Episode7 前提が覆る
彼が連行されてから、一時間後。
私は署名の間にいた。
また後日にしないのは、今日が一番いい、という曖昧な理由があるから。
一介の公爵令嬢には教えるつもりはないのか。
そして、テーブルを挟んで、向かいにアレクシオン・ヴァレリウス=アウレリオス、この国第一王子殿下が一人がけの椅子に座っている。殿下は、後の王太子であり、勿論のことゲームの攻略対象である。
目を閉じて淑女の礼を取り、口を開く。
「王国の光であせられる第一王子殿下に御挨拶申し上げます。エーデルシュタイン公爵家が長女、セフィリアにございます」
王族に挨拶する時は、定型文があり、おおよそはそれに則り挨拶する。
正式に謁見するときは面倒で仕方がない。
「面を上げよ。エーデルシュタイン公爵令嬢」
形式通り。
礼を直し、体勢を戻す。
視界に収めた彼は、金色の髪と、碧色の瞳を持っていた。
いかにも、王族らしい風貌だ。
王子様の王道と言ったら、金髪碧眼らしい。⋯⋯⋯⋯少なくとも、前世の友人はそう評していた。
そして、国王陛下によく似ている。
「本日は、よく来てくれた。……形式ばった場ではあるが、緊張する必要はない」
「お気遣い有難うございます」
簡潔に返す。
ここは契約の場。余計な会話は不必要。
視線をテーブルに向ける。
テーブルの上には、既に契約書が用意されていた。
羊皮紙だが、ただの紙ではない。
魔力を通しやすくするための術式が施され、その繊維一つ一つが集まって、成されている。
周囲の床にも、補助の魔法陣が刻まれている。
固定、記録、照合、履行。
無駄のない構成だ。
「これより、署名を始めます」
文官の一人が告げる。
殿下がペンを取り、インクを含ませる。
彼の魔力も僅かに滲む。
黒いインクにある術式が小さく赤銅色に発光し、すぐに黒く染まる。
ペン先が紙に触れ、殿下の名前が刻まれる。
五歳とは思えないほど、手本のような綺麗な字。
完全にペン先が離れると、床の魔術陣と羊皮紙の魔法陣が浮かび上がり、淡く発光する。
殿下がペンを置き、視線を控えている文官に向ける。
その文官の手によって署名欄がこちら側へと回される。
視線を落とす。
羊皮紙からは、互いの魔力をこの紙に、つまりこの術式に情報を足すことで、術式が発動し、契約を結ぶ。そういう術式だということがわかった。
問題はない。
この婚約については、彼の誕生日、つまり一月に公にするのだろう。
ならば、それまでに、解消すればいい。
ペンを取り、インクにペン先を浸し、持ち上げて余分なインクを落とす。
手にほんの僅かに魔力を通と、黒いインクが、わずかに雪色に発光する。
そのまま、ペン先を紙へ触れさせる。
―――バチッ
弾かれた。わずかな反発。結界に触れたときのような感覚。
反射的に、周囲の気配を伺う。
その場の数人が瞠目し、何かを言おうと口を開きかける。
が、殿下が片手を上げて制する。
再び意識を眼前の現象に戻す。
力を入れたわけではない。
魔力の流しすぎということでもない。適量を含ませたという認識で合っているはず。
ペン先を見る。
インクが、ない。
さっきまで確かに付いていたはずの光沢のある黒が、跡形もなく消えている。
視線を羊皮紙へ戻す。
変化はない。術式も正常に維持されている。
何故。
私の魔力が拒絶された。
「……」
ペンを持ち直し、インクを含ませるが、今度は魔力を流さない。
ただの動作として、ゆっくりとペン先を近づける。
触れる直前で、止まる。いや、止められる。
見えないなにかを押すように手を動かす。けれど。それ以上、進まない。
―――バチッッ
今度は、明確な衝撃。
指先に電流が走ったような感覚が走り、ペンが弾き飛ばされる。
ペンが乾いた音を立てて、床に転がった。
弾かれた。今度は、よりはっきりと。
理解する。
魔力でも、術式でもない。
――私が、弾かれている。
ゆっくりと視線を戻す。
「……申し訳ありません」
顔を上げる。
「署名が、できません」
場の空気が、わずかに揺れる。
⋯⋯だが、私にとっては、好都合だ。
「何故だ⋯」
「ご令嬢は魔力の扱いができないのか?」
文官たちが囁く。
「何を言う。彼女の魔力制御を見ればわかるだろう」
殿下が紙を眺めながら呟くように否定する。
「とりあえず、陛下に報告。術式の成立条件に適合されなかった、と」
そう告げると、文官の一人が礼をし、退出する。
「さて、エーデルシュタイン公爵令嬢。相応の覚悟をしてきてくれたようだが、婚約は不可能だな。悪いが、このことは白紙にしてくれ」
あけすけな態度で言い放った彼の澄んだ碧色の瞳が、私を捉える。
「はい。承知いたしました。今日はこの場を退してよろしいでしょうか」
「ああ」
「有難うございます。では」
そう言って、右手を胸に当て、礼をする。
それから真っ直ぐ扉に向かい、警備していた騎士に開けてもらう。
閉まる扉の隙間から見えたのは、文官たちの唖然とした顔と、殿下が僅かに目を細めて書面を見つめているという、妙な光景だった。
ひとまず、婚約は回避。
ただ、何かに弾かれた。
契約の術式については知らないため、その何かはわからない。
私の魔力になにかあるのか。
今後、要研究対象になりそうだ。
回廊で待機していた騎士が、母様が待機している場所へ案内してくれるようだ。
窓の外を見ると、日が暮れて始めている。
父様は、あの彼を尋問し始めている頃だろうか。
「セフィリア。戻ってきたのね」
相変わらず、外での母様の猫かぶりは健在だ。
「只今戻りました。母様。⋯⋯⋯そちらの方は」
私が通された部屋には、母様と、もう一人、ローブを着た男性がソファに座っている。
「魔塔の方よ。セフィリア。御挨拶を」
魔塔といえば、母様が嫌いな魔術研究機関の一つ。
大陸に数人程度しかいない一級魔術師である母様に、なにかとすり寄ってくる権力者と、共同研究を申し出てくる身の程をわきまえていない研究者が鬱陶しいらしい。
示された方に向き、礼をする。
「セフィリア・ノクテリエ=エーデルシュタインです」
男性も立ち上がり、礼を返す。
「御挨拶有難うございます。ご令嬢。私はブレイズと申します」
「ブレイズさんですね。それで、母への要件はお済みでしょうか」
テーブルに出されているブレイズさんに淹れられた紅茶は、既に冷めている上、あまり手がつけられていない。
ブレイズさんの要件を母様が拒み、彼は粘っている構図だろうか。
「あぁ、ちょうどよかった、公爵令嬢、あなたに―――」
「セフィリア。悪いけど、先に帰ってちょうだい」
それを告げた母様を見て、ブレイズさんは、少し眉を寄せる。
「⋯⋯⋯?分かりました。それでは、お先に帰らせていただきます」
理由はわからないが、私がこの場に居るのは母様にとって不味い状況らしい。
ここは大人に任せて、子供の私は帰るとしましょう。
「連れ添ってあげて。レイカ」
「了解」
母様のそばから離れてきた女性の騎士が、付き添ってくれるようだ。
「お嬢様。馬車が用意してありますので」
「はい。ありがとうございます。⋯では、母様。また」
「ええ。気をつけなさい」
レイカさんが扉を開き、その先導についていく。
あのままだと、かなり粘りそうだ。ブレイズさんは、何を相談しにきたのだろうか。
「お嬢様。上の空のようですが、そのままだと誰かに連れ去られてしまいますよ」
「あ、うん。引き締めます」
「たたでさえ、お嬢様はこんなにも可愛らしいのに⋯⋯⋯」
⋯⋯⋯どちらかというと、私の容姿は綺麗系なのでは。
かくして、私は王都の屋敷に帰ってきた。
まさかあの場所で、運命を大きく変える話が行われているとは思わずに。




