第十九話「ドローンと、草刈りと、夜の仕事」
五月の終わりになった。
田植えが終わった棚田に、苗が真っ直ぐ並んでいた。
諒はその景色をライブで流しながら、コーヒーを飲んでいた。
コメントが流れた。
『きれいにゃんねえ』
『なんだその語尾』
『ネコチャンはどこ?』
「膝の上にいます」
ネコチャンが、諒の膝の上で丸まっていた。
最近、そうなっていた。
気づいたら膝に乗っていた。縁側でライブをしているとき、編集作業をしているとき、ぼんやり山を眺めているとき。隙あらば膝に乗ってきた。
重かった。でも温かかった。
「重いですよ」
尻尾が一本、パタン。
コメントが流れた。
『かわええ。。。』
『ネコチャン、最近よく膝に乗りますね』
『仲良くなった?』
『前からそういう関係だったのでは』
「まあ、そうかもしれないですが。最近特に多い気がします」
田植えが終わった翌週、集落の草刈り当番があった。
月に一度の社会奉仕だった。
諒は移住してから一度も欠かしていなかった。
鎌と草刈り機を持って、集落の道沿いと共有地の草を刈った。
隣の農家のおじさんが、草刈り機を持ちながら言った。
「諒ちゃん、あんた、草刈り機の刃、研いどるか」
「交換はしてます。研ぎはやったことなくて」
「もったいないな。研いだら全然切れ味が違うで。やってみるか」
昼休みに、おじさんが研ぎ方を教えてくれた。
砥石の当て方、角度、力の入れ方。
諒はやってみた。
「ああ、これは」
感覚がわかった。
金属の角度と、砥石の当たり方。どこをどう動かせばいいか、手のひらに伝わってきた。
おじさんが見ていた。
「おう、筋がいいな。初めてとは思えん」
「ものを作るのが好きなので、手は慣れてると思います」
「どんなもん作るんや」
「昔の仕事で、モックアップとか模型とか。展示物の実物大の試作品とか」
「展示物? IT…とやらの会社やったとか言ってなかったか」
「ええ。IT…いわゆる、パソコンをカタカタやるようなイメージの会社勤めだったなんて言いますけど、実際には博覧会のパビリオン設営とか、ドローンの実機モックアップ、試作品作りとか、そんなことばっかりやってましたね。プログラムは得意な同僚にほとんど任せて、形を作る方はだいたい。設計図から起こして、材料を選んで、加工して」
おじさんが少し目を丸くした。
「ほお、よくわからんけど、大したもんやわ」
「まあ、一番多かったのはオフィスの配線とか内装工事とかですが」
「ん? なんでまたそんな仕事を」
「とにかく雑用担当だったので。なんでもやってました」
おじさんが笑った。
「なんでも屋が、なんでもできる田舎暮らしをしとるわけか」
その日の夜のライブで、草刈り機の刃の研ぎ方を動画にした。
集落のおじさんから教わった内容をそのまま話した。
「砥石の角度がポイントで、草刈り機の刃は片刃なので、裏は砥がない。表だけを角度を一定に保って砥ぐのが重要です」
コメントが流れた。
『草刈り機、刃を研ぐっていう発想がなかった…』
『交換してたわ…』
『まあ普段業務として使わないならそんな認識だろ』
『研いだらどのくらい違いますか?』
「全然違います。今日、研いでから刈ったら切れ味が別物でした。抵抗が減るので疲れも少ないです」
コメントが流れた。
『農業系のライフハック助かる』
『でも不器用だから交換しちゃうと思う(ビクンビクン)』
『これDIYチャンネルでいいんですよね』
『パワスポ再生チャンネルだとあれほど』
『ネコチャンネルに1票』
「田舎暮らしチャンネルです」
翌日、諒は倉庫で作業をしていた。
移住してから少しずつ揃えてきた工具が、棚に並んでいた。
その中に、去年から気になっていたものがあった。
集落の農家のドローンだった。
農薬散布用のドローンを持っている農家が一軒あったが、購入後数回しか使わなかったという。操作が複雑で、結局は毎回業者に来てもらっているという話だった。
もう一つ、草刈り用のドローンが話題になっているという話を、農家のおじさんから聞いていた。
「傾斜地の草刈りが大変でな。人が刈りに行くと危ないし、でも重機は入れんし」
「ドローンで草刈りできるやつ、ありますよね」
「あるらしいんやけど、高いし、扱いも難しそうやからな」
諒はそれを思い出していた。
昔の仕事で、ドローンのモックアップを作ったことがあった。本物のドローンの機体構造はある程度わかっていた。
問題はプログラムと、草刈り機構やセンサーの部分だった。
刃をどう保護して、どういう機構で草を刈るか。安全性をどう確保するか。
傾斜や行き止まり、水路などを感知し、石や強靭な障害物などをどう回避するか。
プログラムだけでも、機構だけでも片手落ちになる可能性があった。
諒は紙を取り出して、ざっくりとしたスケッチを書いた。
ライブのカメラを回した。
「昨日の草刈りの話から考えてたんですが、傾斜地用の草刈りドローン、自分で作れないかなと思って。形を作る方はなんとかなるとして、問題は機構とセンサーで」
コメントが流れた。
『おっ』
『ドローン自作するんですか』
『機体設計と制御は別で考えると作れそう』
「難しいのは振動の問題で。草を刈る動作自体が強烈な振動源になるし、荒地を走行することを想定するとさらに激しくなる。センサー類がそれに耐えられるか、保守性をどう確保するか」
コメントが流れた。
『振動対策ねえ…たしかに厄介』
『防振マウントで切り離す設計にするとか?』
『センサーを刃部から物理的に離した構造にする手もある』
『農業用ドローンの自作コミュニティに聞いてみたら』
「コメントで構造の話をしてくれてる方、ありがとうございます。防振マウントで機構部を切り離す発想はなかったので、少し考えてみます」
コメントが流れた。
『モックアップ作りから本物へ』
『農家のおじさんが喜びそう』
「そうなったらいいなとは思ってます。まず構造の試作からやってみます」
試作を始めたのは、その週末だった。
フレームの素材を何にするか。草刈り部分の保護機構と防振構造をどうするか。センサーをどう独立させるか。
倉庫にある材料を使いながら、形を考えた。
作り始めると、手が動いた。
こうすればいい、という感覚が先に来た。
図面を引くより先に、手が答えを知っていた。
昔の仕事でも、そういうことはあった。
でも今は、もう少し鮮明だった。
作業に対する視界、視野、そこに張られた薄膜が1枚も2枚も剥がされたような感覚だった。
「なんか…妙に捗るな」
独り言だった。
ネコチャンが作業台の脇にいた。
試作品を見ていた。
「どうですか」
尻尾が一本、パタン。
「まだ途中ですよ」
尻尾が一本、パタン。
コメントが流れた。
『ネコチャンが評価してる…』
『ドローンのことまで分かんの?w』
『ネコチャン、ドローンはおもちゃじゃないよ、危ないよ』
『むしろおもちゃにしてぶっ壊しそうだけどな』
その週にアップした動画で、コメント欄が少し騒がしくなった。
裏山の石段を定点カメラで撮影していた動画だった。
問題のコメントは、動画を上げた翌朝についていた。
『1:47あたり、石段の下の方に人影があるの気づいてますか』
諒は確認した。
1:47。
石段の下、集落との境目あたりに、人影があった。
立っていた。
動いていなかった。
ただ、山の方を見ていた。
映っていた時間は十秒ほどだった。その後フレームの外に出た。
「……いますね」
コメントが続いた。
『集落の人ですか』
『でもあの時間帯に石段の下にいるのは変では』
『山を向いてる、こっちじゃなくて』
『観察してる感じがする』
諒はもう一度確認した。
祠と要石のある方向を、じっと見ていた。
「集落の人かどうか、わからないですね。なんとなく、見慣れない感じがします」
コメントが流れた。
『yashiro_kが沈黙してから現地調査に切り替えた?』
『観測員が来たんじゃないか』
『ネコチャン、気づいてますか』
諒はネコチャンを見た。
膝の上にいた。
諒のスマートフォンの方を見ていた。
いつもは山を見ているのに、今は画面の方を見ていた。
尻尾が四本、一本も揺れていなかった。
「……気づいてますか、これ」
ネコチャンが諒を見た。
まばたきをした。
コメントが流れた。
『ネコチャンの反応いつもと違うね』
『尻尾が揺れてない』
『警戒してるという感じでもないような』
『見定めてる的な』
集落の人に確認して回った。
映っていた時間帯に石段の下あたりにいた人間に心当たりはないか。
誰も知らなかった。
田中さんのところに確認しに行ったとき、田中さんが少し眉を寄せた。
「最近、知らん車が集落の入口あたりに何回か停まってたわ。停まって、すぐ出て行くんやけど。同じ車が何回も来てた気がして」
「どんな車でしたか」
「目立たん、普通の車やったねえ」
「気になるようなことがあったら、また教えてもらえますか」
田中さんが頷いた。
「わかった」
帰り際、田中さんが言った。
「さくらもよう来とるねえ」
「いろいろ手伝ってもらっていて」
「そうか」
田中さんが少し笑った。
「ええことや」
それだけ言って、家の中に入っていった。
その夜、遅くなってから、諒は縁側でドローンの設計スケッチの続きを書いていた。
ライブは終えていた。
ネコチャンが膝の上にいた。
静かな夜だった。
いつの間にか、ゴマがいなくなっていた。
白いのも、ぶちも、灰色の大きいのも、全員いなかった。
「みんないないですね…」
ネコチャンだけが、諒の膝にいた。
「出かけてますか」
尻尾が一本、パタン。
「集落の入口の件ですか」
返事はなかった。
でも尻尾が四本、ゆっくり揺れた。
心配するな、という感じだった。
諒はスケッチの続きを書きながら、待った。
防振ユニットの接続部をどういう素材にするか。
ゴムでは強度が足りないかもしれない。
シリコン系の素材と組み合わせた多層構造にすれば、振動吸収と耐久性を両立できるかもしれなかった。
ペンを走らせながら、頭の中で構造が組み上がっていった。
「なんか、前より速く形が見えるようになってきたな。精度も高いのが描けるし」
独り言だった。
ネコチャンが膝の上で少し動いた。
小さく丸まり直した。
重みが、少し変わった。
「あなたのせいですか、これ」
返事はなかった。
でも尻尾が一本、のんびりと、パタン。
一時間ほど経って、庭に気配が戻ってきた。
ゴマが先に戻ってきた。続いて白いの、ぶち、灰色の大きいの。
全員、定位置に収まった。
全員、そのまま目を閉じた。
「お疲れ様でした」
ゴマが片目だけ開けた。
あくびをした。
閉じた。
コメント欄には誰もいなかった。ライブは終わっていた。
諒一人でそれを見ていた。
「集落の入口の連中、撤退しましたかね」
ネコチャンが、一瞬諒を見た。
まばたきをした。
尻尾が一本、少し強く、パタン。
「ありがとうございます」
諒はスケッチに戻った。
ネコチャンが膝の上で、また丸まった。
翌朝のライブで、昨夜のことを話した。
「昨夜、眷属たちがみんなどこかに行きました。一時間ほどして全員戻ってきて、そのまま寝ました。集落の入口に来ていた連中の件だと思います」
コメントが流れた。
『ゴマたちが動いたのか』
『無事でよかった』
『で、ドローンの進捗は』
「昨夜も少し進めました。防振ユニットの構造、形が見えてきました。多層構造にして振動を段階的に吸収する方向で。ゴマたちも頑張ってくれたんですね」
庭を見た。
ゴマが定位置で日向ぼっこをしていた。
昨夜の疲れが残っているのか、いつもよりのんびりしていた。
「ゴマ、お疲れ様でした」
ゴマが片目だけ開けた。
あくびをした。
閉じた。
コメントが流れた。
『プロの顔してるw』
『虚無顔が仕事人すぎww』
『ゴマのOFF感がいい』
『今日はチベットスナギツネ感あるな』
数日後、農家のおじさんに試作の途中経過を見せた。
防振ユニットの試作品だった。刃部とセンサー部が別ユニットになっていて、接続部をシリコンとゴムの多層構造で繋いだものだった。
おじさんがしばらく見た。
「これが草刈りするやつか」
「まだ機体には繋いでいないですが、振動の問題をどう解決するかの試作です。刃が草を刈るときの振動と、走行時の振動を、センサー側に伝えない構造にしたくて」
「ふうん」
おじさんが接続部を手で触った。
「柔らかいな、ここ」
「素材を何種類か試して、振動吸収と耐久性が両立できる組み合わせを探してます。まだ確定じゃないですが、方向性は見えてきました」
「プログラムはどうするんや」
「そこもなんとか。昔よりも、いいもの書けそうで」
「諒ちゃん、あんた、ほんまに器用やな」
「昔の仕事の延長です」
「田舎暮らしに来て正解やったな」
がはは、とおじさんが豪快に笑った。
諒は少し笑った。
「そう思ってます」
その夜のライブのコメント欄に、一件流れた。
見慣れないアカウントと、特徴的な文章だった。
内容はこうだった。
『コメント失礼致します。要石、拝見しました。大変、精度が高いようにお見受けいたします。あなたが修復されたのですか』
諒は少し止まった。
「拝見しました」
現地に来たことがある書き方だった。
yashiro_kとも違った。
集落の入口をうろついていた迷惑系配信者の連中とも違う雰囲気だった。
慇懃で、無礼な印象はなかった。
諒はしばらく考えてから返信した。
『はい、修復しました。何かご存知ですか』
しばらくして返信が来た。
『少しではありますが。もし可能でしたら、近いうちにお話しできる機会をいただけませんか』
コメント欄が動いた。
『誰だこれ』
『政府機関の人間では』
『なんだよ機関って』
『厨二病かな』
『敵意がある感じはしないけど』
『yashiro_kとは雰囲気が違う』
『そういう手口かもしれんぞ』
諒は少し考えてから、続きを打った。
『構いません。どういった方ですか』
返信が来た。
『コメント欄では色々と差し障りがございますので。福井には近々参ります。詳しくはその時、直接お話しさせていただければ幸いです。ネコチャン殿によろしくお伝えください』
最後の一行に、コメント欄が反応した。
『殿付けできてえらい』
『お前らも見習えよ』
『ねこください』
『↑帰れ』
諒はネコチャンを見た。
今夜は珍しく膝の上ではなく、縁側の端に座っていた。
山の方を向いていた。
「ネコチャン、ネコチャン「殿」によろしくだそうです」
ネコチャンが、諒を見た。
まばたきをした。
それから山に向き直った。
尻尾が四本、いつもより少し大きく、揺れた。
ちょっとドヤッとした感じだった。
あるいは、当然、という感じかもしれなかった。
「知ってる人ですか」
返事はなかった。
でも尻尾の揺れが、しばらく続いた。
コメントが流れた。
『ネコチャン、反応した』
『なんかドヤってない?w』
『知ってるっぽい?』
わからない。
何かが動き出しているのだろうか。
ただ、警戒している風でもないし、何か情報が得られるのであれば接触してみるのもいいだろう、そう感じた。
諒はライブを終えて、スケッチを見た。
草刈りドローンの設計図だった。
防振構造の方向性は見えた。
次は機体フレームの素材選定と、センサー独立ユニットの詳細設計だった。
プログラムのドラフトを書いてみて、詳細を詰めればなんとかなりそうだった。
前職の頃よりも、発想とか、精度とか、色々なものが向上している気がした。
それとは別に、もう少し大きい構想も頭の端に浮かんでいた。
傾斜地の草刈りだけじゃなく、もっと広い範囲で使えるものが作れないか。
機構を変えれば、農薬散布も、獣害対策も、一台でカバーできるかもしれない。
まだ形になっていなかった。
でも、手はわかっていた。
作れる気がしていた。
「なんで作れる気がするんだろうな」
独り言だった。
ネコチャンが、縁側の端から立ち上がって、諒の膝に乗ってきた。
どっしりと乗ってきた。
「重いですよ」
尻尾が一本、パタン。
諒は設計図を膝の横に置いた。
山の夜は静かだった。
次に来るものが、何かが変わる気がした。
ドローンの設計も、要石の先も、コメントを残したあの人物のことも。
でも今夜は、膝の上の重みの方が、諒には鮮明だった。
「まあ、一緒にやりますか」
尻尾が四本、ゆっくり揺れた。
カエルや虫たちがやかましく鳴いていた。




