二分待つ
「……た、涼太」
「う……」
頬に振動があって、僕を呼ぶ声がして、意識が浮上する。
まだ眠いよ、と思いながら目を開けると、そこには朝日を浴びた輝かしい幸一君の姿があって。
「わあ……かっこいい……」
これは夢だ、と思って、また気持ちよく眠りに就こうとすると、再び頬に振動が来る。
「こら」
「……え」
さっきより鮮明な声は、確かに僕に向けられていて。
もう一度目を開けて、本当に朝なのだと理解する。
「お、はよう……幸一君」
「おはよう。寝坊助」
眼鏡の奥の幸一君の目が、優しく細くなって。
その愛しさ溢れる表情に、胸がきゅっとなる。
「寝起きからかっこいいね……」
僕の言葉に呆れたような顔をする幸一君が、僕の頬を摘むからにやけた。
なんて幸せな光景なのだろう。
だって好きな人と、朝起きて直ぐこの距離に居る。
「今、何時?」
「五時」
「はやいよお」
そうは言っても、始発で向かう幸一君のお父さんに、朝一でお弁当を渡すには必要な早起きで。
僕は幸一君に抱き付いて、起こしてもらう。
それから洗面所まで手を引いて連れて行ってもらって顔を洗えば、幾分かスッキリとして、少しだけ目が覚めた。
「お父さんは?」
「今着替えてると思う」
そう話していたら、ちょうど上から扉の開く音がして。
上から家族が降りてくる、という光景が僕にとっては不思議な感じがした。
僕はずっと、お母さんと二人で、マンションで暮らしていたから。
「おはよ」
「おお、おはよう、早いな」
「おはようございます、お邪魔してます」
「涼太君、おはよう」
三人、廊下で挨拶を交わして、少し微笑み合う。
僕が幸一君のお父さんと直接話すのは、あのカフェで初めて会った時振りだった。
「もう出る?」
「ああ」
「じゃあ待ってて」
「うん?」
確認した幸一君が、素早く冷蔵庫へ向かってくれる。
僕はその背中を見送って、改めて幸一君のお父さんを見た。
「いつも母の料理を褒めてくれてありがとうございます、幸一君から聞かせてもらっていて、僕も嬉しいです」
「いやあ、はは、本当にいつも美味しく食べさせてもらっているよ。こちらこそありがとう。涼太君の気遣いのお陰だ」
幸一君のお父さんがそう言って微笑むから、少し見蕩れる。
幸一君の数十年後は、こんな笑い方をするのかな、と思ったから。
幸一君と幸一君のお父さんは、結構似ていると思う。
だから未来の幸一君を見ているような気がして、少しドキドキした。
「涼太」
「幸一君、ありがとう」
冷蔵庫から取ってきてくれたお弁当を、幸一君は僕に渡してくれるから、僕は幸一君のお父さんに、お弁当を差し出す。
「これ母から、お弁当です。幸一君のお父さんが出張だって聞いて、作ってくれました。良かったら食べてください、容器は使い捨てなのですぐに捨てられます、って言ってました」
「お弁当……!?本当かい、凄く嬉しいよ」
僕の手元を見た幸一君のお父さんの反応が、想像以上に喜んでくれていて嬉しくなる。
渡したお弁当は、幸一君のお父さんがカバンの中に大切に仕舞ってくれて、その所作の丁寧さが嬉しかった。
「必ず食べるよ、感想も送る」
「はい、ぜひ!」
きっとお母さんも喜ぶと思う。
力強く頷くと、幸一君のお父さんも頷いてくれて、それから、幸一君と二人で、玄関から出る用意をする幸一君のお父さんの姿を見守る。
靴を履いた幸一君のお父さんは、振り返って僕たちを見ると、眩しそうに微笑んで。
「なんだか息子が二人できたみたいだ」
「っえ、」
それって、と思うけれど、満足そうに笑って、玄関の扉に手をかける姿を見て、言葉を飲む。
「気を付けて」
「ああ、ありがとう、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「い、行ってらっしゃい!」
ようやく出た言葉は、少し詰まってしまったけれど、ちゃんと幸一君のお父さんを見送ることができた。
幸一君のお父さんは、優しい微笑みを湛えて、まだ薄暗い夜明けの外へと出て行った。
それから玄関の扉が閉まって、鍵が掛かる音がして、僕はズルズルと、その場に座り込む。
「っおい」
慌てた幸一君の声が降ってきて、直ぐに幸一君自身も僕の傍に降りてきて、視線を合わせてくれる。
その焦ったような目を見て、僕は小さく息を吐いた。
「息子が二人、だって」
「ああ、うん」
「僕も息子みたいだって」
「うん」
「お父さんを見送るのって、こんな気持ちなんだね」
「……うん」
幸一君も噛み締めるような顔をしていて、そっか、と思う。
幸一君もずっと、朝起きた時にはもうお父さんが出社して居ない生活を送っていたから、幸一君も新鮮な気持ちなのだと分かって、抱き締める。
「嬉しいね、幸一君」
「……うん」
お弁当を喜んでくれたことも、ちゃんとお見送りができたことも、息子が二人と言ってくれたことも、全部全部。
「……幸一君」
嬉しい気持ちと、愛しい気持ちが溢れて、キスがしたくて幸一君を呼ぶと、分かってくれた幸一君が直ぐにキスを降らせてくれる。
昨日できなかった分、幸一君のキスは少し荒くて、強引で、息付く暇もなくて、息が上がって。
「んっ、」
おまけに耳も首筋もうなじも指で刺激されるから、いつもより強く反応してしまって悔しかった。
僕もお返し、という名の仕返しがしたいのに、全然そんな余裕がなくて、されるがままで。
「んっ……お兄、ちゃん」
「っぐ」
思い付いたままに呟くと、幸一君の喉から苦しそうな音がして、思わぬ手応えを感じた。
それから叱るように頬を柔くつねられて、キスが終わる。
まだキスがしたい、物足りない。
でも。
「……僕、お風呂借りてもいい?」
「ん」
先に立ち上がった幸一君が、僕の手を引いて立ち上がらせてくれる。
今日の幸一君はふらつくことなく支えてくれて、あの時の薄くなってしまった幸一君は、もう過去のことなのだと実感できた。
だから、ぎゅっと抱き付いて幸一君の背中を撫でる。
「ありがとう、幸一君。大好き」
幸一君からは返事の代わりに抱き締められて、けれど幸一君は僕を撫でるというより、もふもふのパジャマの手触りを確かめるように背中に触れてくるから笑う。
「僕、こんなパジャマ姿のまま幸一君のお父さんにお弁当渡しちゃったや」
「良いよ。可愛い」
「えっ」
手触りが良いだけじゃなくて、可愛いとまで思ってくれてたの!?と顔を上げると、幸一君は、しまった、って顔をして、僕の頭を幸一君の肩に引き寄せてくるから笑う。
幸一君の顔は見えなくなってしまったけれど、すぐ近くに見える耳が真っ赤だから、あまり照れを隠せていなくて可愛い。
「可愛いのは幸一君だよ」
少し背伸びをしてその耳にキスをすると、首に噛み付かれて崩れ落ちそうになる。
「ばかっ、待って、僕っ、お風呂」
「……ん」
そのまま舐めてくる幸一君を雑に叩いて言うと、渋々納得してくれたので慌てて離れた。
「仕返しの仕返しはずるいよ幸一君」
「やられっぱなしは、俺」
恨めしそうに見られて、意外だな、と思う。
僕は幸一君にいつもやられっぱなしで悔しいと思っていた。
でも幸一君は、僕にやられっぱなしで悔しいと思っていたんだ。
なんだか嬉しくなって笑顔で居ると、手を引かれてお風呂まで連れて行ってくれる。
それから何故か、幸一君が僕のパジャマを脱がそうとするから慌てて止めた。
「だっ、な、なんで!?」
「一緒に入る」
「入らないよ!」
至って真面目な顔で言うから僕の心臓は大暴れしている。
幸一君は不満そうに僕のパジャマの裾から手を離してくれなくて、仕方なくその手を上から握る。
「僕、幸一君と触れ合う為に綺麗にしたい」
「……」
「だから良い子で待ってて、ね、幸一君」
ちゅ、と軽いキスをすると、数歩よろけた幸一君がまた大きく溜息を吐いて。
「二分……待つ」
「短い!無理だよ!」
「……三分」
「ばかっ、もう出てっ」
脱衣所から頑張って幸一君を押し出すと、僕は素早く鍵を掛ける。
「こら、」
「こらはこっちのセリフ!!」
扉を隔てても尚不満そうな幸一君に、僕は言い返しながらも笑ってしまう。
急いでパジャマを脱ぐと、「右がボディソープ」って幸一君の声が聞こえて、やっぱり優しいなと思った。
それから大慌てで、まだひんやりとするお風呂場へ向かう。
ここが実家の幸一君なら、どうにかして入って来かねないと思ったから、僕は結構気が気じゃなかった。




