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#3 大事な大事なロマンだよ

 部室のガレージをさらに寂れさせたような、作業小屋と見紛うほど年季の入った工場こうば。中からは電動カッターが鋼を裂く高くひずんだ音が聞こえてくる。


 閉まりきっていない、すり傷だらけのアルミ引き戸。ソラはその曇りガラスに透ける光を見ながら、戸に手を掛けた。


「たっだいまー!」


「お前んじゃねーよ」


 隣から飛んできたツバサのツッコミと同時に、ソラの快活な声を工場の空気が迎える。奥でこちらに背を向けていた繋ぎ姿の男が、電動カッターを止めて首だけを振り返らせた。


「おぉ、おかえり。ソラちゃん……と、その横はバカ息子か」


 男は、ソラの横に突っ立っているツバサを見て、からかうような顔をしている。


「バカは余計だっての」


 ツバサは顎を突き出し、咥えたままのアイスの棒を不満げに跳ねさせた。


「にしても、二人とも遅かったな。仲良く買い食いか?」


「違うよ!聞いて、亮介リョウスケさん!ツバサに無理やり買わされたの!!あっ、亮介さんも食べる?」


 ソラはツバサを置いてけぼりにして亮介に駆け寄ると、手に下げていたビニール袋からアイスを取り出し、勢いよく差し出した。


「おお、ちょうど休憩しようと思ってたんだよ。ありがとな、ソラちゃん。ツバサぁ、お前は相変わらず可愛げも甲斐性もないな」


 やれやれといった表情で亮介は軍手を外し、ソラから冷たいアイスを受け取る。


 もちろん、ツバサが無理やり買わせたわけはない。帰り道、ソラがツバサのご機嫌を取ろうと自発的に奢ったものなのだが、当の本人は平然と濡れ衣を着せている。


 ツバサは眉をひそめて二人を一瞥いちべつしたものの、反論するだけ不毛だと判断し、無視を決め込んだ。


「ねえねえ、亮介さん。今日は何作ってるの?」


 アイスの棒を咥えたソラが、作業台の上を覗き込む。


「ん?ああ、これか。この前の続きだよ」


「あー!それか!じゃあ私も手伝う!」


 ソラは合点がいったように目を輝かせ、さっそく制服の袖をまくり始めた。


 そんな二人を横目に、ツバサは工場の奥へと向かう。しかし、ソラに襟首を掴まれ、残りのアイスが入った袋を胸に押し付けられる。さらに「んっ」とソラが突き出した口にはアイスの棒が咥えられており、ツバサは嫌そうな顔をしながら無造作にそれを引っこ抜いた。


 薄暗い通路を抜け、工場と繋がっている自宅の勝手口から家の中へと入って、残りのアイスを冷凍庫に突っ込み、ゴミを片す。


 数分後、ツバサが再び工場に戻ってくると、カッターの音は止んでおり、代わりにソラの興奮気味な声が響いていた。


「――でね!もうあり得ないくらいかっこよかったよ!!」


「ほう、さすがシレーヌと言ったところか……あれはいいぞ。あの重厚な曲線美といい、科学の英知といい、男の……いや、人間の夢が詰まっている!!」


「だよね!半端じゃないよ!半端じゃ!!生シレーヌ、サイコー!!」


 二人は、港で見たシレーヌの話で盛り上がっていた。ツバサはその熱量から一歩引くように、近くにあったパイプ椅子を引き寄せ、どっかりと腰を下ろしてくつろぐ姿勢をとった。


「おいバカ息子。休んでる暇があったらお前も手伝え」


 完全に気を抜いたツバサを見て、亮介がすかさず口を挟む。


「嫌だよ……てか、結局その『この前の続き』ってなに?」


 ツバサが呆れ交じりに尋ねると、亮介はニヤリと笑い、ソラと顔を見合わせた。


「それはね、二人だけの秘密なんだよ、ツバサ!」


「は?」


「ツバサ……いいか、よく聞け。これは『ロマン』だ!!」


 亮介が胸を張って大真面目に豪語すると、ソラも「ロマン!!」と力強く頷く。


「よし、ソラちゃん。早速ロマンの続きに取り掛かるぞ。そっちを押さえててくれ」


「了解、親方!」


 ツバサを完全に置き去りにしたまま、二人は勝手に盛り上がり、再び作業にのめり込んでいく。すぐに、電動カッターが鋼を裂くけたたましい音が、再び工場に鳴り響き始めた。


 その音に混ざって亮介はまだ何かを叫んでいる。


「なんせこの槍は、世界を救う槍なんだからなぁ!ダァッハッハッハッ!!」


「言っちゃってるじゃねぇか……勝手にやってろ」


 ツバサは誰に届くわけでもない文句を呟き、深くため息をついた。



   ◇



 すっかり日が沈み、作業もひと段落したところでソラは帰路に就いた。と言っても、ソラの家はツバサの家から目と鼻の先ほどの距離にあり、僅か数十歩の、もはや送り届けるとも言えないような近さだ。


 見送る際、亮介はソラを夕飯に誘ったが、そこまで甘えるのは申し訳ないと、ソラは丁寧に頭を下げた。


「ソラちゃんは相変わらず立派だなぁ。この年で一人暮らしまでしてさ。本当、お前にゃもったいねえな、バカ息子」


 亮介リョウスケは両腕を組みながら、噛み締めるように何度も小さく頷いた。


「そういうのじゃねーって」


「“そういうの”ってなんだぁ?初々しいのぉ~?」


 顔をしかめるツバサを、亮介は肘で小突き続けるが、ツバサは鬱陶うっとうしそうに身をかわすだけだった。


 ほんの十数メートルほど離れた平屋の前で、街灯に照らされたソラが、二人に向かって大きく手を振っている。二人が手を振り返すと、ソラは門に手を掛け、そのまま静まり返った真っ暗な玄関の奥へと消えていった。


 その後ろ姿を確認した二人は、工場の中に戻り戸締りをすると、奥の勝手口から家へと帰る。


 茶の間に入るや否や、亮介はすぐにテレビをつけると、両手を頭の後ろで組み、豪快に寝転がった。


「いや~今日も疲れた疲れた。晩飯は任せたぞ、マイスウィートオンリーサン」


 口先でそう伝えると、亮介はすぐに目を閉じる。


「……はいはい」


 ツバサは、既にいびきをかいている亮介を跨ぎ、冷蔵庫から適当に食材を取り出すと、手際よく調理を開始した。



   ◇



 ツバサが調理を始めてからしばらく経ったのち、コクのある美味しそうな匂いが亮介の鼻をくすぐった。


「んー、んぁ……もう、できたのか?」


 亮介は体を起こし、眠気眼ねむけまなこをこすると、両腕をグッと頭の上に押し出す。その視線の先には、制服の上からエプロンを着て、ぐつぐつと煮詰まった鍋をかき混ぜているツバサの後ろ姿があった。


「起きたのか?ちょうど今できたぞ」


「おぉ、どれどれ……げ、またカレーかよ」


「じゃあ食うなよ」


「じょ、冗談だって……あー、うまそー!!」


 ひとり勝手にあたふたしている亮介を後目に、ツバサは皿にご飯とカレーをよそい、先にちゃぶ台を陣取った。


 亮介も急いで支度をして、ツバサの正面に座ると、勢いよく手を合わせる。


「いただかせていただきます!!」


 律儀に亮介を待っていたツバサも、手を合わせた。


「いただきます」


 亮介はカレーを一口運ぶと、吸い込まれるようにかき込んだ。


「んー!うまい!やっぱりツバサの料理はいつ食っても美味い!働き者の息子がいて父さん嬉しいぞ!!」


「声がデケーよ。外に聞こえんだろ。ったく」


 縁側のガラス戸は全開であり、亮介の声はボロい物干し竿と背の低い塀を易々と越えていった。


 亮介が食に集中すると、自然と二人の会話はなくなり、辺りの音が鮮明になる。


 縁側につられた風鈴。木々のざわめき。テレビのニュース。


 しかし、そこに気まずさのようなものはなく、これが二人の日常だった。


『――海域付近にて、カーラム所属とみられる国籍不明機が確認されたとのことです。また、これに呼応するかのように、ハイルゼン同盟国内の一部地域でも過激派による抗議活動が激化しています。治安当局は、これらが暴動へとエスカレートする危険性があるとして警告を発しており、市民の皆様に対して、不要不急の外出を控え、虚偽の情報に惑わされることなく公式の発表に従うよう呼びかけています』


 テレビのニュースは無機質に、相変わらず荒んだ現実を報道している。


「…………」


 いつになく険しい表情で亮介がテレビの画面を見つめていた。


 それに気付いたツバサは、何も言わずに勝手にチャンネルを変える。


「あっ、おい!急に変えるなよ、今見てただろ!」


「俺だって見たい番組くらいあんだよ。たまには譲れ」


 亮介はハイルゼンや世界情勢の報道だけ、異様に注視し、その度にくぐもった表情をする。いつも明るい亮介が、その時にだけ見せる普段と違う表情。ツバサはそれが苦手だった。


「へぇ~、やっぱりお前もお年頃ってわけか」


「…え゙」


 適当に変えたチャンネルには、若い男女が真剣交際を目指して共同生活を送る“恋愛リアリティーショー”なるものが放送されていた。


 思わぬ隙を見せてしまったツバサは、亮介につつかれる。


「お前、やっぱりソラちゃんのこと好きなのか?」


「だから、そんなんじゃねーってさっきも言ったろ」


「……まぁ、素直になる、ならないは別として――」


「全然素直だわ」


「ソラちゃんはお前が思っている以上にしっかりしてるし、お前が思ってる以上に頑張ってる。だから、いざって時はお前が守んだぞ」


 亮介の珍しく真剣な眼差しがツバサに向けられる。


「んだよそれ」


「好きな人が居なくなるってのは、結構辛いぞ?」


「……あっそ」


 どこか遠い目をする亮介だったが、よし!と仕切りなおすと、勢いよく立ち上がった。


「んじゃ、俺は風呂入るから後片付けも頼んだぞ。炊事担当大臣」


「炊事以外も押し付けてんだろーが」


 ツバサの文句は一切聞き入れずにマイペースに去っていく亮介だったが、最後に何か思い出したかのように立ち止まると、ツバサにUSBのようなものを放り投げた。


 ツバサは少し体を緊張させたが、それを落とさずに受け取る。


「それ、ソラちゃんに渡しといてくれ」


「……?なんだよ、これ」


「大事な大事なロマンだよ。見りゃ分かんだろ」


 背を向けた亮介は、ポケットに手を突っ込み、カッコをつけながらそう言うと、今度こそ風呂場へ行ってしまった。


「見て分かるかっつの」


 ツバサはそれを制服のポケットに適当に突っ込み、内心の呆れを隠そうともせず、さっさと亮介の分まで後片付けを始めた。


 一通りの家事を済ませたツバサは就寝の準備を終えると、布団に入り深い眠りについた。


 何も心配することがない、安心のできる眠り。



   ◇



 陽が昇り、キジバトの声が街に朝を知らせる。


「ツバサくんいますかー?」


 まるで自分の家のように工場の戸を引くソラの目の前に、既に支度を済ませたツバサが現れた。


「いないわけねーだろ」


「そんなの分かんないでしょ。アブダクションに遭ってるかもしれないじゃん!」


「ついにオカルトにまで手を出したのか……」


「え、冗談だよ冗談」


 前のめりに頓珍漢とんちんかんなことを言ったかと思えば、急に梯子はしごを外してしれっとするソラ。その態度に、ツバサは思わずおでこを小突いた。


「変なこと言ってないでとっとと行くぞ」


「ぁてっ、もう!小突くの禁止!……って、亮介さんは?」


「徹夜だ。奥で寝てる」


 いつもなら二人を見送りに来るはずの亮介の姿はなかった。


 ツバサはそのまま前を歩きだし、ソラはその後ろ姿に向かってキャンキャンと吠えつづけたが、ツバサがそれに取り合うことはなかった。


 そんないつも通りの登校風景が、今朝も街にはいくつも広がっていた。



   ◇



 ソラとツバサは下駄箱で靴を履き替えると、それぞれ自分の教室へ行くためにその場で別れた。ソラはそこでクラスメイトに捕まり、楽しそうに会話をしながら教室へ向かう。それに引き替え、ツバサはひとりダルそうに逆側の階段へ消えていった。



 教室のドアをくぐり、窓際まで行った後ろから三番目。そこがツバサの席だった。


 何人かからの挨拶に適当に返すと、そのまま席に着き、カバンを掛ける。腕を組んだら、目を閉じる。これがツバサのルーティンである。


 クラスの輪に入らず、ただ石のようにそこに佇む。このお世辞にも社交的と言えない姿勢が、ツバサにとって最も居心地の良い状態であった。


 いつも通りに朝礼があり、いつも通りの出欠確認。そして、いつも通りの興味のそそられない授業が始まる。


 窓から差し込む陽光は暖かく、教室には数学教師の抑揚のない声だけが響いていた。 板書を写す生徒、教科書を立てて居眠りをする生徒。


 山の斜面にへばりつくように建てられた校舎の窓から、ツバサは頬杖をついて、ふと外へ目をやる。眼下に広がる街並みの先には、雲一つない青空と、遮るもののない水平線。


 昨日と同じ、退屈でいて悪くない日常が、その向こうまで広がっている。



 ――カチッ。



 誰かがスイッチを押したような、そんな幻聴。


 直後、空が白く飛んだ。鼓膜を破るような轟音。激しい衝撃。割れる窓ガラス。舞い上がる粉塵。


 それらがツバサの身体を襲ったのは、文字通り一瞬のことだった。


 強烈な衝撃波に吹き飛ばされ、床の上を無様に転がる。何かに強く打ち付けられた激痛。


「――っ、が、はっ……!」


 肺の中の空気を強制的に絞り出され、喉を焼くような煙の臭いと、じりじりと皮膚を炙るような異常な熱気に、ツバサは激しくむせ返った。


 視界を遮る灰色の粉塵。ひどい耳鳴りのせいで、周囲の音はまるで水の中にいるように遠く、くぐもって聞こえる。


 ツバサはふらつく身体をどうにか起こし、周囲を見回した。


 そこにあったはずの黒板も、教壇も、窓際の席も、そこにいたはずの生徒もすべてが消え去っていた。教室の半分が容赦なくえぐり取られ、剥き出しになった鉄筋に並んで、黒い煙を上げる街の空が見える。


 床には、ちぎれた教科書とヒトの腕、べっとりと赤い血がこびりついた瓦礫が散乱していた。


「………………は?」


 ツバサの思考は完全に停止した。身体が金縛りにあったように動かない。目の前にある光景が現実だということを脳が拒絶しているかのように、色を失った世界を凝視することしかできなかった。


 瞬きをした。ただそれだけ。


 ただそれだけで、退屈な日常は、無残な地獄へと姿を変えていた。

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