六・二 ◆
結果的に言うと、スライムの集落には、拍子抜けするほど呆気なく入ることができた。
巨大樹の根本にある洞穴のような入り口には、槍代わりの尖った木の枝を持った見張りと思しきスライムが二体、退屈そうに体を揺らしていた。
明無多が近づくと、見張りスライムは、体を少しだけ伸ばして道を塞いだ。
「誰ー? ここから先は、村の者しか入れないよー」
「名前、なんていうのー?」
二体はのんびりとした、ひどく舌足らずな口調で尋ねてきた。まるで幼い子供が喋っているかのようだ。
明無多は少し考えた。
先ほどの森で出会った青と水色のスライムの態度からして、もしアルナンタがこの村で〈世紀のアホスライム〉として広く認識されているのであれば、本名を名乗るのは絶対に面倒なことになる。
「私は、アナタ・ド・ウカだ」
明無多は自身の本名を三分割し、スライムの命名規則に当てはめた偽名を堂々と名乗った。
「アナタ・ド・ウカ……? ふーん、わかったー。通っていいよー」
見張りは特に疑う様子もなく、名簿のようなものを確認するわけでもなく、あっさりと道を空けた。
(……緩すぎるだろ。セキュリティガバガバどころかスカスカじゃねぇか)
内心で呆れつつも、面倒な取り調べもなく簡単に入れたので良しとする。
それにしても、先ほどの青水スライムといい、この見張りといい、どうやらスライムという種族全体が、人間ほど高い知性を持っていないのか。言語を解し、社会的な集落を形成する程度の知能はあるようだが、思考の深さや語彙力は小学生レベルといったところか。まぁ、それも直ぐに分かる事だ。
ちなみに、通りすがりにいた別の見張りスライムから世間話程度にさっと聞き出したところによると、今まで明無多が這いずり回っていた鬱蒼とした森は、緑魔の森と呼ぶらしい。今となっては本当にどうでもいい情報だが。
見張りスライムに通されて薄暗い樹の内部をしばらく進むと、視界がぱあっと開けた。
「おお……」
思わず、明無多は動きを止めた。
圧倒的なスケールだった。巨大樹の内部は完全に空洞になっており、ひとつのドーム状の広大な空間を形成していた。内壁には淡く発光する蛍苔がびっしりと群生し、太陽の光が届かない内部を幻想的な青白い光で照らし出している。
その広大な広場では、大小様々、赤、青、黄色といった色とりどりのスライムたちが蠢き、和気藹々と交流していた。
「きょうの、狩りはどうだったー?」
「だめー、逃げられちゃったー」
ザワザワとした喧騒が渦巻いているが、耳に入ってくる会話はどれも舌足らずで能天気なものばかりだ。
木の根元と思われる場所には、太い枝や乾燥した藁、大きな葉っぱなどを泥で固めて作った簡素なドーム型の家が乱立しており、そこからスライムが這い出てきたり、体を出して外を覗き込んでいたりする。
上を見上げると、入り組んだ太い枝や樹冠の上にもスライムが這いずり回り、同じような家が層を成すように連なっていた。樹冠の葉が完全に天井の役割を果たしているため、これなら雨風もしっかり凌げそうだ。
『うわぁー! すごいすごい! 久しぶりに戻ってきたなぁ! でも、なんだかすごい雰囲気が変わってるね。ほら、あそこのでっかい家なんて前はなかったよ!』
アルナンタが、無邪気な歓声を上げた。
「いや、そりゃそうだろ。お前がどれだけあの湿気た洞窟に引きこもってたか知らねぇが、街並みなんて案外すぐに変わるもんだ。私の世界だって、気付けばいつも見てた建物が無くなってたりとかはザラにある」
『なるほどぉ。ん? ということは、この村ではわたしの家は……?』
「あるわけねぇだろ。……さっきの青水ナメクジ共の口ぶり的にお前はとっくに死んでた扱いだ。家なんてもう壊されてるか、他の誰かが住み着いてるだろ」
『そんなぁ! ひどいよぉ!』
アルナンタの悲痛な叫びが響くが、明無多は冷たく切り捨てた。
「てか、お前の言ってたスライムの宿は本当にあるんだろうな? きょうはもう、またあの隠れ家まで森を戻るのは骨が折れるんだが……」
明無多は、少し不安になり尋ねた。
事前に、村にはスライムが集まって眠るための宿があると聞いていたのだ。家を持たない放浪の者や、村を訪れた他所のスライムたちの寝床として開放されている施設らしい。スライムには通貨という概念がなく、基本は物々交換で経済が回っているが、この宿だけは無料で開放されているとのことだった。
『なくなっちゃってるってことはないんじゃないかなぁ。あれをなくしたら、家がないみんなの不満が爆発して、それこそ村が滅んじゃうかも』
「だといいけどな。ま、そこら辺の泥の上で雑魚寝するよりかはマシか。それに、こっちで不用意に寝てる間に、誰かに無理やり叩き起されたりでもしたら、現実の私と強制的に入れ替わっちまうしな」
そう、この異世界において一番気を付けなければならないのは、安全な睡眠場所の確保だ。睡眠中に不測の事態で叩き起こされ、現実との交差条件を満たしてしまうことだけは、何としてでも避けなければならない。
明無多は、気持ちを切り替え、スライム村を探索することにした。観光や遊びに来たわけではない。あくまでこの世界の事や憑依術に関する情報収集のためだ。それに、こんな気色の悪いカラフルなナメクジがうようよいる空間に、正直長居はしたくない。
アルナンタのガイドを受けつつ、明無多は広場の奥へと進んでいく。
目的地は、スライムの市場だ。
物資や素材の物々交換の他、色々な情報が行き交う中心地らしい。頭の悪そうなその辺のスライムに手当たり次第話しかけるより、その市場とやらで情報収集をした方がはるかに効率が良さそうだ。
『右に見えるツルが絡まってるのが、スライムの集合住宅だね! で、あっちのちょっと開けた場所が子供のスライムの学校で……あ、あの高いところにあるのは村で一番偉いスライムの家だね。貴重な魔物の骨の素材が使われてるの! お、あれは狩りの成果物を物々交換するところだね。あそこは村の別の入口。童佳が入ってきたところ以外にも、入り口は何個もあるんだよ』
「へぇ、ただのナメクジの集まりにしちゃ、意外と社会としてしっかり機能してんのな」
質問するまでもなく、明無多が視線を向けた場所にあるものをアルナンタが次々と説明していく。いちいち質問しなくて済むし、無駄な情報とも言えないので、これは結構助かる。アルナンタのこの空気を読まないお喋りで何でも話したがりな性格は、今は役に立っていた。
『あ! ほら童佳、あるよ! 君が好きな葉っぱの吸い場所! 火種で周りの木に燃え移らないように、ちゃんと魔法の結界が張られてるんだ』
アルナンタの声。
そちらへ目をやる。
広場の隅に透明な薄い膜がドーム状に張られている場所があった。その結界の表面からは、陽炎の様にゆらゆらとしたゆらめきが見える。それが魔力というものであり、魔力を宿す者は皆視認出来るのだという。
その結界の中で、数体のスライムが怪しげな紫色の幻惑葉を燃やし、そこから立ち昇る煙を美味そうに吸っている。だが、どいつもこいつも明らかに体内の目玉がぐるぐると回り、焦点が定まっていない。完全にラリっている状態だ。
『行ってきたら? 大人なら誰でも入って一緒に吸っていいんだよ。頭がぼーっとして、すっごい幸せになれるんだよっ』
「誰が行くかっ! 明らかにヤバいヤクじゃねぇか!」
現実世界でアルナンタが自慢げに語っていた時から薄々勘付いてはいたが、やはりあの葉っぱとやらはロクなものではないらしい。シガーの芳醇な香りを楽しむのとは次元が違う。
ここでトリップしてヤク中スライムになるのだけは絶対に嫌なので、明無多は顔を顰めて足早にスルーした。
やがて、目的の場所にたどり着いた。
木と葉っぱで作られたアーチ状の入り口には、不格好な木の看板が立てられ、異世界の文字で〈いちば〉と書かれている。アルナンタから文字の読み方を教わっていたおかげで、何とか読むことができた。とんでもなく汚い字ではあったが。
市場の敷地内へ入ると、入り口の広場よりもさらに多くのスライムが集まり、かなりの賑わいを見せている。地面に広げられた大きな葉っぱの上には、見たことも無いような虹色に光る星屑の石や、以前明無多が森で食した紅蜜果やバナナのような黄弦果、他にも奇妙な形をした果物や、用途の分からないボロボロの獣の皮、怪しげな紙切れ、デカすぎるネクタイの様なぼろきれなんかが露店のように並べられ、物々交換が行われている。
明無多はキョロキョロと辺りの品物を見回す。だが、今欲しいのは便利な道具や美味い果物ではなく、形のない情報だ。
特に、このアホなアルナンタが知らない情報。
とはいえ、まず真っ先に欲しい情報がある。この世界では一般常識レベルであろう、名前の法則についてだ。
憑依術の書には、作成者として〈ミクシー・クラム〉という名が記されていた。この名前という情報を得られたのは非常に大きいが、問題はこの人物が〈人間〉なのか、それとも〈魔人〉なのかで今後の動きが大きく変わってくることだ。
スライムの名前は、アルナンタ・ド・ウジカに倣い、一文字のミドルネームが間に挟まると決まっているらしい。ならば、高い知性を持つ魔人にも独自の命名法則があるはずだ。もし魔人がスライムと同じ法則に当てはまるのであれば、二単語であるミクシー・クラムは人間の可能性が高いということになる。まさか、後世に残すような禁術の書に記す自分の名前のミドルネームを、わざわざ省略するようなちゃちな真似はしないだろう。
しかし、もし魔人の名前の法則も二単語だったとすれば、かなり面倒な事態になる。魔人は魔物よりも圧倒的に強く、様々な高度な魔法を使いこなし、さらに他種族に対して明確に敵対していると聞く。このミクシー・クラムという人物が魔人であれば、憑依術を解くために接触を試みた際、戦闘は避けられない可能性が極めて高い。
一番手っ取り早いのは、この禁術の書を作ったミクシー・クラムという名前そのものを直球で尋ねて回ることだが、もしこの人物が歴史上有名な危険人物だったりした場合、変に尋ね回ることで、自分が敵対関係である、禁術作成者の人間を嗅ぎ回っている村中にバレるのは避けたい。ロクな事にならなさそうだ。調べるなら、あくまで個人的に、こっそりとだ。
そもそも、ミクシー・クラムはこんな高度な禁術を作り上げたほどの人物だ。百年、いや何百年も前の者で、もうとっくに死んでいる可能性だって十分にある。
あまりにも考えなければならない問題が多すぎる。
『ど、童佳ぁ……。あんまり一気に難しいこと、考えないでぇ。頭がぐちゃぐちゃして、眠くなっちゃいそう……』
明無多が一人で複雑な思考の渦に沈んでいると、思考を共有されているアルナンタが情報処理に追いつけず、こんがらがったのか悲鳴のような抗議の声を上げた。
(おい見ろよ。これ、甘蜜花の蜜じゃねぇか。お前が前、スライムが果物にかけるとか言ってたやつだろ)
今こんな道のど真ん中でアルナンタに寝られたら困るので、明無多は咄嗟に話題を変え、近くの一つの露店に視線を向けた。そこには竹筒のようなものに入った、黄金色のとろりとした液体が置かれていた。
『あ、本当だ! ねぇねぇ、買うのっ? それ舐めたい!』
(買わない。そもそも私が今体ん中に持ってるのって、武器代わりの石とナイフだけだろ? これしか物々交換出来るモンがねぇから、無駄に物を買うわけにゃいかんのだよ)
『えー、ケチぃ。すっごい美味しいのに』
ぶーくさと文句を言っているが、とりあえずアルナンタの眠気促進を阻止することには成功したので良しとする。
しかし、市場を注意深く見て回って思ったのだが、肝心の魔法の書物はひとつも見当たらない。ひとつくらい出回っていないのかとは思うが、これに関しては一切気配が無かった。
「なぁ、そこの透明な姉ちゃん。ずいぶん綺麗なもん体ん中にもってるじゃねぇか。ちょっと見せてくれよ」
市場を彷徨いていると、ふと横から声をかけられた。
声の低さからして男だ。その方向を向くと、丸々と太った濃い緑色のスライムがいた。明無多からは喋って貰わないと性別が分からないのだが、スライム目線では明確な違いが分かるのか、明無多を女と認識したらしい。
「……これのことか?」
明無多は、体内に取り込んでいる石を表面に押し出した。川底で拾ったもので、ただの石ではあるが、よく磨かれたようにツルツルとしていて、仄かに青光りしている。
「あぁ、そうだ。随分と綺麗な石だ。森の外れで拾ったのか?」
緑スライムは、太い触手を伸ばして明無多の持つ石を指して言った。
「あー、まぁそんな所だけど。で、要件はそれだけか? この石と何か物々交換したいのか」
「あぁ、そんなところだ」
だが、この緑スライムの足元には特に何も置かれておらず、露店販売をしているという様子ではない。
「でもお前、何も品物を持っていないじゃないか。私に何をくれるんだ?」
「おっと、警戒すんなよ。おれはリント・ヴ・ルム」
「……私はアナタ・ド・ウカだ」
「アナタか。おれはこの村で、いわゆる情報屋ってやつをやってる。〈量子の海のリント・ヴ・ルム〉って界隈じゃ呼ばれてたりするぜ。物にもよるが、おれの知ってることならなんでも教えるぜ。特に、あんたみたいな美人にはサービスしてやるよ」
リントと名乗ったスライムは、目玉を細めてくくく、と胡散臭く笑った。
美人? という単語が気になり、明無多は一瞬顔を顰める。
『え!? 今わたしに対して言ったよね!? 美人って! えへへ、どうしよう童佳!』
スライム目線からしたら、この無色透明なアルナンタの見た目は美人という部類に入るらしい。とはいえ、現実の人間の姿の時に言われるならばともかく、この気味の悪いナメクジ体を褒められても何ら嬉しくない。特に、中身のアルナンタが無駄に照れて喜ぶので尚更腹立たしい。
しかし、この申し出を断る理由はない。
もし、適当な場所に連れ込んで女を襲うような手合いの輩であれば、遠慮なく返り討ちにしてやればいいだけだ。
「助かる。丁度あんたみたいな、頭の回りそうなやつを探してたんだ」
「なら好都合だな。じゃあ場所を変えようぜ。ここで立ち話するのもなんだからな」




