六・三 ◆
少し離れた広場の隅に移動すると、リントが地面に小さな黄色い札を置いた。すると、先ほどのヤク中スライムがいた場所と同じような、陽炎のゆらめく薄い結界のドームが現れた。
中に案内され、結界に触れると、水の膜をくぐるように簡単にすり抜けた。
「さて、何が知りたい? おれが答えられることなら何でも答えるぜ」
「……本題の前に。この結界ってのは村でよく見かけるが、結構基礎的な魔法なのか?」
明無多が周囲の膜を見回して尋ねた。
「んぁ? おいおい、おまえさん、随分と遠くから来た外モンか? ……ま、それくらいならタダの常識として教えるけどよ。この結界術は基礎中の基礎だ。そこら辺の市場で売ってる、やっすい魔力入りの札で誰でも簡単に作れる。あ、別に閉じ込めてるわけじゃねぇから安心しな。これはただ外に音が漏れなくなるだけの結界だ。出ようと思えば即出れる。なんなら今すぐ試してみてもいいぜ」
「いや、いい。……で、本題だ。魔人って種族いるだろ? やつらのフルネームが、私らスライムと同じ三単語なのか知りたいんだが」
「魔人の名前? 妙なことをきくんだな? まぁいいか。そうだ。魔人の名前の法則も、おれらと同じで間に一文字入る三単語だよ。違うのは人間くらいだな。やつらは苗字と名前の二単語だ」
「なるほど」
リントの口から、あっさりと、しかし確信に迫る思わぬ収穫があった。
人間の名前が二単語なのは価値のないほどの一般常識らしいが、明無多にとっては十分すぎる価値のある情報だった。これで、禁術の書を作ったミクシー・クラムは十中八九人間だということが確定した。
「そうか。十分だ。ほら、石やるよ」
明無多が約束通り、体から取り出した石を渡そうとするが、リントは触手を振って止めた。
「おいおい、待て待て。もう少しなんかきいてくれよ。結構綺麗な石だし、これじゃあおれが外モンを相手にぼったくってるみたいになるだろ?」
「……と言われてもな」
今素直に石を貰っておけば大儲け出来たというのに、わざわざ引き止めてきた。ならば、少しはこのスライムを信用しても良いのかもしれない。だが、それでもいきなり「ミクシー・クラムを知っているか」と核心に迫る質問は危険だ。
「……あ、そうだ」
考えた上で、ひとつ、気になっていた事があった。
「なんだ? 言ってみな」
「魔法の書物だよ。あれの入手方法が知りたい。さっき市場を見て回ったが、全然売られてないからなぁ」
「……あぁ、そのことか。いいぜ」
リントが、特に意外そうでもない声を上げた。
またこの手の質問か、と言った呆れたような口ぶりだ。
「流石にこれくらいは知ってると思うが、魔法ってのは魔法の書を使って後天的に覚える〈基本魔法〉か、生まれ持った才能だけで使える〈固有魔法〉の二種類がある。……で、書物についてだな」
(待て。固有魔法……? おいナメクジ、そんなもん聞いてねぇぞっ!)
明無多は、思わず内心で激しく叫んだ。
固有魔法。今、初めて聞いた重要な単語だ。
『あ。てへへ、説明するのすっかり忘れてた』
(てめぇ……後でシメる)
とは言え、今はリントの話に集中することにした。アルナンタが知っているのなら、その固有魔法とやらの詳細は後でゆっくり締め上げながら訊けばよいからだ。
「まず魔法の書ってのは、一度使ったら魔力が消失して終わりの完全な使い捨てだ。未使用なのは魔力があるかないかで見ただけですぐ分かるが、市場に出回る書物は大抵が、誰かが使った後のただの紙っぺらだ。稀に未使用の本物が出回るが、目玉が飛び出るほど物凄く高値が着くか、それとも手に入れたやつが欲張って自分で使っちまうかだな。おれらみたいなスライムにとって、自分の魔法を持つなんて一生に一度の夢みたいなもんだからな。……で、こっからが本題だ」
リントが重々しく一呼吸置いた。
「あれらの書物は、人間の賢者あるいは高位の魔人が作ってるモンだ。どうやって作られてるかは流石のおれも知らねぇが……おれらスライムの頭じゃ到底理解不能な、複雑な術式で構築されているらしい。ま、ぶっちゃけ人間の住んでる街なんて、おれら魔物にとっちゃ危なっかしくて行くばかはそうそういねぇ。魔人ならなおさらだ。いくら魔法の書があるっつっても、殺されちゃあ意味ないからな。だから、市場以外で手に入れるには、森で死んだ人間が偶然未使用の書を持っていたのを漁るか、誰かが落とした未使用のを運良く拾うって場合くらいだな。ま、入手方法についてはこれくらいだ」
「そうか、よくわかった。ありがとうよ。ほれ、約束の石だ」
明無多は、リントが欲しがっていた石を差し出した。
所詮はスライムの知性なのか、話し方が冗長で無駄な情報が多かったが、やはり魔法の書は自然発生するものではなく、誰かの手によって作られたものだという事は確信に変わったので十分だった。
「おうよ、毎度あり。……ついでだから笑い話として教えてやるが、昔、この村で〈魔法の書物は地面から勝手に生えてくる〉なんていう馬鹿げたデマが広がったことがあってなぁ。ほとんど誰も信じなかったんだが、それを完全に信じ込んで、毎日森の土を掘り返してたアホが昔いたんだよ」
「……あ?」
明無多の思考がピタリと止まった。
魔法の書物が勝手に生えてくる、などと抜かしたアホ。
嫌というほど思い当たる節があった。
「そう! ちょうどあんたと同じ、無色透明なスライムだっ! アルナンタ・ド・ウジカって言ってな」
『あ! わたしのことだっ! 童佳、わたしのこと話してるよっ!』
アルナンタが、自分の名前が出たことで嬉しそうな声を上げた。
「この集落じゃ、ある意味超有名人だったんだぜ!? もぉめっちゃくっちゃに頭が悪くてどんくさくてさっ! 自分が周りからばかにされてることすら気付かないほどの、本物のばかだったんだっ! みんなであいつをばかにして、嘘教えて笑ってたんだぜっ! 面白いだろっ!?」
リントが体を震わせ、ゲラゲラと下品に笑う。
「まぁ、やつが村にいたのはずっと前だ。もう村を出てっていなくなったし、あんなウスノロ、とっくの昔に魔物に食われて死んでるだろうなぁ。……そういや、あんたと名前の響きも体色もそっくりだな。アナタ・ド・ウカとアルナンタ・ド・ウジカ……ま、あんたの方はあのアホと違って聡明そうだし、美人だから全然違うけどな!」
『え……うそ。わ、わたし……みんなから、そんな風に思われてたの……? うそだよね……?』
アルナンタが、リントの容赦ない嘲笑混じりの言いぶりを聞いて、この世の終わりのような震える声を上げた。自分がドジで頭が悪いという自覚は少なからずあったようだが、ここまで直球で、しかも村全体から馬鹿にされ、オモチャにされていたという事実は、大きすぎるショックを与えたらしい。
「そ、そうか……。そりゃあ傑作だな」
明無多は引きつった愛想笑いを浮かべつつ、やはり入り口でアルナンタと名乗らなくて本当に良かったと心底安堵した。
「まぁ、達者でな、アナタ。あんたが運良く魔法の書を手に入れられるように祈ってるぜ」
上機嫌なリントの言葉を背に、明無多は結界を後にした。
スライムの宿は、巨大樹の中腹あたり、かなり目立つ場所に複数並んでおり、すぐに見つけることができた。
管理している老スライムに空きを確認すると、あっさりと宿を取ることが出来た。巨大な葉っぱで仕切られただけの簡素なものだが、小さいながらも一応は個室が完備されており、宿が開放された空間で、他のスライム達と身を寄せ合って雑魚寝しなければならないという最悪の事態は避けられた。
ふかふかとした葉っぱのベッドに乗り、深く息を吐く。後は寝る時まで今日得た情報をまとめつつ、休息を取るだけだ。市場からの帰りがけに、手持ちの別の石をいくつか消費して、水気の多いフルーツをいくつか交換出来たので、今日の食事はこれにする。
だが。
『はぁ……わたしって、そんなにばかにされてたんだ……ぐすっ……みんな、友達だと思ってたのに……』
アルナンタが、完全にどん底まで落ち込んでいて使い物にならなくなっていた。あの固有魔法の件について詳しく締め上げながら訊きたいのに、あれから何度話しかけてもうんともすんとも言わず、ただメソメソと頭の中で泣き言を繰り返すばかりなのだ。
(……めんどくせぇナメクジだな、本当に。意識体しかねぇ癖に一丁前に泣くんじゃねぇよ)
しかし、まさか本当にアルナンタが村でそこまでの有名人だったとは。しかもめちゃくちゃバカにされている。村では、アルナンタは村外に出て行き死んだということになっているようだが、あの入り口付近でノビていた青色と水色のスライムにアルナンタだと思われているのは非常にまずい。変に噂を広められても面倒なことになる。
……とは思ったが、あの二匹には、アルナンタだと自分から名乗った訳ではない。向こうが勝手に勘違いしただけだ。かと言って、別人だとわざわざ説明するため今からこの広大な村中を探し回るというのも現実的ではない。
もしくは、あのままノビたまま、運悪く森の魔物にでも食われているかもしれない。
そして仮にアルナンタが生きてるという噂が広まったとしても、中身が明無多である以上、性格も強さもまるで違う。見た目が似ていようが、同一人物とは思われないだろう。それにスライムの知性は全体的に低い。仮にアルナンタ本人だと疑われても、いくらでも言いくるめる自信はある。
「この異世界でいる間は、私はアナタ・ド・ウカって事にするか。本名を三分割しただけで安直だが、下手な偽名を使って紛らわしくなるよりはマシだ」
まぁ、どうせこの村に長居する気はないのだ。
さっさと必要な情報だけ集めて、安全なあの隠れ家の洞窟に戻ろう。
明無多はそう思惟し、フルーツを食べた。




