起点
「今日はいるか?」
「そうや。今日は二つ頂戴」
「めずらしいな」
「客と同伴やねんけど、お客さんがな。青ちゃんがよう食うてるもん食べたい言うから、たこ焼き買って、公園で食うねん」
「そりゃええな」
「ええやろ。私と公園でたこ焼きデートやで。ボトル入れてもらわんと」
「じゃあ。特別美味く作らんとな」
「頼むよ」
……
青ちゃんが帰ってから三十分くらいたった。
爺さんがやってきた。
「いらっしゃい」
「冷やしたこ焼きあるか?」
「ありますよ」
「あるだけ全部」
「はいよ」
俺は爺さんの顔を見る。
「前に五つ買ってくれた方ですよね」
「覚えておったか。あれ好評でな」
「そいつは良かった」
爺さんは俺の顔をじっと見る。
遠くを見るように……。
「なんか顔についてますか?」
「いや。なんもついてない。あのお前さん。落語とか聞くか?」
「落語ですか?子供の頃は聞いてましたが、最近は聞きませんね」
「そうか。古典落語の話でな。ねずみって話がある」
「ねずみですか」
「そう。これはな。飛騨の匠という大工の名人が、あるオンボロの宿のために、ねずみの置物を彫ったことから、その宿が繁盛するという話なんや」
「そりゃ良い話ですね。飛騨の匠がその宿を救ったという話。芸が人を助けたって話ですね」
「まぁな、それはそうなんだけど。大切なのはそこやない」
「はぁ」
「その宿の亭主というのが、その宿の前にある、とらやという宿の元の主でな。妻を亡くし、その宿の女中頭の女と結婚したんだが、腰をぬかし、動けなくなった事が原因で、いろいろあり宿を追い出されたんやわ」
「それえげつないですね」
「そうなんや。それで小さい息子がおったんやけど、その子に世話されてな。ほそぼそと暮らしておった。そこに来たのが飛騨の匠。小さな息子の客引きで宿にやってきたんやけど、話を聞いて、置物を彫ることにした」
「ええ話ですね」
「そうや。それでな。自分の名前をだしてな。そのねずみの置物を見たものは、宿に泊まるように書いたんやな。このねずみが動くように見えるって話や」
「動くねずみですか。それはすごい。
それで繁盛したって話ですか。そりゃ良い話ですね」
「ただな。そんなにうまい事いくことはない」
「もしかして、そのとらやがなにか仕掛けてきたんですか?」
「そうや。そのとらやがな。別の名人に頼んで、トラの看板かなにかをつくったんや。そしたらねずみが動かんようになった」
「それはひどい」
「それに気が付いた宿の亭主がな。さすがに怒って立ち上がったんや」
「腰が抜けてたんじゃないんですか?」
「それが腰はもう治ってたんやわ。でも腰がたたんと思い込んでた。
それで動けんようになっとたんや」
「そうなんですか。それで話はどうなります?」
「落ちはな、飛騨の匠がやってきて、ねずみに、なんであんなトラを見て動かんくなったんやと聞くと、猫やと思ってました。そういう落ちなんやわ」
「それはウマいこと言いましたね」
「本質はそこやない。人はな。思い込みで人生が変わるもんやという事や」
そう爺さんは、にやりと笑った。
思い込みで、人生が変わるーーー
俺はあのメールの事を思い出していた。
「それは君の人生ではない」
ぐるぐると思考が頭を回る。
ふと気が付くと、
老人はもういなかった。
冷蔵庫から、たこ焼きは消え、
代金が手元にあった。
いつ手渡したのか。
いつ会計したのか。
まるで思い出せない。
思い込みで、人生が変わるーーー
それは君の人生ではないーーー
その言葉がぐるぐると頭を回り続けた。
たこ焼きの鉄板からの熱。
たこ焼きのピックの手触り。
水の味。
全てがリアルや。
これが偽物だとでもいうのか?
頭が少し痛くなる。
俺は冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出し、
頭にあてる。
冷やさんとあかんのは、たこ焼きやのうて、俺の頭やな。
そう思った。
俺がなにか思い込んでいたことはあるんか?
最近の出来事を振り返る。
いろいろあるわ。
いろんな思い込みがあった。
そして、
その思い込みが外れるたびに身体と心は軽くなった。
そうか。
病は気からというけど。
気というのは、思い込みとかも含まれるんやわ。
ーーーというか、気というのは思い込みや気分なんや。
しかし俺の本当の人生って、なんなん?
自分探しでもしろっていうの。
いやいや。
そんなこと。
おかしいやろ。
本当の自分も、偽りの自分もないやろ。
全て俺やろ。
どういう事やねん。
俺はふと店の隅を見た。
そこにはラベルの剥がれかけたウイスキーのボトルがあった。
あれはなんや。
俺は記憶をたぐる。
あぁあれは、
店を開いた時に、元バンドメンバーが、開店祝いだと言って置いていった酒か。
なんでまったく飲んでないんやろ。
俺は思った。
……
俺は家に持って帰って、飲むことにした。
店を閉め、アパートに帰る。
たこ焼きをつまみに、ウイスキーのボトルを開ける。
ウイスキー特有の香りが鼻をくすぐる。
「ええニオイなんやろけど、香りだけで酔いそうになるな」
俺は呟く。
忘れていたバンドメンバーの顔が鮮明に思い出される。
飲んで路上で喧嘩したこと。
ライブで客と喧嘩したこと。
いろんな事を思い出す。
俺、いろいろ幸せやったのに、
ずいぶん不幸な気分になってたん違うか?
そう思った。
世界には情報が溢れている。
でも自分にとって必要な情報というのは、ほんの少しだった。
情報はジャンクフード化する。
刺激という香辛料を使い、
見た目というキャッチを使い、
俺らを虜にする。
でもそこに必要な情報があるかというと、それは疑問だ。
自分にとって必要な情報というのは、ほんの少し。
ジャンクフード化する情報によって、
本質は埋もれる。
俺は目を眩まされていた。
俺は騙されていた。
俺は誤魔化されていた。
いいや。
そうやない。
自分で好んで、
混沌の中に入っていったんや。
そこに宝物があると思って。
でも宝物はもう持ってた。
幸福の青い鳥は家にいたというけれど。
俺の宝物は人生に、そして押し入れに、
そして店の片隅にあったんや。




