第五三話 正体
「今の黒い靄、なんだ?」
雷韋が驚きのまま言葉にすると、そこでようやく呼吸を整えた紫雲が答える。
「呪いが可視化されたんでしょう。今、祓いましたから。あれは呪いと言うより、穢れでした」
「穢れ?」
雷韋が不思議そうに問う。
「おそらく、魔代魔法から穢れが発生していたんだと思います」
「そっか。そう言えば、腐ったような臭いもなくなってるな。あれもやっぱし呪いのせいか?」
「そうです。傷つけられた瞬間、呪われました。それで傷口が腐り始めたんです」
「じゃあ、傷は? 塞がったわけじゃないんだろ?」
「えぇ、浅いながら傷はあります。神聖魔法には回復の術がありませんから」
「そか。じゃあ、俺が植物の精霊魔法で癒してやるよ。今行使してるのも植物の精霊だかんな」
と、そこに陸王の乱暴な声が響く。
「そんな悠長なこと言ってていいのか? お前らはこの男を助けたかったんじゃなかったのか。どうでもいいなら、妖刀を奪うために殺すが?」
「ちょっと待てよ、陸王!」
雷韋が大声を上げた。
「勝手に殺すな! 助かる可能性は充分にあるんだ」
「なら、さっさとしろ」
雷韋は陸王を睨み付けたが、陸王はどこ吹く風だった。呆れたように雷韋を見つめ返している。それに、紫雲も楽観的な雰囲気ではない。
陸王と雷韋のお陰で男は捕らえることが出来た。しかし、本題はこれからだ。男を呪いで縛り付け、操っているのは妖刀だ。ようやく目に出来た。今は己の小さな怪我よりも、妖刀をなんとかするのが先だった。
紫雲は男に向き直って、地面に囚われている姿を目にする。未だに暴れる気配のある男の脇に膝をついてしゃがみ込むと、妖刀を握っている手に掌を翳そうとしたが、それは突然のことだった。
どこからか何かが伸びてきた。それが何者かの手だと認識したときには、男の手から妖刀はなくなっていた。
三人の視線が上向くと、遠目の木の上に男と女がいるのに気付く。彼らは人の姿をしているが、人ではない。人であったなら、離れた場所から手を伸ばして妖刀を手に出来るわけがないのだ。
それ以上に、魔族の気配がひしひしとする。それを陸王と紫雲は感じていた。
妖刀を持っているのは女だったが、すぐに男に渡す。その二人の頭髪の色は薄茶だったが、瞳は血を滴らせたように紅い。
魔族だ。
「残念だが、これは俺達が貰い受ける」
「貰い受ける」
男が言うと、その言葉尻を女が楽しげに復唱した。
「手前ぇら、魔族か」
陸王が詰問調に言うと、二人はくすくすと笑い合った。
「生体波動を感じてきてみれば、あいつがいなくてお前ら三人がいた。おい、あいつはどこだ」
「どこだい?」
さっきと同じように女が復唱する。
その言葉に、陸王は懐から石塊を取り出した。
「あの胸くその悪い魔族なら、これだ」
「核か。へぇ、あいつを核にして、俺達を呼び寄せたのか」
「だったらなんだ。お前らだろう、妖刀を操ってるってな魔族は。妖刀を手にして意識を奪われることもないのがその証左だ」
それを聞いて、男は目も口も弓のように撓らせて邪悪に嗤った。
「この刀、どこで作ったか知りたくないか? いや、もう知ってるよな、お前は」
その言葉に、陸王は苦しげに顎を引く。
「陸王さん、何か知っているんですか」
今度は紫雲が陸王に詰問調になった。が、陸王は答えない。代わりとでも言うかのように、男が言う。
「一部の魔族はお前を狙って琉球から北上していった。そのほかは雑魚の寄せ集めだった。ただ人が存分に喰らえると煽ってやったら、日ノ本に渡っていった。なぁ、お前だろう? 陸王って奴は。手に持ってるその石塊のそいつは何を喋った? どうせ碌々説明も出来なかっただろうなぁ。馬鹿だから。雑魚だから。だからそんな姿になった。まぁ、俺達もそいつの生命波動を辿ってここまでやってきたわけだが。何せ、陸王が見つかったって連絡だったからなぁ」
魔族の言葉を黙って聞いていた紫雲が、詰問する。
「何故、彼を狙う? 日ノ本にまで渡ったと言っていたが、本当か?」
紫雲の詰問に、
「あぁ、日ノ本には渡ったさ。と言っても、ほとんどが核もない最下級の魔族だったけどなぁ。陸王を狙った中位の魔族は俺達を含めて僅かだった。月明かりの暗がりの中、侍達が右往左往してたっけな。あの晩は、月が満ちていた。なのに、やけに暗く感じた。でも、人間に紛れていた陸王がどこにいるのかは、俺達魔族には丸分かりだった。顔は知らずとも、気配で感じられたからな」
「気配?」
紫雲が胡乱な表情で鸚鵡返す。
それなのに陸王は、魔族の言葉に苦い顔をしているばかりだ。
それに気を良くしたのか、魔族は続ける。妖刀を翳して。
「それにこの刀は、陸王に縁のある刀だ。なぁ、陸王。知ってるだろう、これを持ってた奴のこと。俺達は逃げ出すお前を追わなかったが、この刀だけは手に入れた。後々、面白いことが起きると思ったからなぁ」
魔族はどこまでもおかしそうな様子を見せるも、陸王はまだ何も言おうとはしなかった。ただ苦しげにしているだけだ。更に気を良くした魔族は声を出して嗤う。
「この刀の鍔に施されている模様、八卦と言うんだってなぁ。これは特別な刀らしいじゃないか」
「黙れ!」
そこでやっと陸王は声を出したが、腹の底に響くような怒鳴り声だった。そして地を蹴る。
陸王は素早く二匹の魔族のところへ駆けて、樹上の男に斬りかかった。女は別の木へ飛び移ったが、男は地上に降り立って陸王を迎え撃つ。激しく刃と刃がぶつかるも、火花は散らなかった。
もとより吉宗の刃は毀れない。
妖刀も特殊な刀故に毀れないのだろう。
陸王と男は樹上から地へと戦う場所を移して、何度も刃を交えた。妖刀が妖刀故か、陸王の剣戟を全て受け流し、不意を突いて陸王を刺突しようと迫る。その様は、地へ縫い付けられている男と戦ったときより、ずっと陸王を苦しめているようだった。
いや、苦しめているなんてものではない。陸王が完全に押されている。まるで陸王の太刀筋を全て知っているかのような動きだ。見ているだけで分かる。陸王の苦手な方へと刃を走らせているのだ。そのたび、陸王は全体を把握するために後退しなければならない。だが、その隙を突いて魔族は攻撃を仕掛けてくる。
しかし、ある瞬間から急に陸王が攻め込み始めた。それはちょっとした切っ掛けだった。魔族の操る刃が、いきなり動きを鈍らせたのだ。それまで攻勢だった勢いが消えるように鈍る。そこからは陸王の独壇場になった。打ち込み、突き、裂いた。
それも魔族の身体に刃を届かせて。
斬られるたび、突かれるたび、肉が裂けて体液を迸らせる。が、服が僅かに斬られて裂けるだけで、そこからも真っ赤な液体が溢れてきた。何故なら、人の姿をしていると言っても、それは擬態でしかないからだ。服を含めての擬態。魔族が身に纏っている服も生身なのだ。だから斬られ、裂かれれば、そこから瞳の色と同じ紅い血が溢れ出る。
魔族も分が悪いと悟ったのか、樹上に飛んだ。それを陸王が樹上まで追いかける。
そうして陸王が一閃したとき、妖刀を握っていた両腕がばっさりと落とされた。
男は顔面蒼白になり、叫ぶ。
「やっぱりお前は魔族に仇なす者だな!? 魔族殺しの魔族だ!!」
陸王はそれを聞いた瞬間、樹上で身動きできなくなった。声すら出てこない。
「だからだ! だから、あのお方がお前を殺すよう命じたんだ! 魔族殺しの魔族を殺せと!!」
陸王の頭は真っ白になった。こんなに大声で魔族と罵られれば、雷韋にも紫雲にも丸聞こえだ。これまで必死になって隠してきたことが、全て知られてしまう。
陸王が固い唾を飲み込むのと同時に、魔族は木の枝伝いに逃げ出した。
陸王は既にあとを追おうともしなかった。いや、出来なかった。何も出来ずに樹上で佇んでいると、下方に何かが飛んできた。
はっとして顔を向けると、妖刀を掴んだままの腕ごと妖刀が再び奪われた瞬間だった。
まだ女の方がいたのだ。女は女で、男と陸王の戦いを一部始終眺めていたのだろう。長く伸びた腕を素早く縮めて、そのまま腕ごと妖刀を攫っていった。逃げ足は酷く速い。
男の方が言っていたが、確かに二匹は中位の魔族だ。あれだけはっきりと人の姿を保っていられるのだから。逃げられたのは腹立たしかったが、それ以上に魔族殺しの魔族と罵られたことが酷く衝撃的だった。
陸王だって、魔族になど望んで生まれてきたわけではない。生まれてみれば、出自が魔族だっただけだ。それでも、これまで陸王は人として生きてきた。今更、魔族の性に忠実に生きることなど無理な話だった。
それを胸中で苦々しく思っていると、雷韋の呼ぶ声が聞こえた。目を向けると、雷韋が心配そうな目で樹上の陸王を見上げている。それとは逆に、紫雲は険しい顔をしていたが。
「陸王、大丈夫か? 怪我は?」
その声音には、いつもと変わらず心配する色だけが乗っていた。
陸王は密かに嘆息をついて、樹上から降り立つ。
「魔剣、持って行かれちまったな」
雷韋はしょんぼりとした風に言った。
「言うことはそれだけか」
問うが、雷韋は何も言わない。言わずに、ただ陸王の方へと歩き始める。
それを止めたのは紫雲だった。雷韋の腕をしっかりと掴んでいる。
「雷韋君、駄目です。きちんと確かめなければ。彼は……」
「放せよ、紫雲! 俺には陸王がなんだって関係ない。俺の対なんだ」
「雷韋君!?」
紫雲は雷韋の顔を驚きを以て見つめた。
その紫雲を睨み付けて、雷韋は腕を強く振り払った。雷韋は陸王の前まで行くと、くるりと紫雲へ向かって振り返る。
「紫雲、俺は今まで二回、陸王の目が紅くなってるのを見てる」
その言葉に紫雲は当然驚いたが、陸王も驚いていた。
雷韋の脳天から少年を見下ろす。




