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第五二話 妖刀の力

「雷韋(らい)、大丈夫か」


 陸王(りくおう)は男から目を離さずに言った。


「身体中いってぇけど、平気だ。感覚が伝わってきただけだから」


 雷韋は紫雲(しうん)に凭(もた)れ掛かりながら、顔を苦痛に歪めている。精霊との感覚の共有を断ったのに、それでもまだ身体の中で痛みが反射しているのだ。


「でも、今のままじゃ植物の精霊は使えない。腕だけでも押さえつけてて欲しい。そうしたら、地面に縛り付けるから。立ったままじゃ何度やっても蔦は引き千切られるし、魔剣で断ち切られる」


 苦しげな途切れ途切れの声で、そう言う。その雷韋に紫雲が声をかけた。


「雷韋君、一人でここにいられますか?」

「え?」


 驚いたように雷韋は紫雲を見た。


「微力ながら、応援に行こうかと」

「俺は平気だけど、でも陸王は」


 言って、雷韋は再び剣戟を交えている二人に目を遣った。陸王と男は激しく攻防を繰り広げているが、雷韋の目から見ても陸王の方が押されがちだ。

 今更だが、ここで紫雲を行かせていいものかどうかを雷韋は考えなければならなかった。何故なら、陸王は様子を見ているかも知れないからだ。押され気味に見えるあの動きから、妖刀の動き、突きや払い、薙ぎがどんな癖を持っているのかを。


 陸王の動きを見てそう感じた。


「紫雲、あんたを信じないわけじゃないけどさ、陸王はもしかしたら様子を見てるのかも知んない」

「しかし、今だって押されているように見えますよ」


 実際、形勢は完全に妖刀を持った男に利がありそうだった。全体に妖刀の動きは大振りだが、その合間に仕掛けてくる突きは鋭い。陸王はそれを危なげなく躱しているが、逆に攻める手はほとんどない。


 どうしたことか、陸王の表情がいつの間にか変わっていたのだ。


 驚愕に見開かれた眼(まなこ)。

 蒼白の顔面。

 視線は妖刀に釘付けになっている。

 焦燥感さえ滲ませて。


 その様子に気づき、雷韋は声を上げた。


「陸王、どうしたんだよ。そいつを転がしてくれってばさぁ!」

「やはり行きます」


 紫雲は言うと同時に突っ込んでいった。


 男が刃を薙ぎ、陸王がそれを避けるように引き下がったところへ紫雲が割って入った。

 薙ぎ払った直後の妖刀を鉤爪で絡め取るように刃を捩じり上げて、紫雲は刃を絡めたまま鉤爪を持ち上げる。

 こうされると妖刀の柄を支える手首や腕が捩(よじ)れるのだ。そうすれば柄を握っていられなくなる。だと言うのに、男は妖刀を手放さなかった。腕が捻(ねじ)れているにもかかわらず、尚強い力で柄を握り込むのが紫雲には見えた。


 妖刀の刃も完全に押さえ込んでいるため、どうしようもないはずなのに。


 だが、男は動きを見せた。捻れた腕もそのままに、刃を身体ごと引いたのだ。つまり、後退したということだ。身体ごと離れれば、捻れた腕に無理がかかることもない。


 この場合の対処法として、男の行動は正解だ。


 それを紫雲が黙って見ていることはなかった。刃が鉤爪の間から抜かれていく最後、紫雲は鉤爪を真下に向けて捻り上げ、地面へ向けて叩き付けた。


 そこで男の体勢が狂う。前のめりになった顔面、その顎に、紫雲は膝蹴りを見舞った。


 顎は人体の急所の一つだ。どんなに立派な体躯をしている男でも、顎を打ち抜かれたらそのあとは倒れるのみだ。


 だと言うのに、男はひょろひょろな身体で蹈鞴(たたら)を踏みながらも倒れるのを堪えた。その様に、思わず紫雲も目を見張る。男の意識もしっかりとあるようで、今は紫雲を睨め付けていた。


 否。目は開いて紫雲に目を留めているようだったが、焦点がどこかずれている。なのに男は二、三歩下がったかと思うと、そのまま襲いかかってきた。刃を上段へ振りかぶり、真っ直ぐ振り下ろしてくる。その動きに、紫雲はすぐさま鉤爪を頭上へと翳した。が、真上から下りてくるだろう刃が突然軌道を変えた。


 ふっと頭上に見えていた刃が消え、気が付けば紫雲の首を左から狙っていたのだ。


 それを鉤爪で以て、すんでで躱す。妖刀と鉤爪がぶつかって激しく火花が散った。頬や髪に小さな火花が散って、髪の毛が燃えるとき特有の臭いが立つ。まつげも僅かに焦げたようだ。顔の左半分に火花が散って刺激を感じたが、咄嗟に左瞼を閉じたお陰で辛うじて目玉には入らずにすんだ。


 妖刀には信じられないほどの力が加わっていた。ひょろひょろとした外見とは違い、男は妖刀を押してくる。このまま妖刀が押されていけば、いずれ力負けして首をそのまま持って行かれると思った。だからその前に男の腹を蹴りつける。丁度、みぞおちを。そこを強く蹴られれば、横隔膜が麻痺して呼吸そのものが阻害される。

 そうなれば、今度こそ妖刀を振り回すどころではなくなるはずだ。


 男は腹を蹴られてよろよろと後退した。妖刀を持つ手もだらりと下がっている。だが、噎せる様子はない。みぞおちを蹴られた痛みと呼吸を阻害された苦しさで、普通は噎せたり意識を失うなど何か反応があるはずなのだ。なのに男は、よろけて後退しただけでほかにはこれといった反応がない。


 それどころか、虚ろな視線を紫雲の方へと投げかけてきた。その虚ろな眼差しは徐々に殺気を滲ませ始める。


 紫雲はそれを目に留めた瞬間、動いていた。


 素早く男に接近して、両肩を掴む。そしてもう一度みぞおちに膝を叩き込んだ。


 男はその時だけは身体をくの字に折って苦しそうな声を上げるが、すぐに妖刀を振り上げてくる。紫雲はそれを許すまいと、妖刀を持っている男の右腕を捕らえて捻りながら背後へと回った。首にも左腕を巻き付けて、しっかりと捕らえる。なのに男は物凄い力で抵抗してきた。捕らえられている右腕は手首から押さえつけているのに、妖刀で紫雲を傷つけようと手首を動かす。首を固めている紫雲の左腕を引き剥がそうと、男の左手が万力のような力で掴み掛かった。


 その力の強さに、思わず紫雲は呻きを上げる。


 そこで陸王から声が上がった。


「今すぐそいつから距離を取れ。じゃねぇと怪我程度じゃすまなくなるぞ」


 陸王の言葉に紫雲は困惑の色を暗褐色の瞳に乗せた。


「そ、それは一体……っ」

「今すぐそいつを突き飛ばして距離を取れ。距離を取らんと突きが二度来る」


 紫雲は僅かに困惑したが、男の信じられない力に首に掛けた左腕は骨を軋ませている。首を絞めている腕を退《ど》かせば、男の手も離れていくのだろうか? そんなことを考えながら、紫雲は男に足払いをかけた。すると男は紫雲の腕を放して、横様に倒れる。


 が、紫雲の手も妖刀を握っていた男の右手首を放してしまった。男の倒れ込む勢いで、自然に放してしまったのだ。


「距離を取れ!」


 陸王が叫ぶも、何もかもが遅かった。


 男は自由になった右腕で妖刀を操り、紫雲に突きを入れてくる。それも陸王が言ったように二度の突きだ。


 その突きは深くはなかったが、紫雲の胸と腹に立て続けに傷をつけた。途端、紫雲から苦鳴が上がった。傷自体は浅いが、そこから発される痛みが尋常ではなかったからだ。紫雲がこれまでに感じたこともない激痛。あまりの痛みに、一瞬で汗が滲んでくる。


「馬鹿が」


 陸王は呟いて、二人のもとへ駆けた。そして、起き上がろうとしている男の顔面を蹴りつけて地面に縫い付ける。


「雷韋、今のうちだ!」


 次々に起こる異変を前に呆然としていた雷韋だったが、陸王に言われてやっと動き出した。まずは今以て妖刀を陸王に振るおうとする右腕を、地面から蔦を現して強引に地面に縫い付けた。縫い付けられた腕はまた信じられない馬鹿力を発揮したが、さっきとは違って蔦の太さも太ければ、量も多い。その首にも身体にも、残った左腕も両足もほぼ全体が緑色に染まるほどに蔦を巻き付ける。


 これだけ蔦で雁字搦めに地面に貼り付ければ逃げられないはずだ。妖刀があっても、手首さえ動かせない今は男がどんなに頑張っても蔦を切れないということだ。


 男は陸王に顔面を蹴られた衝撃で、鼻血を流していた。両方から血が流れ出しているために、苦しげな息遣いになっている。


 その間にも紫雲はその場にしゃがみ込んで、苦しげに呻きを上げていた。


「紫雲!」


 雷韋が叫んで、紫雲のもとまで行く。それを陸王は横目に見ているだけだ。


 身体を押さえて痛みに耐えている紫雲に駆け寄った雷韋は、傷口を確かめようとした。と、その時、腐臭が漂ってきて雷韋は驚いて紫雲の手を退かせる。手が傷口から離れたことで、むっとするような腐敗臭がはっきりとした。


「傷……、傷口ってもしかして呪われて腐ってるのか? さっきの蔦みたいに。ミサで怪我した人みたいに」


 雷韋は紫雲に問うが、紫雲にはそれに答えるだけの余裕はなかった。激痛に襲われて、顔に脂汗を浮かべるだけだ。


「紫雲、自分で神聖魔法(リタナリア)かけること出来ないか? 呪われてるんだったら神聖魔法が効くはずだ。俺は今、植物の精霊魔法(エレメントア)使ってるから、大地の精霊力を使うことが出来ないんだよ。なんとか堪えてくんねぇかな?」


 痛みに顔を歪めていた紫雲が、薄く瞼を開けて小さく頷いた。自分で神聖魔法をかけることを了承したのだろう。先に二つの精霊を同時に使役できないと雷韋が言っていたからだ。こうなれば、紫雲は自分で自分に術をかけるほか手はない。


 紫雲は大きく息を吐き出し、深く吸い込んだ。その際、痛みに呼吸が震えるのは致し方ないことだった。片手を己のみぞおち辺りに翳し、片手で印契(いんげい)を作って神聖語(リタ)を紡ぎ始める。


 途端、陸王の身体が強ばったが、紫雲は詠唱を途切れさせないように集中していたし、雷韋は紫雲の肩を支えてやっているので陸王を見ていなかったのは幸いだった。今のは陸王にしてみれば、あからさまな変化だったのだ。自分でもそんなに大きく反応するとは思っていなかった。解呪の術だからか、攻撃的な感覚は一切ない。それでも身体が自然と強ばる。ぞっとして粟肌が立ち、冷や汗も浮いた。やはり神聖語は魔族にとって呪いの言葉だ。


 紫雲は震える声で詠唱を続け、最後にはっきりと神聖語を発音した。次の瞬間、背中から黒い靄が吹き出す。


「わっ」


 雷韋がそれに気付いて声を上げた。


 陸王も驚いた顔で見ていたが、それよりも、紫雲が詠唱を終わらせたとき、心臓を鷲掴みにされるような物理的な胸の痛みを覚えていた。

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