第二十話「五本目の夜」
六月の最初の週末に、集落の祭りがあった。
諒の感覚としては大きな祭りではなかったが、集落の子ども達からご年配まで、幅広く集まっていた。
神社の境内に幕を張って、テーブルを出して、地区の人間が集まって飲み食いする。ただそれだけの祭り。
神事らしい神事があるわけでもなかった。神主が来るわけでもなかった。ただ集まって、食べて、飲んで、解散する。BBQをしたり、地元焼き鳥チェーンのケータリングカーを呼び寄せた年もあったようだ。
これが移住してから二回目の春祭りだった。
最初の年は勝手がわからず、おにぎりや惣菜を持っていったら「そんな気を使わんでええ」と言われた。飲み食いの費用は、集落や農家組合の予算から出されているとのことだった。
二年目の今回は自作のポータブルスピーカーを持ち込み、音楽を流した。リクエストにも大いに応えた。
昨年とは打って変わって、皆に喜んでもらえた。
はじめ「気を使うな」と言われたことが気にかかっていたが、配慮するのではなく一緒に楽しめ、というニュアンスに近かったのかな、と感じていた。
祭りの席で、区長さんの隣に座った。
区長さんが燗酒を一口飲んで、こちらを見た。
「おう諒ちゃん、飲んどるか」
「はい」
「この祭り、昔はもう少し違う感じやったんやけどな」
「どんな感じだったんですか」
「厳かな感じで、神事もやっとったな。田植えの後、五穀豊穣を願うものやからな。今はまあ…春の農作業が終わった慰労みたいになってるけどの」
「へえ、五穀豊穣の神事ですか。どんな内容なんだろう」
「興味あるんか。俺はあの時、壮年会と子供会の方で設営やらお菓子の準備とかで忙しかったでなあ。神事のことはあんまりわからんのやって。キヌヨさんが詳しいんじゃないか?」
「キヌヨさん…田中さんですか」
「そうや。あそこの家系はここらの神社を担当しとった神主さんの遠縁やからな。キヌヨさんとこの亡くなった旦那さんがな、宮子をずっと仕切っとってなあ。その頃は左義長と一緒くたにせずに、こっちの神事もしっかりやってたんやわ」
左義長は一般には1月中旬ごろに行われるお祭り、神事で、健康や安全、五穀豊穣などを祈願するものだ。
役割の重複する神事を統合したということらしかった。
「宮子というと、神社を管理運営してる方々ですよね」
「おう、今は各班長らがやってるけどな、田中さんはずっと特別枠やったわ。いろんな準備やら手順やらがあったみたいなんやけど」
諒は少し考えた。
田中さんは集落の女性グループに混じって歓談しているようだ。
「ありがとうございます。ちょっと聞いてみます」
「おう。祭り、楽しめよ」
席を離れ、女性陣が集まっているテーブルに近づいた。
「お邪魔してもいいでしょうか」
「あら諒ちゃん、一緒に飲むか?」
「こっち、こっち座んなさい」
「ちゃんと食べた? なんか飲む?」
集落の女性陣はやたらと世話焼きであった。
食事にアルコールにと、ぐいぐいと押し付けてきた。
「ありがとうございます。あの、田中さんにちょっとお伺いしたいことがあって」
「あらあら、どうしたんや」
「このお祭りのことで。昔は神事もやってたとか」
「そうやねえ」
「あの、どんなことをしておられたか、覚えておられますか」
そう尋ねると、「昔のお祭りね」と前置きをしてから、掻い摘んで教えてくれた。
曰く、昭和の時代は御神酒や餅、野菜や菓子類といったお供物と一緒に、神社の分霊を入れた神輿を担ぎ、神社から祠まで行列を作ったらしい。その後、平成になったあたりから徐々に神事が簡易化され、さくらが生まれた二十五年前に旦那さんが急逝するまでは祠にお供物をする、という行事だけが執り行われたと言う。
ただ、そのほかの具体的な祝詞、祠での儀式などまではわからないということだった。
「神事だけでも1日がかりやったでねえ」
「ほんと、神事やってる間、お嫁さんたちで食事の準備、そのあと男衆は酒盛り、餅やお菓子はみんなに撒いてーーー」
「そうそう、あのとき吉田のみっちゃんがーーー」
「私も嫁に来たばっかりの時でーーー」
「そうやって!うちの息子もあの頃はーーー」
田中さんの説明に合わせ、女性陣の思い出話が弾んだ。
諒が考え込んでいると、視線を感じた。
田中さんが微笑みながらこちらを見ていた。
「おおきにの」
「え」
急にお礼を言われ、戸惑ってしまった。
田中さんは続けた。
「祠。何年か前の台風で石垣が崩れちゃって、区の寄り合いでも予算がないって。ずっと気にかけてはいたんだけど。でも直してくれたから」
「いえそんな、僕も気になっただけで」
「あのお山の石碑も、お手入れする人がいなくなってから荒れちゃってたから。諒ちゃんが越してきてくれてよかった」
そう言って田中さんは「さあさ、飲んで飲んで」とお酒を勧めてくれ、周りの女性陣の勢いもあって、もみくちゃにされてしまった。
その夜、帰り道を歩きながら、諒は空を見た。
「神社から祠まで行列を作った」
田中さんの言葉が、頭に残っていた。
昔はそういうことをしていた。神社を起点に、祠まで。ひとつながりの道として、神事が機能していた。
今はそれが途絶えていた。
でも、祠は直した。石碑も直した。要石の修復も終わった。
繋がっていないのは、諒が繋いでいないからだ。
「……やってみようかな」
独り言だった。
誰も聞いていなかった。
翌朝、目が覚めた。
諒は少し早く起きた。
台所で米を研ぎながら、昨夜考えていたことを整理した。正確な祝詞は知らない。神職の作法も知らない。
でも、社守というのは代々それをやってきた人間だった。六代の社守が、それぞれのやり方でこの山の龍脈を守ってきた。
七代目が何もしないのは、おかしかった。
「やれることをやる」
それだけだった。
朝飯を食ってから、準備をした。
リュックに、供物を詰めた。
神社用、祠用、要石用、それぞれ別の袋に分けた。
塩、水、米、それから地元の酒を小さい瓶で三本。田中さんからもらったこごみの佃煮も少し入れた。
それから、ちょっとした「とっておき」も用意した。
「行ってきます」
ネコチャンに声をかけた。ネコチャンは縁側にいた。
諒を見た。まばたきをした。
立ち上がって、玄関の方に歩いてきた。
「おや、来てくれるんですか」
尻尾が四本、パタン。
「ありがとうございます」
最初に、集落の神社に寄った。
小さい神社だった。境内は広くなかった。でも石畳が丁寧に敷かれていて、狛犬が二体、参道の左右に立っていた。
諒はカメラを持っていたが、今日はライブではなかった。録画だけ回していた。こういう日は、ライブにしない方がいい気がした。
鳥居をくぐって、拝殿の前に立った。お賽銭を入れた。鈴を鳴らした。手を合わせた。
「えーと」
しばらく黙った。
「社守七代目の坂口諒です。昨日、春祭りで、昔は神社から祠まで行列を作っていたと聞きました。今日、その道を歩いてきます。正しい作法はわからないですが、繋ごうと思って」
頭を下げた。
塩と米と酒を、拝殿の前に供えた。
ネコチャンが、拝殿の前に座っていた。
神社のことなど気にしていないような普段の顔で、でも正面を向いて、静かに座っていた。
「じゃあ、行きます」
神社から家の方向へ、そして裏山へ。
諒は歩きながら、供物の袋を持っていた。ネコチャンが先を歩いた。いつもの殿の位置ではなく、今日は先だった。
斥候の位置だった。
「先導してくれるんですか」
振り返らなかった。
尻尾が一本、パタン。
集落の細い道を抜けて、家の前を通って、裏山の入口へ。
石段の下に着いた。諒は少し立ち止まった。
「昔はここを行列が通ったんですよね」
独り言だった。
石段を上がり始めた。
祠の前に着いた。
ネコチャンが祠の前で立ち止まって、こちらを振り返った。
ここで供物を、という意味だと思った。
リュックから袋を取り出した。
塩、水、米、酒、佃煮。
それから用意しておいた「とっておき」。
皿に並べた。手を合わせた。
「社守七代目の坂口諒です。今日、神社からここまで歩いてきました。繋ごうと思って。ちゃんとした作法かどうかわかりませんが」
頭を下げた。
「それから、今日はいいもの持ってきてます。気にってもらえるといいんですけど」
ネコチャンが祠の前に来た。
供物を一つ一つ、鼻先で確認した。
その中の、あるものに釘付けになった。
「とっておき」、それはカツオのたたきだった。CMで、ネコ用おやつとして、ささみ味やマグロ味、カツオ味などやっているのを見かけて、試しにスーパーで買ってみたものだ。
ネコチャンはスンスンと鼻を鳴らし、尻尾を4本、ピンと立てている。
「気に入ってもらえましたかね」
ネコチャンがコチラを見た。ぴょんとコチラに寄ってきて、体を擦り付けてきた。今まででいちばんの反応だった。
今後は、こういった供物もレパートリーに加えよう、そう思った。
それから祠に向かって、座った。少し長い時間、そこにいた。諒も黙ってその隣にいた。
山の風が吹いた。
六月の風だった。
やがてネコチャンが立ち上がった。
奥の方に向かって歩き始めた。
「要石も行きますか」
振り返らなかった。
尻尾が一本、パタン。
祠の奥、平場に出た。
要石が立っていた。垂直に、ちゃんと立っていた。
「鎮龍脈永」
「社守 七代 坂口諒」
朝の光の中に、文字が浮かんでいた。
リュックから最後の袋を取り出した。供物を並べた。手を合わせた。
「神社から祠を通って、ここまで来ました。全部を繋ごうと思って歩いてきました。これで繋がってるといいんですが」
少し間があった。
「繋がってますかね」
ネコチャンを見た。
ネコチャンが、要石の正面に座っていた。目を細めていた。金色の目が、いつもより少し柔らかかった。
尻尾が四本、ゆっくり揺れた。
「よかったです」
山を下りながら、諒は少し立ち止まって振り返った。
神社から祠から要石まで、今日歩いた道が頭の中にあった。昔は行列がここを通っていた。
今日は二人だった。
人間一人と、猫一匹。
でも、繋いだ。繋がった。
「社守って、こういうことをやってきたんですかね」
ネコチャンが諒の隣に来た。今日は殿でも斥候でもなく、隣だった。まばたきをした。
尻尾が四本、揺れた。
夜のライブで、今日の様子を動画にして少し見せた。
「今日、神社から祠まで、それから要石まで歩いてきました。昔はこの道を神事の行列が通っていたと昨日聞いて。作法はわからないですが、それを継ごうと思って。供物を持って歩きました」
コメントが流れた。
『おお、なんか神職っぽい感じだな』
『カツオのたたき供えるの草』
『うまそうだなw』
『ネコチャン、メロメロじゃんねww』
『お供物って、どうしてるの?』
「いつもお祈り? したあとに回収して、塩なんかは料理に使ったりしますし、お酒は飲んでます。カツオのたたきは今日の晩御飯でした」
『食べていいのか!?』
『いいんだよ。神様のお下がりみたいな感じで、ちゃんと回収して飲んだり食べるのが正解』
『ほーん』
『スタッフが美味しくいただきました』
『あのお酒、あれって2号瓶っていうんだっけ?』
『2合な。諒さん、酒強いのな』
『ネコチャンは飲んだり食べたりしないのか』
「それなんですけど、カリカリとかあげても食べたことなくて。お供えして、その後に回収して食べたり飲んだりしてると、ゴロゴロと機嫌良さそうなので、そうしてます」
コメントが流れた。
『ネコチャンパワーをお裾分けしてもらってたりしてな』
『実際にお供えってそういう役割もあるぞ』
『だからかな、諒さん、初期と比べても若々しい感じするし』
「そうですか? 確かに体の調子はいいですが」
ネコチャンを見た。
膝の上に来ていた。
どっしりと、乗ってきた。
「重いですよ」
尻尾が一本、パタン。
ライブを終えてから、諒は縁側に座った。
ネコチャンが隣に来た。
今夜は膝ではなく、隣だった。体を、諒の膝に擦り付けていた。
「珍しいですね」
尻尾が一本、パタン。
「どうしたんですか」
返事はなかった。ただ、隣にいた。尻尾が諒の腕に巻き付いていた。
山の方を向いていた。諒も同じ方向を見た。
夜の山だった。
六月に入って、虫の声が多くなっていた。
静かだった。
でも何かが、変わりかけている気がした。
今日、神社から祠から要石まで繋いだ。それが何かを動かした気がした。
「ネコチャン、今日のあれ、意味ありましたか」
ネコチャンが、わずかに山の方に顔を向けた。
尻尾が四本、ゆっくり揺れた。
「そうですか、それならよかったです」
深夜だった。
諒は布団に入っていた。スマートフォンをしまって、目を閉じた。
虫の声が遠くから続いていた。
どのくらい経ったか。
気配を感じた。眠りに落ちる手前の、半覚醒の状態だった。
でも確かに感じた。
何かが変わっている、という気配だった。山の方から来ていた。
音ではなかった。光でもなかった。
強いて言えば、流れだった。脈動と言ってもいいかもしれない。
どくんどくんと、詰まっていたものが流れ始めた、という感じだった。
今日、神社と祠と要石を繋いだ。
その道に、何かが通り始めた。諒は半分眠りながら、それを感じていた。
胸元が重かった。ネコチャンが、布団の上にいた。
ネコチャンの位置は足元から腰へ、そして最近では胸元で寝るようになっていた。
重みが、いつもと少し違う気がした。
「……ネコチャン」
返事はなかった。
でも、尻尾が揺れる気配がした。
諒はその重みを感じたまま、眠りに落ちた。
朝、目が覚めた。
窓の外が明るかった。鳥が鳴いていた。胸元が重かった。
諒はのそりと起き上がった。
布団の裾を見た。胸元から降りて、あくびをしているネコチャンがいた。
金色の目がこちらを見ていた。
「おはようございます」
尻尾が一本、パタン。
諒は少し眠い目で、ネコチャンを見た。
何かが違う気がした。
「……ちょっと待って」
起き上がって、目を細めた。
尻尾を数えた。
一本、二本、三本、四本。
五本。
「……増えてる」
ネコチャンが、まばたきをした。
五本の尻尾が、布団の上にぶわりと広がっていた。
「増えてますよ、ネコチャン」
尻尾が一本、パタン。
「昨夜、何かありましたか」
返事はなかった。
でも五本の尻尾が、ゆっくり、揺れた。
諒はスマートフォンを取り出した。
カメラをネコチャンに向けた。シャッターを切る。
数えた。
五本、あった。
「……本当に増えてる」




