本当に全部、僕だけ
夏休みは何もなかった。
本当に、何一つ無かった。
久保井君は僕の目の前に居ないし、久保井に触れられないし、久保井君も僕に触れられないし、それから週に二回、友達じゃなくなることも無かった。
僕は一人で大量の課題と向き合って、時々サボって、それからたまに久保井君の夢を見て泣いた。
僕は、僕がどうなりたいのか分からなかった。
久保井君の友達で居たい筈なのに、久保井君の友達で居続けることが辛かった。
僕は久保井君に好きだと言って、久保井君は分かったと言って。
あれは、あの時のやり取りは、何処に保管されているのだろう。
取り出して、もう一度見て、確認したかった。
久保井君の目が、なんて言っていたのか見たかった。
もう二度と、確認のしようが無いから悲しかった。
何も無いまま夏休みが明けた。
家族でお出かけ、なんてものも無かった。
僕の母は仕事で忙しくて、僕の父は僕が幼い頃に亡くなっていた。
この話をすると、いつも可哀想にって顔をされるけれど、僕は僕を可哀想だと思ったことはなかった。
だって、これが僕の普通だったから。
いつも通りを可哀想だと思うのは難しいことだった。
ちゃんと終わらせた課題は、後ろから前に集められて、だから僕の課題は、久保井君の手に渡った。
渡す時に、久々に久保井君の手に触れたから、嬉しくて一瞬だけ強く握ると、久保井君は爪で僕の掌を柔く引っ掻いてきて、危うく声が出そうになった。
声は何とか留めたけれど、代わりに涙がちょっと出た目で久保井君を見ると、久保井君は直ぐに前を向いてしまって、どんな目をしていたのか見えなくて、寂しかった。
だから僕は左腕を机の上で真っ直ぐに伸ばして、その上に頭を乗せて、だらけているフリをして、指の背で久保井君の背中に触れる。
久保井君は最初気付いていない風だったけれど、僕が人差し指の背で久保井君の背中を少し撫でると、ぐっと凭れてきて、しっかりと僕の手が久保井君の背中に触れた。
夏休みは終わったけれどまだ暑くて、シャツ越しに感じる久保井君の体温も熱くて、火傷しそうだ、と思う。
それなのに僕は久保井君から指が離せない。
熱くて溶けてしまってもいいから、このままずっと触れていたいと思った。
久々に久保井君と食べるお昼ご飯は、緊張して味があまり分からなかった。
久保井君とご飯を食べる時、これ程までに緊張したのは初めてだと思った。
初めて一緒に食べた時でさえ、こんなに緊張はしていなかったと思う。
僕は久保井君の目を見ていなかったことで何度も何度も後悔をしているのに、緊張するとやっぱり久保井君の目を見る勇気が出なくて悔しい。
久保井君は今、何を考えているのだろう。
夏休み、一瞬でも僕のことを思い出してくれた時はあるのかな。
「そろそろ席替えしようか」
先生がそう言うから、僕は固まってしまった。
このままの席でずっといくのだと思っていたから、動揺する。
僕は久保井君の後ろの、この席が気に入っていた。
この席だから、久保井君と仲良くなれた。
この席だから、お昼も気兼ねなく一緒に食べられて、この席だから、移動教室も、隣同士で。
おおおおって周りが騒ぐ中、僕と、久保井君だけが微動だにしなかった。
僕は久保井君の後ろの席から動きたくなかった。
けれど、くじ引きで決まった席は、久保井君と殆ど真逆の位置だった。
僕は久保井君の後ろの席だから仲良くなれたのに。
離れてしまったら、もうどうやって話しかければいいのか、分からなくなっしまった。
考えていたことが、本当になった。
僕は本当に、久保井君と話せなくなってしまった。
僕の前の席の人が凄くよく話しかけてくれる人で、応えているうちに休み時間が終わってしまう。
けれどお昼ご飯は流石に久保井君と一緒に食べられるかなと思っていて、でも前の席の人と仲のいいグループが一気に集まってきて、僕もその輪の中に入れられた。
それなら久保井君も、と思って久保井君を見たけれど、久保井君は一人、自分の席でパンを食べ始めていて、泣きそうになった。
一緒に食べたいと思っていたのは、僕だけだったのかもしれない。
久保井君を呼ぼうとしていた手が、行き場を失って、下ろすだけになる。
僕の大きなお弁当は、その日、前の席の人たちの、ちょっとしたおかずになった。
久保井君の為にお母さんに吐いた嘘は、今日、本当にただの嘘になってしまった。
席替えがあってから初めての移動教室で、僕はずっとソワソワしていた。
僕は久保井君と話したかった。
同じ教室なのに遠い遠い位置居る久保井君と、ずっと話したくて仕方なかった。
けれど。
授業が終わると、早く戻るぞー!って、前の席の人達に、グイグイと引っ張って連れ出されてしまう。
僕は週に二回、移動教室に最後まで残って、久保井君とキスをするのがお決まりだったのに。
それが僕の楽しみで、癒しで、幸せで、生き甲斐だったのに。
待ってって僕の制止は聞き届けられずに、本当に移動教室から出てしまう。
移動教室を出る寸前、久保井君が座っていた辺りを見たけれど、久保井君はこちらを見向きもしていなかった。
僕は久保井君と一緒に居たいのに。
久保井君と一緒に居られなくて、こんなにも寂しいのに。
久保井君は何も気にした様子なく、いつも通りだから、ちょっとだけ泣いた。
触りたいのも、触ってほしいのも、本当に全部、僕だけだったんだ。




