Episode6 護身術程度とは
ただひたすら歩いているのだが、いっこうに騎士の足は止まらない。
やはり子供の足では、王城はとても大きく感じるのかもしれない。頭の中に立体地図を描きながら、なるべく覚えていく。
覚えておいて損はない。ある程度、部屋や廊下の配置から、隠し部屋や隠し通路の想定がつく。
父様と一緒のときは、王城の表の部分を歩かない。外観から推測するのも楽しい。
「……今向かっているのは、『署名の間』です。図書室の奥にあり、代々、王族または、他国絡みの契約ごと使われています」
「はい。いいですよね。図書室。王城の図書室は、王都の公共図書館よりも蔵書数が多いと聞きました。王族の方以外は自由に入れないとのことなので、是非一度は行ってみたいです」
「…………その。直接的なのですが、エーデルシュタイン公爵令嬢は…………」
騎士が言い詰まったその瞬間、彼の左耳のピアスが、淡く発光する。
魔導具だ。確かにピアスには小さいが魔石が使われている。
彼がピアスに触れると、魔術陣が展開され、音声が流れる。
微かだが、私の子供の聴力では聞こえる。
「はい。こちら、マルディー」
『―――東館の北西の方角に、客人たち。現在、見える限りは赤を纏っている。―――クソッ。赤が広がって客人たちが迷子になり始めてる。救助要請、頼む』
恐らく、侵入者。それも複数。火属性魔術を使って、何かに引火したんだろう。そして、侵入者が散らばり始めている、ってところか。
わかりやすい、比喩表現。
彼―――マルディーと呼ばれた―――がちらっとこちらを見て、また応答する。
「すまない。現在、令嬢を案内中なんだ。殿下との。⋯⋯というか、その方向って図書室⋯⋯」
図書室の近く⋯⋯つまり、署名の間の近く。
『―――マジか。客もかなりやり手でさぁ。ギルドの上位に入るやつがいるんだよぉ。エースのお前がいないと困るんだよぉ』
また、別の声が聞こえてきた。
この魔術、複数人の音声を共有できる仕組みなのか。
「どうぞ、行ってきてください。護身術程度はできるので、自分の身くらい守れますから」
マルディーさんはハッとしたようにこちらを見て、それから静かに私を見据える。
「いいえ、もしご令嬢の身に何かあったら、総司令官に顔向けできません」
「―――その総司令官の娘の命令です。責任は私が請け負います。行ってきてください。ことが大きくなり、もし高貴な方に傷ができたらどうするおつもりですか」
少々強引ではあるが被害が出ると、婚約についての日程もずれる可能性があるため、早く解消するには、早く事態を鎮火することが重要である。
非常に自分本位で申し訳ないのだが。
「―――わかりました。礼拝室は分かりますね。一つ前に曲がった廊下の扉です。そこにいてください」
「はい」
「では、少々お待ち下さい」
マルディーさんを見送り、彼が見えなくなった後、頭の中で来た道を思い出す。
足早に戻って、礼拝室へ向かう。
近いのでさほど苦労はしなかった。
身体強化魔術を使って、厚い扉をギィと音をたてながら開く。
扉を閉めると、音が吸い込まれた。
礼拝室は思っていたよりも広い。けれど王城の他の空間と違う。どちらかというと、余白に近い。
長方形の空間の奥に、白い祭壇が置かれている。磨き上げられた石でできていて、表面には細い紋様が彫られていた。魔術式……ではない。祈祷文だろうか。意味までは読み取れない。
そして、天井は高い。
梁は細く、蜘蛛の巣のように広がっている。
建築というより骨格に近い構造だ。力を分散させているのだろう。石造建築の理にかなっている。
中央には小さな燭台。
火は灯っていない。
昼間だからだろうか。それとも、儀式の時だけ使うのか。
祭壇の背後には、天井近くまで伸びる大きなステンドグラス。
女神の姿が描かれている。
長い白金色の髪。ゆるやかに広がる衣。片手を空へ、もう片方を地へ向けている。
上から下へと光が流れるような構図だ。
選定を司る、という話は聞いたことがある。
空と地の間に立つ存在、という意味なのかもしれない。
差し込む光は赤、青、金、緑に分かれて、床に落ちる。
磨かれた白い石の床は鏡のようで、色がそのまま映り込んでいる。
歩くと、その色に影を落とし、虚の空間を造る。
なんとなく、踏んではいけない気がして、避けて歩いた。
椅子は木製の長椅子が数列並んでいる。
王城の礼拝室なのに、意外と質素だ。金箔や宝石はほとんど使われていない。
祈りに装飾はいらない、という思想なのだろうか。
あるいは、女神の前では王族もただの人間ということかもしれない。
――――――静かだ。
あまりにも静かで、外の騒ぎが嘘みたい。
私は一番後ろの長椅子に腰を下ろした。
石造りの建物は冷える。
座面の木は少しだけひんやりしている。
手ぶらなこともあって時間を持て余していたので、少し考える。
侵入者。複数。ギルドの中でも上位。王城の警備を突破できる実力。
だとすると、狙いは金品ではない。
もっと価値のあるもの。
例えば、王族。
あるいは――
契約。
署名の間は図書室の奥。
契約の場。
そこに侵入者。
偶然にしては、都合が良すぎる。
それも、父様が登城する日に?
愚策すぎやしないだろうか。
そもそも、婚約については表明されていない。情報が漏れていた、としか考えられない。
なにやってるんだ、しっかりしてくれ王家。
偶然見聞きしたのか、それとも、関わった誰かがまた誰かに情報を流したのか。
私は視線を落とす。
床の色付きの光が、ゆっくりと動いている。
太陽の位置が変わっていく。
赤が少し広がる。
火属性。
さっきの通信を思い出す。
赤が付いた、という言葉。
妙にこの現象と重なる。
その時。
礼拝室の静寂の中で、わずかな音がした。
入り口ではない。もっと遠い場所から。
私はゆっくり顔を上げる。
女神のステンドグラスの光の中に、影が一つ、伸びていた。
「へぇ〜。この頃のお貴族サマの子供って、こんなに落ち着いてんのぉ〜?」
声の主は、全身黒い服に包まれており、顔も鼻まで覆っている。
女神像の上に立っており、その風格から所在は明らかだった。
「こんにちは、侵入者さん。迷子にでもなりましたか?」
軽い間延びした口調に合わせるように、こちらも平静な態度を取る。
「うん。探し物してたら迷っちゃってさぁ〜」
「探し物は見つかりましたか?」
視線を少しだけ動かして周囲を見渡す。
―――武器になりそうなものは、ない。
となると、魔術だけか。
「あはは〜、それが目の前にあってさぁ」
「でしょうね」
私は魔術の詠唱を口にする。足元にも青色の魔術陣が現れる。
侵入者も身構え、どこからか出してきた暗器を指に挟む。
「抵抗します。みすみす殺されるわけにはいかないので」
詠唱を終えると、私の手の中で魔術で精製した水が一振りの刃を形作る。
「―――いいねぇ〜。そういうの好きだよぉ。でもねぇ、あんまり得意じゃないんだぁ」
彼はそう言い放った時、次の瞬間には像の上にはいなかった。
消えた。
いや、違う。潜伏。
礼拝室は広いが、大人が隠れられるような障害物は少ない。目を閉じて、周囲の魔素の流れに集中する。
さすが、侵入者なだけあって、潜伏は上手い、が。
――いた。
天井の梁。そこだけ、周囲とは違う魔力の揺らぎがある。
「……」
「……」
互いに動かない。
しばらく沈黙が続いた後、私ははっきりとした声で詠唱を始め、紫色の魔術陣が足元に現れる。天井には照明がなく、礼拝室はステンドグラスから入る陽光しかないため、それなりに暗い。
案の定、相手が動いた。
梁から一気に飛び降りる。
黒い影が一直線にこちらへ落ちてくる。
ナイフが金属質に閃く。
―――来た。
水の刃でそれを受ける。
金属と水が擦れ、わずかに火花が散り、奇妙な音が礼拝室に響く。
しかし、その水の刃も長くは持たない。
ナイフに魔力をまとわせて対抗してきた。
―――このままじゃまずい。
刃に裂け目ができる。
受け続けているがため、全身に負荷がかかって、動きにくい。
もう片方の手を振ろうと動かす。
その手には、透明な刃が握られていた。
ただ、受けている側の刃が、もう切れかかっている。
―――間に合え⋯⋯!
耳元で、ひゅん、と風の切る音がする。
腕が浅く切り裂かれる。
相手の腕だった。
「⋯⋯っ」
どちらも一旦距離をとる。
床には、光を受けて反射する、白銀の糸が数本。
「なんなのぉ?一本だと思ったのにさぁ。しかもよく切れるし」
負傷した右腕を抑えながら、侵入者が笑う。
「ブラフ。そういうあなたも、何本も持ってる」
私の足元では、紫色の魔術陣が発光している。
「そうだよぉ。というかぁ、実戦慣れし過ぎじゃないぃ?」
その言葉と同時に、互いに踏み込む。
一歩。
もう一歩。
そして――
「え」
侵入者の足が止まる。
彼の影が、不自然に揺れていた。
床に落ちた影が、液体のように歪み、そこから黒い触手が伸びている。
それが、足首に絡みつき、動きを封じる。
「ということで、大人しく捕まってください」
私は一気に距離を詰める。
―――速い。
影の拘束が、約半分、破られている。
水の刃を変形させる。
細い刃が収縮し、透明な棒状になる。
まず鳩尾を打ち、呼吸を奪う。
次に、首筋。頸動脈を打つ。
侵入者の体から力が抜け、そのまま崩れ落ちた。
礼拝室に、静寂が戻る。
私は小さく魔術を起こし、床に散った水を少しずつ蒸発させた。
倒れた侵入者は、床に伏したまま動かない。
影の触手は薄い染みのように床に広がっている。
――解けかけてる。
影の拘束を補強する。
私は一歩距離を取り、拘束の状態を確かめた。
呼吸も安定している。
強めに入れたが、死ぬほどではない。いずれ目を覚ますだろう。
騎士たちはまだ戻らない。
私は礼拝室の長椅子の一つに腰を下ろした。足が床につかないので、自然とぶらぶらと揺れる。
礼拝室は広い。
高い天井。
静かな空気。
ステンドグラスから差し込む光が、ゆっくりと移動していく。
光の色が変わっている。
さっきは青だった場所が、今は金色に染まっている。
女神の足元のガラスの光が、侵入者の体に落ちている。
その構図が妙に静かだった。
「……捕まってるのが、私のほうみたい」
もちろん実際は逆だ。
影に捕らえられているのは侵入者。
でも礼拝堂の中央で倒れている彼と、影になっている長椅子の端で足をぶらぶらさせている自分。
どちらが異物なのか、少し分からなくなる。
視線を侵入者へ戻す。
全身黒装束。
布は軽く、動きやすそうだ。
暗器は三本。袖に二本、腰に一本。まだ他にもあるかもしれない。
靴底も柔らかそうだ。足音を消すためだろう。
――やっぱり、闇ギルドか。
闇ギルド。表向きは「何でも屋」の、諜報、暗殺など裏の仕事を手広く扱っているギルドだ。
恐らく、この人もさっきの侵入者の仲間だろう。
そうなると、かなり早い段階から別行動に移っていることになる。王城は広いし、侵入場所の図書室から礼拝室に来るまで時間も掛かる。
外から遠くに鳥の声が聞こえる。
風がステンドグラスをかすかに鳴らす。
私は再び侵入者を見る。
呼吸。
胸の上下。
魔力の流れ。
影の拘束は安定している。
しばらくして、侵入者の指がわずかに動いた。
「……そろそろかな」
それから少し待つ。
数分。
侵入者の呼吸が変わる。
眉がわずかに動く。
そして、ゆっくりと目が開いた。
「あれぇ?」
気の抜けた声が漏れる。
その視線が、ゆっくりと横に動いた。
長椅子に座る私を見る。
しばらく沈黙が続く。
侵入者が小さく息を吐いた。
「……まだいたのぉ?」
「はい」
私はいたって素直に答える。
「騎士が戻るまで暇なので」
侵入者は少しだけ目を細めた。
私の顔を見て、次に足元を見る。
長椅子からぶら下がった足。
それから、ようやく口を開いた。
「……君さぁ」
「はい」
「怖くないのぉ?」
「……もう捕まえてますから」
侵入者は天井を見上げたまま笑った。
「いやぁ⋯⋯普通さ、捕まえてても気絶させた相手のそばで待つ子供いないよぉ」
「そうなんですか?」
「そうだよぉ」
少し間が空く。
侵入者はゆっくり首だけこちらに向けた。
「七歳でしょ?貴族の⋯⋯それもエーデルシュタインの。君んとこさ、みんなそうなの?」
身元は、バレてる。ターゲットの情報は調べないと分からないから、知ってても違和感はない。
「どうでしょう?」
「世も末だねぇ」
―――彼にはそう見えるのだろうか。
彼の視線が私の手元に向く。
「さっきの水の刃、二本あったよねぇ」
「はい」
「最初から?」
「いいえ。途中で一本の方から分けました。長さを調整すれば、ある程度誤魔化せますから」
「⋯⋯へぇ」
眉が少し動く。
「影のやつは?」
「罠です」
「いつ仕込んだのぉ?」
「あなた、梁に移動して、私が詠唱し始めた時すぐに動きましたよね」
彼の目が細くなる。
「うん。何の魔術出してくるかわかんないしね。動いたほうがいいでしょ」
「そうですね、懸命な判断です。私は、あなたが飛び降りるのと同時に詠唱を終わらせました。それで、使うときまで展開した状態を維持していただけです。その証拠に、足元にはまだ紫色の魔術陣があった」
実際は、魔術陣に認識阻害魔術もかけていたから、注意しようともできなかっただろう。
数秒の沈黙が流れ、それから彼がふっと笑った。
「なるほどねぇ。見てなかったよぉ。そりゃ捕まるわなぁ」
礼拝室の中に、再び静かな空気が流れる。
ステンドグラスの光が少し赤くなっていた。
太陽が傾き始めている。
彼の口がぽつりと言葉をもらす。
「君さぁ」
「はい」
「将来どうなるつもり?」
「⋯⋯公爵になります。その情報はあるんじゃないですか」
「え、王太子妃の後に、王妃じゃなくて?」
………忘れていたけれど、第一王子殿下との婚約のために来ていたんだった。
「解消しますから。私には荷が重いです」
「そお?―――まぁ、聞きたかったのはそういうことじゃないんだけど」
遠くから、鎧の音が聞こえた。
足音と騎士たちの声。
彼もそれに気づいたらしい。
「あーあ」
小さく呟く。
「終わりだねぇ」
そして、再びこちらを見る。
「セフィリア・ノクテリエ=エーデルシュタイン、だっけぇ?」
「はい。そういう名前です」
「じゃあねぇ、公爵令嬢さん」
礼拝室の扉の向こうで、足音が近づいてきていた。
彼は一瞬だけ目を細めて、
「今度は、もう少しまともな場所で会おうねぇ」
礼拝室の扉が開く。
その後、彼は私を確認しに来た父様と騎士たちに発見され、連行された。




