第七話 潮時
なんとか、今週3本アップ果たせました!
一応、こう見えて政治小説なのです。
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痛みを拒み、改革から目を背け続けた果てに、日本は列強の狩場に成り下がった。 主権国家とは名ばかりの姿。かつてこの国が誇ったものは、次々と切り売りされていった。 関東最大の指定広域暴力団 清瀧会の若頭 國定は裏から日本を守る戦いに身を投じ、やがて全てを奪われ凶刃に倒れた。
…気づけばそこは二〇一九年、大学生の肉体に四十八歳の極道の魂が宿った。
天才を口説き、金を作り、政治を動かし、国家を取り戻す。 誰よりも日本が滅ぶ未来を知っている男の、不格好すぎる宣戦布告。
九月二十九日、朝。
昨晩の奇跡的な勝利を報じる朝の情報番組、その光に当てられたのか、通勤中のサラリーマンたちの顔にはどこか奇妙な高揚が張り付いていた。満員電車の歪んだ沈黙の中でも、スマートフォンの画面に映る赤と白のジャージを、食い入るように見つめている者がそこかしこにいる。
しかし、國定がたどり着いたのは、そんな熱狂の残滓など一滴も届かない、どんよりとした曇天が広がる高田馬場の路地裏だった。雨に濡れたアスファルト、雑居ビルの狭い階段の奥に並ぶ、蛍光灯がジジと無機質な音を立てる無人契約機のブース。
朝から降り続く細かい秋雨の中、國定は一切立ち止まらなかった。ジャージの袖を濡らし、ラグビーの練習でひび割れた分厚い指先で、淡々とATMの画面を叩いていく。学生ローン。消費者金融。クレジット現金化。二日前まで、自身の首をじわじわと絞めつけていた「表の縄」を、彼は恐ろしいほどの速度で切って回っていた。増えた大金に酔っている様子は微塵もない。むしろ逆だった。金を手にした瞬間から、彼の頭脳はむしろ冷徹なまでに冴えていた。
「國定君……普通さ」
コンビニの軒下で、ネット返済の処理を終えた矢久保が、スマホの画面を見たまま呆れたように呟いた。
「今の段階で全額返すか? 手元に残しておいて、もう一勝負に使えるじゃん」
「こいつらはかなり汚く借りた金なんだよ、そんな金はとっとと片づけるに限るんだ。 まぁ、もう一部は手遅れかもだけどな」
國定はそう答えて、冷えた缶コーヒーをチビリとのどに流した。押し寄せる駅前の喧騒を、濁った瞳で見つめる。
「金利の問題じゃなくてね、情報に気を配ってる。学生ローンもカード会社も、システムの上に乗っている『表の世界』だ。延滞した瞬間、俺のデータはすべて信用情報機関に回る。住所、家族の連絡先、大学の籍……。汚く走りだしたが、なるべく綺麗に収めていく」
まるで金で破滅していったものを何人も見てきたような言いぐさだった。矢久保は思わず首をすくめる。
「……でも、それ返したら次の運用資金、一千万近くまで減るぞ」
「それでいい」
國定は缶のアルミを軋ませたまま、不敵に笑った。
「俺たちは投資家じゃない。今やってんのは、『未来知の換金』だ。このボロ儲けが長く続くと思ったら駄目なんだ」
その言い方に、矢久保は肌が粟立つような寒気を覚えた。矢久保も感じてはいた。國定の知る未来の輪郭は、すでに静かに、確実に崩れ始めていることを。
そして手元の負債は、残すところ歌舞伎町のヤミ金――狗飼強から借りた100万円だけとなった。
◆
歌舞伎町、雑居ビル三階。【CREST FINANCE】。
薄暗い社長室の奥で、狗飼はデスクの前に立ち、窓の外の雨を眺めていた。 手元にあるのは、國定の「100万円」の貸付帳簿。十日五割の超暴利。通常、この網にかかる大学生は、人生の坂道を転げ落ちるだけの多重債務コースを辿る。だが、狗飼の嗅覚が、紙一重の違和感を捉えていた。
(早すぎる。焦って弾をかき集めた人間の動きじゃねえ)
まだ社会にすらでていない大学生のガキが、たった二日で「今から全額返しに行く」と連絡を入れてきた。その躊躇のなさが、最初からこの返済まで精密に計算されていたかのような、不気味な計画性を感じさせた。
狗飼はタバコに火をつけた。紫煙がゆっくりと天井のシミへ吸い込まれていく。その時、ドアが静かに開いた。
國定だった。濡れたスニーカー、色の褪せたジャージ。どこからどう見ても大学帰りの貧乏学生。だが、纏っている空気が違った。狗飼の細い目が、獲物を捉える獣のように収縮する。あぶく銭の大金を掴んだ特有の浮ついた感じはない。何かは分からない、深い淵のような静けさをたたえていた。
(……こいつ、本当に二十そこらのガキか?)
國定は無言のまま、デスクの端へ正確に札束を置いた。 150万円。元金100万に、十日五割の利息を上乗せした全額。わずか二日で、だ。
「律儀だな、國定」
狗飼がタバコを咥えたまま、皮膚を引き剥がすように笑う。
「次も考えていますからね」
國定は勧められたソファに座ろうともせず、立ったまま狗飼を見下ろした。ジャージ越しでもわかる、W大ラグビー部最前列の丸太のような首筋。その剥き出しの質量と威圧感に、狗飼の背後に立つ若い社員が、無意識にジャケットの内の膨らみへ手を伸ばした。
狗飼はそれを手で制し、口角を上げた。
「ほう。次、ねえ」
「十月十二日」
國定の低い声が、室内の乾燥した空気を震わせる。
「もう一度、極度枠を空けていただきたい」
「いくら欲しい」
「……いくら出してくれます?」
國定は、歌舞伎町の捕食者である狗飼の目を、真っ正面から値踏みするように射抜いた。
「あんたは、俺にいくら積める?」
空気が、完全に凍りついた。 ヤミ金の事務所に金を借りに来る人間が、そんな口の利き方をするわけがない。誰もが額を床に擦り付け、「貸してください」と乞うのだ。だが、この若造は違う。圧倒的な優位に立っているのは自分だと言わんばかりの、冷徹な双眸。
「小僧、ふざけてるのか?」
狗飼の、裏社会で何人も沈めてきた怪物の声。だが、國定は黙って見つめ返すだけだった。その瞳は一ミリも揺れない。
狗飼は鼻で笑い、無造作に机に置かれている150万円の現金を、そのまま國定の胸元へ投げ戻した。
本来、大学生相手の貸付など五十万でもありえない額だ。
百を超えた時点で異例だった。
「ははっ、やっぱその程度か」
しかし國定は少し残念そうに苦笑いを浮かべながら、投げられた金を丁寧に拾い上げると、再び丁寧にデスクの上へ戻した。
「では、なかったことに。ありがとうございました。」
踵を返し、あっさりとドアノブに手をかける國定。その迷いのない背中に、狗飼は脳の計算が追いつくより早く、反射的に声をかけていた。
「待てっ」
なぜ呼び止めたのか、狗飼自身にも分からなかった。裏社会でそれなりに名を馳せた自分を欠片も恐れない、その態度への怒りか、あるいは、このガキが隠し持っている「何か」への強烈な好奇心か。
國定はただ、静かに振り返った。
「3本(300万)だ。それなら今すぐ出す」
狗飼はそう告げながらも、自分の声が、この若造を繋ぎ止めるための
「交渉」に変質していることに気づき、奥歯を噛んだ。
しかし、國定は首を横に振った。
「無茶苦茶言っているのは自分でも分かってます。
それでもこれじゃ話にならないですね。」
再び扉を開け、外へ踏み出した。
狗飼は深く息を吐き出し、今度はひどく落ち着いた、ドスの利いた声色で答えた。
「……まぁ待て。1000万出してもいい」
狗飼はデスクの革椅子に深く背を預けた。
「ただし、十日で倍返しだ。十月二十二日に、2000万にしてここに持ってこい。できるか?」
普通なら、心臓が止まる条件。まず無理な条件だ。
だが、國定は少しだけ喉を鳴らして笑っただけだった。
狗飼に冷たい戦慄が走った。
「悪くないですね。」
そう嘯いて、その大学生はニコっとえらく場違いな微笑みを返してきた。いや嘯いていいない、この男は本気でこの貸付条件を「悪くない」と言い切っている。
「くくっ……はははははっ!!」
狗飼が、腹を抱えて笑い出した。灰皿にタバコを叩きつける。
「いいな、お前! 最高だ! 100万や200万でジタバタするツラじゃねえと思っていたが……。だがな、約束を一円でもたがえてみろ。お前のその健康優良児ってな身体を、隅々まで金にさせてもらうぞ」
國定は丁寧に一礼し、事務所を後にした。
残された狗飼は、新しいタバコに火をつけて、紫煙を天井へ向けて吐き出した。さっきは売り言葉に買い言葉、完全に場の空気に呑まれて口走ってしまった。だが、頭の計算はとっくに終わっている。W大ラグビー部主将。調べたところでは、名門部を擁する最大手家電メーカーへの内定も決まっている。いくらでも骨までしゃぶる金づるに育て上げることはできる。悪い取引ではない。
ただ――その冷徹な計算を担保にしたわけではなく、あのガキが作りあげた異常な空気に気圧され、1000万円という大金を切ってしまったという感覚が、いつまでも消えずに胸を焦がしていた。 ヤミ金として裏社会を渡る人間にとって、あってはならない動揺。狗飼は、自身の内側に生まれた小さな畏れを、静かに自省していた。
◆
十月五日、サモア戦。
矢久保の部屋に、前回のような熱狂はなかった。六畳一間に満ちていたのは、互いの胃壁を削り合うような、じりじりとした警戒感だった。
「わざと負けに行くなんて、正気じゃないよ」
このサモア戦については、最終的に敢えて軽く負けになるようにベットを調整するよう國定の指示を受けていた。
「勝ちすぎる方が危険だ。ブック側のシステムを欺くにはこれしかない」
國定の指示するベット内容は、意図的に外す賭けを巧妙に散りばめた複雑怪奇なものだった。日本勝利は堅いが、細部でわざと損を出す。理由は一つ、一方的に勝ち続ければブックメーカー側のAIにマークされ、ベット額の制限、場合によっては支払停止も考えらえる。前回勝ちすぎた分、今回はわずかな負けを装った。。データ上、彼らのアカウントは『たまたま一発当てて熱くなった、ただのスポーツ好きの大学生のカモログ』と判断されるはずだ。
今回も複数のブックメーカーに分散して300万円程度をベットし、そして予定通りトータルで僅かな負けを被ることになった。
そこまでは良かった。
だが國定と矢久保の表情は硬かった。
「……違う。僅か2点だがスコアまで微妙に変わってきた」
二人は國定がしたためたノートの記録と、目の前の試合経過を交互に目をやり「ズレ」を確認していた。今回、試合の細部が、確実に前回のアイルランド戦よりも変化し初めていた。 國定というノイズにより、未来の輪郭はさらに歪みを深めていた。
「今のところ勝敗にまでは影響は及んでないけど……正確なスコア読みは避けた方がいいね」
矢久保は青ざめながらも冷静に提案した。
「ああ。次は堅く勝敗だけに絞ったほうがいいな」
國定は静かに認めた。
◆
十月十三日、日本vsスコットランド戦当日。
東伏見の六畳一間は、もはや学生の住処ではなかった。コンビニ弁当の空箱、何日前に淹れたかわからない冷めきったブラックコーヒーの出涸らし。ファンが異常な熱を帯びてうなりを上げる三台のノートPC。
アイルランド戦での勝ち金から表の借金を清算し、サモア戦の偽装工作を経て、手持ちは1100万円。そこへ今日、歌舞伎町の狗飼から毟り取った約束の追加融資――【1000万円】が注ぎ込まれた。 総額、【2100万円】。 普通の大学生の人生では、決して拝めない桁の暴力が、ブラウザの残高欄で明滅している。
矢久保は胃の奥を強烈な痛みにへこまされ、自身の爪をガリガリと噛んでいた。
「……國定君。これ、本当に全部残らずいくのか」
「あぁ、全部いこう」
「もう一度だけ考えないか! サモア戦では3点だけとはいえスコアまで変わったんだ。今回は2000万円だよ、半分は闇金からの借金なんでしょ。万が一が起これば命に係わるんじゃ…」
「大丈夫だ、前に話した通り今回はシンプルに『日本勝利』で勝負だ。あとは多少、ベット先を散らしながら負けも混ぜ込んで、上手くビギナーズラックを偽装してくれればいい。」
國定はコンビニの缶コーヒーを開けた。パシュ、と静かな炭酸の音が、逆に異常なまでの静寂を際立たせる。
「この程度の揺らぎなら、日本の勝ちはまだ動きはしない」
『まだ』。その言葉の重みに、矢久保は息を呑んだ。
しかし、試合開始が近づくにつれ、國定の様子は常軌を逸し始めた。何も食わない。テレビも見ない。ただ一冊のノートに、紙が裂けるほどの筆圧で、延々と何かを書き殴り続けている。スコットランドのフォワードの消耗度、当日の風速、芝の水分量、自身の記憶――。崩れ落ちようとする未来の輪郭を、必死にこの世界へ繋ぎ止めようとするかのように。
矢久保が、恐る恐る訊ねた。
「……もしかして國定君でも怖いの?」
國定のペンが、ピタリと止まった。数秒の、呼吸すら許されない沈黙。
「へへっ、やっぱ怖ぇな」
初めてだった。國定が、はっきりと弱音を吐いたのは。
「まぁ、ワクワクしてもいるんだけどな。さすがにこの震えは、武者震いとはいえないよな」
差し出されたペンを握る彼の右手は、小刻みに震えていた。この男もまた、必死に恐怖と戦う一人の人間なのだと、矢久保はその時初めて知った。
午後六時、ベット開始。 もはやそれはスポーツ賭博ではなく、時限爆弾の複雑な配線を数ミリ単位で処理するような、神経を擦り切らせる作業だった。居住国IPの偽装、VPN切替、時間差投入、名義の分散。矢久保の指先は途中から痙攣を始め、キーボードを叩くたびに激しい手汗が飛び散った。
「くそ……! レートが急に落ちた! 今入れたら弾かれる!」
「焦るな、空いた口座へ残高を逃がせ」
矢久保が奥歯を鳴らして従う。2100万円全てが、ブラウザの闇へと飲み込まれた。やり直しは、絶対にない。
十九時四十五分。キックオフ。 テレビの向こうでは、日本中が沸騰していた。渋谷の交差点、新橋のSL広場、溢れかえる赤いジャージと大歓声。だが、東伏見の六畳間だけは、酸素が極限まで薄かった。パス一本、タックル一発のたびに、脳裏を「2000万の負債」という数字がかすめていく。
「うわあああ!! 止めろ!! そこで落とすな!!」 矢久保は半狂乱で叫び、パイプ椅子から転げ落ちそうになっていた。國定はソファの縁を、指の骨が白くなるほどの力で掴み、画面を睨みつけている。
前半、スコットランドの猛攻。巨漢たちの突進が日本のディフェンスをえぐる。オッズが狂ったように乱高下する。矢久保の顔から完全に血の気が引いた。國定の呼吸が、浅く、鋭いものに変わっていく。
後半。流れが変わった。福岡の快足が、姫野のジャッカルが、稲垣の泥臭い突進が、スコットランドの戦意を確実にへし折っていく。
決定的なトライが奪われた瞬間、國定の脳裏に、あの忌まわしい過去世の光景がまざまざと蘇った。多言語の看板に侵食され、活気を失った日本の街並み。目に光を失い、ただ無気力に彷徨う若者たちの群れ。 網膜に焼き付いたそのリアルな破滅の風景が、いま目の前の熱狂と重なり、鋭利な悪寒となって背筋を駆け抜ける。 (あの未来へ続く歯車を、ここで折る)
――そして、運命を確定させるホイッスルが響いた。
【日本 28 ― 26 スコットランド】
「ぶはぁっ……! あ、危ねえ……っ! スコットランドのトライが、記憶より一本多い……!」
國定が肺の空気をすべて吐き出すように叫んだ。
日本史上初の、決勝トーナメント進出。テレビの向こうでは列島が狂乱に包まれていた。しかし、この六畳間にいる二人だけは、まるで冷たい泥水に溺れていたかのように、大量の冷や汗を流して激しく肩で息をしていた。薄皮一枚で踏み止まった、その絶対的な恐怖に身を震わせながら。
矢久保が、完全に感覚のなくなった指先で残高の更新ボタンをクリックした。ローディングのスピナーが回る。数秒。画面がパッと切り替わった。
ディスプレイの青白い光に照らされたのは、バグのように弾き出された、圧倒的な八桁の数字だった。
【¥60,214,991】
矢久保の呼吸が、完全に停止した。
「……ろく……6000万……っ?」
乾いた笑いが漏れ、次の瞬間、あまりの重圧とカタルシスに胃液をぶちまけそうになって床に頽れた。
「はは……っ、……なんなんだよこれ! 学生が手にしていい金じゃないよ! なんなんだよ!!」
髪を狂ったように掻きむしる矢久保の横で、國定は静かにその数字を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「勝ったな」
國定は試合中ほとんど口をつけなかった缶コーヒーを一飲みして息を整えた。何度か大きく息を吸ったあと、彼はゆっくりとだが凍りつくほど冷たい声で口を開いた。
「だが、潮時だ」
矢久保が涙目のまま振り返る。
國定の瞳からは、もう勝利の熱が消えていた。
「増やす戦いはここまでだ。……回収するぞ」
その瞬間、彼のスマホが机の上で激しく震えた。 ブー、ブー、と不気味なバイブ音が響く。
通知画面に表示されたのは、狗飼の名ではない。 見たこともない、見知らぬ海外の国番号だった。
「次回、2019ラグビーW杯編が完結します」
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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