閑話1 異常事態 神官視点
ここ一ヶ月、国の未来が関わる重大な調印式が近づいているため、この国、アウレリオス王国と懇意にさせてもらっているらしく、少なからず教会も関わっていた。
私がいる教会は王国の最北端(大きい)のエーデルシュタイン領の最大の教会に配置されていた。一年中寒いのが難点ではあるが、夏は避暑地としても有名なので、今の時期は多くの人で賑わっていた。
八月十七日。
いつも通り奉仕していたのだが、夕刻、教会の玄関前にエーデルシュタイン家の使者の方から、伝言を渡された。
―――明日、鑑定をしたい。急いで用意してくれ―――
とのことらしい。
エーデルシュタイン家の御息女は一ヶ月前から意識不明で、誕生日にステータス鑑定を依頼されたのだが、急に予定をキャンセルされ、そのまま来ていなかったのだが。
御息女がお目覚めになったのだろうか。
急いで神官長に伝えたが、やはり調印式に人手を裂かれているので、後回しにされてしまった。
それどころか、私に鑑定を一任されてしまった。公爵家のお方なのだから、神官長がやるべきではないのだろうか。
幸い、私は裕福な商家の御子息のステータスを鑑定したことがあるため、最低限は一人でもできたが、さすがに御貴族様、それに公爵家の方の御息女の将来を決める大事な鑑定がこんな簡素なものでもいいのだろうか。
不安を抱えながら、日は沈み、床についた。
翌朝、珍しく雪が降り、十時ごろには吹雪くほどになった。
季節外れの雪は少し心配になる。この頃気候が不安定だ。
朝の拝礼を終えてから、もう一度神官長に人手を貸してもらえないかと頼んだが、やはり聞き入れてくれなかった。
正午ごろ、エーデルシュタイン家の馬車が教会の玄関前に滑り込んだ。
思った通り、公爵様と公爵夫人にご指摘されて、冷や汗をかいた。
正直に言えば、指摘される前から分かっていたことだ。
教会の玄関前に停まった、重厚な装飾の施されたエーデルシュタイン家の馬車。
その存在感だけで、こちらの準備不足など一目瞭然だった。
公爵様は、馬車から降り立つなり、周囲を一瞥した。
それは威圧というより、状況を正確に把握するための視線だったが――それでも、若輩の身には十分すぎるほど重い。
公爵夫人は、その隣で静かに微笑んでいらっしゃった。
だが、その微笑みは社交の仮面であって、本心からではないのがよく分かる。
「⋯⋯人手が足りないわけではないと聞いていたのだが」
公爵様の声は低く、しかしよく通った。
「ここまで簡素とは、中では随分と『贅沢なもてなし』を用意してくれたのねぇ」
柔らかな声音。
だが、棘ははっきりと感じ取れた。
公爵夫人の視線に突き刺されて肩が、はっきりと跳ねる。
「も、申し訳ありません…!本来ではもう数名の対応を予定していたのですが―――」
思わず言い訳めいたことを言ってしまったのだが、お二人の言葉によって続けることはできなかった。
「事情があるのは理解している」
公爵様の言葉に、わずかな救いを見出した次の瞬間。
「だけど、私達の子の将来を占う大事な行事よ。最低限の礼は尽くして欲しいわ」
その一言で、全身から血の気が引いた。
「……はい。お詫び申し上げます」
これ以上、言葉を重ねるのは逆効果だと、さすがに分かった。
「中までご案内します。そこで少々お待ち下さい。他の者を呼んできます」
深く頭を下げ、扉を開く。
外の吹雪が、わずかに入り込む。
だが、扉が閉じた瞬間、教会特有の静寂がすべてを覆った。
私は先導しながら、背後の気配を意識する。
――御息女。
視線を向けるのは失礼だと分かっている。
それでも、どうしても気になってしまった。
小柄な少女。
歩調は安定している。
一ヶ月意識不明だったとは到底思えない。
それに、七歳という年齢にして異常に落ち着いている。この年の街の子供たちは無邪気で年中楽しそうに遊んでいるのに。
―――いや、平民と比べるのは不敬か。心の中にしまっておこう。
来賓用の部屋へ案内し、一礼する。
「こちらで少々お待ち下さい」
そう告げて、私はその場を離れた。
他の神官を呼ぶため――という名目だが、実際にはほとんど望み薄だ。
望み薄だが、やはり公爵家の相手が私一人では体裁が悪い。
神官長を説得して手を回してもらえるように頼み込み、やっと人員を確保できた。
そして、鑑定室の確認に回る。
燭台に火を足し鑑定室の空気を入れ替え水晶球を定位置に戻す。
何度も手入れしてきたはずの器具なのに今日は妙に重く感じた。
――落ち着け。
私は何度も自分に言い聞かせる。
鑑定だ。
珍しい結果が出ることはあっても、危険な儀式ではない。
……そう、危険ではないはずだ。
鑑定室の扉の前で、一度だけ深呼吸をしてから、来賓用の部屋へ戻った。
扉を開けると、三人はすでに立ち上がっていた。
公爵様と公爵夫人は落ち着いた様子だが、御息女はじっとこちらをみていた。
なぜかはわからないが、その視線に不安を覚える。
「先程は大変失礼いたしました。鑑定室にご案内します」
そう告げると、公爵様が短く頷く。
「案内してくれ」
私は先導し、再び回廊へと足を踏み入れた。
壁に並ぶ燭台の炎が、石造りの床に揺れる影を落とす。
足音が吸い込まれるように静まり、教会の奥へ進むほど、空気が澄んでいく。
――いや。
澄んでいる、というより。
張り詰めている……?
自分の感覚に、わずかな違和感を覚える。
魔力が濃いわけではない。
だが、空間そのものが、なにかを待っているような――そんな感覚。
最奥の扉の前で立ち止まり、私は振り返った。
「こちらが、鑑定室になります」
扉を開ける。
円形の室内。
中央に置かれた水晶球は、いつも通り、澄んだ透明度を保っている。
公爵様と公爵夫人が中へ入り、最後に御息女が入室した瞬間。
ほんの一瞬、
水晶の表面が、きらりと光ったように見えた。
錯覚だ。
そう思おうとしたが、胸の奥に残るざらつきは消えない。
神官長は予定通りの手順を口にする。
「では……ステータス鑑定を行います。水晶に手を添え、深呼吸を。力を入れず、自然のままに」
御息女は、迷いなく水晶に近づいた。
その所作には、幼子特有のためらいがない。
公爵様が、心配そうに視線を向ける。
彼女は静かに息を吸いそっと水晶に手を置いた。
――その瞬間。
部屋の空気が、はっきりと揺れた。
「……っ」
誰かが、息を呑む音。
水晶の上に、薄く発光する文字が現れる。
その瞬間、神官たちが公爵様たちに背をそむけてこそこそと話し合う。
「⋯⋯属性に測定不能、なんてあるのか⋯!?」
「魔力量が三千⋯⋯!?」
「ありえない。でも、間違ってはないはず。だって動作確認はしてただろ?」
「それでも、私達の二倍はあるんだぞ!それに、女神の加護なんて抽象的なギフト、見たことがない⋯。例こそ少ないのに…⋯」
「レベルもだろ。この年で三十って、下手したら初心者の冒険者ぐらいじゃないか⋯?」
神官長が彼らの方を見ると部屋は、嘘のように静まり返った。
誰も、すぐには動けなかった。
神官長は、数秒間水晶を見つめ、それからゆっくりと公爵様の方を向いた。
「本日の結果はすべて持ち帰り、改めて明日、正式な鑑定文としてお渡しします」
「頼んだ」
「くれぐれも、よろしくね」
一行が退出したあと、鑑定室には私たちだけが残された。
しばらく、誰も口を開かなかった。
最初に沈黙を破ったのは、神官長だった。
「……今日の内容は、教会内でも限られた者のみ共有する」
全員が、無言で頷く。
「早急に、詳細に鑑定文を作れ。できたらまず魔術省に届けろ」
記録係が、硬い表情で筆を動かす。
私は、背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、深く理解した。
今日の鑑定は、エーデルシュタイン家の御息女の将来を示したのではない。
これからのこの国の未来に関係する、なにかを。
目の当たりにしてしまった。
季節外れの雪が降った理由を、私は、このとき初めて疑い始めていた。




