37
《泣き声の塔》。
深夜。
静かな雨音が続いていた。
王妃セレフィナは机へ向かっていた。
古い羊皮紙。
封蝋。
暗号化された記録。
何年もかけて集めた情報。
王城で生きる女は、無力ではいられない。
まして。
幽閉された王妃なら尚更だった。
「……」
セレフィナは一枚の紙を静かに閉じる。
そこに記されているのは。
処刑。
粛清。
隠蔽。
横領。
密約。
失敗。
全部。
王の治世の裏側だった。
もちろん。
全てが悪ではない。
むしろ。
現国王は間違いなく優秀だった。
そこが厄介だった。
「……」
セレフィナは窓の外を見る。
王都。
夜でも灯りが多い。
飢餓暴動はない。
大規模反乱もない。
治安も比較的安定している。
近隣諸国と比べれば。
この王国はかなり豊かな方だった。
それは事実。
王は災害対応に優れていた。
飢饉が起きれば備蓄を開放する。
洪水なら即座に治水工事。
疫病なら隔離。
貴族反乱の芽も早めに潰す。
しかも。
必要なら。
汚れ仕事を躊躇しない。
だから。
王国は安定した。
「……」
セレフィナは小さく目を閉じる。
反省していない。
それも事実だった。
王は今でも。
責任を誰かへ押し付ける。
必要なら巫女を燃やす。
司祭を消す。
貴族を事故死させる。
そして。
民衆へ。
『王国を守るためだった』
と言う。
実際。
結果だけ見れば。
守れてしまっている。
そこが最悪だった。
「……」
もし。
現国王が単なる暴君なら。
簡単だった。
失脚させればいい。
秘密を暴けばいい。
だが。
違う。
王は。
王国そのものを支えている。
少なくとも現時点では。
「……復讐」
セレフィナは小さく呟く。
彼女には理由がある。
友人を焼かれた。
塔へ閉じ込められた。
人生を奪われた。
許せない。
だが。
単純な感情だけで王を倒せば。
王国そのものが壊れる可能性がある。
そして。
最大の問題。
王太子。
「……」
セレフィナは机上の肖像画を見る。
若い青年。
まだ二十代前半。
真面目。
聡明。
優しい。
だが。
父ほど冷酷ではない。
つまり。
父ほど強くない。
「……」
それを。
母親であるセレフィナ自身が理解していた。
王太子は優秀だ。
だが。
現国王レベルではない。
災害。
暴動。
飢饉。
外交。
貴族統制。
全部を同時に回せるか。
正直。
怪しい。
そして。
もっと深刻なのは。
王の権威だった。
現国王は。
賢王として民衆へ浸透している。
多少冷酷でも。
結果を出し続けてきた。
だから支持される。
もし。
そのイメージが崩壊すれば。
どうなるか。
「……」
王太子が巻き込まれる。
『賢王の息子』
というブランドごと壊れる。
民衆は急に不安定になる。
貴族は動く。
近隣諸国も狙う。
つまり。
王だけを倒すことはできない。
王国ごと揺れる。
「……」
セレフィナはゆっくり紅茶を飲む。
冷めていた。
彼女は長年考え続けていた。
どうすれば。
王だけを壊せるのか。
どうすれば。
王太子の継承を守りながら。
王へ報いを与えられるのか。
だが。
答えはまだ見えない。
「……」
皮肉だった。
憎んでいる。
それは本物。
だが。
同時に理解している。
現国王が消えれば。
王国はかなり危うくなる。
それも事実。
だから。
動けない。
機密情報は集まる。
秘密も増える。
だが。
使えない。
使うタイミングを間違えれば。
全部終わる。
「……」
窓の外。
雨が強くなる。
セレフィナは静かに目を閉じた。
王は罪深い。
だが。
王国は今。
その罪深さの上で安定している。
それが。
最も醜く。
最も厄介な現実だった。




