第十六話「土台から、ちゃんと」
材料を揃えるのに、一週間かかった。
砕石、川砂、セメント、石工用のノミとハンマー、水平器、それから根固め用の型枠に使う板材。ホームセンターで買えるものはカブとSUVで運んだ。石工用の道具は専門の金物屋に取り寄せてもらった。
リストを動画で公開したら、コメント欄が動いた。
『セメント、普通のでいいんですか』
『石碑の根固めなら配合が重要では』
『モルタルと生コンで用途が違います』
『水硬性石灰の方が文化財的には正しいかも』
水硬性石灰、という言葉に諒は止まった。
「水硬性石灰って何ですか」
コメントが続いた。
『古い建造物の修復に使われる素材です。通常のセメントより硬化が遅いが、石や土との相性がいい』
『透水性があるので地盤の呼吸を妨げない』
『神社仏閣の石垣修復でも使われます』
諒はメモした。
透水性がある。地盤の呼吸を妨げない。
要石が地脈と繋がっているとすれば、完全にセメントで固めてしまうのは問題がある気がしていた。その直感を、コメント欄が言語化してくれた。
「水硬性石灰、取り寄せてみます」
『正解だと思います』
『文化財修復の業者さんに聞いてみるといいかも』
『石工に詳しい人、他にいますか』
コメント欄が自律的に動き始めた。
翌日には石工経験者が数人現れて、配合の議論が始まっていた。諒はそれを読みながら、メモを更新し続けた。
水硬性石灰を取り寄せるのにさらに数日かかった。
その間に、さくらが資料を持ってきた。
「図書館で見つけました。福井の郷土史の冊子なんですが、この地域の神社の記録に少し似た記述があって」
コピーを広げた。
古い印刷の、薄い冊子だった。手書きの図が混じっていた。
「これ、江戸中期の記録なんですが。この山から少し離れた地域の話で、龍脈を抑えるための石について書いてあって」
「なんて書いてあります」
さくらが該当箇所を指した。
「ええと? 『地脈ヲ鎮ムル石ハ、其ノ軸ヲ正シク天ニ向ケ、文字ヲ完全ニ保チ、周囲ニ地ノ石ヲ配スベシ。人ノ手ニヨリ定期ニ清メラレ、供物ヲ受クルコトニヨリ其ノ力ヲ保ツ』…かな」
諒が読み上げた。
「軸を正しく天に向け」は垂直性のことだった。
「文字を完全に保ち」は刻印の補修が必要だということだった。
「周囲に地の石を配す」は結界石の配置だった。
「人の手により定期に清められ、供物を受ける」は諒が週に何度か祠に通っていたことそのものだった。
「これ、全部やることが書いてある…」
「そうなんです。しかも『地ノ石』って書いてあるから、よその石じゃなくてこの山の石を使うべきだっていうことだと思って」
コメントが流れた。
『古文書すげえ』
『応急処置だけでもして良かったんやな』
『地の石、この山で取るんですね』
「ネコチャンが座る場所に置けばいいかな、とは思ってたんですが」
さくらが頷いた。
「位置はネコチャンに聞くしかないですよね」
コメントが流れた。
『ネコチャンが全部知ってる』
『最初からわかってたんだろうな』
五月の連休明けに、本格的な着工をした。
さくらは平日は学校があるので来られなかった。この日は諒一人だった。
ライブのカメラを三脚に固定して、作業を記録した。
まず応急処置のベルトと単管を外した。石碑の周囲の土を、スコップで慎重に掘り起こした。
「根元の土を全部出します。どのくらい深いか確認しながら」
スコップを入れると、思ったより深かった。
三十センチほど掘ったところで、大きな石が出てきた。
「あ、これ」
古い石だった。表面が苔で覆われていたが、形が整っていた。
「台座石ですね。もともとこういう石の上に立てていたんだ」
コメントが流れた。
『台座があったんだ』
『ちゃんと設計されてた』
『状態はどうですか』
石を手で触った。
しっかりしていた。割れていなかった。
「台座石、生きてます。これを活かして修復します」
台座石を露出させてから、周囲の土を整えた。
水が溜まりやすい構造になっていたことがわかった。雪解け水が台座の周囲に集まって、土を緩めていた。
「水抜きの構造を作ります。砕石を台座の周囲に敷いて、水が抜けるようにする。そのうえで水硬性石灰で固める」
コメントが流れた。
『排水の設計は大事』
『その構造なら地盤が締まっても水が抜ける』
『水硬性石灰、取り寄せできましたか』
「昨日届きました。初めて使うので慎重にいきます」
水硬性石灰の袋を開けた。
粉末だった。通常のセメントより白く、粒子が細かかった。配合の説明書きを読んだ。
「水との比率が通常のモルタルと違うので、少量ずつ試しながらやります」
コメント欄から石工経験者がアドバイスを送ってきた。
『硬化が遅いので焦らなくていいです』
『最初は柔らかめに作って、馴染ませてから固める感じで』
『古い石との境目は特に丁寧に』
「ありがとうございます。やってみます」
小さいバケツで配合した。
水を少しずつ足しながら、均一になるまで混ぜた。
「これくらいかな」
ネコチャンがいつの間にか来ていた。
バケツを鼻先で嗅いだ。
「良いですか」
尻尾が一本、パタン。
「合格ということで」
コメントが流れた。
『ネコチャンに検品してもらってるw』
『品質管理がしっかりしてる』
台座石の周囲に砕石を敷いて、水硬性石灰で固めた。
一層固まるのを待って、また一層。
急がなかった。
この作業は時間をかけた方がいいと思った。
ライブを一度切って、夕方に再開した。
「午前の作業はここまでです。硬化を待ちます。明日以降、続きをやります」
コメントが流れた。
『丁寧な仕事ですね』
『焦らないのが正解』
『続き楽しみにしてます』
作業の三日目に、ネコチャンが動いた。
台座と根固めが終わって、次は結界石の配置を考えていたところだった。
どの方位に、どのくらいの距離で、どんな石を置けばいいのか。古文書には「地ノ石ヲ配スベシ」とあったが、具体的な配置は書いていなかった。
コメント欄で議論が起きていた。
『方位磁石で四方位に置くのが基本では』
『でも地形によって変わるかもしれない』
『ネコチャンに聞いてみるしかない』
諒はネコチャンを見た。
「ネコチャン、石をどこに置けばいいですか」
ネコチャンは立ち上がった。
石碑の周囲を、ゆっくり歩いた。
一周してから、東の方向に少し歩いて、座った。
「ここ?」
尻尾が一本、パタン。
諒はその場所に印をつけた。杭を一本刺した。
ネコチャンが立ち上がって、また歩いた。
今度は西。
座った。
「ここも?」
パタン。
杭を刺した。
南と北も同じように示した。
さらに、斜め方向にも二か所。
合計六か所だった。
「六か所、ですか」
コメントが流れた。
『六方位か』
『四方位プラス上下じゃなくて、斜めが入るのか』
『地形に合わせた配置なのかも』
ネコチャンが戻ってきて、諒の隣に座った。
六か所に刺した杭を見渡して、尻尾が四本、ゆっくり揺れた。
「これで合ってますか」
尻尾が一本、パタン。
「ありがとうございます」
諒はカメラに向かった。
「ネコチャンに六か所を示してもらいました。この山の石を使って、ここに置いていきます。石の採取は別の日にやります」
コメントが流れた。
『ネコチャンが設計してる』
『霊的な設計士』
『この山の石が最適なんですよね、古文書にも書いてあったし』
その日の夜、ライブを繋いだ。
作業の進捗をまとめながら話していたら、コメント欄に気づいたことがあった。
「yashiro_k、最近来なくなりましたね」
古参の視聴者からだった。
諒は確認した。
最後のコメントは第十五話のライブ中、「対処が間に合うかどうか」という書き込みだった。
それから一週間以上、来ていなかった。
「そういえば」
コメントが流れた。
『着工したから来なくなったのかも』
『時間稼ぎが失敗したと判断した?』
『むしろ不気味だな』
『次の手を考えてる可能性がある』
諒は少し考えた。
「まあ、手は動かし続けます。止まる理由がないので」
ネコチャンを見た。
縁側にいた。山の方を向いていた。
「ネコチャン、yashiro_kが来なくなりましたよ」
尻尾が一本、パタン。
「予測できてましたか」
尻尾が一本、パタン。
「警戒は続ける感じですか」
尻尾が四本、少し強く、パタン。
コメントが流れた。
『油断するなってことだ』
『ネコチャンが言ってる』
『次の手が来る前に修復を終わらせないといけない』
五月の終わり、さくらが来た。
作業の進捗を確認して、六か所の杭の位置を見て回った。
「結界石の採取、一緒にやりますか」
「ありがとうございます。石の目利き、さくらさんの方が得意そうで」
「そんなことないですけど、でも山の石なら一緒に選んだ方がいいかもしれない」
二人で裏山の中を歩いた。
ネコチャンがついてきた。
今日も後ろからついてきた。殿の位置だった。
山の中には石が多かった。
諒は手に取って確認した。
「どういう基準で選べばいいのかな。形?大きさ?」
「古文書には『地ノ石』とだけ書いてあって。この山のものなら何でもいいのかもしれないし、何か基準があるのかもしれない」
ネコチャンが先に進んだ。
二人より少し前を歩いて、ある石の前で立ち止まった。
鼻先で嗅いで、一歩下がった。
「これですか」
尻尾が一本、パタン。
表面が平らで、手のひら大の石だった。
「形がきれいですね」
さくらがしゃがんで見た。
「この石、少し違う感じがします」
「何が」
「なんか……重い。重量じゃなくて、なんか、密度? 感覚ですけど」
諒も手に取った。
たしかに、同じ大きさの石より少し重い気がした。
「これを六個、集めるってことですかね」
ネコチャンが先に歩き出した。
次の石を探しているようだった。
コメントが流れた。
『ネコチャンが石を選んでる』
『霊的な目利き』
『この作業、絶対に後で動画にしてほしい』
六個の石が揃ったのは、その日の夕方だった。
全部、ネコチャンが示した石だった。
形は一個一個違ったが、全部手のひら大で、全部少し重かった。
「これを、示してもらった場所に置く」
「置くだけでいいのかな。固定しなくていいですか」
「古文書には『配ス』とだけ書いてあって、固定するとは書いていなかったので。この山の石なら、置くだけでいいのかもしれない」
コメントが流れた。
『固定してしまうと地脈との接続が切れる可能性もある』
『動かせる方が、調整もできる』
『ネコチャンに確認してみては』
「ネコチャン、この石、固定した方がいいですか」
ネコチャンが諒を見た。
まばたきをした。
それから石碑の方に歩いて行って、その前に座った。
「固定しなくていい、ってことかな」
さくらが「そう読めますね」と言った。
六個の石を、それぞれ示された場所に置いた。
全部置き終わってから、二人で少し離れて全体を見た。
石碑が中心にあって、六個の石が周囲に配置されていた。
特に何も起きなかった。
光るわけでも、音がするわけでもなかった。
ただ、静かだった。
今までより、少し静かだった気がした。
「なんか、落ち着いた感じがしますね」
さくらが言った。
「ですね」
ネコチャンが石碑の前に座って、目を細めた。
尻尾が四本、ゆっくり揺れた。
コメントが流れた。
『ネコチャンが満足してる』
『形になってきた』
『刻印の補修が残ってますね』
「刻印の補修は次です。石工用のノミで文字を彫り直す作業になります。一番緊張する作業ですね…」
コメントが流れた。
『頑張れ』
『諒さんならできる』
『ネコチャンが監修してくれるさ』
諒は石碑を見た。
「鎮龍脈永」
何百年も前に、誰かがここに刻んだ言葉だった。
社守と呼ばれた誰かが、この山の龍脈を抑えるために建てた。
今、それを直している。
「……やりますか」
独り言だった。
さくらが隣で頷いた。
ネコチャンが石碑の前で、尻尾を一本、パタンと揺らした。




