30
王城。
深夜。
玉座の間には誰もいなかった。
広い。
静か。
豪華な赤絨毯も、黄金の装飾も、今は妙に冷たく見える。
「……」
国王は一人だった。
酒杯には触れていない。
珍しいことだった。
窓の外では雨が降っている。
彼は静かに額を押さえた。
「……クラウディア」
その名を口にした瞬間。
胸の奥が嫌な感覚で満たされる。
怒り。
嫌悪。
恐怖。
そして。
最も厄介なもの。
――後ろめたさ。
「……」
王は目を閉じる。
若い頃。
彼は愚かだった。
今では賢王と呼ばれている。
飢饉対策。
治水。
貴族統制。
外交。
税制改革。
実績は本物だった。
だが。
王子時代。
彼は完全に暴君だった。
酒。
女。
浪費。
派閥争い。
気分での処刑。
感情だけの軍事行動。
そして。
大敗。
北方戦争。
王国史に残る大失敗。
数万の兵が死んだ。
補給軽視。
冬季遠征。
無茶な突撃。
全部。
若い王子の虚栄心が原因だった。
だが。
歴史には残っていない。
なぜなら。
「……」
全部。
クラウディアへ押し付けたからだ。
『悪女が王子を狂わせた』
『妖婦の囁きが戦争を招いた』
『毒婦クラウディアの策謀』
民衆は喜んだ。
単純な悪役を欲していたからだ。
貴族たちも乗った。
都合が良かった。
失敗の責任を死者へ押し付ければ済む。
しかも。
クラウディア本人。
普通に悪女だった。
だから。
誰も疑わなかった。
いや。
疑っても黙った。
死人は反論しない。
「……」
国王は静かに酒杯を握る。
指が少し震えていた。
クラウディア。
確かに悪女だった。
それは本当だ。
彼女は残酷だった。
気に入らない侍女の爪を剥がさせた。
美貌を妬んだ令嬢を売り飛ばした。
貴族同士を争わせて笑っていた。
飢えた孤児を見ても。
『醜いわねぇ』
としか言わなかった。
人間を玩具みたいに扱った。
だが。
それでも。
押し付けられた罪の半分くらいは、実際には王侯貴族側のものだった。
戦争。
飢饉。
粛清。
財政破綻。
失敗。
全部。
便利な死人へ投げた。
そして。
王はそのやり方を今でも続けていた。
「……」
現在。
王国で災害が起きる。
飢饉。
疫病。
洪水。
すると。
巫女が死ぬ。
『神託を誤った』
『穢れを呼び込んだ』
『不吉だった』
処刑。
追放。
火炙り。
理由なんて後付けでいい。
民衆はわかりやすい生贄を欲しがる。
誰かが悪いことにした方が楽だからだ。
王もそれを理解していた。
だから。
利用する。
反省?
していない。
むしろ。
「……必要なことだ」
王は低く呟く。
「国を回すには」
責任を一箇所へ集める必要がある。
民衆の怒り。
貴族の不満。
全部。
誰かへ押し付ける。
それが統治。
それが王。
少なくとも。
彼はそう信じていた。
だからこそ。
怖かった。
レイが。
クラウディアへ変身したことが。
「……」
あの瞬間。
王は錯覚した。
過去が戻ってきた気がした。
自分が押し潰したはずのものが。
全部。
腐臭と共に蘇ったような感覚。
『陛下ぁ♡』
あの声。
甘ったるい声。
若い頃。
彼が狂った声。
忘れたはずだった。
だが。
身体が覚えていた。
「……」
王は静かに歯を噛む。
レイは危険だった。
単なる逃亡犯じゃない。
存在そのものが危険。
あの男。
悪意なく地雷を踏む。
笑いながら暴く。
禁忌を面白半分で引きずり出す。
しかも。
逃げ足だけは異常。
「……捕らえろ」
低い声。
玉座の間に響く。
「絶対に」
扉の外。
控えていたアレンが静かに頭を下げた。
「……承知しました」
だが。
アレンは少し複雑だった。
王は賢王だ。
それは本当だ。
今の統治は安定している。
民衆人気も高い。
だが。
その安定。
全部が綺麗なわけじゃない。
アレンも知っている。
見てきた。
飢饉の年。
巫女が燃やされた。
民衆は拍手していた。
その時。
王は無表情だった。
「……」
アレンは静かに目を伏せる。
一方。
教会。
「のだぁ〜〜♡」
当のレイ。
毛布へ包まりながら焼き芋を食べていた。
「美味いのだぁ♡」
危機感ゼロ。
エリシアが本気で疲れた顔をしている。
「……ねぇ」
「のだぁ?」
「あなた、自分が今どれだけ危険かわかってる?」
「超怒ってるのだぁ♡」
「わかってるならどうしてそんな呑気なの」
「逃げるのだっ♡」
即答だった。
エリシアは天を仰ぐ。
だが。
レイは焼き芋を頬張りながら言った。
「でもなのだぁ」
「?」
「陛下、ちょっと怖かったのだぁ」
「……」
「吾輩を見てるんじゃなくて」
レイは少し首を傾げる。
「もっと別の何か見てる感じだったのだぁ」
エリシアは黙った。
そして。
静かに呟く。
「……そうでしょうね」
教会の蝋燭が静かに揺れていた。




