40 悪夢
アレンは眠れなくなっていた。
最初は些細な違和感だった。夜中にふと目が覚める。誰もいない廊下で視線を感じる。処理したはずの書類の日付が妙に気になる。そんな程度だった。だが、数週間もすると明らかにおかしくなり始めた。
夢を見るようになったのである。
血の臭いがする夢だった。
暗い教会。濡れた石畳。処刑台。泣き叫ぶ女。怒号を上げる民衆。そして、その中に立つ自分。白銀騎士の鎧だけがやけに鮮明だった。
「副団長殿……」
夢の中で、焼かれる直前の司祭が彼を見上げていた。穏やかな老人だった。最後まで取り乱さなかった男だ。
「貴方は良い騎士です」
その言葉が、妙に耳に残っている。
次の瞬間、炎が上がる。
司祭の顔が焼ける。
それでも老人はアレンを見ていた。
「ですが」
炎の向こうで。
「良い人ほど、王城では汚れる」
そこで目が覚める。
汗で寝間着が張り付いていた。
「……っ」
息が苦しい。
夜明け前。
部屋は静かだった。
だが、最近のアレンは眠りへ戻ることができなかった。
そして。
夢はどんどん増えていった。
飢饉の年に処刑された巫女。国境紛争で処刑された将校。密輸罪で消えた商人。反乱貴族。異端認定された神官。もちろん全員が善人ではない。実際、かなり酷い人間もいた。欲深い者もいたし、暴力的な者もいた。だが、それでも。
夢の中で彼らは皆、アレンを見る。
責めるわけではない。
むしろ穏やかだった。
だからこそ苦しかった。
「総長代理殿」
「……」
「王命だったのでしょう」
「……」
「仕方なかったのでしょう」
その言葉が逆に胸へ刺さる。
ある夜。
夢の中でアレンは王城の大広間を歩いていた。誰もいない。赤絨毯だけが延々と続く。やがて玉座へ辿り着く。そこには誰も座っていない。だが。
背後から女の声がした。
「本当にそうかしら?」
甘い声だった。
振り返る。
赤いドレス。
長い黒髪。
氷みたいな美貌。
クラウディア。
王国史に残る悪女。
アレンは夢の中で剣へ手を伸ばす。だが身体が動かない。
「……貴方」
クラウディアは笑っていた。
「優しいわねぇ」
「……」
「真面目で、責任感があって、ちゃんと苦しめる」
彼女はゆっくりアレンへ近づく。
「だから壊しやすいの♡」
アレンは目を逸らせなかった。
クラウディアは彼の胸へそっと指を当てる。
「ねぇ」
甘い声。
「貴方も王と同じよ」
その瞬間。
夢の中の床が血で染まった。
処刑された人々が足元へ転がっている。巫女。司祭。兵士。貴族。泣いている者もいれば、無表情な者もいる。だが全員、アレンを見ていた。
「違う……」
アレンは掠れた声で呟く。
クラウディアは笑う。
「違わないわぁ♡」
「……」
「王は命令した」
「……」
「でも、剣を振ったのは貴方」
そこで目が覚める。
アレンはベッドから起き上がれなかった。
「……っ」
呼吸が浅い。
窓の外はまだ暗い。
だが、耳の奥にはまだ女の笑い声が残っていた。
そして最悪なのは。
アレン自身、完全には否定できなくなっていることだった。
王命だった。
必要だった。
王国の安定のためだった。
全部事実だ。
だが、それでも。
剣を振ったのは自分だ。
「……」
その日以降、アレンは少しずつ変わっていった。
笑わなくなる。
食事量が減る。
部下が心配する。
「総長代理殿、お疲れでは」
「問題ありません」
即答。
だが明らかに疲弊していた。
そして。
王命が来るたびに、夢が増える。
処理した相手が夢へ出る。
炎の臭い。
血。
泣き声。
そして。
赤いドレスの女。
「貴方、ちゃんと苦しめるから素敵よぉ♡」
クラウディアは夢の中でいつも楽しそうだった。
亡霊である彼女は、普通の人間には見えない。起きている間、アレンは彼女の存在に気づけない。だが夢の中だけは別だった。
彼女はアレンへ寄り添う。
囁く。
優しく。
甘く。
毒みたいに。
「善人でいようとするから辛いのよ」
「……」
「王みたいに割り切れば楽なのに」
「……」
「でも貴方、できないでしょう?」
クラウディアはクスクス笑う。
「可哀想♡」
そして。
アレンは少しずつ眠ることを恐れるようになっていった。




