使用人に水を持ってこさせ、それに口をつけ短い首をぐるりとまわした。

「徳政令っていうのは、まぁ上からの命令だね。徳政令という命令が出ると、借金が帳消しになるのよ。冗談じゃない。金貸しの私たちが食べていけなくなってしまうわ。火花様は何をお考えなのかしら」

「火花様」というのは、ここ伊勢の地頭である。もう結構なお年のはずだ。そのくらいのことは、日頃から耳にする母と吉さんの会話などで、美映も一応知っていた。

「母上、火花様に申し立てを行ったらどうかしら」

ものは試しとばかりに、火花はそう進言してみる。

「そんなおいそれとお会いできる方じゃあないのよ」

額の汗をぬぐいながら、母はぴしゃりと言う。

「ふぅん」

美映はとりあえず「徳政令」の謎が解けてひと段落した心地がした。

「そういえば、今夜は京の都から流れてきたとかいう盲目の法師が琵琶を奏でるからそのつもりでね。何でも『平家物語』という物語を吟じるそうで、都では大変な人気らしいの」

見ると、大きな体を揺すりながら、母は途端に上機嫌である。

「このところ忙しかったから、今夜は大いに羽を伸ばしましょう」

母の申し出に、美映は特に関心も湧かなかった。

元来、美映は流行に疎い。

「期待しないで待ってるわ」

そう言って美映は、玄関先を見やった。

そこには、母の姿を見つけ今にも何やら言い出しそうな侍が立っていた。

「母上、お客人」

美映はそう言って、さっとその場を後にした。


その夜の宴はささやかなものだった。

大ぜいを招いての宴ではなく、盲目の法師とその連れの数名を招いての宴である。

美映の家の一番大きな部屋に家族と使用人が集まり、部屋の隅にいつもより多めの明かりが灯された。

招かれた法師は付き人に手を取られ、ひとり下座に置かれた敷物の上に腰を下ろした。

背にしょわれた大きな琵琶を胸の前に持ち替えると、法師は大声でこう言った。

「今宵はお招きくださりありがとうございます。なんでも伊勢志摩で一等大きな金貸しの家ということで、それがしもいささか緊張しております。これから都で流行の『平家物語』を吟じます。お耳汚しとはなりますが、どうぞ、最後までお聞きになってくださいませ」

法師に対面する座から、おお、と歓声があがり、拍手が湧き起こる。

場が静まるのを待って、では、と前置き、法師はつむっていた両の目をさらにぐっとつむると、おもむろに口を大きく開けた。

次の瞬間、どこにそのような力が蓄えられていたのかと驚くほど、腹の底から力の入った声があたりに響き渡った。

しかし大きな声がしたのは最初だけで、「祇園精舎の鐘の声」と歌い上げる段になると、法師の声は耳に心地よい勢いとなった。

法師が朗々と歌い上げる。

美映の家族も、使用人も、皆、黙って聞き入っている。

物語はゆくりゆくりと紡がれ、いよいよ平家の衰退にさしかかる。

するとどこからともなくすすり泣く声が聞こえてきた。

見ると、美映の母が、人目もはばからずに涙を流しているではないか。

よくよく見てみると、家族や控えている使用人の幾人かも同じように袖で頬をぬぐっていた。

何よ、皆、感激屋なんだから。

美映には、単なる落ち武者の物語としか思えなかった。

珍しくもない物語を、ことさらに吟じて見せるなんて、都では変わった趣味が流行しているらしい。

それでも朗々と歌い上げる法師と琵琶の音は止まらない。

皆が琴線を刺激され、法師を中心に一種の緊張状態にあるのが伝わってくる。

背後をそっと振り返ると、次郎はひとり、焼き鳥をつまんでいた。

その姿を見て美映はふっと力が抜けた。

法師の『平家物語』は、ざっと四半時ほどで終わりを迎えた。

「ありがとうございました」と法師がうやうやしく礼をとったのを最後に、場はしんと静まり返る。

そこへ、上座にひとり座っていた母が、「見事」と言い、手を打ち始めた。

皆、つられるようにして両の手を打ち始める。

すぐさま、座はけたたましいほどの拍手の音でいっぱいになった。

母が歌い終えた法師をねぎらっている間、美映は後ろの次郎を振り返って言った。

「次郎、私、ちっとも良さが分からないわ」

焼き鳥を食べ終えて油のついた手を袖で拭いながら、次郎は「俺も」と言い、右の口角をぐいとあげた。

美映はぷっと噴き出す。

それを上座の母が目ざとく見つけ、無言で圧をかけてきた。

おっと、と、美映は次郎と視線を合わせながら身を縮まらせるのであった。


翌日、昼頃から、美映は例の神社へと足を運んでいた。

今日は会えるかしら。

勿論、その相手は「子天狗」である。

境内に着いた美映は、とりあえず以前会った社の裏へとまわってみる。

しかし予想通り、そこには誰の影もない。

「もし、子天狗、いるなら出てきて」

美映は社の裏手、大きな池のほとりに立って、そう念じ、声に出してみた。

するとどこかから「おお」

と声がするではないか。

見ると池の水面がさざめきたち、どこからともなく風が起こった。

その勢いがあまりに凄いので、美映は思わずぐっと両の目を閉じた。

そうして再び目を見開いてみると、池の真ん中に頭を出していた岩の上に、子天狗が逆立ちをして立っていた。

「おお、美映、久しいな」

逆立ちから直り、子天狗はヤツデの団扇で大層にあおぐ。

「子天狗!会えてよかった」

美映はそう言うと、池の縁へと歩みより、懐に手を入れた。

美映の懐からは、竹の葉でくるまれた包みがひとつ、現れた。

「なんだそれは」

子天狗は興味深げに目をぱちくりさせながら尋ねる。

「ふふ、これはね」

そう言いながら美映は包みをそうっと開いて見せた。

そこにはおにぎりが二つ、並んでいた。

「おにぎりよ。家から持ってきたの。一緒に食べましょ」

「ほう」

子天狗は嬉しそうな声をあげると、背中の羽をはためかせ、一足飛びに池の岩の上から美映の元まで飛んできた。

二人は傍にあった岩に揃ってこしかけ、美映の持参したおにぎりをじっくりと味わった。

そうして食べ終わり一息ついて、美映は近況報告とばかりに先日知ったばかりの徳政令について子天狗に話して聞かせた。

「あなたには分からないかもしれないけれど」

と前置きして、美映は自分より年少と思しき子天狗に、いかに徳政令が美映の家にとって都合の悪い命令かを話して聞かせた。

美映の剣幕は相当に激しく、子天狗はその勢いに、

「なんだか知らぬが、大変だの」

と返すばかりであった。

そうして、ひとしきり子天狗を相手に愚痴を垂れ流した美映は、すっきりしたとばかりに立ち上がると、じゃあまた明日、と言って神社を後にした。

その次の日、美映は必死の思いで子天狗を求めることになるのであるが、その理由を、この時の美映には知る由もなかった。


子天狗は戻る。

自分の巣へ、である。

そこは古の都の時代、人が山奥に建てて打ち捨てられた社であった。

「ただいま、御父上」

子天狗の何倍もある、筋骨隆々の大天狗が社の上座に鎮座している。

「戻ったか、息子よ」

野太い声が、しんと静まり返った堂内に響く。

「御父上、本日は、先日会った娘、美映とまた会ってまいりました。握り飯を一つ、馳走になりました」

子天狗は下座に陣取ると、礼を正して父に向かう。

「それから、人の世では徳政令という命令が出ているそうで、なんでも借金が帳消しになる命令だとかで、金貸しをしておる美映の家などは大変な騒ぎだということでございます」

子天狗が父に説明している間にも、従者の妖たちが茶を差し出したり扇で仰いだりせわしない。

「それは仕方がない。先の異国との大戦では、自陣での戦であったため、奪えるはずの土地がなかった。それがすべてよ。恩賞の無かった侍どもの不満をすくいあげるようにして中央が動いておる。そろそろ世が大きく変わるか」

差し出された茶を数口、口に含むと、大天狗は眼光鋭く宙をにらんだ。

「また、大戦になりますか」

子天狗が神妙な顔をして聞く。

「おそらくな。そうなれば我らの出番もあるやもしれぬ。おぬしも準備をしておくがいい」

「はい」

このようなやりとりが交わされたが、当然、ここは人の目も耳も届かぬ深い山奥、誰が知ることもない親子だけの会話であった。


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