小さな羊羹
久保井君が小さな羊羹を全部食べ切るまで見届けて、僕は久保井君の隣に座る。
久保井君は目を閉じたまま壁に頭を着けて休んでいて、僕は久保井君の体に羊羹のエネルギーが行き渡るのを待つ。
せめてソファとか、お布団とか、久保井君がゆっくりと休める場所へ行けるくらいの、エネルギー補充が必要だった。
こういう時一番良い食べ物って何なんだろう。
お粥とかなのかな、今から買いに行ったとして、久保井君はまた出てきてくれるかな。
「あ、わっ、大丈夫?」
この後のことを考えていたら、久保井君が立ち上がろうとするので支える。
一緒に立ち上がって、それから久保井君が二階への階段を上がろうとするから、迷う。
僕も付いていって大丈夫なのかな、でも、支えがないと危なそう。
だから、僕は腹を括って久保井君と一緒に階段を上がる。
スウェットを着ている久保井君の体は本当に薄くなっていて、どうして気付かなかったんだろうと思う。
心配であんなに見ていたのに、教室の端と端じゃ、気付けなかった。
ううん、僕が、ちゃんと見ていなかったせい。
僕が見るのを、諦めたせいだ。
久保井君のお部屋は、階段を上がって直ぐの所にあった。
そうだと分かったのは、久保井君がドアノブに手をかけたから。
僕も一緒になって押して開けると、机とベッドしかない、凄くシンプルな部屋が見えた。
久保井君はそのベッドに、ほとんど倒れ込むようにして横になる。
だから僕はお布団を引っ張って、久保井君の上に掛ける。
久保井君はさっきよりほんの少しだけ顔色が良い気がした。でも全然、健康的とは程遠い。
僕は少しだけどうしようか迷って、玄関の廊下に、プリントを置いてきたことを思い出して。
プリントを届ける為に久保井君のお家に来たのに、玄関に置いてけぼりじゃだめじゃないかと思って、玄関に戻ろうとする。
でも、手を掴まれて、動けなくなった。
振り返ると久保井君が、僕の手を見て、僕の手を掴んでいる。
「……久保井君」
ベッドの傍に座ると、久保井君と視線の高さが同じになる。
久保井君はゆっくりと僕を見て、それからやっと、ちゃんと目が合う。
前はこの近さが当たり前だったのに、今は新鮮に感じる程、この距離が久々だった。
僕は掴まれていない方の手で、久保井君の少しだけ乱れていた前髪を整える。
それから頭の横を少しだけ撫でると、久保井君が辛そうな顔をするから、手を止めた。
「ごめん、痛かった?」
手を離すと、久保井君は緩やかに首を横に振る。
痛かった訳では無いらしい。
それなら良かった、でも、辛そうな顔の理由が気になった。
「久保井君、どうしたの、何があったの」
僕は怖い事実も覚悟で聞いた。
何か大きな病気とか、そういうことも覚悟して聞いた。
だって本当に普通じゃない。
こんなに弱った人を見たのは初めてだった。
今にも消えてしまいそうな人を、初めて見た。
「……好きだった」
「えっ?」
すき、好き?何を、過去形?
久保井君の小さな声に、僕の頭は一気に忙しくなる。
好き、だった、って、何が。
「好きだ、ずっと」
「……へ」
久保井君が、涙を零す。
そのまま目を閉じてしまうから、分からなくなる。
何を、どれを、誰を。
僕はとりあえず辺りを見て、ティッシュを見つけて、久保井君に押し付ける。
「好きって、何を、どういうこと?」
目の周りを拭きながら、それでも溢れてくる涙をずっと拭きながら、聞く。
流石に聞かないまま帰るなんて無理だった。
深夜になってもいいから、聞くまで帰ることはできないと思った。
だって、僕の目を見て、好きって言った。
もし僕のことがってことなら、絶対、聞かなきゃいけないと思った。
でも、久保井君は、そのまま眠ってしまって。
絶対聞きたいって気持ちだったのに、泣きながら眠ってしまった久保井君が、それ程限界だったんじゃないかと思って、起こせなかった。
食べられないだけじゃなく、寝られていなかったのかなと思うと、尚更起こすなんて無理だった。
だからベッドの傍に座ったまま、久保井君に手を掴まれたまま、そこに居続けた。
それでも、だんだんと外が夕焼けの色になってきて、足ももうとっくに痺れていて、流石にお暇しなきゃと思う。
そろそろお家の人が帰ってくるかもしれないし、僕のお母さんも、そろそろ帰る筈だった。
だから、完全に眠って緩んだ久保井君の手から、僕の手を抜く。
そしてカバンからノートを取り出して、置き手紙を書いた。
『帰るね、起きたら絶対連絡してね、絶対だよ』
そして、メッセージアプリのIDと、もしかしたらアプリをやっていないかもしれないから、電話番号も書いておく。
それから、一応、僕の名前も。
何度も何度も間違えていないか確認して、一度玄関に戻って、プリントを回収する。
なるべく音を立てないように、息を潜めて、足音を消して、久保井君のお部屋戻ると、僕の置き手紙と一緒に、プリントも添えて置いておく。
最後にもう一度、久保井君を見たけれど、よく眠っていたから安心した。
僕はお家を出る時、鍵を横にしてから扉を閉めた。
上手くいくか分からなかったけれど、その後ゆっくり開こうとしても扉は開かなかったから、ちゃんと鍵を掛けられたようだった。
もうお家の中に戻れはしないから、後は本当に、久保井君が連絡してくれることを祈るばかり。
久保井君のお家に居る時は、ずっと忍び込んでいるという緊張感があってなかなか考えられなかったけれど、久保井君のお家を出て一人になると、頭に流れるのは久保井君が言った言葉。
久保井君は、好きだったって言った。
それは僕のことかも知れないし、僕以外の、僕の知らない何かなのかもしれなかった。
本当は僕であれば良いなと思うけれど、そう思うには少し、根拠が足りなかった。
久保井君は僕に言われたから触りたい、触ってほしいって願いを叶えてくれていたし、席が離れた後、全然話せなくなっても平気そうだった。
だから、僕は心が折れたのに。
もし本当は久保井君も僕のことが好きだったらどうしよう。
僕のせいであんなに弱っているのだとしたら、どうしよう。
万が一そうだったら、ちょっと嬉しいと思う僕が居て、嫌だなと思う。
好きな人を苦しめておいて、ちょっと嬉しいなんて最悪だと思った。
帰りはいろんな種類のお粥を買って帰った。
久保井君に元気になってほしい。
早く元気になって、全部全部、元に戻ってほしい。
なんともないフリをしていたけれど、久々に久保井君とあんなに近くで話せて、触れ合えて、少し泣きそうになるくらい嬉しかった。
僕はまだ久保井君のことが好きで、久保井君を過去にはできていないままだった。




