第六一話 半身の追放
エリューズとの出会いは、天界から堕ちて衰弱していた彼女を龍魔が見つけたのが始まりだった。
彼女の背には翼が三対あり、出自はよいと思われた。一般的な天使族は、一対の白い翼を持つだけだ。それが二対、三対とあるということは位が高いことを示している。それ以上に、龍魔はエリューズのその美しさに惹かれた。天使族特有の白い肌、白銀の髪、碧の瞳、薔薇色の唇。
青蛇殿の結界は、深い森を抱く山一つにかけられている。結界は森を抱き込むように存在する真っ白な霧だった。
時折、霧の合間から森が覗くことがあるが、人々はその森を『隠しの森』と呼んで近づこうとはしなかった。もし霧が薄くなり森に入り込んでも、その森から帰ってこられないことを知っているからだ。
霧が全てを覆い尽くし、生き物の記憶を徐々に奪っていってしまう。もし人でも獣でも外から森に入り込めば少しずつ記憶は喰われていく。自分が何者なのかどこへ何をしに行こうとしていたのかも分からなくなり、最後は霧に変化させてしまう力を持つ霧の結界だ。
この結界の外に一つ村がある。青蛇殿の者と外の世界の者が接触出来るように、青蛇殿の迎賓館が建てられているのだ。その建物を中心として、獣の眷属や少ないながらも人間族が集まって村を作っている。
そこに住む者達は青蛇殿の結界のことを言い伝えで伝え合い、決して外の者が結界の中に入らないよう気をつけている。しかし、それでも何年かに一度くらいは結界のことを耳にして霧で覆われた森の中に入って、帰らぬ者を作っていた。
遙か昔。
神代が終わりを迎え、時代が人代に変わった頃に霧の結界ぎりぎりにエリューズは落ちた。天から下りてきたエリューズは天慧の呪いのせいで、心身共に打ちのめされていたのだ。そこをたまたま迎賓館に来ていた龍魔が見つけた。すぐに村の者達に伝え、共に迎えに来て貰った。
エリューズは迎賓館に迎え入れられ、龍魔と数人の巫女が面倒を見た。
羅睺はその頃、天を追われた堕天使達を地上で保護し、祝福を与えている最中だった。
羅睺の祝福は、一代限りではあるものの、堕天使が魔族に転化することを防ぎ不老長寿を与えるものだ。
その話を龍魔も巫女達も耳にしており、エリューズの体力がある程度回復したところで羅睺のもとに送り届けた。
そのことが切っ掛けで龍魔とエリューズは友となり、羅睺に見初められたエリューズは羅睺の妻になった。エリューズには対がいたが、その者も堕天して羅睺のもとにいたのだ。そのお陰で二人は互いに魂の安定を図り、その後、何万年も生きることが出来た。
そのあとも、龍魔とエリューズは文の遣り取りを行った。村の迎賓館には特殊な鐘が設えられていて、その鐘を鳴らすと青蛇殿にも設えてある対の鐘が鳴る。それが合図で、迎賓館に誰かがやって来たことを知らせてくれるのだ。
その迎賓館を基点として、龍魔とエリューズは文の遣り取りをしていた。
今回の文も、そうして届けられたものだった。迎賓館に遣いの堕天使がやって来て、巫女が手紙を受け取ったと言うわけだ。
だが今回に限っては、龍魔に宛てられた手紙を巫女達が開封して内容を確認している。龍魔はそのことに言及しなかったが、おそらくは遣いの堕天使の様子がおかしかったかどうかしたのだろう。文の内容からして、エリューズにも色々と猶予がなかったに違いない。
「妾宛ての文を勝手に開封したことの責は問わない。なぜそうなったか、大方想像がつくからだ。だが、今お前達が妾に協力しないようであれば、この責を問う。どちらにする? 責を問われて青蛇殿から追放されるか、妾に力を貸してエリューズを迎え入れるか」
龍魔の声は厳しいものだった。それなのに、巫女達は互いに目配せをしあっているのみだ。意見を言うはずの口は閉じたままで、仲間の顔色を窺っているばかりだった。
その態度に、龍魔は初めて苛つきを感じた。だから言ってやったのだ。
「この神殿で生まれ育ったお前達に、今更外の世界で新しくやっていくことは出来ないと思うがね。世界を覆うようにして存在している人間族はお前達を蔑むだろうし、お前達は人間達の世界を何も知らない。金銭の概念もなかろう。外でどうやって食べていくかも分からないはずだ。
それでも生きようとすれば、人間族の奴隷になることくらいか。農奴と言って、少ない食物を貰いつつ農村で辛うじて生き抜くしかないよ。そんな生活でいいのかい? 長の年月、死ぬまで人間族の奴隷であり続けること。それでいいなら、今すぐにでも出て行って貰おう」
それを最後まで言い終わらないうちに、部屋の外からぞろぞろと巫女達が入ってきた。龍魔は文を手にした時から大地の精霊を間に挟み、部屋の外にいた巫女達を呼ばわっていたのだ。
蛇人族の守護精霊は大地の精霊だ。巫女達には全て伝わっている。何をさせるか、その指図はとうに終わっていた。
エリューズを迎えるのに反対している巫女達にも、部屋へ入ってきた巫女達にも同時に知れている。
「おやり」
短く告げると、入ってきた巫女達が瞳に同情を表しながらも、二人から三人で一人ひとりの巫女を拘束していった。
「や、やめて! だって、魔族が入り込むかも知れないのよ? 貴女達、それでもいいの?」
例の小柄な巫女が両側から羽交い締めにされて、仲間に問いかける。けれど、外からやって来た者達はそれに反応を返さない。それでも拘束されている巫女達は、今になってようやくといった風に反応を返す。
「龍魔様、魔族でございますよ? そんな者を青蛇殿に入れるのは屈辱でございます」
「そうだわ。あたしも嫌です。堕天使は魔族と同じ。そのお腹にいる子供も魔族同然。それに、ここの主は青蛇です。青蛇がいらっしゃったら、きっとお許しにならないでしょう」
「私もこの意見と同じです。魔族に神殿を穢されるなんて嫌です」
続々と拘束された巫女達から声が上がるが、龍魔はいちいちそんなものを聞く気はなかった。
「この者達を神殿を護る結界の外へ追い出しな」
冷めた瞳をして、龍魔は冷然と命じた。
巫女達は拘束されたまま無理矢理歩かされ始めたことによって、拒絶の意を示したが、大元のエリューズを迎え入れることには相変わらず反対のようだった。出て行くのも嫌、エリューズを迎えることも嫌。
今この場では、両立しない考えだ。
拘束されている方は暴れ出したが、いかんせん、相手の方が人数が多い。龍魔の命に従い、完全に追い出すつもりでいるのだ。
少なくとも、龍魔は巫女を追放しても痛痒は感じない。
対の者達がどう思うかは知らないが。
いるのだ。拘束している巫女の中に数人の対が。
だが、片割れがどうしても魔族を青蛇殿に入れるのを拒み追放されるのなら、己も共に行こうと思っているようだった。数人がそんな瞳をして己の対を捕らえている。
対の者達が辛そうな目をしている様子を眺め遣って、龍魔は飽きたとでも言うかのように扉へと向かって歩き出した。自分の意見に反対するなら排除して、別の者達を動かさなければならない。
つまらぬ繰り言は沢山だ。そんなことを考えているうちにも、ほかの巫女達へ大地の精霊を介して呼びかけていた。すぐに羅睺の妻、エリューズを迎え入れる準備をするようにと。
その命に、にわかに神殿の中が騒がしくなった。
皆、精霊を介してこの部屋で起こったことを感知していたのだ。誰も人間が溢れかえる外界に出たくはないのだろう。今こうして、追い出そうとしている龍魔の本気を見せられたのだ。言うことを聞くしか手はない。
龍魔が部屋から出て行こうと扉まで来たとき、そこにはエイザが立っていた。半ば憤り、半ば悲しむ色をその瞳に載せている。
「お退き」
龍魔が平坦に言うと、エイザは瞼を閉じ、そのままその場に蹲った。
額を床に擦りつけるようにして、土下座したのだ。
「なんのつもりだい」
なおも龍魔が平坦に問うと、エイザが声を詰まらせながら言った。
「どうか、皆を放逐しないでください。文の封を勝手に切ったのは私です。一月も前からエリューズ殿が匿って欲しいと頼み込んできたことを、光竜殿にいる龍魔様にご報告致しませんでした。そのことで、皆に口を閉じさせたのも私です。放逐するなら、どうか私一人を」
額ずく青黒い頭部を見下ろして、龍魔は僅かに考える。
「エイザ、お前はこの青蛇殿にエリューズを迎え入れることに異を唱えるんだね」
「はい」
「どんな理由があろうともかい?」
龍魔が冷然と問いかけると、エイザは少しの間を開けて「はい」と答えた。
「どうして今、間が開いた」
龍魔が問いかけたが、エイザは答えない。だから立て続けに問いかけてやった。
「リースはどうするんだい? 連れて行くのかい?」
リースとは、エイザの対の名前だ。
「いえ、連れて行きません。それが最も重い罰になると思いますから」
その時、あの小さな巫女が大声を上げた。
「エイザ、あんたを一人になんてしない! 追放されるのなら、二人で追放されましょう。私は追放されるのを覚悟の上であんたに協力したんだから」
言うその瞳は涙で潤んでいる。あと一言でも何か言葉を放てば、涙がほろりと零れ落ちるだろう。エイザがそれに気付いているのか気付いていないのか知らないが、伏せた顔を上げることはなかった。
龍魔はエイザのその様子を確かめるように眺めた。本気で出て行くつもりなのかどうかを。その際、リースをつけてやるかどうかも共に考えた。
そうして、龍魔は結論を出す。
「そうか。リースは本当にいらないんだね」
「はい。これは私の罪です。皆を扇動したのは私ですから。ですから、一人残るリースのことは最期までお願い致します」
エイザの中でも葛藤があるのだろう。それはまるで、絞り出すような声音だった。対であるリースと、突然の別れをしなければならないのだから。
「エイザ、お前の覚悟は上等だ。妾はお涙頂戴は嫌いでね、追放すると言ったら、本当に追放するよ。三文芝居なら、今のうちにやめとくんだね」
「芝居ではありません。本気です」
「そうかい。青蛇殿からなら、迎賓館に続く道がある。でもそれじゃ面白くないだろう。光竜殿から外の世界に追放してやるよ。右も左も分からない場所から始まりだ。ついておいで」
「……はい」
龍魔は平伏しているままのエイザの脇を抜けて、転送の間へ足を向けた。背後からは、エイザが立ち上がる気配が感じられる。その様を確かめもしないで一歩一歩歩を進めていくと、リースの悲痛な叫びが聞こえてきた。エイザを止める声だ。
雑務室の中では、リースが囚われたままなのだろう。
泣き叫ぶ声が響いてくるが、龍魔は構わなかった。
エイザがリースを連れていかないと言ったのだから。もし共に行くと言えば、龍魔はエイザとリースを共に行かせてやるつもりだった。
暗澹たる気持ちになる。対を離れ離れにするのは、やはり辛い。




