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疲労の蓄積 五

 その日の雷韋らいの顔色は、今までで一番悪かった。土気色なのではなく、白いのだ。それはまさに血の気が引いたという感じだった。


「あ~、今日はいつもと違って楽だなぁ。川沿いに沿って歩けばいいだけだから、精霊の気配も読まなくていいし」


 雷韋がそう言いだしたのは、残り一枚の干し肉を囓り終わった頃だった。そうして、久しぶりに雷韋は鼻歌を歌い出した。今では紫雲しうんもそれが精霊の唄なのだという事を知っている。


「機嫌がいいですね、雷韋君」


 陸王りくおうの隣を歩いている雷韋に声をかけると、少年は頭の後ろで手を組んで紫雲を振り返った。


「そりゃあ、これまで大変だったもんさ。水の精霊の気配を見失わないようにって」

「そうですね。これで村かどこかに出られれば、ひとまず安心と言ったところでしょうか」

「ん。人里には泊まれないけど、保存食とか買えるし、まともな飯も食える。そんくらいの時間はいいだろ?」


 最後に雷韋は、隣を歩く陸王に問うた。


「まぁ、それくらいの時間なら大丈夫だろう。昼間でもあるしな」


 それを聞いて雷韋は両手を握りしめ、「やったぁ」と小さく喝采を上げる。


「よかったですね、雷韋君」

「うん、ほんとよかった」


 そう答えて、雷韋は再び鼻歌を歌い出した。その様子は『満たされている』という感じだ。この辺りの精霊力が力強いのか、雷韋の鼻歌も力強い。


 その鼻歌を聴きながら川沿いに歩いていると、太陽が中天にかかる頃、急に雷韋は鼻歌をやめて辺りをきょろきょろと見回し始めた。


「どうした、雷韋」


 陸王が問うと、雷韋は更に辺りをきょろきょろと見回す。


「この辺りに人が来るって、精霊がそう言ってる」

「どっちの方向からだ」

「向こうだ!」


 大声で言ったかと思うと、雷韋はその場から駆け出した。


「待て、雷韋」

「雷韋君!」


 雷韋が走り去った方向へ、即座に陸王と紫雲も走り出した。


 雷韋の姿は途中で見失ったが、雷韋の向かった方角へと向かうと林が突然切れた。


 そこに雷韋が突っ立っていたのだ。


 目の前は畑のようだった。麦のものと覚しき若芽が顔を出して、まるで群れのように風にそよいでいる。遠目には、家がぽつぽつと建っているのも見えた。


「雷韋」


 突っ立っている雷韋に陸王が声をかけると、雷韋は長嘆息をついたかと思えば、その場にしゃがみ込むように倒れた。


「おい!」


 慌てて陸王が、膝から崩れるように倒れる雷韋を抱き留める。陸王が抱き留めると、紫雲が雷韋の顔を覗き込んできた。


「雷韋君」


 声をかけながら、二、三度頬を軽く叩いてみてもなんの反応もない。


 陸王は溜息をついて、雷韋の荷物を体から外すと、それを紫雲の方に突き出す。


「雷韋の荷物を持って行け。俺はこいつを運ぶ」

「分かりました。それにしても、いきなり倒れるなんて」

「人がいることにほっとして、気が抜けたんだろう」


 言いながら陸王は、雷韋を肩に担ぎ上げる。


「大丈夫ですか?」

「こいつは軽い。平気だ」


 そう言って、陸王は歩き出した。紫雲もそのあとに続くが、


「どこに行くんですか」


 問うと、陸王は面白くなさげに答える。


「宿くらいあるだろう。まずはこいつを休ませる。大部屋になるだろうがしかたねぇ」

「今日はここまでですか?」

「いや。なるべくならこいつが目覚め次第、ここを出て行きたい。一応は飯を食わせてからな」


 憂慮を含ませて陸王は言う。


 紫雲はそれに、眉根を寄せた。


「雷韋君はこれまで頑張ってきたんです。今夜一晩くらいゆっくり休ませてあげられませんか?」


 陸王は畑に沿って歩きながら、小さく首を振る。


「それは出来ん相談だ。出来るなら夜までにはここを離れたい」

「ですが、雷韋君が目覚めなかったらどうするんですか」

「叩き起こすしかあるまい」


 陸王は平坦に言った。そこにはさっきまでの憂慮は欠片もない。


「それはあまりにもあまりです。ここまで雷韋君が一番頑張ってきたんじゃありませんか。無理を通してここまできた。その結果、倒れるに至ったんですよ。せめて今夜だけでもゆっくりと休ませてあげなければ」

「んな事ぁ手前ぇに言われなくても分かってる」

「だったら、どうしてそんなに粗末に扱うんですか。雷韋君は貴方の対でしょう?」


 紫雲は陸王の雷韋への扱いに納得がいかず、(なじ)った。だが、それを陸王が冷めた目で見遣る。


「こいつに何かあれば、俺にもかかわってくる。別にぞんざいに扱おうってわけじゃねぇ。ここにいる人間達を巻き込まないためだ。雷韋だってそれくらいは分かる。だからもう暫くは我慢して貰うしかねぇんだよ」

「こんな子供にまだ無茶をさせると?」

「俺と出会う前、こいつはこいつなりに一人でやってきている。(なり)はガキでも、半人前扱いするな」


 そう冷たく言い放って、陸王は先に行ってしまう。


 紫雲は立ち止まって、苦しげな溜息をついた。陸王の考え方について行けないのだ。どうにも紫雲には、雷韋を一人前だからと言って無茶をさせるというのは理解が及ばない。雷韋が倒れてしまえば、この先妖刀が現れたときも魔族が現れたときにも困ることになるからだ。そこに考えが及ばないとは考えにくい。それでなくとも種族的に、対魔族戦には雷韋の力を借りられないかも知れないのだ。今、万全にしておかなければ、先々、単に足を引っ張られるだけだ。


 紫雲には陸王の考えが全く分からなかった。

明日も18:42頃に投稿予定です。

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