第七章 一騎打ち
帝都ヴェルグの命運を賭けた赤砂平原の決戦は、極限の混沌を迎えていた。
空は硝煙と魔力の残滓で赤黒く染まり、大地は引き裂かれ、無数の兵士たちの血を吸って泥濘と化している。七将天の一角、ガザ(大将軍)という巨星が立ち往生のまま命を散らした衝撃は、戦場全体を大きく揺るがしていた。
しかし、その絶望を純粋な「闘志」へと昇華させたイレント帝国軍の反撃は、三国同盟軍の予測を遥かに超える凄まじさだった。
「ガザ(大将軍)の屍を越えてゆけ! 我らの背中には皇帝陛下が、そして帝国の未来がある!」
大隊長ロイドの怒号が響く中、中隊長グレイ率いる第一歩兵部隊は、数に勝るガルドリアの重装歩兵団を凄まじい勢いで押し戻していた。
「新兵……いや、ルーク(一等兵)! 左から来るぞ、槍を合わせろ!」
ハンス(曹長)が長剣を振るい、ガルドリアの軍曹を叩き伏せる。
「はいッ!!」
ルーク(一等兵)は、かつて訓練学校で習ったどの教科書にもない、実戦だけで培った無駄のない動きで槍を突き出した。放たれた一撃は、突撃してきた敵の上等兵の喉元を正確に貫く。彼の隣では、カール(軍曹)が「陣形を崩すな! 三曹、二曹、下級兵を引っ張れ!」と叫び、ジャン(一曹)やレン(二曹)たちが傷だらけになりながらも確固たる防衛線を維持していた。一等兵、二等兵たちの泥臭い奮戦が、奇跡的に十五万の軍勢の足を止めていたのだ。
そして戦場の中央、巨大な移動司令塔の崩落した足元で、世界の行方を決める「二人の大将軍」が対峙していた。
イレント帝国が誇る『七将天』、エイダ・ケンドル(大将軍)。
対するは、三国同盟軍総司令官であり、ガルドリア王国の絶対的最高権力者、ヴォルデン(大将軍)。
「二等兵から大将軍まで上り詰めたというから、どのような怪物かと思えば……その身に纏うは、ただの『執念』か、エイダ(大将軍)」
ヴォルデン(大将軍)は、セイル共和国製の特殊魔導合金で覆われた巨体を微動だにさせず、ルミナ神国の教皇から授けられたという白光を放つ聖剣を構えた。その佇まいは、一国の軍隊そのものが擬人化したかのような、圧倒的な威圧感に満ちていた。
エイダ(大将軍)は何も答えなかった。ただ、その燃えるような赤髪を風に揺らし、漆黒の長剣を静かに中段に構える。彼女の瞳からは、すでに一切の感情が消え失せていた。あるのは、目の前の敵を確実に屠るという、純粋な「武」の意志のみ。
「ふん、無駄口は不要ということか。ならば、その傲慢ごと叩き潰してくれよう!」
ヴォルデン(大将軍)が地響きを立てて踏み込んだ。
身の丈を超える巨体からは想像もつかない神速の一撃が、上段から振り下ろされる。聖剣が放つ白光が空間を切り裂き、凄まじい風圧が周囲の瓦礫を消し飛ばした。
カキィィィィィンッ!!!
鼓膜を破らんばかりの金属音が響き渡る。
エイダ(大将軍)はそれを真っ向から受け止めなかった。漆黒の刃を斜めに滑らせ、ヴォルデン(大将軍)の放った絶対的な破壊力を横へと受け流す——ガルドリアの猛将バルガスを葬った、彼女の至高の技。
しかし、ヴォルデン(大将軍)はバルガスのような単なる豪傑ではなかった。
「見切っているわ!」
軌道を逸らされた瞬間、ヴォルデン(大将軍)は鎧の各部に仕込まれたセイル共和国製の推進機関を爆発的に噴射させ、強引に体勢を復元。そのまま流れるような動作で、今度は水平の薙ぎ払いへと移行した。
「くっ……!」
エイダ(大将軍)は即座に後ろへ跳んだが、聖剣の放つ衝撃波が彼女の漆黒の軍服を切り裂き、鮮血が宙に舞った。
「閣下!」
遠くからロイド(大隊長)の悲鳴のような声が上がるが、誰も二人の闘いに割って入ることはできない。その周囲は、二人が放つ凄まじい闘気の嵐によって、近づく者すべてを切り刻む絶対の空白地帯と化していた。
「我が鎧はセイルの最高技術、我が剣はルミナの最高神の加護、そして我が肉体はガルドリアの最強の武! 三国の結晶たるこの私に、一国の、それも消耗しきったお前ごときが勝てる道理はないのだ!」
ヴォルデン(大将軍)の猛攻が続く。叩きつけ、突き、薙ぎ払い。一撃一撃が戦術兵器並みの威力を持ちながら、その速度は音速を超えていた。
エイダ(大将軍)は防戦一方に追い込まれ、彼女の身体には一つ、また一つと深い傷が刻まれていく。赤髪は泥と血で汚れ、息は荒くなっていた。
(強い……これまでの敵とは、次元が違う……!)
だが、彼女の心は折れていなかった。
二等兵として初めて戦場に立ち、仲間が死に、上等兵となり、三曹、二曹、一曹と階級を上げるたびに、より多くの命を背負ってきた。小隊長、中隊長、大隊長を経て、この『七将天』の大将軍となった今、彼女の剣は彼女一人のものではなくなっていた。
(私の後ろには、命を懸けて道を繋いでくれた仲間たちがいる。命を散らせたガザ(大将軍)が、そして今も戦っている兵士たちがいる……ここで、私が倒れるわけにはいかないのよ!)
「これで終わりだ、エイダ・ケンドル(大将軍)!!」
ヴォルデン(大将軍)が勝機を確信し、全魔力を聖剣に集束させた。太陽のごとき輝きを放つ大剣が、エイダ(大将軍)の脳めがけて真っ直ぐに突き出される。回避は不可能。防御しても鎧ごと消し飛ぶ、一撃必殺の突き。
その瞬間、エイダ(大将軍)の動きが完全に止まった。
彼女は、自らの剣を構えることすら止め、完全に無防備な姿でその一撃を迎え入れたのだ。
「諦めたか!」
ヴォルデン(大将軍)の聖剣が、エイダ(大将軍)の左肩を深く貫いた。激しい激痛が彼女の身体を襲い、骨が砕ける音が響く。
しかし——ヴォルデン(大将軍)の突きは、そこで止まった。
エイダ(大将軍)が、自らの左肩で敵の聖剣を「肉楔」として挟み込み、固定したのだ。
「な……にっ!?」
ヴォルデン(大将軍)が驚愕し、剣を引き抜こうとするが、エイダ(大将軍)の強靭な肉体と執念がそれを許さない。
「捕まえたわ、ヴォルデン(大将軍)」
エイダ(大将軍)の口角から血が溢れる。しかし、その瞳には、勝利を確信した絶対的な光が宿っていた。
自らの命を囮にし、敵の動きを完全に止める。これこそが、彼女が幾多の死線で磨き上げてきた、肉を斬らせて骨を断つ最終奥義。
「ガザ(大将軍)が命を懸けて遺してくれたこの機会……無駄にはしない!」
エイダ(大将軍)は残された右腕で、漆黒の長剣を逆手に握り直した。
彼女の全生命力、全魔力、そして帝国軍すべての兵士たちの想いが、その刃へと集束し、黒い炎のようなオーラとなって爆発した。
「これが……私たちの、イレント帝国の力よァァァッ!!」
一閃。
極限まで研ぎ澄まされた漆黒の刃が、ヴォルデン(大将軍)の強固な魔導合金の首当てを、紙のように容易く切り裂いた。
時が止まったかのような静寂が、戦場を支配した。
ヴォルデン(大将軍)の目が、信じられないというように見開かれる。
「我が……三国の、最高傑作が……このような、泥臭い執念に……」
その言葉を最後に、三国同盟軍総司令官の巨体が、ゆっくりと、しかし確実に地面へと崩れ落ちた。彼の手から離れた聖剣は光を失い、赤砂の中に突き刺さった。
「……勝った、のね」
エイダ(大将軍)は、膝を突きそうになる身体を、自身の長剣を杖にして辛うじて支えた。彼女の周囲には、静かに横たわるヴォルデン(大将軍)の姿だけがあった。
総大将の戦死。その事実は、魔導通信を通じて瞬く間に十五万の三国同盟軍全体へと伝播した。
「ヴォルデン(大将軍)閣下が討たれた……!」
「六大将軍も、四天王も全滅だ……!」
「もうおしまいだ、退却せよ!」
絶対的な指導者を失った同盟軍は、もはや軍隊としての形を維持できなかった。彼らは武器を投げ捨て、蜘蛛の子を散らすように敗走を始めた。ガルドリア、セイル、ルミナの三国が、全力を挙げて挑んできた「イレント帝国打倒」の野望は、ここに完全に潰えたのである。
「……敵軍、完全に敗走! 我々の、我々の勝利だァァァッ!!」
ロイド(大隊長)の涙混じりの叫びが、平原に響き渡った。
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」」」
帝都ヴェルグの城壁から、そして赤砂平原の至る所から、割れんばかりの勝鬨が沸き起こった。
兵士たちは互いに抱き合い、涙を流し、この奇跡的な勝利を称え合った。
第一歩兵部隊の列の中でも、ルーク(一等兵)は槍を地面に突き立て、その場にへたり込んでいた。
「終わった……本当に、終わったんだ……」
「ああ、終わったぞ、ルーク(一等兵)。俺たちの勝ちだ」
ハンス(曹長)がボロボロの手でルークの肩を叩き、二人は空を見上げた。赤黒かった雲が切れ、そこから美しい一筋の朝日が、帝都ヴェルグを照らし始めていた。
カール(軍曹)も、ジャン(一曹)も、レン(二曹)も、生き残ったすべての下士官、兵士たちが、その光を浴びながら勝利の余韻に浸っていた。中隊長のグレイやシルビア、ダグラスらも、城壁の上から降りてきたゼノン(大大将軍)たちと固い握手を交わしていた。
戦傷の深いエイダ(大将軍)のもとへ、皇帝直属の医療班と、ロイド(大隊長)たちが駆けつける。
「閣下! すぐに応急処置を!」
「騒がないで、ロイド(大隊長)。私はまだ、死ぬわけにはいかないわ」
エイダ(大将軍)は、駆け寄る部下たちに微笑みかけた。その顔は傷だらけだったが、どこまでも晴れやかだった。
彼女はゆっくりと振り返り、命を散らせたガザ(大将軍)が遺した剛弓が立つ場所を見つめた。
「ガザ(大将軍)……私たちは守り抜いたわよ。あなたの愛した、この帝国を」
朝日に包まれる中、イレント帝国の国旗が、帝都の城壁の上で高らかにはためく。
二等兵から這い上がった赤髪の戦乙女と、彼女を信じて戦い抜いた名もなき兵士たちの物語は、帝国の歴史に永遠に刻まれる伝説となり、後世へと語り継がれるのであった。




