何も分かっていなかった
「あーん」
「……」
選ばれたお粥は、卵味だった。
ソファの上で向かい合って座る僕たちの間には、レンジで温められたお粥があって、僕の右手にはキッチンからお借りしたスプーンがある。
だから僕がスプーンでお粥を掬って、久保井君の口までお届けする。
久保井君は若干顔を顰めながらもちゃんと食べてくれていて、僕はその様子を、間近でニコニコしながら見ていた。
「おいしい?」
「……」
もぐもぐ咀嚼しながら頷く久保井君に、胸がきゅっとなる。
久保井君は食べている時、喋らない。
それは僕たちがお昼休みに、一緒にお弁当を食べている時からそうだった。
僕も流石に咀嚼しながら喋ったりはしないけれど、口に物が入っていても、頬に避けながら話すことはあるから。
久保井君の、少しでも物が入っていたら話さないという、徹底している姿が結構好きだった。
けれど少々、手持ち無沙汰でもあって。
僕も自分の口に、少しだけお粥を垂らしてみる。
久保井君にはじっと見られたけれど、スプーンには口を付けていないから許してほしい。
実際に食べてみたお粥は、結構味が薄かった。
あと少しお塩とか、お醤油を掛けたいなという感じで。
けれど久保井君は次の『あーん』をじっと待っているから、またお粥を一掬いして、久保井君の口に持っていく。
「久保井君、お粥の味薄くない?」
一応聞いてみるけれど、久保井君はきょとんとしているので、本当に美味しく食べている様子で。
もしかして、長いことちゃんと食べていないせいで、味覚が敏感になっているのかなと思った。
そうだとしたら、いつからちゃんと食べていなかったのだろう。
席替えがあって、僕たちがお昼を一緒に食べなくなって、もうかなりの日数が経っている。
最初の数日は峰君たちと教室で食べていたから、久保井君がパンを食べている姿は知っているけれど、それ以降は食堂に居たから、僕は久保井君が食べている姿を久しく見ていなかった。
「ねぇ、いつから食べてなかった?」
僕の声は、自分でも分かるくらい弱々しかった。
嫌な予感が、凄く、物凄く、していたから。
「さあ」
口が空になった久保井君が言う。
それは意地悪で言っている感じじゃなくて、本当にいつからか分からない、みたいな顔をしていて。
「お昼、一緒に食べなくなってから……?」
恐る恐る聞けば、久保井君の視線が僕から外れる。
その視線はフラフラと彷徨って、遠い床に着地して、何か考え込んでいる久保井君。
「久保井君」
教えて、って催促すると、久保井君は瞬きをして、静かに息を吐く。
「……そう」
それは、肯定の返事だった。
「そんな、どうして」
僕が聞くと、久保井君は身動ぎして、少し居心地が悪そうにしている。
「……秋村と食べなくなって」
「うん」
「……味が、消えたから」
「え?」
味?と思って聞き返す。
味が消えたって、どういうことだろう。
そういう表現かと思ったけれど、久保井君は、言葉通りの意味で言っていそうだった。
「昔からある。ストレスが強い時、味覚が狂う」
「ストレス……」
「……好きな奴に、好きって言われて、浮かれてた罰だと思った。俺が秋村の人生の、邪魔なんかしていい訳がなかった。だから山口たちと仲良くなっていく秋村を見て、それで良かったと思って。でも秋村が教室から居なくなる度に、俺じゃだめだって、突き付けられてるみたいでキツかった。そしたら味覚が死んで、何食っても味しなくて。味のしない飯って、地獄なんだ。ただ生きる為に砂食ってるみたいな、そんな感覚。だったら、もういいやと思った。好きになる度にこんな想いになるなら、もう生きなくていいやと思った。だから食わなかった」
ゆっくり、静かに話す久保井君の声を聞きながら、僕は気が付くと泣いていた。
好きになるって、本当は幸せなことの筈なのに。
久保井君は、僕の人生の邪魔を、って言った。
それは多分、電話で教えてくれた、家系のことなんだと思う。
それから、久保井君が、同性しか好きになれないって言ったことも思い出す。
だから好きになる度に、こんな想い、って。
それを聞いて、僕は涙が止まらなかった。
好きは、本来幸せなことの筈なのだ。
それなのに久保井君は、好きになることで、苦しんでいた。
僕が、久保井君の傍に居ることを諦めたから。
僕が、心を折っていたから。
「ごめん、久保井君、ごめん」
「……なんで謝るんだよ」
「ごめん、ごめん久保井君、本当にごめん」
僕は諦めちゃいけなかった。
好きなら、僕は諦めちゃいけなかった。
僕は、同じ性別の人を好きになることの意味とか、覚悟とか、責任とか、そういうものを、全然分かっていなかった。
全然、理解していなかった。
ただ好きになるだけで、久保井君はこんなにも苦しんでいた。
好きになった相手の幸せを考えて、好きって気持ちを押し殺して、こんなにも苦しんでいた。
ストレスを抱えて、味のしないご飯に、生きることを諦めようとするくらい苦しんでいた。
「ごめん久保井君」
僕は何も分かっていなかった。
僕だったんだ。
久保井君を一番傷付けていたのは、僕だった。




