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第八話 回収

前世はエリート極道(でも志果たせず殺されましたが)、死に戻りした今回は表のエリート街道政治家を目指すという國定 一擲の物語です。でも極道時代に染みついて汚い生き様はさほどかわっていないような、そんな青春譚(?)。



十月十六日、午後。


スコットランド戦の狂乱が町から消えても、W大ラグビー部主将としての國定の日常に、息を抜く隙間など一秒も存在しなかった。関東大学対抗戦はまさに佳境を迎えており、その先には全国大学選手権の巨大な壁も控えている。国を変えるための莫大な資金を手にした今こそ、千駄木のワンルームに張り付く矢久保と回収戦を進めなければならない局面だった。だが、身動きが取れない。


そこで國定が選んだのは、力技の擬態だった。


「不注意でな、階段を踏み外した」


左足に嵌められた白ギプスは、見事なまでに精巧だった。


過去世でかすかに繋がっていた医療法人関係者の人脈を、二〇一九年の今から手繰り寄せ、診断書と通院の大義名分を事前に確保していた。監督は激怒し、同時に絶望した。だが、その動揺を気にする風もなく、國定はギプスを引きずりながらグラウンドに立ち続けた。「データ分析」と「戦術指導」という名目で部の活動に深く携わり、主将としての統率力だけは未だグラウンドに効かせ続けている。


「監督、次戦のM大の分析資料です」


監督室の重い扉を開け、國定は分厚いバインダーをデスクに置いた。


中身は、次戦の相手の精密なスカウティングデータ、現在の自チームの細部における課題、直近二週間で修正すべき戦術の要点。恐ろしいほどの解像度で敷き詰められたそれらは、すべて國定の「記憶」から逆算して用意したものだった。


過去世のこの時期、國定は米山監督への暴行致傷罪で拘置所の中にいた。当然、この時代の試合をリアルタイムで見てなどいない。だが、どんな地獄に叩き落とされても、國定のラグビーへの愛だけは死ななかった。かつての仲間が差し入れてくれるスコアブックを、擦り切れるほど何度も読み込み、彼らの躍動を脳内で狂おしいほどに再生し続けた。グラウンドで試合に出ていた選手よりも、ベンチで指揮を執っていた監督陣よりも、鉄格子の向こうにいた男の脳の方が、この時代の各試合をはるかに詳細に記憶していた。


監督は眼鏡を押し上げ、資料の一頁一頁に目を剥いた。


「……國定、お前これ、どこまで足を運んで調べたんだ。スカウト陣でもここまで抜け目のないデータは取れんぞ」


「足が動かない分、暇だったもので」


「そうはいっても、ここまで調べ上げるかね」


監督は呆れたように息を吐きながら、その目に主将への最大級の信頼と畏敬を滲ませた。


「それと、もう一つ推薦が」國定は資料の最後の一頁を指さした。「二軍の住田を、次戦でリザーブに入れてください」


「住田? あいつはまだ一年だぞ。線も細い」


「大丈夫です」


國定の確信に満ちた双眸に押され、監督は「……検討する」と唸るしかなかった。



監督室を出て、松葉杖を突きながらコンクリートの廊下を進む。


「うわっ! 先輩、ケガしてるのにまた偵察に行ってたんですか!?」


背後から声を響かせたのは、マネージャーの北川日菜子だった。ショートヘアを揺らし、ギプスを凝視している。深読みなど一切しない、天真爛漫な彼女らしい素直な驚き方だった。


「せめて情報だけでも力になりたくてな」


日菜子はツカツカと近寄ると、國定のギプスを無造作にコツコツとノックした。


「これ痛いんですか?」


「痛い」


「うそっぽい」


「なんで」


「なんか笑ってたし」


日菜子はいつもの笑顔を見せたが、ふいに真面目な顔になって視線を落とした。


「本当に……せっかくチームも先輩も調子よかったのに、残念。私、なんでも手伝いますから。荷物持ちでも、分析の清書でも、なんでも言ってくださいね」


「北川ー! こっちのドリンク補充ー!」


グラウンド側から声が掛かる。


「あ、はーい! じゃあね、先輩! 無理禁止!」


大きく手を振って走り去っていく背中を、國定は静かに見送った。すべてを欺いて盤面を動かしている自身の冷酷な内面が、彼女の打算のない純粋さに触れる時だけ、わずかに揺らぐ。この修羅の道を歩もうとしている國定にとって、日菜子は人間性を繋ぎ止めるための錨だった。


重い松葉杖を突き、グラウンドの脇へ出る。


パシッ、と鋭い音を立ててボトルが飛んできた。國定はそれを右手一本で危なげなくキャッチする。


「ほらよ」


副将の與田雄輝だった。周囲に他の部員がいないことを確認すると、與田はいつもの砕けた口調で、國定の顔を覗き込んできた。


「お前、さっきから見てりゃ、ケガ人にしてはえらく顔色がいいな」


「そうか? 結構参ってるんだぜ」


「大体、練習に出られないはずなのに、寮にも全然いねえじゃん」


與田の目が、冷徹な副将のそれに変わる。


「お前さ」


「ん?」


「階段から落ちたって、嘘だろ」


十月の冷たい秋風の音だけが、二人の間を吹き抜けた。國定の瞳は動かない。


「……なぜそう思う」


「お前ほどのヤツが、階段踏み外すとかちょっと考えられないんだよ」


與田は短く吐き捨て、グラウンドで泥に塗れる部員たちへ視線を戻した。


「何をしてるかは知らない。だが、背負い込みすぎるなよ」


「分かってる」


それは、ふいに出た、嘘偽りのない本音だった。すべてを効率的にこなすことだけを考えていたつもりだったが、案外自分が感傷的になっていることに國定は驚いていた。今もラグビー部主将として働けていること、與田とラグビーを語り合えること。その当たり前の幸せを、今、深く噛み締めている。


「……俺たちはこのチームを大学一にするために、ここまで走ってきたんだ」


「あぁ、分かってる」


與田が肩をすくめ、ようやく二人に短い笑いが起きた。



その数日後。ようやくまとまった時間を確保した國定は、千駄木の矢久保のワンルームにいた。


出迎えた矢久保の顔は、死人のようにげっそりと削げ落ちていた。目の下には深いクマが居座り、唇は乾ききっている。部屋に入るなり、一通の茶封筒を國定に差し出してきた。


「……これ」


「なんだ」


「あの時、僕の個人口座でベットするよう指示をもらってた『8880円』だよ」


矢久保は乾いた声で言った。


「堅く日本勝利だけに賭け続けて、結局36万4100円になったよ」


國定は封筒を一瞥し、そのまま矢久保の胸元へ押し戻した。


「お前の分だ。取っておけ」


「えっ……? でも、これ」


「前に言っただろ、一回渡した金は引っ込めない。壊した時刻表の弁償代と、今回の我が儘に付き合わせた手間賃だ」


矢久保は「8880円」という半端な数字の意味を思い出し、一瞬目を見開いた。そのまま國定の頑なな視線に圧され、小さく頷いて封筒をポケットに収めた。


「それより、本題だ」


矢久保は表情を引き締め、デスクの上に数枚のプリントアウトを広げた。


「……6000万を勝った。でも、ここからが本当の地獄だったよ」


ディスプレイには、海外の複数のブックメーカーや決済サービスの管理画面が複雑に並んでいた。矢久保は画面を指でなぞりながら、掠れた声で読み上げていく。


正常出金が完了し国内法人口座へ着金したのは2200万円。本人確認と追加審査でホールドされたままの1200万円。規約違反の疑いで係争中の900万円。アカウントごと凍結され没収リスクを抱える700万円。そして、仮想通貨ウォレットへ退避させた1000万円。総額、6000万円。


「脳みそフル回転させて、検知システムを掻い潜って、やれる精一杯は尽くした」


矢久保が髪を掻きむしる。


「で、日本に移動できたのは2200万円だけ。さらにそのうちの2000万円は、言われていた闇金の口座へ振り替えた」


「残ったのは200万円と、海外で仮想通貨化したはいいが動かせない1000万円か。」


「そうだよ! なんで闇金からバカみたいな金利で1000万も追加融資うけちゃったんだよ!自己資金だけでじっくり回し続ければ、もっと手元に残せたはずなのに!」


抑え込んできた恐怖と徒労感が爆発したのか、矢久保がデスクを叩いた。


「6000万だよ!? あれだけ正確に試合予測を的中させておいて、手元に残った現金はたったの200万なんて……!」


激昂する矢久保に対し、國定は驚くほど冷静だった。書類の数字をじっと見つめ、短く呟く。


「いや、悪くない数字だよ。矢久保、よく頑張ってくれた」


「は……?」


矢久保がその言葉の意味を計りかねて固まった、その瞬間。机の上のスマホが激しく振動した。表示されたのは、先ほど2000万円を返したばかりの、あの男の名前だった。



國定は迷わず通話ボタンを押し、スピーカーモードに切り替えた。


『――國定か』


狗飼強の声は、一切の感情を排した冷徹なものだった。


『頼まれてた出金が詰まって身動きが取れなくなった金の件だが』


横で聞いていた矢久保の身体が、びくりと跳ねた。なぜそれを闇金の社長が知っているのか。


『マカオとジブラルタルの決済代行業者に、ツテを使って少し圧力をかけた。回収不能になりかけてた3000万弱の資金のうち、約2100万円分はこちらの海外法人の口座を経由してサルベージできるだろう』


「さすがですね」


國定の声は揺るがない。


『そのうちの1000万円は、ウチのルートを使って今週中に国内のトバシ口座へ現金として移せる。残りの1100万はそのまま海外のプール口座で保管だ。……ここからが本題だ、小僧』


受話器の向こうで、狗飼が静かに笑う気配がした。


『今回の手間賃、海外の連中を動かした費用も込みで、報酬は国内に戻せる1000万をウチが貰い受ける。海外に残った1100万はお前のもんだ、好きにしろ。文句はねえな?』


横で聞いていた矢久保の顔から、みるみる血の気が引いた。命がけで手に入れた金から、一瞬で1000万という巨額を掠め取られようとしている。裏社会の捕食者の、容赦なき喰い方だった。


だが、そのどす黒い強者を相手に、國定は眉一つ動かさず、ただ一言だけを返した。


「500万が妥当なところじゃないですか」


『……なんだと?』


「今回のあなたのリスクと動いた人員の規模を考えれば、手数料は500万。それが上限でしょう」


『ふざけるなよ、ガキが』


狗飼の声から笑みが消え、明確な殺気がスピーカー越しに刃物となって突き刺さる。


『こっちがどれだけの金と、どれだけの危険な人間を動かしたと思ってやがる。俺がいなきゃ、お前らはその2100万、一円だって手元に残せずに凍結されて終わりだったんだぞ?』


「500万です」


『……800万だ。これ以上は一歩も引かん』


狗飼の妥協案に、國定はふっと静かに息を吐いた。


「狗飼さん。あなたほどの人が、800万程度の端金にしがみついて、この件の『本質』が見えなくなっているわけではないでしょう」


本質――その一言が落ちた瞬間、通話の向こう側へ完全な沈黙が訪れた。わずか数秒。だが横で見守る矢久保には、心臓が止まるほど長い数秒だった。


やがて――低く、押し殺したような笑い声が漏れてきた。


『……くくっ。……ははははは!』


狗飼は腹を抱えて笑っていた。


『……分かった。今回は、俺の負けでいい』


「ありがとうございます、狗飼さん。お借りしていた1000万円は利子1000万円を乗せて、先ほど指示いただいた口座へ振替をすませています。……では、また連絡します」


『ああ』


プツリ、と通話が切れた。



歌舞伎町、クレストファイナンシャル事務所。


狗飼は通話を終えたスマートフォンをデスクに置くと、新しいタバコに火をつけた。


「……社長、本当によろしかったんですか?」


背後に控えていた若い社員が、納得のいかない表情で尋ねる。


「あんな大学生のガキ相手に、言われるがまま500万にまで値切られるなんて」


「儲けは十分だ。十日で元金が倍になって戻り、さらにリスクなしで500万が転がり込んできたんだぞ。舐めた口調は気にいらんが、ビジネスとしては勝ちだ」


狗飼はそう答え、紫煙をゆっくりと天井へ吹き上げた。不満げな社員は、そのただならぬ気配に圧され、それ以上言葉を継げずに一歩下がった。


だが、狗飼の内面は、いまだかつてない奇妙な違和感に支配されていた。


(何かがおかしい)


最初の貸付、二日での全額返済、十月十二日の1000万の追加融資、そして今回の海外資金の回収劇。タイムラインを振り返れば、すべての局面で完璧に「勝って」いるはずだった。莫大な利益を出している。


(なのに――クソほども勝った気がしねえ)


それは裏の住人として、ぞっとするような感覚だった。確信はない。だが、鋭い勘だけが冷たく告げている。自分は何か、決定的なものを見落としている、と。


しかし――狗飼の口角は、不気味なほどに吊り上がっていた。


「……面白ぇガキだ」


その胸の奥でくすぶっていた気味悪さは、いつしか、底知れない極上の興味へと変質していた。



千駄木のワンルーム。


通話の一部始終を目の当たりにしていた矢久保は、しばらく言葉を失ったまま呆然と國定を見つめていた。


(もしかして國定は、最初から狗飼を回収不能資金のサルベージ役をさせることまで計算していたのか)


さっきまでの凄みの利いた表情はどこへ消えたのか、蓄積した疲れからか大あくびをして呆けた面をさらしている國定を眺め、矢久保は大きく息を吐いた。


「考えすぎか…」


思わず口から洩れた言葉が聞こえたのか、國定が振り向いた。


「でも」


ふいに自分に向かった國定の視線を、矢久保はそらさずに真正面から受け止めた。


矢久保が國定と真っ直ぐ目を合わせたのは、この時が初めてだった。國定も気づいた。矢久保の目の色が変わっている。先ほどまでの、巨額の金の動向に感情を振り回されていた大学生の姿はそこにはない。傲慢なまでに知性を剥き出しにした、一人の冷徹な「研究者」の目だった。


「國定君。君が何者かは、未だに理解しきれていない。ただ、嘘をついたり汚いことを平気でやれる人らしいことは分かった。そして、なんとなくだけど――根っこの部分には、嘘がない人なんだということも」


矢久保は、國定の「過去世の未来ノート」を自身の前に引き寄せ、力強くページを開いた。


「君は前に言ったよね。二十七年後の二〇四六年、汎用AIが世界に浸透し、この日本を、いや世界を完全に変えてしまっていたって」


「ああ」


「そして、AIが劇的進化をもたらしたキーマンが、僕だったと」


「間違いない」


「でも、それは今ここにいる僕じゃない」


「ああ」


矢久保は微かに息を吸い、言葉を続けた。


「君は自分が未来を知っていることを、これ以上ないくらい明確に証明して見せた。だったら次は、僕の番だ。僕は、君が望む未来を作れる人間だと、証明しなければならない」


「……」


「そのために、力を貸してほしい。君の頭の中にある、以前の『AIについての記憶』を、すべて吐き出してほしいんだ」


矢久保の細い指先が、キーボードの上で鋭く構えられる。


「それが技術的なコアなのか、ただの都市伝説なのか、重要な情報かそうでないかは、君が判断しなくていい。どんなに小さなことでも、断片的な単語でもいい。思いつく限りのすべてを書き出してくれないか。……その記憶の断片ですら、今の僕にはとてつもない宝になる可能性がある」


その言葉に、國定の胸の奥で、かつてない熱い火が灯るのを確かに感じた。


「分かった」


國定は深く頷いた。


「なら、俺からも条件がある。呼び水が欲しい。二〇一九年十月現在における、世界中の最新のAI開発関連のデータ、トレンド、論文――とにかくすべてを俺にくれ。それを見れば、まだ脳から拾い出せる未来の欠片があるかもしれない」


「お安い御用だ」


矢久保の瞳が、狂気的なまでの輝きを放った。


---


二〇一九年、秋。



日本を破滅の未来から救い出すための、もう一翼――国産AI開発計画が、いま小さく静かに動き始めた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


『CROWNED CROW』は、

未来を知る男の成り上がりだけでなく、

AI・国家・資本・災害・人間の欲望を描く物語でもあります。


少しでも面白い、続きを見たいと思っていただけたなら、

【ブックマーク】や【評価】で応援していただけると、とても励みになります。


感想も歓迎しています。

読者の皆さんの反応が、この作品をさらに磨いてくれます。


次回も、よろしくお願いします。

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