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第三九話 体調不良

 陸王(りくおう)の足が向いたのは斡旋所だった。本来なら明日、商人の護衛がある。けれど、そんなことをしている場合ではなくなった。だからその仕事の契約解除に来たのだ。


 斡旋所に血みどろの二人が入ってきたことで、店内は騒然となった。だが、それを無視するように陸王は、請け負っていた仕事の契約解除に来たと告げた。陸王の対応をしていた男が理由を尋ねてきたが、それには「魔族狩りだ」と端的に答え、また「今も竜巻を使って人間を攫っていった魔族を狩ってきたところだ」と告げたことで、周りで聞いていた者達の目付きが変わった。


 町で竜巻が起こったことは知られているだろうし、その上で、いきなり血みどろで入店してきた二人を胡散臭げに見ていたのだが、『魔族狩りをしてきた』その一言で畏敬の眼差しにがらりと変わったのだ。対応していた男も、それ以上詳しく話を聞くことはしなかった。土壇場で契約解除をしたのに、違約金を取られることもなく、無事、契約解除ということになった。


 それから宿に戻るとすぐに湯を頼んで、陸王と雷韋(らい)は風呂に入った。しかし、多めに頼んで使ったお湯は、血でどろどろになってしまった。特に陸王はある程度髪を洗ってはいたものの、乾いてへばりついている血の塊がいくつも髪に付着していたので余計だ。それでも風呂に入って、汚れを落とせたことですっきり出来た。


 雷韋は相変わらず火の精霊の力を借りて全身を乾かしていた。今回は陸王もそれを頼んだ。それもこれも、洗濯があるからだった。着ていた服を元通りに出来るわけではないが、血を吸ったままでは乾いても着られるものではない。夜着は飽くまで中継ぎ用だ。外套を纏っていたとしても、宿の中でならまだしも、このままでは外出も出来ない。服が仕上がる予定日に仕立屋へ行くには、どうしても今の服が必要だ。そのために洗濯をするつもりだった。


 陸王は雷韋に「洗濯に行くぞ」と声をかけて、血でぐっしょりになった服を片手に部屋を出て行こうとする。その様に慌てて雷韋があとを追った。

 部屋に鍵をかけて、階下に下りる。


 井戸は宿の裏にるので、そこで洗濯をするためのたらいを借りた。早速洗濯をしてみたが、雷韋の服は真っ黒な血液がなかなか落ちずに苦戦し、陸王の方は血ですぐに水が濁ってしまうため、何度もたらいの水を替えなければならなかった。


 洗濯が終わった頃には二人とも、うっすらと汗ばむほどだった。酷く汚れた衣服の洗濯は、思っていたよりも重労働だったのだ。服の次は靴も洗わなければならなかったが、靴は服ほど丹念には洗わなかった。陸王はざぶざぶと乱暴に洗って、靴をたらいに入れても水が綺麗な状態になるまでやっただけだ。持ち上げて、つま先からうっすらと血色の水が滴っても、彼はそれは気にせずに終わらせた。雷韋はしっかりと洗っていたようだが。


 洗濯を済ませたあと、服と靴を雷韋の精霊魔法(エレメントア)で乾かして終了だ。二人は宿にたらいを返して部屋に戻った。


 部屋に戻って寝台に横になり、雷韋はやっと人心地ついた気分になっていた。今日は朝から忙しなかったからだ。朝一で紫雲に会い、そのあと部屋で休んでいるところを竜巻に襲われて、そのまま魔族の相手だ。そのあと陸王と紫雲が魔族を捕らえて核を取り出し、町まで戻ってきた。戻ってきてすぐ休めるかと思えば、宿を探したりなどあちこちを回って息をつく暇もない。


 外回りを終わらせたあとに、やっと風呂に入ってゆっくり出来るかと思えば、洗濯をしなければならなかった。肉体的にも精神的にも、かなりきつかった。けれど、今はこうして寝台に横になってゆっくり出来る。やることは全てやったという心境だった。


 雷韋は隣の寝台に腰をかけている陸王を眺め、なんとも言えない顔をした。その視線に気付いて、陸王が「なんだ」と問うと、雷韋は言った。


「あんたって、夜着が心底似合わないんだなぁ」


 しみじみと言った風な声音だった。

 夜着はどこにでも売っている、丸襟で袖のついただけの頭から被って着るものだ。

 雷韋はそれが陸王には似合わないという。


 陸王はその言葉に渋面(じゅうめん)を作って、


「大きなお世話だ」


 嫌そうに返す。


「あんたの夜着姿を見慣れてないからかなぁ?」

「知るか」


 そこで雷韋は急に話を変えた。


「パンツ履いてないからすかすかして落ち着かないな。そう思わねぇ?」

「んな事どうだっていい。気になるなら履け。乾かしただろう」

「あ、そっか」


 言われて思いだし、雷韋は乾かした服の中から下着を取りだして身に着ける。


 陸王はその間、上着の内懐から取り出しておいた魔族の核を眺めていた。こうして見ているだけでも、不気味で嫌な感覚がする。今は直接手に持っているから、余計おぞましい感触がした。あの魔族を手に乗せているような感じだ。もし自分の中にも核があったら、こんな小物の核よりも更に強く嫌な感じがするのだろうと、自然と思っていた。


 実際には、高位の魔族である陸王には核など存在しないのだが。


 それでもそんな風に思ってしまう。自分ほどの魔族なら、どれほどおぞましい感じがするのかを想像してしまうのだ。知らず、奥歯を噛み締めていた。


 と、


「陸王……?」


 不意に不安そうな声が聞こえてきた。当然その声の主は雷韋だ。


 視線を上げ、陸王は雷韋に目を遣った。


「なんだ」

「あ、いや……」


 歯切れの悪い言葉。雷韋にしては珍しい。


「何かあったか?」


 特に意識はしていなかったが、陸王は普段と何も変わらず雷韋に声をかけたつもりだった。ただ、急に雷韋に現実へ引き戻された感覚があったので、陸王も少し調子が狂っていたかも知れない。


 雷韋は陸王を僅かばかりじっと見つめていたが、緩く首を振った。


「なんでもない。それよかさ、腹減らね?」


 いつものように笑みを見せながら、腹に片手を当てる。


「そう言や、もうすっかり昼は過ぎていたんだったな」

「それにさ、買い物もしてこなきゃ駄目なんじゃね? 荷物、全部埋もれちゃったんだから。陸王だって、吉宗の手入れする道具が必要だろ?」

「そういう買い物はあとでいい。服が仕上がったらだ」

「ん~、そっか。んじゃあ、飯食ってこねぇ? 財布は無事だったんだし」


 雷韋がにっこり笑って陸王を誘うも、陸王は首を振った。


「いや、俺はあとでいい。一人で行ってこい」

「えぇ~? せっかく二人でいるのにぃ?」

「俺はさほど腹は減ってねぇんだ」

「そっかぁ」


 残念そうに言う雷韋だったが陸王も今日は大変だったのだと思うと、無理に誘うことは出来なかったのだろう。仕方なしに、一人で行ってくると言い置いて、部屋をあとにした。


 陸王は急に静かになった部屋の中で、すんと空気の匂いを嗅いだ。ずっと血の甘い匂いがしていたのだ。


 それも、森で雷韋を見つける前から匂っていた。

 風が匂いを運んできたからだ。


 その匂いが今もこの部屋にしている。雷韋の洗った服からだった。洗っても完全に血が落ちたわけではない。だから窓を開けていないこの部屋の中に匂いが籠もっている。


 陸王はその匂いに惹かれる自分に嘆息をついて、窓を開けた。

 雷韋の流す血に魅了されるわけにはいかないのだ。


 窓を開けると、いつの間にか雲が重く垂れ込めていた。その空から、雨滴が一粒、二粒と落ちてくる。


 それに気付いて、参ったと思った。


 窓を閉めなければならないからだ。しかも、雨の湿気が匂いを強くするだろう。


 陸王は思わず渋面を作り、長嘆息していた。


          **********


 あれから雨が二日間続き、雨が降り始めてから陸王が体調を崩した。


 雷韋の服から立ち上る血の匂いに酔ったのだ。


 森で雷韋が大量出血をしていたときは風があり、空気も循環していたから耐えられたが、まともな空気の循環もないままの部屋に閉じ込められれば、鬼族の血に当たって当然だった。食欲はあったが食べると戻しそうだったので、雷韋が心配するのにもかかわらず水しか摂取しなかった。


 その二日間、町の者や紫雲(しうん)から事情を聞いた町を治めている商業組織(ギルド)の者が見舞いにも来た。魔族狩りを陸王がしたためだ。それに、攫われた人々を救ったのは雷韋だった。そのことで、見舞いと謝意を伝えにやってきたのだ。だが、陸王はほとんど起き上がれなかったし、雷韋は失礼だとは思いつつも部屋には入れずに立ったまま部屋の入り口で話を聞いて終わらせた。


 謝意は『金』という形で表されたのだが、金欠の雷韋にとっては運がよかった。


 そんなことがありながらも思った通り、雨の湿気は血の匂いを更に濃く部屋に充満させていた。陸王は終始頭がくらくらして、まともに起き上がることさえ出来なかったが、ようやく雨が降り終わった今日は服が仕上がる日でもあった。


 陸王はこれ幸いにと雷韋を置いて出掛けた。ふらつく足下での外出だったため、雷韋は酷く心配したが陸王は雷韋の制止を振り切って宿を出たのだ。外の空気を吸うと、頭のくらつきも軽減するようだった。


 だが、風に乗って、微かに匂いがした。雷韋の血の匂いだ。あとをついてきたのだということはすぐに分かった。心配してくれるのは有り難いが、余計なことを、とも思った。それでも外で匂いを嗅いだせいか、部屋の中で匂いを嗅ぐよりはずっとましだった。


 陸王は歩む足を止め、振り返る。


「こら、サルガキ」


 そう声をかけると、近くの店の前に置いてある樽の影から雷韋が顔を覗かせる。全くばつの悪い顔をしていた。


「あ~、うん。ごめん」


 何に対して謝っているのか知らないが、雷韋の口から謝罪の言葉が出た。


「何してる」


 問えば、雷韋はばつの悪い顔のままぼそりと呟く。


「あんたのこと、心配だったんだ」


 上目遣って言うのに対し、陸王は前髪を掻き上げて嘆息をついた。


「外の空気を吸ったら、随分ましになった。行き倒れになることはねぇから、心配しなくても大丈夫だ。すぐに戻る」


 そう言うだけ言って、陸王は踵を返して歩き出した。その際、足に力を入れて蹈鞴(たたら)を踏まないように注意する。

明日も18:42頃に投稿予定です。

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