第十一章•下弦の月夜㊁
……わあぁ………
想像以上の大空間ーー並んだベッドに、そこは寝室であることが、わかるのだった。
広い部屋に入れば、左側に大きな窓ーー(両開きのガラス戸から、外のテラスへ出られるようになっていた)ーー右側奥の正面には、ひと際大きな天蓋つきのベッドがあった。
深い色合いを帯びた、美しい四本柱を飾る、淡い紫のカーテンに、それが亡くなったララン王妃の寝台であったことが、一目にわかる。
広い部屋には、合わせて六つのベッドがありーー残りの5つは、縦長の部屋の両側に、二つと三つにわかれて、向かい合うかたちに、置かれていた。
ララン王妃のベッドより、少しコンパクトなすがたにーーそれでも間違いなく豪華な、天蓋つきの5つのベッドには、それぞれ違う色のカーテンが、飾られていた。
「私のベッドだぁ!」
緑色のカーテンの寝台に、渦が大喜びで飛び乗る!
「ちょっと!……まだ私たちのとは……」
まるで美術館にいるような感覚に、うっとりとした余韻から弾かれた紅が、ドキリとして注意する。
「どう見てもそうだし、なんなら〈印〉まで彫ってある」
青の冷静な声が、通るのだった。
二つ並んだ、赤色と青色のカーテンの寝台ーー手前にある、赤色のベッドのそばへ行った青が、枕の上の飾り板を、細く白い指でなぞっていた。
紅も近づいて見れば、そこには確かに、見間違えようのない、〈火の模様〉が、立体的に巧緻に刻まれていた。
「お部屋の都合上、どうしても〈5の守護神さま〉の寝台を、王妃さまと同じ大きさにすることがかなわず、ご不快な思いを、申し訳ございません」
王の第二側近が、深く身を下げるのだった。
「そんなことまったく思ってません!……それどころか……自分のベッドより、全然大きいぐらいで……」
鼓が慌てて言い、漏らした言葉に、圧倒され眺めていた宿も、大きく頷くのだった……。
「周りに知られず、どうやって用意したんですか」
青が聞く。
「たしかに……」
ベッドに腰かけた渦がつぶやき、真っすぐにサザを見る。
紅、鼓、宿の瞳も、王の第二側近を見つめるのだった。
「〈5の守護神さま〉が王国へご来臨されるまでの、この十八年の月日の間に、ハスギとわたくしとで、少しずつ、用意を整えさせていただきました」
「そんなに前から……」
宿がまるい目を見開き、息をのむ……。
「たった二人で、全部を……」
鼓が、信じられないという顔に、改めて、部屋に並ぶベッドたちを眺める……。
「でもたしかに、それだけ長期間であれば、不審に思われるリスクも減る」
いつもの考えるときの癖に、握った拳を顎にぽんぽんと当てながら、渦がつぶやく。
「側近だけで部屋を管理してるのは、ベッドがあるからだったんですね……」
言葉にして紅は、思いがけず鼻の奥がじんとし、込み上げてきた感情に、視界が潤み、慌てて顔を俯けた……。
束の間、それぞれの思いに耽けるように、しめやかなしじまが、満たすのだった。
「飾り板の〈お印〉のほうは、ハスギが彫ったものでございます」
沈黙をーーサザの声が通る。
「へぇー! やっぱあのおじさん、ただもんじゃないんだね!」
渦の明るい声が響き、笑みの浮かんだ顔に、自分のベッドに彫られた〈模様〉を、愛着をもって触るのだった。
「やっぱりって……」
紅の開かれた目が向く。
「なんかさ、職人!っていうような手だったからさ」
「すごい……そんなところも見てるんだ……」
宿が驚き、尊敬するような眼差しに、ニヤリとピースサインを向けた仲間を見る。
「煽らないで」
青の冷ややかな声に、口を開きかけた鼓が、慌ててごくりと、飲み下すのだった。
「おぉ!風だけにってか。 うまいねー青」
ニヤニヤとした相手に向く代わり、ぽかんとした目に見る宿たちが、その鋭い眼に突き刺されるのだった。
苦笑を浮かべたサザが、笑みを静め、真剣な面に口を開く。
「ニドーレ家は代々、高名な彫り物師の一族でございます。 ハスギの二人の弟も、名高い彫り物師に、玉座をはじめ、この〈シード城〉にありますさまざまな作品を、手がけております」
ほーらっ!、というように、渦の勝ち誇った顔が、青へ向けられる。
「王の第一側近ってだけでもすごいのに、そのうえ名家の職人でもあるって、やっぱ凄すぎるわ」
渦の感嘆の声にーー師を称えられた弟子は、なぜだか、その表情を陰らすのだった。
深長な間があくーー
「どうしたんですか……」
紅が不安げに聞く……。
視線の先に映る第二側近は、はっとして、頭を下げるのだった。
「申し訳ございません。 ハスギのことでございますが、ハスギはあくまでも、王の第一側近でございます。……卓抜した腕はございますが、ニドーレ家の彫り物師としては、認められておりません」
「どういうこと?」
眉間に皺を寄せ、渦が身を前にする。
弟子は、師の話に、時の間迷いを隠せず見せたが、ひとつ息を吸い込むと、静かに口を解く。
「ハスギの父イゴンは、二代目カド花王の第一側近でございました。 以降、ニドーレ家の長兄の長子は、王の側近となり、あとに生まれた者たちが、彫り物師になるという、一族の掟だそうです」
低く乾いた声が消えるとーー深々とした沈黙が、流れるのだった………
「……どんなになりたくても、なれないものがある………」
みなの瞳が向くーーー
誰よりも短い髪をした少女は、瞬きのない目に、あたかも虚空を見つめているようなーー己の深淵を覗いているようなーー表情のない顔に、宙の一点を捉えていた。
「……下に弟や妹がいれば、上には逃げられないしがらみがある………」
掠れたつぶやきが、静寂に重く尾を引き、ゆっくりと沈み消えるーーー
「兄や姉に対しても、しがらみは同じでしょ」
冷然と放たれた声に、鼓の目がはっと向く……。
暗闇にこだました音をたどるように、紅の虚な目が、冷ややかに射貫く細い瞳を、捉えるのだった。
部屋を包んだ、不穏な雲行きにーー宿が慌てて、口を開く。
「あっちは……そこの階段の上には、なにがあるんですか……?」
部屋へ入り、左側にある大きな窓(テラスへ続くガラス戸)がある場所は、幅広い階段を数段下りて、小さな部屋のような、いかにも落ち着く空間になっており、その部屋の横に、アーチ形の戸口があった。そこから、大理石の階段のすがたが、上へと伸びていた。
「あっ……はい、階段を上がりました二階には、お手洗いと、湯殿がございます」
「えっ!ほんとにっ! やったー! 熱いお風呂入りたい!」
渦が歓喜の声をあげる!
鼓も思わず、胸の前にぎゅっとした両手を、小さく揺り動かすのだった。
「裏山に源泉があり、そこから新鮮な湯を引いておりますので、いつでもお好きなときに、お入りいただけます」
「やばーい! まさか温泉に入れるなんて! 最高すぎる!」
両手を突き上げ、ベッドに腰かけた足をバタバタと、渦が叫ぶ!
しかし、紅も宿も鼓も、諦め半分、くだびれ半分に、もう立てた指を口元へ持っていくことはしなかった。
「王国自慢の、とろりとした濁り湯でございます。 美肌はもちろんのこと、他にもさまざまな効能効果があると、伝えられております」
「ってことは、やっぱり王妃さまも、肌がきれいだった?」
渦のウキウキとした声に、サザは「はい」と、穏やかな声にも、どこか心寂しさを滲ませた顔に、答えるのだった。
「そっか……よし!さっそく入ろ……」
「まだもうひと部屋、あるみたいだけど」
遮り響いた青の声に、みなの目が向くーー
言われて見れば確かに、広い寝室の右奥ーーちょうど、青の寝台がある横に、もう一つ、階段と同じアーチ形の戸口があった。
すると、背筋を伸ばしたサザが、「失礼します」と、足を進めるーーー
みなの見つめる先、戸口の横へ着くと、いかにも畏まり、その口を解くのだった。
「亡きマル花王より、〈5の守護神さま〉へ、捧げものがございます」
「どうぞこちらへ」ーーと、王の第二側近は厳粛な声を放ち、5人の少女たちは、それぞれの性を映した面持ちに、アーチ形の戸口をくぐるーーー
意外にも短く真っすぐな、廊下を進み、突き当たりを左へ曲がるーーー
「わぁ……」
宿の声が漏れる……。
目の前に高く並んだ、〈三枚の肖像画〉ーー婚礼のときだと思われる、自分たちと変わらぬ年ほどの、見目麗しい、娘たちのすがたーーー
純白のドレスにーーすっきりと後方へまとめられた髪には、目を引く同じ純白の、とても長く美しい布が、覆い包むように、つけられていたーーー
〈三人の王妃の肖像画〉の下には、それぞれガラスケースが据えられ、絵のなかに〈身に纏っていたドレス〉や、〈高雅なリレ〉のすがたが、貴重な展示品のごとく、それは流れた年月を感じさせぬ保存状態に、飾られていた。
「ララン王妃……」
紅が、魅せられたように、つぶやく………
金色の額縁には、それぞれなまえが彫られていた。ーーたとえ、なまえが彫られていなくとも、紅を含め、みなすぐにわかったことだろう。
その人はーーとても美しい人だったーーー
並ぶ〈肖像画〉のなかで、最も暗い髪色をして、纏う純白のドレスに、一種の不思議な相乗効果をもらすさまに、最も白く輝くような肌をしていた。
すっと通った鼻筋が、聡明さを表し、頬には柔らかな赤みが差して、幸せそうに微笑む口元に、こちらを真っすぐに見つめる、黒く大きな瞳ーー強くも、優しくもある、吸い込まれてしまいそうな、深い光を孕んでいた。
ナリ花王の瞳は、澄んだ琥珀色であったが、その細い顔の輪郭や端正な顔立ちは、母ララン王妃に、そっくりであった。
しばしの時、みな声なく眺め入りーーやがて、誰が何を言ったでもなく、5人の瞳がそろって、見上げる〈肖像画〉から、部屋の反対側へ向くーーそこには、サザが立っていた。
そして、王の第二側近の横に、眩く輝く、〈特別な5着の衣装〉が、並んでいた。
「〈夢〉のなかで……着てたやつ……」
鼓が震える手に指差し、震えた声を漏らす……。
「実際に見ると、めちゃくちゃ高級そう」
ニヤリと笑みを浮かべ、渦が言う。
青は黙ったまま、じっと見据えていた。
「とっても素敵……」
恐れ半分、嬉しさ半分に、宿がつぶやく……。
瞳に映る、〈赤い衣装〉ーーたくさんの宝石と共に輝いた、金糸の縫い取りーー王国の〈紋章〉と〈火の模様〉を見つめーー封じていた胸の奥を焦がし、ぎゅっと掴まれる痛みに、紅は乾いた唇を噛み締めるのだった……。




