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明無多とアナタ  作者: コイーバシグロll


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7/11

五・一 ◇

          五


 この日、純水プラントでの退屈な仕事を終えた明無多は、自宅のボロアパートに帰って荷物を置いたあと、そのまま近場の格闘技ジムへと向かった。最近は仕事終わりにこのジムで本格的に体を動かすことにしている。

 元々は趣味と日々の運動のためにしかしていなかった総合格闘技だが、社会人になってからは学生の頃と比べてジムへ行く機会はすっかり減っていた。しかし、今は昔の勘を完全に取り戻さねばならない。なにせ異世界では、あの貧弱なスライムの体で命懸けのサバイバルをしなければならないのだ。スライムの流動的な肉体で人間用の武術を使うという無茶な試みをしているため、頭の中のうろ覚えでなく、この現実世界でしっかりと肉体を動かし、鍛錬をしなければならないと考えた。


 バンテージを巻く。

 黒いオープンフィンガータイプのグローブを装着した拳。

 眼前。

 目の前の巨大なサンドバッグ。

 鋭く叩く。

 無造作に拳を強く握るのではなく、道中までは軽く握った状態を保ち、インパクトの瞬間にだけ小指と薬指を強く握り込む。浸透勁(しんとうけい)にも似た、打撃の威力を跳ね上げる明無多流のメソッドだ。

 重い拳での連続した打撃の合間合間に、鞭のようにしなる鋭い蹴りを差し込む。

 天井から吊るされたサンドバッグの重量は百キロ超えにも関わらず、明無多の打撃を受けるたびに反動で大きくしなり、くの字にひしゃげて揺れ動く。それほどまでに明無多の放つ一撃一撃が重く、強い証拠だ。いつも頭の中でわーきゃーと騒ぎ立てるアルナンタへの苛立ちや、望まぬ異世界生活への強烈な鬱憤を晴らすべく、ストレス解消も兼ねてひたすらに重い音を響かせて打ち込んでいく。

 今はどうやら脳内のアルナンタが爆睡しているらしく、完全に己の身体操作のみに集中することが出来る。

 しかし、それとは全く別の問題があった。

「あっ、あの姉ちゃんきょうもいるよ」

「めっちゃスタイルよくね? ……話しかけてみるか?」

「ばかやろっ! あんな百キロ超えのサンドバッグ揺らす女だぞっ。それになんか目付きも悪そうだし、殺されるぞ……」

 このような汗臭い場所に、若い女がひとりで来ているというのも目立つ要因だろうが、そもそも明無多の外見はとにかく目を引く。百八十四センチという規格外の長身に、スポーツブラから零れんばかりの豊満な胸、そして一切の無駄がなく引き締まった腹筋と四肢。その上に乗る、目つきはすこぶる悪いがモデルのように整った顔立ちに、背中まで届く美しい銀髪を運動の為にポニーテールに結い上げている。そんな圧倒的な美貌の女が、超重量のサンドバッグを破壊せんばかりの威力の打撃を放つ。その恐ろしいギャップのため、嫌でも周囲から悪目立ちしてしまう。

(くくく。まぁこんなクールビューティーなハイスペの私だ。こいつらが好奇の視線向けちまうのも無理はないだろうなぁ)

 明無多自身、周りからそうやって好奇の視線を向けられる事自体は決して嫌いではない。表情にこそ出しはしないが、内心ではにやりとほくそ笑んでいる。

(……つっても、頭ん中にこんなキモイナメクジが同居してるんだがな。こいつさえいなければ私は完璧なんだが……)

 気持ちよくナルシズムに浸ろうとするが、頭の中で丸まっているであろう意識体のアルナンタを思い出し、深くため息をついた。

 そんな明無多の姿を、ジムの片隅からじっと見つめる視線があった。

「……へえ、あいつは……」

 薄暗い影の中。

 何者かが静かに観察している。


 シャワーを浴びて汗を流した後はジムを後にし、夜のネオンが輝く繁華街を一人で闊歩する。

 激しく体を動かした後は当然腹が減る。

 望まぬ異世界生活を始めてからは、現実に戻ってもアルナンタ相手に異世界の事を尋問したり、スマホで動画なんぞを見せてやったりと忙しなく、食事なんぞも適当なもので済ませていた。そんな理由もあって、きょうは気晴らしに外食でもしたくなった。

 異世界で食べる甘い果実も悪くはないが、やはり現実での温かい食事が一番だ。

 何を食べようか。ガッツリとカツ丼にしようか、それとも濃厚なラーメンにしようか。あるいは少し贅沢に海鮮居酒屋にでも入ろうか。そんなことを考えながら歩いていると、頭の中に声が響いた。

『ん……あ! またお外だっ!』

 どうやらアルナンタが目覚めたようだ。

(起きたかアホナメクジ)

『うん。日本語のお勉強難しくて寝ちゃってた。もうお仕事は終わったの?』

(とっくに終わってる。今、飯にしようと思ってたところだよ)

『ご飯! こっちのご飯って、すっごい美味しそうだよね! ねぇ、なに食べるのっ?』

(それを今決めようとしてんの。急かすな)

『なんだろうなぁー! それにしても日本は夜なのにすっごいキラキラしてるね! 眩しくて目が眩みそうだよ』

 繁華街のきらびやかな景色を見て、アルナンタが歓喜の声をあげる。異世界の森には絶対に存在しない光景に、興奮が隠しきれないらしい。

 アルナンタと頭の中で会話をしつつ、暫く繁華街の雑踏を歩いていた。

 ふと、明無多が足を止めた。

『どうしたの?』

 アルナンタが疑問の声をあげる。

(誰かに尾けられてる。どうやら少し前から)

 冷静に返した。さっきから何者かに後ろを尾行されている気配に、明無多は気付いていた。足音と気配からして人数は三人。単なるストーカーとは少し違う気がする。自分に対する明確な殺気とでも言うのだろうか。そう言った物騒な敵意を、背中の肌でチリチリと感じ取っていた。

『あ、ちょっと前からついてきてる三人? なんかずっといるから気になってたよ』

 アルナンタが呑気に言った。

(え? 私は前しか見てないぞ。お前、後ろまで視えてるのか?)

 明無多は疑問に思った。アルナンタとは視界を共有しているが、あくまで明無多と同じ景色しか見えていないはずだ。尾行者自体をまだ目で視認していないので、三人組だということすら分からないはずだ。

『そうそう、最近出来るようになったんだよね。ちょっと練習したら、童佳の周り全部見れるようになったんだ!』

 元気に答えた。

 スライムが体内の目を動かして周囲三百六十度を見渡せる種族特性だが、明無多の魂に馴染んだのか、意識体だけのアルナンタも同じ芸当が出来るようになっていた。

(へぇ。意識体のくせにスライムと同じこと出来るようになったのかよ。で、相手はどんなヤツ?)

 腹立たしい生意気な成長だが、明無多はこれを利用することにした。

『えーと、みんな女の人かな。でもなんか、童佳みたいで雰囲気が怖いよ……』

(私みたいは余計だ。しかし何だ? こんな連中に恨みを買った覚えなんてないんだが)

 厄介事に巻き込まれるのは面倒だ。走って逃げても良いが、ジム帰りの空腹時なタイミングでのこれは非常に腹が立った。降りかかる火の粉を直接払うことに決める。

 わざと大通りを外れ、人気のない薄暗い路地裏へと入り込み、暫く進む。

 背後の尾行してきている気配は、まんまとついてくる。

「おい。お前ら、なんか用か?」

 声にドスを効かせ、ゆっくりと振り返った。

 背後には、明無多と同年齢程度の女が三人立っていた。

 左から短髪、金髪、刈り上げ。見るからに半グレと言った雰囲気で、揃いも揃ってガラの悪い服装をしている。全員、明無多への敵意で目をギラギラと光らせている。

「へぇー、気付いてたのか。さすがは天下無双の明無多様だ」

 真ん中の金髪の女が、挑発するように言った。

「すげー、相変わらずほんとにでけぇ。同じ女とは思えねぇ」

「こっわ。あの頃から全然変わってねぇじゃん」

 短髪、刈り上げの女も続く。

 明らかに明無多と面識がある言い草だ。

『童佳のこと知ってる! お友達?』

 アルナンタが嬉しそうに言うが、

「……すまん。誰だお前ら」

 明無多は心底困惑していた。相手は自分の事を知っているようだが、一切身に覚えがない。

「あぁっ!? んだと、テメェッ!!」

 金髪が激昂し、怒りの声を上げた。

『あれ? 知らない人?』

「うーん……? いやマジに分からんな。お前らみたいな底辺の連中とつるんだ覚えはない」

 明無多は首を傾げた。

 本当に分からない。

 記憶を巡らせても、この頭の悪そうな三人に対する情報が一切引き出せないからだ。

「とぼけんなよテメェ。高校の頃一緒だった麻鳴(あさなり)だよ。あの頃の借りをきっちり長利つけて返そうと思ったんだよ」

 金髪、麻鳴は顔を歪めて言った。

「高校……? ……あー、なるほど。そういう事か」

 明無多はようやく思い出したように言った。

 高校の時から、明無多はその目立つビジュアルのせいで、周りからは恐ろしい不良と呼ばれ恐れられていた。実際にその頃は今よりやさぐれていて血の気も多く、不良という人種であったのは間違いない。

 だが、群れたりしてイキっていたわけではない。ただ、その高身長と鋭い目つきから「メンチ切ってる」、少し顔が良くてスタイルが良いから「調子に乗るな」、などと同じ不良少女から理不尽な因縁を付けられ、幾度となく喧嘩を売られていた。明無多は自分からそんな行為に及んだことは一度もないが、相手が仕掛けてきた時はしっかりと買い、圧倒的な武力で返り討ちにしていた。当時から格闘技に通じていたのに加え、この体躯の明無多に勝てる不良少女など皆無だった。

 そのため、明無多は大変不本意ではあったが、気付けば高校最強の不良と呼ばれ、他校にまでその名が知れ渡るようになっていた。

 麻鳴と短髪、刈り上げの三人もその当時、明無多に粋がって喧嘩をふっかけてボコボコにされた連中という訳だ。

 とはいえ、そんなものはとうの昔の過去の話。明無多の記憶からはそんな些末なことはすっぽりと抜け落ちているし、そもそも自身とは無関係の有象無象などいちいち覚えていない。

「あー、まぁなんだ。そんなのは高校の時の話だろ。いつまでも女々しく根に持ってんじゃねぇよ。いい歳した大人が情けないぞ。いや、そもそもお前らのことは微塵も覚えてねぇが」

 明無多は頭をぽりぽりとかいた。何となく事情は分かったが、もう二十四の立派な大人だ。くだらないガキの頃の恨み事など、付き合う気は毛頭ない。

「ほら、失せろ。高校の時とは違うんだよ。今超腹減ってんの。これ以上余計な体力使わせんな」

 しっしと犬でも追い払うように手を振り、失せるように促すが、

「………殺すっ!!」

 麻鳴はこめかみに青筋を浮かべ、明無多に向かって飛びかかった。短髪と刈り上げも怒りの形相を浮かべ、同時に明無多に襲い掛かる。

『わわっ、襲ってくるよ、童佳っ!』

 アルナンタが頭の中で叫んだ。

 麻鳴が大きく振りかぶり、大振りの右フックで殴りかかる。

 明無多は少しも焦ることなく、すっ、と体を傾けて軽く避けた。

 短髪、刈り上げも同じく蹴りや拳を振るうが、明無多は足運びだけでひらりひらりと躱していく。まるで最初から当てる気がないかの様に、虚しく三人の拳は空を切る。

「おいおい。日本って平和な法治国家じゃないのかよ。いつからこんな物騒になったんだ?」

『向こうと違って平和なのはわかってるけど、こういうのよくあるの?』

「あってたまるか。こいつらが頭イカれてんの。ちゃんとした大人は路上で喧嘩なんてしないの」

 攻撃をすいすいと躱しつつ、明無多は大きなため息を吐いた。ステップなどのフットワークを見るに、三人とも少しは格闘技を齧ってはいるようだが、明無多から見たら動きに無駄が多すぎて、アルナンタと呑気に喋りながらでも全弾避けられる。

「このクソ女、さっきから何をぶつぶつ──」

 麻鳴が怒りで声を荒らげた。

「ま、正当防衛ってことで」

 明無多は軽く両腕を振った。

 その瞬間。

 三人。

 突如として地面に崩れ落ち、倒れ伏した。

「………!?」

 麻鳴含めた三人は、自分たちに何が起こったのか全く理解出来なかった。気付けばコンクリートの地面に這いつくばっていて、目の前の巨女に見下されている。

 そして体に全く力が入らず、起き上がれないどころか声も出せない。

 明無多は汗ひとつ流さずに、冷たい目つきで三人を見下ろした。

『すごいすごい! 童佳って、人間の体でもすっごい強いんだねっ!』

 アルナンタの興奮した声が頭の中に響く。

 明無多は特別な事はしていない。

 ほんの軽く打撃を打ち込んだだけだ。

 打撃どころか、本人の感覚ではただ少し撫でただけに過ぎない。だが、それだけで、三人の暴女は制圧された。それ程に、この三人にとっては途方もない戦力差だったということだ。

「じゃあな。これに懲りたら、人を尾け回して喧嘩なんて吹っかけないことだな。次やったらお前らの顎の骨、粉々に砕くぞ」

 三人に凄みのある声で言い残し、さっさとその場を後にする。

 表に出ると、アルナンタが言った。

『ねぇ、さっきの三人は子供だったの?』

「まぁ精神年齢的にはそうなるかな」

 明無多は適当に答えた。

『だよね。童佳より全然小さかったし』

「んあ? いやいや、そういう意味じゃねぇよ。二十歳過ぎて性根がガキのままの残念なヤツらってこと」

『え? じゃあなんで童佳よりずっと小さかったのさ』

「私が成人女の平均身長よりずっとでかいってだけだよ。あいつらより二十センチは高いし、普通の男の平均よりある。人間のでかさにも個人差はあるの」

『なるほど! てっきり周りの女の人間、みんな子供なのかなって思ってたよ』

 どうやら、人間の生態など詳しくないアルナンタにとって、一番詳しく見ている長身の明無多が人間の成人女性サイズの基準になっていたらしい。

「子供はもっと小さいって。お前も外歩いてて、子連れの家族なんか見てるだろ? あーゆーのが子供ね。てか体のサイズなんて、スライムも全員同じって訳じゃないだろ」

『あ、確かに。わたしたちもおっきかったり小さかったり、みんなバラバラだね』

「そういうこと。あーちくしょう、面倒事に巻き込まれてマジで腹減った。さっさと食うか。よし、今日は奮発して焼肉だ」

 愚痴を零しつつ、足早にネオン街へと歩を進めた。

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