第四〇話 仕立て上がった服
突然、ぶわっと濃い血の匂いに襲われた。その匂いに足下を掬われそうになるが堪える。隣を見ると、当然のように雷韋がいた。
「やっぱ俺も一緒に行くよ。あんたも心配だし、自分の服もあるし」
「ついてこなくてもいい」
ぶっきら棒に言うと、雷韋もどこかむきになっている風に返してきた。
「嫌だ。行く」
「ついてくるな、邪魔だ」
近くにいると血の匂いに酔うなどとは決して言えはしないから、わざと邪険に言ったが雷韋も引くつもりがないらしい。顔は真正面を向いていて、陸王を見ていなかった。しかし、雷韋の全身から匂いが立ちこめるため、傍にいるのは本当に勘弁して欲しいと思わざるを得なかった。
いい加減、雷韋の血の匂いに惹かれる自分に嫌気が差して「頼むから傍に近づくな」と言葉が口をついて出そうになったが、あわやのところで飲み込む。
雷韋は陸王の不調が自分にあるなどと思っていないから、どうあってもついてくるだろうと思った。こう見えて、雷韋は頑固なところが多分にある。仕方なく、今回も陸王が折れてやる形になった。
「調子が万全じゃないから、余計なことは話しかけるなよ」
そう牽制して、会話に気を取られるあまりに足から力が抜けるのを堪えようと思ったのだ。
意外とあっけなく了承されたことで、雷韋は一瞬ぽかんとした顔を向けてきたが、すぐに無言で頷いて前方に顔を向けた。
仕立屋までの道順は雷韋も覚えているだろうから、その辺りはいちいち指図しなくても大丈夫だろう。
途中、雷韋の血の匂いに惹かれて目眩がしたが、堪えた。だが、久々の外の空気そのものはいい。娑婆の空気は旨いとはこのことだと思った。
仕立屋に向かう道すがら、雷韋は道中無言で通し陸王について仕立屋に辿り着いた。
店内に入って陸王が女主人に声をかけようとしたとき、先に雷韋が口を開いた。
「二日前に急ぎで服作ってって頼んだんだけど、出来てる?」
その声はどこまでも脳天気だった。
それに女主人が対応する。
「あぁ、お客さんの服でしたね。仕上がっていますよ。ちょっとお待ちください」
そう言って、店の奥に入っていった。奥にはお針子達がいるのか、何やら遣り取りがあるようだった。その間に雷韋は、辺りに積み重なっている布地を一つ一つ物珍しげに確認している。
店の奥で少しの間、遣り取りがあってから女主人が戻ってきた。
「こちらになります。着替えていかれますか?」
二着の服を差し出して問うてくるので、陸王はこのまま着替えが出来れば重畳と頷いた。
「雷韋、先に着てみろ」
と促すと、雷韋は浮き浮きした顔で赤い布地の見える自分の服を手に取った。
「それではこちらへ」
女主人に着替えの場を与えられて、仕切りの布地を閉められる。少しの間着替えている衣擦れの音が聞こえていたが、やがて雷韋が飛び出してきた。
「どうよ!」
力強い声で問うてきた雷韋の服は、赤地に何色もの原色の糸で鳥や花の刺繍のある派手な服に仕上がっていた。
それを見て、陸王は言葉を失う。
似合う似合わない以前に、まず、その派手さに驚いたのだ。目立つなと言う方が無理のある色だし、柄だった。
陸王が無言で驚いていると、女主人が先に褒め称える。
「お客さんのお顔立ちにはその柄が映えますね。とてもお似合いですよ」
「だろ? 布地見た瞬間ぴんときたんだ」
「えぇ、えぇ」
二人は満足げに笑っていた。
陸王は雷韋が装飾品が好きだったことは聞かされていたが、こんな派手な模様の布地まで好きだとは知らなかった。こんな派手で目立つ服を着て、更にその上、耳飾りや首飾りをしていれば、それこそ「攫ってください」と言って歩いているようなものだと呆れた。別の意味で陸王は目眩がした。
「ほら、陸王も新しい服着てみろよ」
促されて、雷韋に目を遣らないようにしてもう一着を手に、仕切り布の向こうで着替えた。
陸王の選んだ布地は少々厚くて地味な黒っぽいものだった。以前のものと、形もそう変わらない。全体的に生地も形も地味なものだ。だが、それでいい。肩口を回してみたり、膝を曲げてもみたが、動きを邪魔せず動きやすかった。急がせた分、荒い仕上がりになるのではと思っていたが、宿の主人が言っていたとおり、ここの仕立てがいいのは確かなようだ。
仕切り布の中から出た陸王を見て、雷韋が一言呟く。
「なんだよ、遊び心がねぇなぁ。すっげー地味じゃん」
「これでいいんだ。丈夫で動きやすけりゃな」
それを聞いて、満足げに頷いているのは女主人だった。この服もまた陸王に似合っているとでも言いたいのだろう。
支払いは既に済ませてあるのであとは古い方の服だったが、それは女主人の方から声をかけてきた。
「古い方のお召し物は如何致しましょう?」
「捨ててくれ」
陸王は考えるでもなく言った。自分の服は問題ないとしても、雷韋の服は血の匂いが染みついている。一刻も早く傍から離れたかった。
陸王の返答を聞いて、女主人は頷く。
「では、こちらのお召し物はうちの方で処分致します。毎度有り難うございました」
そう言って軽く会釈してくるのに対し、陸王も「世話になったな」と返して雷韋を連れて店内から外に出た。
雷韋の身体から僅かに血の匂いがしたが、これはしょうがないだろう。汚れている服を着ている間に、身体に匂いが移ってしまったのだ。だが、それも直に消える。新しい服に着替えたからには、時間の問題だ。それに、雷韋から強く匂ってくることがなくなっただけでも陸王は救われるような思いだった。
「雷韋、このまま買い出しに行くぞ」
「え? でも大丈夫なんか? まだ調子悪そうだけど」
「いや、大丈夫だ。外に出たついでだからな。お前も色々と揃えるものがあるだろう」
「うん、あるけど」
「だったら、買いに行くぞ。妖刀とぶつかるまで野宿も続くだろうしな。他人を巻き添えには出来ねぇ」
『妖刀』という言葉に、雷韋は深刻な顔になった。
「なんで陸王を狙ってるのかな?」
「分からん」
嘆息と共に言う。そこで沈黙が落ちるが、陸王は出立の日を明日と決めた。このまま買い出しを済ませ、明日にはこの町を出ると。
そのことを雷韋に伝えると、
「ちょ、急だな。紫雲にそこまで伝えてないよ」
雷韋はこの二日間、教会に出入りしていた。陸王が体調を崩したことや、服の仕立てがいつ終わるかといったことなどを伝えに。被災した者達の様子も聞いてきていた。
昨日の時点で、竜巻に巻き込まれて瓦礫の下から見つかるのは、遺体ばかりになっていることを陸王も聞かされていた。雨のせいで余計遅々としているが、瓦礫の撤去も徐々に進んでいるということだ。
崩れた城壁も昼夜問わず、急ぎで修繕しているらしい。せめて城壁が完成しなければ、野盗などがいつ入ってくるかも知れないのだ。それでなくとも、魔族が竜巻を起こして人々を攫ったという話は町中に知れ渡っていた。
無論、その魔族は殺されたということも伝わっていたが。
それにしたって魔族が現れたのだから、人間である野盗や夜盗が崩れた城壁からいつ入ってくるかも知れないと、自警団の監視の下で修繕は進められていたが町の者達は戦々恐々としているのだ。
更にそこに妖刀まで加わったら収拾がつかなくなる。明日出立というのは急ではあるが、これらを考えると致し方ないところだった。
魔族の出現自体は偶発的なものだったが、これからはその魔族の核から発される生体波動を嗅ぎつけて魔族や妖刀がやってくる。本来なら、今日のうちに出立したいところだったが、これから先、暫く紫雲も共に行動するとなれば彼にも出立する時間を与えねばならない。
だから、明日なのだ。
これでも目一杯、時間は取った方だと思う。
そこで雷韋は言う。
「俺、買い出しはあとで自分でする。それよりも、紫雲に明日出発することを知らせなきゃ。紫雲だって用意があるだろうし」
「あぁ。なら行ってこい」
雷韋はそれに返事も返さずに、その場から走り去っていった。おそらく紫雲は瓦礫の撤去などに力を貸しているはずだ。今時点の陸王達の現在地は、町の南東だ。雷韋の走り去ったのは、東の方面だった。紫雲が教会にいるにせよいないにせよ、ここからならば東に向かわなくてはならない。
紫雲が今どちらにいるのかは知らないが、陸王は人波の向こうに消えていく雷韋を見送ってから、鍛冶屋や道具屋に向かうことにした。
その翌日、教会まで紫雲を迎えに行くために宿を引き払った。
本来なら、東の城門で待ち合わせすればよかったのだが、雷韋が「どうせ通り道になるんだし」と言って、陸王は気が進まないながらも雷韋の言うとおりにした。
大広場を横切り、少し東側へ引っ込んでいる教会をぐるりと囲む塀に沿って二人は歩いていた。
「陸王、今日は調子よさそうだな。昨日、外に出てから、なんとなく気分がよくなってきたみたいだけど、そのせいか?」
「まぁ、そんなところだな。部屋に籠もってばかりは性に合わん」
「んでも、急に体調崩すから心配したんだぜ?」
「悪かったな。だが、もう万全だ」
昨日は買い出しを済ませてから部屋に一人で戻ったが、すぐに窓を開けて換気した。雷韋がいないというのに、部屋に血の匂いが染みついていたからだ。
それからは調子がいい。




