《アトリスーー大いなる光明》
ホールキン一族は、治世の座についた一人の王に対して、その隣に座するはただ一人の妃のみーーというかたちに、歴史を刻んできた。
他の国々をみてみても、側女を一切もたぬことは異例のことに、たとえ妃が早世しても、世継ぎの男の子が誕生していないという、唯一の例外をのぞいては、新たな王妃を迎えることは、固く禁じられている。
初代王が取り決めた掟は、当時周りの者たちから懸念の声が多く上がったというが、常は臣下たちの意見にも広く耳を傾けた王も、これだけは頑として譲らず、その権限により、今に守られ継承されている。
誰よりも王国の未来を考え、その歴史を繋げていくことに、もてる人生の心血を注いだ初代王が、一見まるで不利益に相反するような掟を、なぜ制定するに至ったのかーー。
その真意を知るものは、位を継いだ息子でさえも知らずーーただ、一つ、有力な説に囁かれているのは、新天地を求める旅へ出る前ーー北の郷里で起きた、肉親を交えたかつての惨事が、深く関係しているのではないか、ということだった。
そして、王家の家系図を見てみれば、誰もが一度は、首を傾げることがあった。
初代ヨーラ花王と、もとは〈スーレン族〉の女族長であったルリルーーリテン王妃とのあいだには、二人の王子が誕生した。
兄のネレ花王子ーー弟のカド花王子である。
二人とも、両親の明達に、穏やかさを引き継ぎ、どちらかといえば、兄のほうがより温厚に、部屋で書物を読むことを好むこと対して、弟は好奇心旺盛に、積極的に外へ出て、様々なことを見聞きしたがった。
好むことは違えども、二人の兄弟はとても仲が良く、固い信頼で結ばれ、それは成長してからも、変わることはなかった。
そして、のちに、王国の二代目王の玉座についたのは、兄ではなく、弟のほうであった。
王位につかなかった兄のネレ花は、重臣たちよりも位の高い、王の次に強い権力をもつ、長官ーー〈茎の役〉につき、国の政を行う、弟のカド花王をそばに支え、補佐するに徹した。
兄のネレ花は、テオという名の、〈城〉に仕えていたおなごを娶った。しかし、二人の間に子が生まれることはなかった。
そして、弟のカド花王は、ミセリ王妃を迎えた。
二代目王と王妃との間には、王子と、王女とが、誕生した。
兄のマル花王子ーー妹のツツリ姫である。
王国にとってはじめての、王女の誕生に、祝いの宴は幾日も続いたという。
しかし、その幸せは長くは続かず、王女が5歳の誕生日を迎えてまもなくのこと、ツツリ姫は突然の病に、早世した。
一人になってしまった、兄のマル花王子であったが、かけがえのない、大切な妹を失った深い傷ーー辛い悲しみを乗り越えーーのちに、無事三代目の、王位につくのだった。
マル花王は、偉大な建国の祖父と同じ、先住民〈スーレン〉のなかでも、混血である、〈二二〉のララン王妃を娶り、二人の間には、王子が二人誕生した。
兄のナリ花王子ーー弟のルイ花王子である。
ここまでくればーー光華な王家の家系図を見て、奇妙に思うことがわかるだろう。
そうーーホールキンの王とその妃との間には、〈子がきっかり二人のみ〉、誕生しているのだ。
二人目の誕生以降、どれだけ待てど、祝いを宣する高らかな音が鳴り響くことはなく、王たちはあらゆる医術者を呼び寄せてみたが、みな原因がわからず、この不可思議な事象が変わることはなかった。
聖なる領域事を、無骨に冒瀆することに、表にはあえて言葉にするものはいなかったが、人々の間では、今もなお密やかに囁き伝わる、〈王家の呪い〉であった。
歴代の王と王妃がみなそうであったように、三代目マル花王とララン王妃もまた、かけがえのない宝である、二人の王子の誕生に、この上ない喜びとーー同時、片時も離れぬ不安とがーーその胸に去来し、締めつけた。
父王は自らも、〈王位継承者として誕生したさだめ〉ーー決して逃れられぬ、〈過酷な試練〉を、乗り越えてきたのだ。
それは数えきれぬほどの、眠れぬ夜にはーー決まって、〈パドール〉の言葉がーー二人の愛する王子たちに待ち受ける宿命ーー《アトリス》がーー身の内によみがえり……深々とこだますのだった……。
《この世に生まれ出、息をした瞬間に、心に〈夜〉が取り込まれる。 成長していくと共に、己の力で、〈陽〉を昇らせるのだ。 暗闇を照らす光を得るには、生きとし生けるものーー多くのものに触れ愛で、少しずつ己の幸せをため、そうして手にした光を、ためらうことなく、内から外へーー抱く森羅万象へ、注ぐことーー。 兄、弟に関係なく、先に心のなかへ、〈陽〉を昇らせたほうが、玉座につく。 たとえ王子が一人であっても、〈陽〉を昇らすことができなければ、この地を治める王として、迎え認められない。 もし、最後まで、〈陽〉を昇らすことができなければーーー長い間、心の内に、〈闇〉が満たしたままの状態というのは、誠に恐ろしきことである。 自分自身を見失い、最悪の結末をーー遂げることもーー十分にあり得る。 それでもなお、〈さだめ〉から逃れることはできぬ………》
兄ナリ花と、弟ルイ花は、齢が三つ離れていた。
兄のナリ花が、父マル花王の、明るい栗色の髪ーー澄んだ琥珀色の瞳を、受け継いだ一方で、弟のルイ花は、暗い栗色の髪にーー母ララン王妃の、真っすぐな黒い瞳を、受け継いだ。
二人の王子は、同じ条件に、同じ〈試練〉を、課せられているはずであったが、時の経過と共に、その差は顕著に現れた。
兄は眉目秀麗に、心優しく、人との関わり合いも上手に、そこにはなにか周りの人々を惹きつけるものがあった。あらゆることに対して、生まれながらの器用さを発揮した。
弟のほうも、静かに、独りを好む性ではあったが、学問にいたっては、兄を凌ぐほどの優秀さであった。
しかしーー王と王妃が、極めて心懸かりであったことーーそれは、ルイ花王子の、見目であった。
ルイ花は生まれつき、左の瞳が小さく、外側へ向いた、斜視であったのだ。
それは本人のせいでもーー誰のせいでもない。
これもまた、一つの宿命であった……。
深く根差した思想というものは、不安定に揺れ動く大局に、人々の心を強く結びつけ、大きな力をもたらす一方で、それは時として、非常な残酷さをもつことも、明白な事実である。
〈神恵ノ国〉の人々もまた、そうであった。
『神聖なる力は、〈目〉に宿しものーーあらゆるものごとを見透すその〈瞳〉は、なにより特別な存在である』ーーと、信じられていた。
そのため、兄に比べ不器量な弟は、陰で気味悪がられ、本当は王の子ではないのだとーー王国に悪い出来事が起こるたび、それはルイ花のせいであるとーー内に引きこもる性も合わさり、悪い噂が絶えず、王子の存在自体が凶兆ともーー囁かれた。
しかし、他のものがなにを言おうとも、兄ナリ花は、弟ルイ花のことを、なによりも大切に思い、言葉数の少ない、感情の色も淡い弟ではあったが、己の成長と共に、守る覚悟を強めていくのだった。
父王も同じに、母ララン王妃もまた、周りのものたちの声を気にすることなく、かけがえのない二人の王子を、分け隔てなく愛し、深くあたたかな愛情で、包み込んだ。
だがーーそんな家族の思いとは裏腹に、ルイ花は次第に、心を閉ざすようになったのだった。
成長と共に、部屋のなかにこもりきり、誰にも会おうとせず、唯一心を開くのは、母ララン王妃だけであった。
そして、〈運命のあの日〉がやってくるーーー
兄ナリ花が十三歳、弟ルイ花が十歳ーーのときであった。
四月の終わり頃より、止む気配をみせず雨が降り続き、それは新しい月の5月に入ってからも、変わることなく、いたるところ土砂崩れや、農作物への被害がでていた。死者も日に日に増え、このままでは、深刻な食糧不足に、王国はじまって以来の、飢饉の様相も免れぬーーというような状況であった。
本来の晴天を長く封じられた王国全体が、暗く不安に、陰鬱な空気に包まれていた。
5月十5日ーーその日も、一日中強い雨と風とが降り荒み、日暮れ頃には、雷まで鳴りだしていた。
男の名は、ヤグ•カハルーー。
王国の歴史書にも大きく記された、衝撃的な事件を引き起こした男は、荒天のなか、闇夜〈城〉へ忍び込み、それは一種憑かれた、恐ろしき執着心に、衛兵の目を盗み、ルイ花王子の部屋へーー寝ていた王子を、携えた短剣で刺し殺そうとした。
幸運か、不運かーーその夜は、母ララン王妃が、ルイ花の部屋にいたのだった。
母親というものは、父親とはまた違う、己の腹に宿った子に対して、人知の計り知れぬものをもつ。
王子がいる、寝台近くの肘掛け椅子に寝てしまっていたララン王妃は、突然の胸騒ぎに、はっと目を覚ました。男がちょうど、薄闇にきらりと光る短剣を振り下ろそうとしたときーーその身を挺して、我が子に守ったのだった。ララン王妃は背中を刺され、城中に響き渡った王子の悲鳴に、兵士たちはすぐに駆けつけた。
目的を遂げられず、茫然自失としたヤグ•カハルは、その場で捕らえられ、王妃殺害という、極めて重い大罪人として、〈城〉の地下牢へ連行された。
男の動機は、なんとも一方的な恨みに、歪んだものであった。
ルイ花王子が誕生してから、ヤグ•カハルの不運は続いた。
信頼していた人に騙され、職、家財を失いーーそれでもなんとか、ようやく生活を立て直した今年に入り、長いこと待ち望み、生まれたばかりの赤子も、すぐに死んでしまったとーー。そして、この未曽有の天災ーー。
これらはすべて、ルイ花王子の呪いであると、罪人は言い放った。
ヤグ•カハルの死罪は確実に、なにも知らなかった妻と、三人の子どもたちも、みな死をもって罰するのが、当然のことであった。
しかしーー三日後、実際に刑が執行されたのは、ヤグ•カハルひとりであった。
王妃殺害という、前代未聞の、極めて重大な罪であるにも関わらず、その家族が死罪を免れたのは、特例でありーーマル花王の、苦しみ抜いた決断であった。
すべてのことは、男が独りで企て、独断でやったことーー家族は一切知らず、たとえ処罰を受けぬとも、これから先のことを思えば、もはや十分であろうと……。なにより王は、無惨に命を奪われた王妃自身が、無垢な子らの命まで罰することを、望まないであろうと、深く悲しむであろうと、考えたことが大きく影響した。
マル花王その人が、当時第一側近であったハスギに命じ、表には、男と共に刑を執行したことにし、秘密裏に、妻と子どもたちを、王国の外へ逃してやったのだった。
その事実を知ったルイ花は、激しい怒りをあらわにした。
男だけでなく、その家族も当然、処刑されるべきであるとーー兄ナリ花でなく、価値の劣る自分であったから、そのような生ぬるく、軽い裁きになったのだと。
あとにも先にも、ルイ花があれほどの感情を表に出したのは、それが最後となった。
以降、まるで感情というものを、深淵に落としたかのように、ルイ花は一切の表情をもたず、あたかも蝋人形のごとく、母親を殺されたその部屋に閉じこもり、年月を過ごしていった。
王妃が天空へ旅立ち、5日後のことーーあれほど長く続いていた雨はぴたりと止み、人々は忘れかけていた、蒼天を仰ぎ見た。
時を同じくして、〈透青湖〉を挟んだ対岸にーー不穏な気配、不気味な灰色の霧が、包み現れるようになる……。
〈冷ノ谷の闇〉が、長い眠りから、目覚めたのであった………




