《初代王ーータルフヒアの王》
〈神恵ノ国〉、初代王、ホールキン•ヨーラ花は、現ナリ花王の曽祖父にあたる。
王家の家系図を見てみても、まだそれほど歴史の長い国ではないことが、わかるのだった。
〈神恵ノ国〉ーーという名は、むろん、初代王が命名した。
込められた意味はそのままに、ようやくたどり着いたこの地が、まるで天からの贈りものーー神からのお恵みのように、まこと美しい景色ーー豊穣の地であったことが、その名の由縁である。
若き日のヨーラ花は、痩せた地に乏しい資源、さすれば派生する、肉親の醜い争いごとに、ほとほと嫌気が差し、遠く北にある郷里を離れ、新天地ーー安住の地を探し求める旅へ出た。
そして、この旅こそが、長い時蔦にからまり眠りについていた、〈運命の歯車〉をーー呼び覚まし、動かした……。
新しき王が、動き出したと時を同じくして、古からの王にも、ある〈光の御言〉が降り注ぐ。
〈凛緑山〉の山奥深くーー太古の時より住み生きる、〈神獣 サウ•ゴーン〉は、5頭の雄に、十頭の雌で、高貴な群れをなす。
そのしなやかなからだは、艶やかな赤褐色の毛に覆われ、腹の部分だけ雪のごとく真白に、雄はみな、立派な枝角をのばしている。
5頭いる雄のなかで、群れの長であり、〈凛緑山の主〉であるのが、一際堂々たるからだに、金に輝く圧倒的な枝角ーー見るものに一種の恐れを抱かせるほど、それは吸い込まれてしまいそうな、黒瑪瑙のような瞳を、鮮やかな青に美しく縁取った、〈パドール〉であった。
そして、この〈パドール〉だけが、摩訶不思議なことに、人語を解した。
《タルフヒアの王》ーー〈パドール〉は、ある予言を受け取った。
ーーーー『北よりやってくる人間たちが、《タルフヒア(光の地)》に、大きな災いと、《ザロンゴル(影の地)》を打ち砕く光玉を、もたらすであろう………』ーーーー
神妙なるこだまが消えると、〈パドール〉は住みかである、岩の洞穴へ入っていった。
仄暗く、広々としたなかには、その真ん中に、高い岩の天井から、白白とした陽光が神秘的に差し照らす、見事な円形の石台ーーいとも清らかな水が満満と張られた、〈水盤〉が据えられていた。
薄暗い岩窟になおのこと、光輝を纏い放つかのごとく、神々しい雄鹿が真っすぐに歩みを進めれば、天井の穴に差し照らす陽は、ひとりでにすうっと絹の幕を下ろし、森厳なる場にふさわしい、静謐な光と化すのだった。
大きなからだの高さ、風雅なかおの位置にピタリと合わさる、神秘的な〈水鏡〉へ、〈山の主〉は厳かに息を吹きかける。
やわらかな陽を受ける水面が幻想的にさざなみーーそれは摩訶不思議なことに、〈パドール〉が優美な口先を離しても、しばしの時、ひとりでに波紋はうまれ広がりーーやがて輪が静まるとーーそこに、螺鈿のごとく、七色に光り輝く白いかおと、丸く小さな目が、現れた。
《タルフヒア》の、もうひとつの玉座につく、〈神魚 シル•カイア〉であった。
両者の会話は、いとも不思議なものに、神々の言葉ーー〈ミューン語〉なるもので、話すのだが、人間のように口を動かして、言葉を発するのではない。
耳に聞こえる声は存在せず、表には遠く離れ隔てられた山奥と湖の底ーー《タルフヒア》の古からの王たちは、重大なる事柄を、話し合っていた。
〈シル•カイア〉が話すとき、清澄な〈水盤〉の底から、ポコっポコっ……と、心地良い音と共に、泡がうまれ、水面に映ったそのすがたを揺らす。
〈パドール〉はただじっと、瑠璃色の縁取り飾る、一対の黒い宝石がはまるかおを、静かに水面へ向けていた。
やがて、〈パドール〉の瞳が、ゆっくりと閉じて、開かれるーー。
キュワーン………と、光の鈴を打ち振るうような、明澄なる音が響きーー大きな泡と共に、〈水盤〉から〈神魚〉のすがたは消えた。
再び、すうっと目に見えぬ幕が上げられ、まるい石台を照らす陽光は、白くくっきりとするのだった。
〈パドール〉がゆっくりと身を返し、洞穴を出ると、深緑に苔むす緑の庭に、群れのものたちが集まっていた。
朝露を抱くような苔の絨毯の敷かれた、広間のような場の中央に、一本の神聖なる樹ーー〈ラームの樹〉は、立っていた。
それは限りなく黒に近い、深々とした色の幹にーー息をのむも、異様なすがたである、〈純白の葉〉が、荘厳に広がる枝枝に、ゆったりと飾りつく。
半月を描いたすがたに、畏怖なる樹を囲み、〈サウ•ゴーン〉たちは、長の言葉を待っていた。
〈パドール〉が〈ラームの樹〉のもとへ進み、歩みを止める。
金色の枝角輝くあたまを上げ、一つの葉に、その息を静かに吹きかけるーーーすると、〈純白の葉〉が、〈金色なる葉〉に、うまれ変わるのだった。
同志と共に、新天地を探し求める大いなる旅へ出た、若き日のヨーラ花は、ずっと東まできたのち、一人の乞食と出会う。
時は容赦なく滔々と流れようとも、なかなか理想の地へたどり着くことができず、連れ立った仲間たちにも、日に日に隠しきれず、焦りと後悔の色が見えはじめ、そこに紛れもない疲労とが、一行を包む雰囲気を、不穏なものにしつつあった。
その息苦しい空気に拍車をかけるように、携えてきた食料と希望も、あと数日のうち、底をつくだろうーーというようなときであった。
頭上の天には、そんな一行の胸中を映したような、なんとも重暗い雲が厚く垂れ込め、ほどなく、ぽつぽつと、まるで絶望の涙のような雨が、冷たく陰鬱に降りはじめた。
誰もが下を向きーー(馬たちも、力無いような足取りに)ーー先頭に立ち続けるヨーラ花さえも、気がつけば、行く先ではなく馬のたてがみばかりを見つめていたーーと、それは久方ぶりの気配に、はっと顔を上げれば、見渡すかぎり遮るもののない、広大無辺の大地に、その乞食は佇んでいた。
みすぼらしい、長い灰色のマントに身を包み、大きな頭巾を目深にかぶった、どこか不気味なすがたの乞食は、馬を止めたヨーラ花に、年老いたしわがれ声で、食べ物と水とを願った。
周りのものたちが、関わらず先へ急ごうと言うなか、馬を降りたヨーラ花は、残りわずかな自分の食料と水とを、その乞食に恵んでやるのだった。
そうして、ヨーラ花が、先の道のことを乞食に問うてみれば、乞食は恩恵を施された礼にと、ある言葉を渡した。
ーーー『このまま、陽の昇る方角へ、進みなさい』ーーーー
しゃがれ声が、深々と艶のある声となってこだまし、はっと気がついたときには、再び忽然と、茫漠たる大地に、すがたを消していた。
ヨーラ花は、乞食の消える前、その一瞬感に見えた、深い頭巾のなかーーこちらをじっと見据える、鮮やかな青に縁取られた、吸い込まれそうな、黒々とした瞳がーーその後の旅の間中、心に焼きついて、ひと時も離れないのだった……。
ほとんどの者たちが、あれはこの地に行き倒れた、なにかの亡霊ではないかと、気味悪がり、反対をするなか、一行を導くヨーラ花は、乞食の言葉通りに、このまま眼前に広がる、無辺の乾いた大地を、突き進むことに決めた。
もし、この判断が誤りだとすれば、残る食料からも、一行はそこで、無念に真の終わりを迎えることとなることは、誰にとっても明らかだった。
それでも、若き日のヨーラ花は、恐れに負けず、己の直感を貫き、あの一瞬間に見えた、澄んだ眼からも、乞食の言葉を信じて、疑わなかった。
なんとも神妙不可思議な出会いののち、東へ進んでいった一行はーー(どこまでも続くと思っていた大地は、突然の下り道を経て、それまで見えていた景色が幻だったかのように、様変わるのだった)ーーその5日後ーーついに、のちに〈神恵ノ国〉となる、はるばる探し求めてきた新天地へ、たどり着いた。
北の郷里を出発して、じつに半年ーー青々と草木生い茂る、5月のことだった。
ヨーラ花たちが、なにより感銘を受けたのは、その地にある、壮大ーー壮麗なるーー〈山〉と〈湖〉のすがただった。
新天地へたどり着いてすぐ、大いなる旅路の疲れもまだ癒えぬまに、ヨーラ花は、旅の間中、すぐ横に馬を進め、盟友であり、のちに初代王の第一側近となる、バスカスと共に、〈山の神〉へ、挨拶に出かけた。
そのとき、〈山〉のなかで、まこと美しい赤毛をした、鹿たちのすがたを見かけ、かれらに導かれるように、滴るような山の緑の奥深くーー〈サウ•ゴーン〉の住みかへと、たどり着いたのだった。
そこで、あの忘れられぬ乞食の眼ーー息をのむ、瑠璃色の縁取りをした黒い瞳に、見事な金色の枝角を輝かせた〈大鹿〉が、苔むす地面に、いとも神秘的な明暗に包まれた空間ーーその中央に立つ、まるでこの世のものとは思えぬ〈神樹〉の横に、二人を迎えた。
ーーーー………わたしの名は、〈パドール〉………ーーーー
霧深き深山幽谷から、こだましてくるようなーー幽玄なる声ーーー
二人が声をなくし、ただただ呆然と目を見張るなかーー視線の先に映る〈大鹿〉の、その優美な口先は、微塵も動きを見せず、神威的な声だけが、畏怖の念と共に、不思議なぬくもりを伴って、心の内に、響いてくるのだった……。
ーーーー………われわれ〈サウ•ゴーン〉のことを、他に話してもよいが、この場所ーーわたしの存在は、他言してはならない。 そなたに、これよりこの地を治めることを許す代わり、〈三つの条件〉をだす。 まずは落ち着き、妃を迎えたのち、再びわたしのもとへ来るように。 そなたと、信頼する一人の従者のみ、ここへ来ることができーー時がきたとき、また使いをよこそう………ーーーー
それから時は流れーー二年後のこと、〈スーレン族〉の女族長であったルリルを妃に迎え、ヨーラ花王は約束を果たすため、再び第一側近となったバスカスを伴い、〈パドール〉のもとへ向かった。
決して色褪せることのない、鮮烈なる記憶の通りに、現れた〈サウ•ゴーン〉の使いたちの導に、〈大鹿〉との再会を果たす。
二年という月日を経ても、〈山の主〉のすがたは、記憶のなかのすがたと少しも遜色なく、威風堂々たる風格を、満ち放っていた。
そこで、〈パドール〉は、例の〈三つの条件〉を、新しき王に伝えるのだった。
一つーー〈純白の石〉を持ち帰り、その石で〈剣〉をつくるようにと。 つくられた〈剣〉はすぐに、バスカス一人の手で、〈湖〉の真ん中へ、落とすこと。 万事用意を整え、その場に行けば、〈湖の神 シル•カイア〉の使いたちが、迎え導いてくれるだろうと。
二つーー見渡す〈山〉の高くに砦を築き、そこに〈大鐘〉をつくり設けること。 その〈鐘〉は、真の危機が襲いくるとき、打ち鳴らしーーそのときまでは決して、ただの一度も、鳴らしてならないと。
そして、三つーー〈パドール〉が静かにからだの向きを変え、金の枝角輝く高貴なかおを上げると、横にある〈神樹〉についた、〈純白の葉〉のなかに一枚だけの、〈金色なる葉〉を、一口噛み、よくよく咀嚼し飲み下した。
王も第一側近も、果たしてそれは、前にきたときにはあったのかーー今この瞬間にはじめて、強く惹きつけられる、その美しくも異質なる存在を、目にとめるのだった。
〈山の主〉は、息を凝らし見つめる王を呼び寄せ、〈くっきりと噛みあとのついた、金色なる葉〉を、王の手より取るように、目顔に伝えた。
ーーーー………〈ラァの葉〉だ。 今宵、〈秘儀〉を執り行い、この〈ラァの葉〉を煎じた汁を、酒に混ぜ、必ずや王と王妃とが、飲むように。 毒で殺すわけでない。 わたしを信じて、毒味はさせず、二人だけが、口にするように。 もし、そこに邪な思いーー愚かな行いが生まれればーーわたしには、すぐにわかることだ。 この崇高なる繋がりを、断ち切ることがないよう、願っている。 これからのち、王位についたおり、妃を迎えたおり、この二つの際に、新しき王と信頼する一人の従者とで、わたしのもとへ来てもらう。 これよりこの地を治めていく、未来へ生まれる世継ぎの男の子には、そのさだめとして、〈試練〉をあたえる。 その〈試練〉を乗り越え、《アトリス》へたどり着いたものを、われわれは共なる王として、認め迎えよう………ーーーー




